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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第二章 浅井長政の答え
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織田信長の回答

しばらくは準主役、信長のターンです。

 元亀三年十月二十一日。




 京の都は、揺れていた。




「我が主、徳川家康、討ち死に!」




 そう叫びながら駆け込んで来た親子に、織田の将たちの顔は真っ青になった。


 子の方はまだ十歳にもならぬながらそれなりの貫録を持っており、そしてその父親は織田の宿老たちも名を知っている男。


 そう、酒井忠次。

 織田信長も見慣れたその男が目の下に隈を作る有様で述べたその言葉は、それこそ信長たちの心を木端微塵にしかねない迫力があった。


「どういう風に死んだと申すのだ!」

「ええその、正確には討ち死にと言うより、自害かと……」

「具体的に申せ、ゆっくりで構わぬ」

「では…………」



 忠次は息子と共に深く深呼吸をし、改めてそのあらましを話した。







「二俣城を一日、いや半日で陥落させ、さらに貴殿らを一人一人丁寧に封鎖し、そして信玄自ら徳川殿を追い込み……」

「ええ、それで殿は浜松城に逃げ込みましたが信玄は前後を顧みずに攻め込み……」

「それで追い詰められてと言う訳か……」

 事の経過が語られていくと共に、織田軍の面子の顔色も青くなって行く。



「武田の坊主めがここまでやるとは……!」

 第一声を放ったのは柴田勝家だった。織田家一の猛将である勝家をして全く想定外の強攻策であり、あまりにも乱暴なやり方にそう返すしかなかった。

「徳川殿の軍勢は六千から七千は残っておるはず。武田信玄とはそんな無謀な真似をする人間ではなかったはずですが……」

 それに続くのは羽柴秀吉である。風采の上がらない小男だが頭の回りは早く、その知恵で次々と出世を重ねた。


「実際、徳川軍はこの戦で二千五百の兵を失い、三千の兵が負傷しました。あとおよそ千名の兵が捕虜となり、残るは三千五百です」

「一応聞くが岡崎にはどれほどの兵がいるのか」

「三河一国二十万石で五千おります」

「負傷兵はいずれ何とかなるだろうとしても、浜松城以東は武田の手に渡ったと見てもしょうがない状態か……それはまずいな」

 合わせれば八千五百、やがて負傷兵が回復するとして一万。戦えない数ではない。

 だが問題は、その一万の兵を食わせる土地である。三河と浜松城以西の遠江では一万の兵を養い切れる四十万石の石高があるかわからない。


「しかし、武田も相当な損害を負った事は間違いない。信玄坊主め、躍起になりおって…………」

「具体的にどの程度の損害が出たのですか」

「およそ五千の兵が討ち死に、同数の兵が負傷したと聞き及んでおります」

「信玄めがそこまで後先を考えぬとはこの信長をして見誤ったわ……なれば答えは一つ」

「では!」

「岐阜城へ退こう」

 一瞬すぐさま遠江に来てくれるのかと期待していた息子の頭を、父親はにらみつけた。

「幸甚でございます」

 忠次にしてみれば、それが織田にとって目いっぱいの妥協点である事を知っていたからだ。


 この時の織田は一応京を抑えているが、南の伊勢長島一揆と松永久秀、北の朝倉義景と浅井長政、北西の足利義昭、南西の本願寺顕如と敵が多く、東の武田ばかりに構ってはいられなかったのだ。

「信玄はすべての力を注ぎ込んで三河(家康)殿を消そうとした。おそらく生涯最後の願いとしてな。単純に遠征と言うのは力がいる。今川義元とてあれほどの力を持ちながら遠征の失敗一回で一気に傾いた。氏真殿にはあまりにも大きな負債を残してな。今回は失敗ではなく成功だったからまだましだろうが、それでも負った損害の大きさに変わりはない。武田が次にこんな攻撃をするのには五年はかかろう。その五年後があれば、な」


 まごう事なき事実だ。

 武田が全く動けないと言う事はないにせよ、これほどまで派手に動くのにいったいどれだけ時間がかかるのか。ましてや武田軍は農兵の集まりであり、地元の環境に大きく左右される。ひとたび天候が荒れて凶作でも起きれば、一挙に後退しかねない危険性をはらんだ家でもある。


 ましてや信玄は既に五十二。その上健康状態も良くない。年の近い柴田勝家と比べても肌の色つやや血色が良いとは言えず、それこそすぐさま逝ってもおかしくないとさえ忠次は思っていた。

「どうも気になるのですが」

「申されよ」

「浜松城より逃げ帰った者によりますと、最近の信玄は奇妙なほどに元気だと言うのです」

「奇妙なほどに?」

「いわゆる蝋燭が燃え尽きる前だと思っていたのですが、それにしてはやけにと」


 家康直属軍に限らず、徳川の将兵は皆そう感じていた。勝頼でさえそう思っていたのだから、なおさら信ぴょう性は高い。

 まるで三十路、は大げさにしても四十路のような覇気。何か急に若返ったようなそれ。


「信玄が仮に健康だったとして、いずれは朽ち果てる。その次は勝頼である事は既に明白、信玄でなければこの状況をまとめきる事は出来ん。おそらく北条も信玄の事を恐れて手を結んだのであろう、勝頼となったらわからぬ」

「しかし信玄が健康な内にそれこそ我が徳川は」

「一人で戦はできぬ。ましてやあの上杉謙信がいるのだ、信玄も無理はできまい」


 織田信長と言う人間は、さほど個人の武芸を重視していない。


 ある程度までなら一人の武勇で何とかなるが、規模が膨らめば膨らむだけ戦略が重視されると思っている。実際ついさっき信玄が徳川の各将を抑え込ませたと聞いた時には見事な戦略だと一人で感心していた。


「無論、徳川殿に対する協力は惜しまぬ。娘婿たる信康殿に徳川家を継がせ、その正統性と徳川家の健在を示さねばならぬ。

 それと信康殿にも子を作らねばなるまい」

「は?」

「忠次殿は三河殿の叔父であろう?だったらそなた、わしの孫になれ」



 そして唐突にそんな事を言い出すのもまた、信長だった。


 ここにいた忠次の子小五郎は数え九歳。正統なる酒井家の跡取りであり、かつ徳川家康の従兄弟だった。


「えっと……」

「徳川はまだ倒れる事はない。その姿勢を示すことも必要であろう」

「わかり、申した……前向きに……」

「うむ、ああそう言えば酒井殿には他に二男子がおったそうだな。そっちのどちらかを信康殿、いや三河殿のにと言う事で」


 家康も石川数正のいない今、徳川家の中心は信康であり、酒井忠次だった。だが十四歳の信康の求心力はたかが知れており、当分は酒井忠次が中心とならねばならなかった。

(あれが丁重に剃髪などするような器か……!いやしたとしても黙っているような女か……!まったく、寿桂尼を見ておらんのか……)


 今川氏親の生母にして今川家を支えた寿桂尼の存在は信長も知っている。桶狭間から八年も持ったのは氏真ではなく彼女による所が大きく、義元もしっかり頼りにしているだけの価値はある人間だった。

 だが築山殿が寿桂尼と同じように家政に口を挟んで来て成功する絵面はどうしても浮かばない。信康の生母と言う肩書を盾に、我こそはと家内を取りしきりたがるだろう。あるいは織田に抱いていた反感を増幅と言うか破裂させ、今川にとって織田と同じぐらい仇であるはずの武田に走ってしまうかもしれない。

 その点は土田御前も同じだったと信長は思っている。弟の信勝ばかりを愛し父信秀の死後の尾張を乱した責任の一端は客観的に見ても彼女にあり、信長と言う存在にくっついて来た存在は一様に彼女を嫌っているというか目に入れていない。小五郎は無論忠次も戸惑うような奇想をさっと出す信長をして、女性と言うのはなかなかに度し難い存在である。



「この京の都の守備、この明智日向におまかせを!」

「そうか。その方ならば問題はあるまい」


 そこに入り込む男。

 元より京の政にも詳しく朝廷とも交渉ができる明智光秀は新参ながら重宝されていたが、確かにこの場においては適任である。


「十兵衛、それとおそらく本願寺や雑賀衆も動いて来るであろう。荒木や高山などを粗略にするな」

「はっ!」


 我先に名乗り出た成果ありと言わんばかりに勇んで立ち上がる光秀の背中をある者はたくましそうに、ある者は少しだけ歯嚙みしながら見ていた。


「ああそれと奇妙。そなたは酒井殿と共に岡崎へと向かえ」


 そして前者だった一人の少年は、極力ゆっくりと立ち上がった。


「父上……」

「岐阜城は余が守る。そなたは岡崎に入り義兄弟を守れ」

「はい!」

 織田奇妙丸、十六歳。信長と言う特異な存在と比べるとおとなしそうではあるが、決して才気を隠す事のない好青年。

「一刻も早く参ります」

「そうせよ、それが織田の人間の行いだ」

 奇妙丸は酒井親子と共に広間を飛び出し、光秀もそれとは逆方向へと飛び出して行った。


「それで、だ……権六。その方は浅井に当たれ」

「浅井と朝倉ですか」

「そうだ。おそらく連中は三河殿の死で浮かれ上がっている。老いぼれ共を討つのはたやすいはずだ。数で押されねばな」

「数とおっしゃられますと」

「副将として筑前を付ける。遠慮なく頼れ、どうしても嫌なら犬千代に頼め、犬千代、良いな」


 そして勝家には秀吉と共に浅井・朝倉の防衛を命じた。折り合いのよくない両者をまとめる役を前田利家に強く言い聞かせ、言うべきことは言ったとばかり手を振る。


 さらに遊軍として池田恒興を南近江に配置させ、地元勢力との友好も深めさせる。




「そして余は岐阜城の前に少し寄り道をせねばならぬ。五郎左は先に岐阜城に入れ」

「寄り道とは……」

「滝川と共に、だ」


 そして信長は、滝川一益と共に、また別の一手を打とうとしていた。

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