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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第九章 南北戦争
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武田信勝vs北条幻庵

作者「実はこの章の仮タイトルは「麒麟児たち」だったんですよ」

上田裕一「展開バレバレじゃねえかよ……」

「幻庵とは……」




 甲州街道の出口に立てられた急造の陣を前にして、昌景はいきなり出て来た援軍に戸惑っていた。


「なぜここに」

「数は三千ほど。武藤殿のと合わせれば五分五分でしょうか」


 もちろんにらみ合いは武田有利だが、それでも甲州に三つ鱗の旗が翻るのは味が悪い。

 このままならばむしろ北条の勝利である。



「私に幻庵殿と話をさせて下さい」



 そこに名乗り出て来たのが、信勝だった。


 まだ七歳の総大将が、齢七十を超える老人と語り合おうと言うのか。


「とは言え…!」

「案ずるな、私は信長とも言葉を交わしたことがある。信長に比べればたやすかろう」

「しかし…!」

「よかろう。わし自らそちらに参ろう」


 兼山城東での事を知った上で必死に止めようとしていた昌景に対し、幻庵が割り込んで来た。


「案ずるな。わし一人で行く。氏政殿、閑談をしに行った相手を斬るような者など誰からも信用などされぬ。そういう事だ」

「うむ……ではよろしくお願いいたします」

 氏政からも了解の返事が出た以上、武田にも否と言う道理などなかった。

「場所は」

「わし自ら出向くから好きな場所を選んでくださって構わぬ。何なら立ち話ならどこでもできる……とにかく、戦はいったん中止じゃな」


 信玄にも似た軽いくせに重さのある言葉を前にして、昌景は何も言えなかった。

(……強敵との戦いを楽しんでいらっしゃる……)

 それでも信勝の顔を見て安心できる程度には、昌景は武田家の忠臣だった。


 武士でありながらも、決して粗野ではない当主の顔に、幻庵にも勝てそうな気がしていた。







「かような山道で申し訳ございませんが」

「よかろう。武田とてこれより奥は見られたくないのであろう……」



 結局、閑談場所は上野原の入り口から五町ほど先だった。

 ちょうど北条軍の犠牲者もなく、比較的戦場としては静謐だった地である。


「幻庵様はどれほど戦場に」

「十から先は数えるのをやめた。その分血の臭いにも慣れたがな」


 と言っても皆無と言う訳ではなく、主に北側に向かった兵たちが足を向けながら倒れていた。

 幻庵の豪胆さを改めて感じながら、信勝は白湯を幻庵に渡す。


「うむ……これはこれで甘露と言うものよ」

「ありがたきお言葉でございます」


 床几越しに深々と頭を下げる信勝だったが、それでもその目は真下ではなく右斜め上を向いていた。

 幻庵と言う人物を確かめるため、ゆっくりとその挙動を見定め、そしてこの一手に対し何を返して来るか見極めようとした。


「武王丸殿……髭がかように珍しいか」

「そのような事は断じてございませ…いえ、白い髭は珍しいと」

「そうかそうか、ずっと見ていたかったとはな、いやはや長生きはするもんじゃな、ふぉっふぉっっふぉっ……!」



 幻庵は笑っていた。


 武王丸が投げ付けた一球に対してじっと構え、確実に打ち返して来た。

 信勝もまたわざとらしく詰まらせるが、幻庵も負けずに攻めて来る。


 今更ながら、この場に信玄がいない事の重みを信勝は痛感していた。



「さて時に。此度何故このような事になったのかについてですが」


 それでも負けじと本題に入ろうとするが、幻庵は白湯に口を付けてばかりで聞こうとしない。

 じっと茶碗を睨んでみるが、まるで動く様子がない。

 飲み干すまで待ってやろうかとばかりに茶碗の尻を眺めるが、五秒もしない内に飽きて来た。


「いやあ、つい甘露過ぎてな、一気に飲み干してしもうたわ……」

 で、延々一分も舞った挙句出てきた言葉がこれである。それでも信勝は茶碗が床几に置かれ、手が離れるまでじっと睨んだ。


「ああわかったわかった、少しばかり気が立ってしまってな、かつての小田原の事を思うとな」

「小田原に政虎公が攻めかかった話でございますか」

「ふむ、ふむ……」

 信玄が小田原に攻めかかったのは四年ほど前でしかない。

 武田勢にとって小田原攻めはそちらであり、謙信の事ではないはずだ。

「政虎公は十倍とも言われている北条軍の攻囲を突破して救援し、また小田原から撃たれた銃弾をも避けながら酒を呑んでいたとも聞きます。その真偽はさておきかような伝説を持つ存在が逝ったとあっては衝撃が大きいのは当然の事でございましょう、しかも戦場で、討ち死にと言う形で」


 そう考えた信勝は一気に叩き込んだ。



 おそらく今回の同盟破棄の原因は、謙信の死。



 祖父の代からその威を見せ数々の伝説を作って来たと言う英雄を武田が粉砕した事は、北条のみならずとも他家に恐怖を始めとした数多の感情を与える。


 上杉と不仲だったはずの北条でも、放置していればいずれ自分たちまで武田に飲み込まれるかもしれないと考えると恐ろしくなり、事を起こした—————と言う次第、だ。



「フフフフフフ……」



 だがその渾身の一撃に対し、幻庵は笑ってばかりで答えようとしない。先ほど茶碗から白湯をゆっくりと飲み干した時の様に、こちらがさらに動こうとするのをじっと待っている。

「全てを言い当てられて笑うしかないと言う事でしょうか」

「ハッハッハッハッハッハ……!」

 昌景が突っかかると、幻庵はなおさら声を大きくして笑った。


「いやいや……武田武王丸……才あるとは聞いておったが…………思ったよりは皮相浅薄であったようじゃな……」

 皮相浅薄と言う言葉に昌景はなおさら色をなすが、幻庵は余計に笑うだけだった。

「ではこの皮相浅薄なる童子に真相をお伝えくださいませ」

「何も複雑なことはない……単なる落ち栗拾いよ」


 その挙句厭味ったらしくもなく言い返したつもりだった信勝に対し幻庵から出た言葉は、落ち栗拾いとか言う拍子抜けにもほどがある物だった。


「武田が先の戦で故意ではないとは言え征夷大将軍様を殺めた事により天下の逆賊となったと言う大義名分を得たからでしょうか」

「むやみに聞くな」

「それはお認めになったと言う事でよろしいのですね」

「自分で考えよ」


 信勝が心当たりをぶつけてやると今度はのらりくらりと話を流しにかかる。

 ああ本当にその通りなのだろうとか言う感慨を抱くのは勝手だが、それにしては言葉が強い。

 焦っているとか言うより、本当に試しに来ているのだろう。



「自分で考えると、北条は痴れ者の集まりと言う事になりますが」

「ずいぶんな言い草だな」

「この甲州を拾おうとして大道寺殿を失い、さらに千以上の兵も失ってしまった。たかが落ち栗拾いとしては相当な損失です」

「ふむ……まあ、かもしれぬ。されどわしは反省はしても後悔はせぬ」


 そういう訳で思いっきり煽りにかかってみたが、幻庵は再び笑い出す有様だった。


「良いか武王丸殿。武田は不如意とは言えこの国を二三五年にわたって統べて来た足利将軍家を殺めた。その時点でこの国の全てのお家を敵に回したも同然なのだ」

「幻庵様ともあろう方がなぜ私などと同じ程度に落ちるのです」

 そして自分たちの痛点を突いて来た幻庵に対し信勝も言い返すが、幻庵の顔が曇る事はない。

「口の減らぬことだ。おそらくはその舌で何人か負かしているのであろう」

「お忘れになりましたか、先ほど織田信長ともやり合ったと」

「信長か……その男はどんな男だ」



 信長と言う単語と共に、幻庵の表情が変わった。



 その二文字を力強く唱え、細かった目を微妙に開けて来た。



「ええ、刀と布団、です」

「刀と布団?」

「刀のように恐ろしく鋭く、しかし布団のように極めて寛容です。そして刀と布団が瞬く間に切り替わり、掴む事ができません」


 信玄からの言い含めもあったが、信勝自身信長の事がよくわからなかった。



 わからないと言う事が、わかったとも言えた。


「そして他者の名刀も絹布団も素直に良いと認め、その上で動きます。名刀を真っ二つにする事が是と思えば平気でします」




 信勝は必死に覚えたての言葉を並べながら、たどたどしく説明する。


 比叡山焼き討ち、浅井長政の降伏。


 あまりにも好対照な二件を目の前にして、信玄もまた他に感じ取りようがなかったし、信勝もまたそう考えるしかなかった。




「クックックックックックックックック……!」




 幻庵はまた笑い、今度は目をやたらに細めた。




「信玄は良き孫を持ったものよ……」

「どうして急に手のひらを返したのです」

「何、わしがいつから」

「皮相浅薄と先ほど」

「この老人から見ればほとんどの者は皮相浅薄よ……わしらは甲州から全面撤退する。その代わり大道寺の亡骸と捕虜となった者たちの身柄は全て返してもらう」

「しかし兵たちの亡骸は……」

「律儀な男じゃな。それはその方らで供養してもらいたい。それでも大道寺だけは責任をもって相州に埋めたいのでな。どうか頼むぞ」


 そしてその流れのまま交渉が始まり、結果的には幻庵の言った通りの条件で和平が成立。

 もっとも同盟とか言うご大層なそれではなくただのご都合主義的な休戦協定であり、どちらが破ろうが知った事かと言う非常に緩いそれでしかなかった。

 武田は征夷大将軍様殺し、北条は同盟の一方的破棄と言うお互いの負い目を仲良く背負ったような結末であった。




「ふぅ……」


 論戦を終えた信勝はさすがに疲れたように座り込み、昌景に抱きかかえられて駕籠に乗せられていた。


「とりあえずはこれでよしと言う事でしょう」

「しかしこの後まだまだ苦難が待っておりますぞ」

「これこれ、戦勝の日にそんな事を言うものではない。勝ち鬨を上げよ」

「エイ、エイ、オー!」


 信勝は少し重たくなった瞼が勝ち鬨と共に開いて行くのを感じ、自分なりに勝ち鬨を上げた。


「おやおや太郎様と来たら……」

「厠の方はよろしいのですか」

「緊張しすぎて白湯も飲んでおらぬから問題ない……」


 当主から七歳児に戻った信勝を、家臣たちは温かく囲んだ。




 彼らがいれば心配ない。


 帰ったら今日も大活躍したらしい源三郎と弁丸と共に、御坊丸たちに思いっきり自慢してやろう。


 そんな事を考える程度には信勝は幼く、そして強かった。




 だが、まだ幼い故に、知らなかった。




 自分のような存在が、自分と源三郎と弁丸と、御坊丸だけではない事を……。

山県昌景「さて太郎様は2月14日に届く菓子を御坊丸・源三郎・弁丸と共にご賞味するので」

武田信玄「次回の更新は三日後、2月15日からと言う事で、よろしく頼むぞ……」

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