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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第十章 近畿の絶望
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本願寺教如の暴言

2023年3月27日、誤字修正。合う→会う

 天正元(1573)年八月二十八日、期日の三日前。


 雑賀衆の傭兵たちは本願寺へと向かっていた。



「本願寺へと攻めて来るんでしょうか」

「来るだろうさ。織田にしてみれば最後の難敵なんだからよ」


 鈴木重秀は相変わらず軽い足取りである。

 足取りだけでなく口調もまたしかりで、顕如さえも当初は度肝を抜かれたほどだった。


「丹波の皆様も毘沙門天様の死にビビっちまって、信長に勝てる訳ねえって内紛状態っつー話でさ、光秀が死んだってのに世の中ままならねえもんだねえ。実際に毘沙門天様をやったのは信玄だってのに」


 その挙句に「信玄」である。本願寺としては信玄は天台座主と言う名の最大の同盟者なのに呼び捨てにし、挙句丹波が織田に傾きつつある責任まで押し付けている。




(亡骸を 啜りし虫の 死に絶えて 聖の道の 進む甲斐なし)




 そんな重秀の詠んだ歌がこれである。

 自分たちが死体を食い尽くすような連中であり、およそ慈悲の二文字を旗印に掲げるような本願寺とは世界が違う事を認めるかのような言い草だ。

「ですから織田が来る前に我々の手で逆に叩きに行こうと言うのでしょう」

「叩く、ねえ……で、方向はどっちだい?」

「涸れていいはずなのに涸れない男と、戦により寡婦と化した女が山と出る場所のどちらかでしょう」


 そんな歌を詠むほどには信仰に熱心な重秀だったが、それでも部下や同僚たちからの厳しい目線は絶えない。

 同僚の土橋守重が嫌味ったらしく行き先の候補を告げても、重秀は締まりなく笑っている。


「戦の前だってのにまた……」

「何、戦の前だからだよ。明日をも知れぬ俺らにとって、女は立派な補給物資だぜ」


 戦の前に当たって女に触れると良くないとか言うが、実際傭兵集団にはそんな言葉は当てはまらない。傭兵と言うのはそれこそ漁師と同じように明日死ぬかどうかわからない職業柄、遊びも激しくなる。女だけでなくバクチも横行し、相当な額の金が動いている。もちろん賭場もあり、そこに通い慣れた連中までいる始末だった。


(織田家の方がよっぽど窮屈じゃねえか…………っつーかあの野郎は良く平気だな……)


 重秀に言わせれば、信長の方がずっと堅苦しい。口では魔王の二文字を唱えながら、一銭斬りとか言う厳格極まる刑法を敷き、武士が特権階級でも何でもない事をいかんなく示している。確かに正しいかもしれない。ただその正しさだけでどうにかなるのなら、そもそも幕府が潰れてなどいないはずだ。

 だと言うのに、なぜ彼が平気なのか。重秀は本気で悩んでいた。


 破っても破っても届いて来る手紙。まめな奴だとは思ってたが、ここまで来ると才能と言うより病気かもしれないとさえ思えて来る。

 中身はと言うと全く他愛のない話ばかりで、正室のおねを含め誰それと言う女を幾度抱いたとか言う話について赤裸々に書かれていた事もあった。


「そう言えばまたですか」

「またとは何だよまたとは。一人ぐらい抱いておいても罰は当たらないぞ」

「そうですね、後で考えます」

「俺が紹介してやるよ」


 守重が御仏に会うのにふさわしく仏頂面になる一方、重秀は笑っていた。







「さて、よくぞ来て下さった……」

「いや、危機的なのはこっちも同じですから」


 自分と同じように深々と頭を下げる顕如に合わせるように、雑賀衆の面々も頭を下げた。顕如の噓偽りのない真剣な顔つきに重秀は改めて真剣さを感じ、言葉を崩すのをやめしっかりと座を組む。


「しかし此度の敵は」

「一応策はある。だがそれは貴公の方がわかるであろう、拙僧は軍事の専門家ではないゆえにな」

「とりあえず」

「松永を叩くと見せかけて織田を斬る」


 本願寺の敵はもちろん織田だが、東には織田以前に許しがたい松永久秀と言う存在がおり、それを本願寺のある和泉から大和へと進んで討ちに行くのはまったく自然だ。だがそれをやれば本願寺はがら空きに近くなり、北から織田が来た場合最悪の事態を招きかねない。かと言って京の織田を攻めても同じ事が言える。

「その場合筒井については」

「無論盛り立てる。拙僧たちが求めるのは松永久秀の首級であって大和の領国ではない事を示しておかねばならぬ。筒井は味方だからな」

「交渉は」

「不調だ。大和の坊官たちは皆松永と信長の力を恐れて関わって来ぬ」

「それでは」

「だから囮だ。その方向は拙僧自ら当たる。孫市殿には北の耶蘇教徒たちに当たってもらいたい」


「……あーあ」


 重秀は本願寺顕如当人の事は尊敬している。

 だがそれでも軍略についてはまるっきりの素人であり、防衛はできても攻撃にはまったく向いていないのはこれまでの事で分かっていた。


「何があーあだ!」

「いやいや、それはただの分裂だって申し上げたいだけです。誘導とおっしゃいましたが相当に熟練された兵でなければ見破られます。織田はそれこそ戦しか知らない兵たちの集まり、指揮官もまたしかりです」

「馬鹿を言え、明智光秀は身罷ったのだぞ!すると何か、今度の池田とか言う男も同じぐらい恐ろしいと言うのか!」

「ええ、恐ろしゅうございます」


 激昂した教如や下間頼廉たちの前でも、冷静に言葉を紡ぐ。傭兵集団の頭として、しっかりと説明を怠らない。


「すると何か、中途半端に逃げたふりをして誘えば待ちぼうけなだけだと言うのか」

「ええそうです、あと織田は逃げる事を恥ずかしいと思っておりません」

「信じられん、武士が」

「ええ、それに進行速度が我々の幾倍です。朝倉もまた予想だにし得ぬ信長の用兵により潰れました。伊勢から五日ほどで近江犬上川に来たと言う話がございます」

「尾張から美濃を回ったのか」

「いえ、鈴鹿山脈を越えて来たのです。これは間違いございません」

「嘘だ。そんなに尾張や美濃に人と物がないはずがない」



 そんな風に冷静な重秀を、教如は真っ向からぶん殴りにかかった。


 尾張も美濃も織田領であり、物資を強引に徴収し強行軍を行うのはさほど難しくない。わざわざ伊勢から鈴鹿山脈越えなどと言う馬鹿馬鹿しい事をしなくとも、十分間に合っていたはずではないかと言う訳だ。


「では兵も物も伊勢に置き去りにして尾張や美濃で集めそれで攻撃したと」

「ああそうだ、だいたい信長が来た時には既に朝倉は敗勢だったと聞き及んでいるぞ、そんな所になぜ駆け付けた」

「勝つとは限らないからです。それにこれ以上朝倉や浅井久政との戦いを長引かせるのは織田にとって益なしと見たのでございましょう」

「今度の相手は信長なのか!ああそう言えば池田とか言うのは信長の乳兄弟だったな」

「いえ、此度の相手はおそらく羽柴秀吉です」



 それでも構わず舌を動かしていた重秀だったが、秀吉と言う言葉を口にした途端固まってしまった。



 教如がいきり立った目で自分を睨み、顕如が冷静な統治者の顔でうなずく中、それ以外の八方から飛ぶ目線が異様なほどに冷たかった事に、事ここに至ってようやく気が付いたのだ。


「なあ、オイ……」

「で、筑前がなんだ?そんなに恐ろしいのか?あんな鼠男が」

「鼠のごとく恐ろしくはしこく、そして大胆不敵にして退くを…………」

 救いを求めるように守重を見て冷たい視線に気づいた重秀は再び居住まいと言葉を正して語るが、教如の目つきが敵愾心から喜びのそれに変わっていたのに気づいて舌が止まってしまった。

「どうした?」

「退くをためらわぬ男でございます」

「ふーん……だそうです住職様」


 話が自分に向いたのを感じた顕如は、孫市から視線を逸らした。



 顕如が自分の言葉を受け入れてくれているのはわかった。


 だがその我意を通し切れるほどの力が今の顕如にはなく、おそらくは出兵さえも半ば押し切られたのだろう。

 よく見れば顕如もまたどこか救いを求めるような目をしており、心なしか頬がこけているように見えて来た。


「鈴木殿。拙僧個人として貴公の意見には賛同である。

 だが同時に本願寺全体としては賛同しかねる。

 話によれば織田は二年間武田と和を結んだ。織田はこの間にこの本願寺を含む敵対勢力の一掃を図るは必至。いずれ信長は大軍をもってこの本願寺を攻め、さらに丹後丹波や貴公らの雑賀衆をも脅かす。もう我々には一刻の猶予もない」

「それがしは別にひるめとは一言も……」

「だが本願寺皆の意見は京の都狙いで一致しておる。松永久秀と言う老いぼれと違い、明智光秀が消えても池田恒興、さらに羽柴秀吉と言う存在が生えて来る織田の方が脅威であるという事でな」

「とは言え奪ったとしても維持できねば」


「維持する必要はない!我々の手で上洛し、主上様に織田の非道を訴えれば良いのだ!」


 正論をぶつけようとした重秀に対し、教如はさらにありえない言葉をぶつけて来た。


「我々は御仏の名の下に、正義の軍として主上様、いや満天下に物を申すのだ!さすれば京の町衆も、織田に抗う事こそ正しき道と目を覚まし、老若男女、いや草一本から虫一匹までも織田に抗うだろう!」




 重秀は言葉を失った。




 誇大妄想とか言う次元の類ではない。


 はっきり言って白昼夢だ。


 坊主たちは年が若くなればなるだけ教如の言葉にうなずき、年かさな坊主はまだ三十一のはずの顕如と共に首を横に振っている。


「教如……」

「住職様はなぜためらうのです?ためらえばこちらが消されると言っておきながら」

「今言ったであろう、拙僧個人としては鈴木殿の言葉に賛意を示しておると。されど、それが通じる情勢でない事はもはや明白……虎穴に入らずんば虎子を得ず…………」


 その白昼夢を白昼夢と切り捨てられないほどに顕如もまた、弱っていたのだろう。



「まあ、作戦が決まったとあれば我々はその通りに動くまでです。では…………」

「先ほどつい言葉が過ぎてしまいました。全ては危急存亡の秋なるを伝えたかったため、平にご容赦のほどを…………」



 重秀がついに観念したかのように頭を下げると、無理矢理渋面を作った教如から深く頭を下げられた。

 教如からしてみればうるさいおっさんたちをやり込めてやった訳であり、内心得意満面だっただろう。




(ったく信玄も、信勝とかって名前らしい孫も好き放題やってるよな……)




 もしかしたら、武田があまりにも当てにならないだろう事に、内心で気づいているのかもしれない。

 自分の手で何とかせなばならない、いや武田に真の目的を思い出させねばならない。


 宗教家が信者を増やすのには確かに教えの素晴らしさを説くのが第一だが、こんなやり方で増えた信者が本当の信者になるのか、重秀にはとんとわからなかった。

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