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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十章 近畿の絶望
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浅井長政の登場

 九月二日。




 本願寺軍出兵から一日後。




 摂津の茨木城は本願寺軍により包囲されていた。




「我が軍は二万。うち三千でつい先ほど茨木城を包囲し、残りで援軍を待っております」

「茨木城の守将の中川とやらはどうだ」

「徹底抗戦の構えのようです」


 教如は鼻を鳴らしていた。

 ついさっき降伏を求める使者をよこしておきながらそんな行いをしてそんな言葉を求めるのが、教如と言う十六歳だった。


「住職様はあくまでも敵は織田であると」

「父上は何もわかっておらぬ!御仏の教えがこの国に来てより千年経つと言うのに!耶蘇教とか言う湧いて出たようなそれに浸食されてもいいと言うのか!」

「それはよろしくありませぬ、されど敵はあくまでも織田であると」

 そんなつまらない言い合いをしている間に、顕如より年かさな坊主がうつむきながら帰って来た。

「首尾は」

「駄目でした」

「そうか、これだから耶蘇教徒はいかんな。野蛮で無謀で……」


 顕如の大真面目な笑顔に向けてその坊主が頭を下げる中、顕如は後方を見た。


 後ろには火縄銃が並び、的を探し求めている。


 二万人のうち、雑賀衆はおよそ三千に過ぎない。

 だが鉄砲兵の数は八百とも千とも言われており、それこそ戦国乱世における最大級の火力を持った軍勢だった。

「しかし敵先鋒はおそらく池田です。本命はそちらでもよろしいのでしょうか」

「池田を叩けば京の都は乱れます。討ち死にでもすれば明智に続き池田をも亡くした織田は京に入る事を恐れて身を引く可能性もあります。さすれば主上様も町衆も織田を捨てる事は必定。美濃を得てからたかだか六年でここまで増長した付けを一気に払うだけの事ですから」

「いかにも」


 自分の言葉に深くうなずく岡家利の持つ銃の光。

 その光こそ自分と御仏の世を切り開く未来。

 教如は実に楽しそうに眺めようとして、あわてて前を向いた。

「おっといけませぬ。あくまでも慈悲です、慈悲を忘れてはなりませぬ……」

 凶器に魅かれてしまう自分を必死に内省しながら、茨木城の北方に目をやる。

 ほどなく来るだろう敵援軍を狼の如く待ち、その肉の味、味わったことのない美食を楽しむ。




「来た!」




 そしてその期待に応えるように、ついに織田の援軍が来た。



 しかも、旗は千成瓢箪!



「秀吉…!」



 池田ではなく、羽柴秀吉!



 農民でありながら織田家に味方する憎い男!



 これさえ討てば流れは変わる!



「雑賀衆の皆様!早速!」

「焦りすぎだよ」


 そんな所にやって来て、いきなり水をかけに来た男。


「孫市殿……」

「どうせ先遣隊は先遣隊なんです、あまり気合を入れ過ぎると潰れます。どうせ本隊は確実に来るんだから、その時まではもうちょい我慢しましょ」

「ああいかんいかん、つい逸ってしまった。雑賀衆の皆様、まずは確実にお願いいたします」

 確かに正論だが、気分的にはまったく面白くない。せっかく頭と共に心まで熱くなっていたのにそんな事を言われては、また熱するのに動機が必要になってしまう。


 熱い心に冷たい頭とか言うが、実際心熱き時は頭も燃え上がっていて目の前の一点に集中してしまいがちだし、冷静な頭を抱えている時には言動が淡白になってしまう。


 それでも後ろに隠れている重秀と違い、二百挺ほどの鉄砲と共に雑賀衆が前進を開始した事でようやく留飲も下がった。



「目標は敵先鋒!」

「右手方向から来ている!先頭はかなり大柄!」


 これから始まる戦に、坊主のくせに血がたぎっていた。







 羽柴軍の先鋒が、茨木城東側を囲む軍勢に突っ込んで来る。

 あらかじめその事を読んでいた本願寺軍は正確に向きを変え、真っ向から突っ込む。


 だが武士には分が悪いのか、すぐさま押され出す。と言うか本願寺軍が三千を三つに割ったうちの千なのに対し、羽柴軍は三千。

 五分もしない内に本願寺軍は崩れそうになる。


「念仏の力を信じよ!」

「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……!」

 本願寺軍はこれまでのように念仏を唱えながら突っ込むが、これまでのように織田軍には通じない。単純な数と兵の質により形勢は傾く。

「先頭はかなりの大男!」

「よし!そ奴を狙え!」

 それでも要さえ崩せば形勢逆転するとばかりに攻撃を集中させるが、突っかかってくれば来るだけ犠牲者が増える。

「この!」

 三人の僧兵が薙刀を振りかざすが、男の槍により薙刀の先っぽ三本が舞っただけだった。刃物の代わりの用に棍を振り回す僧兵もいたが、結果はまったく変わらない。

 もちろんそんなのは幸運な兵だけであり、多くの僧兵は次々と入滅して行く。


「くそ……」

「雑賀衆が来るまでは耐えよ!」


 結局それしか手がない事に気づいた僧兵頭が必死に守りに走るが、それでどうにかなる訳でもない。

 ほどなくしてその命令を出した本人自ら先鋒の男の槍を受ける事となり、必死にしのぎにかかる。僧兵とは違う専門家の一撃が鋭くうなり、命を奪う事を求める。

「うわ、うわ!」

 武勇ではなく信仰だけで成り上がって来た僧兵頭には反撃するだけの余裕もなく、もはや一刻も早い援護を祈る事だけしかできない。


「早く、早く……!」


 と、考えている時。風に乗って火薬の匂いが鼻孔をくすぐった。

 そうか、ついに来たか!


 その安堵を得た直後、彼は入滅した。



 ただし、槍ではなく、銃弾で。







「蜂須賀か、こざかしい!」


 とっさに身をかわし僧兵頭を盾にした先手大将に向けて土橋守重が舌打ちをした。

 大男総身に知恵が回りかねとか言うが、この様子だと知恵もなかなかありそうだ。


 紛れもない千成瓢箪の旗を背負った羽柴軍の先鋒、おそらくは蜂須賀小六。

 その男ならここまで頭が回るのもわかる。

「秀吉の恩人たる蜂須賀を討てば指揮は一気に下がる!さあ行け!」

 猛将と言う名の財宝に向け、雑賀衆は再び銃口を向けた。



 だが

「おいどうした!」

 ほんの一瞬だけ射撃をためらってしまった雑賀衆の存在を察した羽柴軍から次々と兵が現われ、先鋒の男が下がって行く。

 あわてて何人が銃弾を放ったが届かず、同士討ちと言うか同士撃ちのようになってしまった。

「何をやっている!」

「あれは!あれは…」

「あれは何だ!」

「浅井長政です!」


 浅井長政と言う名前に家利たちが戸惑っている間に、再び羽柴軍が突撃して来た。

 改めて銃弾が放たれるが、散発な上に肝心な存在に当たらない。

 そして一気に馬が突っ込み、鉄砲の弱点である懐に潜り込んで来る。

「ええい!」

 馬上に向けて放たれもしたが、元から無理矢理な体勢のまま撃った所で当たるはずもない。逆に槍が飛んで来て頭に穴が開いただけだった。


「うるさい!長政だろうがなんだろうが撃て!」


 守重の叫びで我に返った所で間に合うはずもなく、雑賀衆は後退を余儀なくされた。


 それで長政は一気に追って来ず、むしろまた後退した。



「やれやれ、秀吉め。長政を好き放題使ってるな」


 その理由が重秀が自分の下にいた鉄砲隊を引き連れて来た事にあるのに気づいた家利は感謝しながらも、今の浅井長政の存在価値を疑った。

 今の長政は柴田勝家の配下であり、越中にて神保を説得していたから北陸に残っていたはずだった。だがその石高は三万石前後しかなく、わざわざ兵力に数える価値もない。

「そんな存在をどうして」

「あの野郎は身分の違いも知らず惚れてたんだよ、信長の妹に。その妹様を取りやがった長政に嫉妬してんのかもな」

「…………」

「まあそんならそれで、きっちりやるだけだけどな」


 軽口ではあるがずいぶんと性質の悪い言い方をする重秀だったが、家利たちは笑わない。真剣になってみせても、なお守重は仏頂面のまま再び隊伍を整えさせるだけでそれ以上反応しない。


「そろそろ本隊が来るだろう。その時に備えて押さえておいてくれ」

「信じていいのだな」

「無論だよ」



 重秀が銃口を向けながら長政の後方に目をやると、砂煙が大きくなってくる。



「本隊のお出ましのようだぜ」

「しっかり頼むぞ」

「もちろん、本願寺軍の皆様ともな」


 そして後方からは、南無阿弥陀仏の旗を掲げた本願寺軍がやって来る。


「織田に天罰を!」


 声を張り上げるのは、本願寺顕如当人。


 教如たちによりかなり強引に押されたとは言え自らの手で出兵を決断した以上、出て来ない訳には行かないのだろう。

 どことなく声も寂し気、と言うか迫力がない。

 自分自身、念仏も天罰も恐れない織田軍との戦いでそれなり以上に神経をすり減らし、自分の言葉の空虚さを思い知っている。


(まったく、まだそんな年齢でもないはずなのに……!

 と言うかなんなんだあの顔は!優勢気味とは言えよくもまああんな浮かれ切ったかおができる……!魔王にでもあてられたのか……!!)


 顕如と言う本願寺の住職の名に恥じないはずの高僧をそこまで追い込んだ織田家に対する怒りの感情が、守重の中で膨れ上がって行く。

 そして、こんな状況の中でここぞとばかりに笑顔を作っている浅井長政にも。







 彼を知り己を知れば百戦危うからずと言うが、実際相手を知りすぎる事は逆に良くない。戦と言うのは騙し合いの類義語であり、わざとらしく武将の個性その他を知らせて相手を誘導すると言うのも策略である。




 さらに言えば守重はこの時、知らなかった。







 浅井長政の、覚悟を。

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