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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十章 近畿の絶望
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本願寺教如の大失態

「いやー、孫市、久しいのう」


 浅井軍を含めれば一万五千の軍勢を束ねる将とは思えないほどの、軽すぎる口調。


 戦場だと言うのに酒場ででも出くわしたかのような顔をして、やたらにこやかに声を上げている。




「お前こんな場所で」

「本当は小一郎も連れて来たかったんじゃが、おっ母がどうしてもならんって言うからのう。ったく男ってのは幼き時はおっ母、長じれば女房、老いれば娘や息子の嫁に頭が上がらんもんじゃな」

「おい、自分の足下を見て物を言え」

 あっという間に場の空気を支配した秀吉に対し教如は目を三角にするが、秀吉は笑ってばかりでまともに答えようとしない。

「わしはこの通り背が低いので足下はよく見え申す。その点だけは小男で得をしたと言えますなぁ」

「大男総身に知恵が回りかねとでも言う気か、小男の総身の知恵も知れたものだ」

「ではこれまでこの小男に敗れた数多の大男たちはどう説明なさるのですか?教如殿」


 で、口を開いたと思ったら秀吉はあくまでも軽口をやめず自分たちを煽り続ける。挑発と言うには真摯過ぎ、礼節を守っていると言うにはあまりにも軽すぎる。


「だから、これまでの戦いですでに少なからず犠牲者が生まれている!その事を何とも思わんのか!」

「人間、取り分け俗人と言うのは命を奪って生きているものでございます。生まれる事でさえ親の力を奪う行いであります。十月十日の間母親の中に閉じこもり、出てからも寝食から下の世話まで、ざっと十幾年はかけねばなりませぬ。それを繰り返して人は人となり、こうしてここにいるのでございます。ましてや当方は既に将であり、屍は幾度も見慣れてきてしまいましたので」

「真面目に物を言え!」

「いえいえ、わしはいつでも真面目でございます。それで、できれば穏便に、退いていただけると助かるかと……」

「だったらその首を今すぐ叩き落せ、そうすれば退いてやらんでも」

「その答えは否だ」



 重秀が強引に話を断ち切り、右手に握っていた銃の引き鉄を引く。



 銃弾は摂津の秋空を舞うが、どこにも当たる事はなく失速して消えた。



「ちょっと!」

「これ以上話していても巻き込まれるだけです。行きましょう!」

「そうですな!」


 重い腰を上げた重秀に対し、教如は秀吉にしたのとは真反対の声をかける。


 羽柴秀吉と言う名の待ち人に思い焦がれ、来訪を待ち望んでいた。

その主客の到来まで積極的に動こうとしなかった執事に向かってもてなしを要求する主人の声に応えるかのように、ようやく動き出してくれたのだ。

 一斉に銃口が構えられ、賓客を待ち受けている。




 もっとも、客人がそんなに素直でない事を亭主は忘れていたのだが。




「来ません……けど」




 一気呵成に攻め込んで正面衝突してやろうとしていたはずなのに、まったく前進して来ない。


 むしろじりじりと下がり出しており、川に近づいている。

 川には橋があるから完全な背水の陣ではないが、それでも茨木城救援とか言う目的はどこに行ったのか完全な行方不明である。


「とりあえず茨木城を…」

「うるさい!あの猿鼠男をしつけてやらねば気が済まん!」

 教如の頭は再び沸騰し、自ら先鋒にならんと馬の手綱を引っ張り、茨木城を置き去りにして秀吉を追いかけ出した。


「皆の者!羽柴秀吉に連なる存在を一匹残らず逃がすな!!」

「オーッ!」


 ありったけの大声で叫ぶ教如に引きずられるように、一万以上の僧兵が羽柴軍を追いかける。あっという間に騎馬僧兵が長政に殺された屍を飛び越え、羽柴軍の背中に食らいつかんとして行く。

「雑賀衆が追い付けませんが!」

「雑賀衆は茨木城を抑え込めばそれでよし!」

 あれほど頼りにしておきながらこんな事が言える程度には、教如の頭は沸騰していた。

 総大将がこれなのだから下は推して知るべしであり、もはや教如を止められる存在は誰もいなくなっていた。年かさの坊主たち—————と言っても秀吉(三十七歳)よりは年下だが—————のそれたちも足軽のように我先にと駒を飛ばし、目の前の敵を食らいに行っている。

「秀吉!それが織田一の知将の用兵か!」

 茨木城の事など簡単に頭から追放し、全てを忘れて敵を追いかける。

 まだ性欲にあふれてしかるべき年頃の男が煩悩を昇華させ、情熱に変えている。


 ここに来る前日さえも女を抱いていた煩悩まみれの重秀、立場上の問題があるとは言え側室を囲いまくっているらしい秀吉。

 二人とは違う!


「どこだ!どこに逃げた!」


 文字通り猿のようになっているだろう秀吉への憎しみを吐き出しながら、教如は正面に向かって吠える。


「わかりませぬ!」

「わからぬ訳がないだろう、が…!」



 しかしそんな禁欲気取りの青年をあざ笑うかのように、中年男率いる軍勢が増えた。



 援軍ではない。



 あっという間に、左右に分かれたのだ。


「各個撃破すればよろしいかと」

「鶴翼の陣もどきではないか!しかも何なんだあの薄さは!」


 翼と言うより、塔。

 まるでコの字のように真ん中が凹み、引き付けて押し潰すとか言うよりただ単に分かれただけ。


 中央部で巨大な旗を掲げる本隊に突っ込んだ所を左右から挟んでやる気なのだろうが、あまりにもあからさま過ぎる。

 中央の兵はおよそ二千人。先頭は見た所、浅井長政だった。


「ですからとりあえず西側から」

「ああそうだな!」


 こんな安っぽい陥穽に引っ掛かるかとばかりに西側の軍勢に一万五千の兵をぶつけにかかった教如だったが、すぐに気分を悪くした。

「蜂須賀小六これにあり!本願寺覚悟!」

 出て来たのは秀吉ではなく、蜂須賀とか言う大男。秀吉の股肱の臣であり、あの口を信じれば弟がこの場にいない以上副官扱いだろう。


「秀吉はどこに行った!秀吉を出せ!」

「イノシシ狩りなどこのわしで十分だ」

「ほざけぇ!」


 イノシシとか言う言葉をぶつけられて元々上っていた血が頭から噴き出した主に従うように、僧兵たちも殺し合いを始める。


「南無阿弥陀仏!」

「仏敵を討てぇ!」

「極楽浄土のその先にぃ!」

 もちろん羽柴軍も押し返す。

「イノシシ共に負けるな!」

「御仏の名を借りた悪党め!」

「餅は餅屋だ!」


 で、やはり正面衝突となると本願寺は分が悪い。倍近い数の差をもってしても押しきれず、東側の軍勢の事を思うと全力を注ぎこむ事ができない。

「囲め!囲め!」

「無理です!」

 数の差を生かして囲もうにも、蜂須賀軍が左右に広がっている上に戦闘力の差があるせいで押し切れない。もっと兵を出そうにも、正直兵も場所もない。

「ああくそ!雑賀衆はどうした!」

「雑賀衆は茨木城を!」

「全軍とは言わん!半分でもいいから首根っこを引きずってでも連れて来い!」

 鉄砲で何とかするしかないとばかりにさらに喚き散らすが、そうした所で大半が徒歩の雑賀衆が追い付くのには時間がかかる。その上に下手に一、二発放たれた所で、狙撃でもない限り大した意味もない。

「雑賀衆と言えども統率を乱しては!」

雑賀衆が恐れられているのは個人技もさることながら、集団戦法による弾幕の恐ろしさもあった。それのないバラバラな射撃では効果など知れている。

「一挺でも二挺でも構わん!すぐ持って来い!」

「ですが鈴木殿は!」


 重秀の名を出して止めようとした坊主に向かって教如は阿修羅の如き顔になり、ついさっき首根っこを引きずってでもとか言った言葉を拾うかのように本当に首根っこを掴みにかかった。


「鈴木、鈴木……!そなたはどこの人間だ!」

「私は本願寺の僧であり!」

「本願寺の者ならばこの教如の言う事を聞け!だいたいあんな好色男に従えとでも言うのか!つい昨日も女を抱いていた!」

「それとこれとは!」

「もういい!拙僧自ら呼んで来る!」

「ああちょっと!お待ちください!!」

「わかり申した!我々が参ります!」

「そうかそうか!頼むぞ!」


 目的のためにとは言え自ら戦線離脱しようとする大将をかろうじて小坊主たちが食い止めたものの、教如の機嫌は全く直らない。


「どうしてだ……!どうしてなのだ!」

「あの、父上、いや住職様は……」

「父上が我々の勝利を歓迎しない訳があるか!」

 つい先ほどまであれほど教如と仲良く吠えていた側近でさえもそんな事を言い出すほどに熱量を蓄える教如の周りだけ、晩秋どころか盛夏になっていた。




 そして、取り巻きの坊主にとっては救いであるかのように、待ち人は案外すぐやって来た。


「土橋守重!見参!」

「おおついに来てくれたか!早速、蜂須賀を!」

「敵中央軍が迫って来ます!」


 だが、禍福は糾える縄の如しとか言う訳でもないが、雑賀衆の着到を見たかのように羽柴軍も動き出す。


「浅井長政か!」

「秀吉本隊は動かないのか!」

「とりあえず撃ちますから!」

  守重は必死に教如をなだめながら銃を構える。本来ならば隊伍を組むがそれをせずに自分の腕にかけ、一刻でも早く戦果を見せると言う教如の期待に応えにかかる。



「敵が迫って来る!」

「雑賀衆!」

「行くぞ!」



  守重は、これまで何度もそうして来たように、引き鉄を引いた。



 ちょうどこの時羽柴軍も鉄砲の引き鉄を引いており、その銃声は思ったより際立つ事はなかった。


 それでも銃弾は違うのだとばかりに飛び、羽柴軍中央部隊を目指す。



 千成瓢箪の旗に向かって行く。



 そして銃弾は千成瓢箪の旗の中央を貫き、その衝撃で持ち手の手から旗が離れた。


 そして、倒れる。







「あっ……!?」







 そして、 守重の悲鳴と共に、戦場は静まり返った。







 誰もが次の言葉を待つ。







「雑賀衆!自分が何を狙ったかわかっているのか!」




 その沈黙を破った浅井長政の怒声に釣られるように集まった視線の先には、千成瓢箪でも織田木瓜でも、ましてや浅井の三つ盛亀甲でもない旗があった。


 真円の中央部に横たわる棒。


 その隙間を埋める黒味。




 全てを理解した 守重の口から、その答えは出された。






「……二つ引両!?」

教如「もう少しましな役をやらせろ!!」

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