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武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第九章 南北戦争
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風魔小太郎の敗戦

 氏政に追いついた小太郎は、口から血を流していた。




「どうお詫びのしようもございませぬ……」

「ならば命を守る事だ!」


 氏政の言葉に少し救われた気になったが、それでも気分は晴れない。


「勝手に出たのも全てはこの北条のため……」

「詐術を仕掛けるのは詭道にある我らの任務。それを……!」

「今回は向こうが一枚上だっただけだ、今回はな!」


 氏政の将器に、小太郎は感心していた。

(内藤とか言う言葉を聞いた途端にすぐさま逃げを選ぶ……正しき答えだ)

 まったくその通り、なぜ内藤がとか言う場合ではない。


 この状況ではとにかく逃げるのが第一であり、犠牲者を減らすのが最優先なのだ。

「大道寺は……!」

「難しゅうございましょう……」

「…………」


 氏政もまた、唇を噛んでいた。


「わしもわからぬのだ……これ以上武田を放置できるのか……わしはとてもできそうにないと思ったからこそこうしたと言うのに……!」


 氏康は武田を生かし、織田の盾に使うべきだと遺言した。

 だがそれからわずか二年の間に信玄は徳川家康を死に追いやり、美濃の半国近くを奪った。

 それはまだいいとしても、上杉謙信まで自分の手で殺すとは思わなかった。


(あの薬はあくまでも病を治す薬である……信玄の労咳を打ち砕き、信長を食い荒らすための薬だったはずなのに……)


 氏康がどこまで考えていたかなど、もう知りようもない。

 いくら子孫のために美田を買っても、その美田をどう生かすかは子孫次第だ。

 小太郎本人ですら武田の膨張に危機感を抱いていた以上、もう止めようなどなかった。


「大道寺政繁はこの小山田が討ち取ったぞ!」


 その間にも飛び込んで来る政繁の悲報。

 それでも誰も振り返る暇もなく、必死に横撃をいなしながら進む。

 小太郎はあくまでも忍びらしく手を出さず影となり、犠牲者を救う事もせずに走る。


 上野原、開けている上野原に出れば伏兵もおらず何とかなる。


 その思いを込めて、二人の主従たちは走った。



「しかし松田はどうした!」

「既に全面撤退の旨を伝えてあるのでは!」


 ……だが、松田軍が動かない。

 あと一歩で甲州街道を脱出できるはずなのに、出入口に詰まってしまっている。


「もう一回言ってくる!」

「拙者も…!」


 見た所確かに武田軍の攻撃を受けているようだが、それでもこんなに詰まっていては進みようがない。

 どうせ数は知れているのだから山から出る事などできはしないはずなのに!


「早く!」

 そんな訳で小太郎が憲秀の所在を見つけて飛び込んで吠えてやると、真っ赤だった憲秀の顔が急に真顔になった。

「ああしまった!これ以上の戦いはやめだ!退くぞ!」

 

 まるで何かに浮かされていたようになっていた憲秀がようやく目を覚ましたかのように東へ走り出したが、依然として北側にばかり兵が向いていて二千以上いた兵の内付いて来たのは千にも満たなかった。

 しかも小太郎が少し見た所松田軍を襲っているのはせいぜい三百であり、そんなのにそこまでむきになる必要などない。


「あの小僧!」


 確かに敵の対処は重要ですがとか思っていると、絞り出すような声で一人の兵士が喚いた。


「小僧?」

「北からの奇襲軍に二人の小僧がいたのだ!おそらくは兄弟で、兄の方はじっと馬上に構えながら弱そうなところを狙いまくり、弟の方は時々甲高い罵声を投げてきて、それで余計に兵たちが熱くなってしまって……!」

「小僧?十四、五歳の?」

「いや、まだ十にもならぬ……!」


 信勝に続き、また子供。

 しかも兄弟と言う事は二人。

 単純に兄の軍才は恐ろしいし、弟もこの調子だと大器に育つ可能性がある。

「それで戦果は」

「あれば叫ぶ……非勢だから景気を良くしないとやってられんのだから…!」

 むきになるのはわからないではないが、そんな子ども二人に大人たちが熱くなるのは客観的に言って心証が悪いし、それに弄ばれていたとあってはそれこそ最悪である。

 小太郎は必死に二人の小僧を新たなる目標とすることを決めながら、憲秀の側から消えた。


 逃げる訳でも、その二人を狙うでもなく。




(これもまた忍びの仕事……!)


 西へと戻った小太郎の耳に、馬蹄の轟きが迫る。


 小太郎は武器を地面に置き、真っ直ぐに持って投げ付ける。


 忍者である事を隠すように、死んだ兵士たちからはぎ取った武器。


 一発に付き一人しか倒せない攻撃だったが、それでも足を止めればそれでよし。

 先頭が倒れて将棋倒しになれば最上。


「……!」


 無言で気合を入れ、投げ付ける。兵法ではありえないやり方だが、それをやるのが忍びだった。

 実際、突っ込んで来た先頭の兵が前に倒れ、二番手の兵が落馬して馬が両前足を高く上げていなないた。


 よし、この調子だ。二発、三発とやっていけばいい。先ほどまでかき集めた十五本ほどの刀槍で次々と連勝中の武田の意気をくじき、勢いを止めてやるつもりだった。


「突っ込めー!!」


 甲高いながらもそれなりに迫力のある声。


 おそらくは武田武王丸。


 万が一討てればとか言う不遜な考えを追い払いながら、直属軍を削りにかかる。


 再びやって来た騎馬武者に向けて二本の得物を投げる。

 三本目の槍は薙ぎ払われたが四本目の刀が右足に刺さり、体が大きくぐらつく。


 戦闘力を奪ったと見た小太郎は五本目を拾い、後続に投げ付けた。


 だが、その五本目が後続に刺さる事はなかった。



「そこをどけぇぇ……!」


 四本目に続き五本目の打撃を受けた兵が覆いかぶさるように倒れ込んで来ると同時に、また別の兵の刃が小太郎に迫って来た。

「な……!?」

 忍びだと気取られぬようにみっともなく声を出したが、それでも敵の勢いに本気でひるみそうになってしまった。


 もう勝ち戦は確定的なのにわざわざ命を落としに来るのか。

「削れ、削れぇぇ!」

 甲高い声援と共に突っ込む兵たちを前にして、小太郎は置いていた武器を適当に投げながら逃げるしかなくなった。



 間違いなく、勝頼がここにいる……!


 風魔小太郎だからとかはどうでもよく、目の前の敵を討つ事に専心する炎の如き軍勢が……。


 しかも激高するわけではなく、兵たちを自然に持って行っている。

 これはもう、操り人形でも何でもない。


 街道と川のわずかな隙間をくぐるように走りながら、炎の波から逃げる。忍び頭・風魔小太郎とは思えぬほどにみじめなふりをして、ひたすらに逃げた。

 川の深さを見極められる程度には目が肥えていたのを隠し、武王丸の将器が見えた事を戦果だと思いながら、逃げた。



「おお小太郎逃げ切ったか」

 結果何とか逃げ切り上野原まで出たが、それでもまったく安心などできない。

「ですがこのまま終わる相手ではございますまい!」

「わかっておる!今松田軍を中心に迎撃部隊を整えておる!まだ逆転の可能性はある!」


 一気呵成に来るだろう敵を受け止めて勢いを殺しその間にこっちも回り込んで南北から叩くとか岩殿城を狙うとか、まだいくらでも手はある。

 確かに政繁の死と配下の損失は痛すぎるが、まだ決まった訳でもない。

「さすがです」

「信玄の孫はとんでもない器だとわかった……とは言え今更手も引けぬしな!」

「忍びの身からは何とも……そもそもそれがしが策を読み切れなんだ事が要因ゆえ……」

「その方は気に病むな……それからまだ武王丸が操り人形ではないと決まった訳でもない」

 そして氏政はどこまでも冷静だった。

「誰が内藤の旗など持って来た?武王丸が当主だとしてもまだそこまでの権限などあるまい。おそらくは信玄か、武王丸の側近の指示。前者なら問題外だし後者ならそ奴を調べれば良い」


 楽天的ながら、決して軽視はしていない。

 確かに武王丸の声には勝頼の素質も感じたが、それでも逆に言えば勝頼のように猪突猛進の気があるとすれば何とかなる。


 氏政の士気の下緊急ながら野戦築陣も行われ、兵たちも落ち着きを取り戻している。


 だから

「風林火山と、丸に三階松です!」

 三枝軍にも

「丸に花菱です!」

 山県軍の登場にも動じる事はなかった。


「ここをしのげばさすがに手はなかろう!正面はわし自ら守る!松田軍は北を守れ!」


 氏政は最後の切り札をきっちり受け止めに向かう。矢の雨を降らせ、意趣返しのように石も投げ付けている。

 さすがに猪突猛進は利なしとみて前進を止めたが、こうなればこっちの思う壺だとばかりに氏政は松田勢を動かし北から叩いてやろうとしていた。

「無理です!」

 だが小太郎はすぐさま石を投げ、氏政の馬に軽く当てた。


「むむ……!」


 果たして、黙れと言わんばかりに甲陽菱の旗を掲げた軍勢が山中から出て来た。


 まったく、どこまでも用意周到な敵軍が、憎たらしい以上にうらやましくなっていた。



(確かに武王丸一人でできる物ではないが……では誰が?現場からはるか遠くの信玄ではあるまい……)


 これほどの指揮を執れるのは誰か。


 武王丸か。いや器は大きいがまだ知識がなさすぎる。

 山県昌景か。ようやく出て来た軍勢に何ができるのか。

 三枝守友か。彼が内藤まで駆り出せるのか。




(まさか……!)




 あるいはと思うと同時に、小太郎の耳に馬蹄の轟きが飛び込んで来た。


 武田か。


 山県か。




 いや!




「お館様!援軍です!」

「何!」


 騎馬隊の最高峰に乗っかっている駕籠。


 と言うより神輿。


「やれやれ、まだまだ死ねぬのぉ」



 そこから漏れ出る、悠長ながらも重みのある声。




 まぎれもなく、北条幻庵だった。

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