表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武田勇戦記  作者: 宇井崎定一
第九章 南北戦争
100/159

風魔小太郎の不覚

(この風魔小太郎を謀るとは……!)


 風魔小太郎は上野原から岩殿城へ向けて一直線に走っていた。


 前線の膠着状態を打開すべく氏政の命を受け、山中を駆け抜ける。




 いや、氏政の命も聞かずに、自分勝手に。




「捏造してでも信勝の才を持ち上げておくべきだった……!」


 少し前に美濃にて五千の兵を率いて前田利家や柴田勝家を圧倒したとか風魔忍びから聞かされた時、小太郎でさえも半分に聞いていた。


 どうせ信玄の言うがままに動いたか、さもなくば秋山とかいう男の力。


 忍びたちを見ていると幼くとも卓越した才を持った存在を見出す事もできるが、それらとてせいぜい十二、三歳。

 七歳など、それこそ童子でしかない。


「勝頼の死をも見越した上で次々代、いや次代の後継者に虚名でもいいから名前を高めさせようとしただけ……まったく虚しき話だ。何、織田御坊丸とか言う信長の息子まで従えていた?ああはいはいわかったわかった……」



 そんな半分どころか一割も聞いていなかった過去の自分が、ただひたすら憎たらしかった。



(兼山城東の戦いの勝因は、勝頼をも犠牲にすると言う信玄のやり方を信長が読み切れなかったせいだ!そのはずだ…………!)



 忍びのくせにそんな常識的な判断に凝り固まり、信勝の才覚を軽視していた。

 さらに言えば、小太郎はかつて甲州忍びが跡部勝資を暗殺しようとして失敗した事も知っており、その分だけ甲州忍びに対する危機感も薄れていた。


 人がせっかく握りつぶそうとした「武田の内情」がすでにばらまかれている事もまた、この時にはわかっていた。


 その事を何とかしようとしても無駄である事を理解していた小太郎は、必死に山中を駆け抜けた。



 これが全て武田の思うがままだとすれば、おそらく岩殿城は空城どころか要害。

 そんな所に飛び込んだとしても落とせるはずもなく、よくて攻城戦と言う名の長期戦。躑躅ヶ崎館を攻める暇などまるでなく、ただ北条の不誠だけが喧伝される。もちろん敵援軍は次々とやって来る。




 こんな状況を覆すにはそれこそ普通でない働きをするしかない。


 甲州街道の南は桂川と言う川が存在するが、北側は文字通りただの山。

 まだいくらか潜みやすい。


 だから北側、岩殿城へと一直線な方角を走る。


「ついに来たか……」


 わき目もふらず走り、ついに大道寺と小山田の激突中の戦場にたどり着いた。


 狙いは無論、小山田信茂。


 この敵将を討ち、流れを変えねばならない。


 あらかじめ忍び装束ではなく足軽めいた服を身にまとってはいるが、見る者が見ればすぐに忍びと露見してしまうだろう。

 だがそれでも構わじとばかりに、腰の刀を抜く。

 見た目こそ打刀だが中身はそれなりの業物で、うかつに触れれば命がない程度には危険な代物だった。


 そして覚悟を決め—————


「何」


 無言で斬り込む。

 二名の東向きの兵を斬り倒し、考えさせる間もなく走る。


 狙いは中央、小山田信茂。

「敵…!」

 気づいた物がいれば無言で斬り、その口を永遠に塞ぐ。


 それなりに手慣れたつもりで敵を追い求め、そしてたどり着いた男。



「むっ!」


 背中から無言で突き刺しにかかったはずなのに受け止められたが、それで逆に確信も持てた。


「貴様ぁ!」

「覚悟ぉ!」


 信茂だと確信した小太郎は、今度は大声で斬りかかる。

 派手に剣戟の音を立てながら迫り、その命を奪いにかかる。


 近寄る者あらば一瞬の隙を突いて殺しにかかり、出来ないと思えばさっとかわす。

 あっという間に殺した人間の数は十人単位になり、だんだんと遠巻きにし始める。


「何者だ!」

「北条の家臣だ!」

「そうか…!貴様を殺してその首を大道寺にでも投げ付けてやる!」


 信茂も真っ赤な顔をして武器を振り、こちらの技を巧みに受け止める。有効打こそ打って来ないが、それでも絶対負けまいと言う固い意志を持った一撃一撃が小太郎の体に重たく響く。

 言うまでもなく長引けばこっちが劣勢なので一気に叩き込もうとするが、それでもなかなか攻めきれない。

 あくまでも忍びではなくただのちょっとばかり腕利きの兵士として振る舞いたかったので手裏剣など投げる事を控えていたが、こうなればやるしかないかもしれないとか懐を探りたくなった。何なら小山田軍の真似をして投石によりひるませてやろうとも思ったが、それができそうな石は川にほど近いくせに落ちていない。仮に武器にするために拾い集めていたとしたらずいぶんと安上がりな軍勢だ。


「死ねるかぁぁ……死ねるかぁぁ!!」


 信茂は時に激しく、そして強く斬りかかる。確かにこのまま討たれれば岩殿城まで一直線だからわからなくはないが、それにしても鬼気迫っている。

 あるいはまるで、敵がじかに来るのを待っていたような気さえして来る。


 その刃に乗っかっているのは何か、剣豪の真似事でもするように斬り合ってみる。


 必死なだけではなく、全てを背負おうとする覚悟。一軍の将として当たり前と言えば当たり前だが、それにしても鬼気迫りすぎている。


 まるで自分が信玄にでもなっているかのように思える。



 そう、まるで自分が………………




(そうか!こ奴らも…!)



 本当の本当に援軍などないと思い込み、いや思い込まされている。

 あの「軍議」を本当の事だとして伝えられ、信じ込まされている。


 だとすると……!




「小山田殿!」




 ついに、来た。


 たった今予想したが、予想したくなかった軍勢が。




「これ以上は無理か!命冥加な奴め!」


 全てを投げ出すしかなかった。


 失敗を認め、涙を呑んで刀を振り回し、南東へと走った。



 そして数か所のかすり傷と引き換えに、小太郎は戦場から消えた。




※※※※※※※※※







「まったく……!どうして今の今まで!」

「迷惑をかけた事は詫びる。だがこれも全て最大の成果を得るため…………どうか伏してお詫びする」


 こうもはっきり誠意を込められると、あらゆる意味でどうしようもなくなる。

 実際に馬から降ろされて土下座しようとする主を前にして、信茂はすっかり毒気を抜かれてしまっていた。


「此度はどの程度勝つおつもりなのですか」

「武田と争う利がないと思わせるまでだ」

「しかし向こうが約束を破りましたのは事実でございます、その事に対する憤りが」

「既に知っている。征夷大将軍様を殺めてしまった以上北条には文句を言う権利がある。責められるとすれば後先だった事ぐらいだろう」


 ずいぶんときれいな笑顔で懐の広い事を言っているが、それでもやっているのは人殺しでしかない。それはともかく、どうしたらここまで割り切れるのだろうか。

「と言うかこれからもまだまだ戦は続くのですぞ!」

「こっちだって小山田殿を騙したのだ、これぐらいの誠意はあってしかるべきだろうに」

 いやそれ以上に、戦闘能力のない総大将がこんな風に甲州街道を突き進むなど危険とか言う単語を通り越している。

 無警戒とか無謀と言うより大胆不敵、いやそれ以上に誠実。


「わかりましたわかりました、それがしが少し言い過ぎました。とにかく早くお下がりください!」

「お言葉に甘えさせてもらおう……」


 そう頭を下げて後退して行く信勝を見ていると、自分が矮小に思えて来る。


 今の今まで自分が耐えられると判断したからこそ、出ろと言ったのではないか。


 それこそ武士にとって最大の誉れであり、信頼の証である。



(これが策であろうがなかろうが、そんな事はどうでもいい。単純に武田太郎様と言うお方こそ、武田の後継者なのだろう……)



 信勝は駕籠と共に姿を消したが、兵力は持って来てくれた。

 三千の兵が入れ替わるように前面に立ち、大道寺軍を受け止めて行く。


「小山田殿!後はこの三枝勘解由(守友)にお任せあれ!」

「頼んだぞ、どうか甲州を守ってくれ!」


 指揮官の守友もまたずいぶんといい笑顔をしており、休息の時間が取れた小山田勢もまた緊張がほぐれた顔になっている。

 もちろん後続の連中の問題はあるが、それでもほぼ一本道の山道で正面衝突となればたやすくは食い破れず、そうなればこちら有利である。


 もっとも有利であっても優勢でも勝ちでもないのだが、そんな事など信茂は忘れかかっていた。


「ちょっと」

「ああいかんいかん、戦いはこちらに傾いている、だがあくまでも傾いているだけだ!油断をするな!」


 それでも指摘してくれる家臣の存在にまた安堵し、感謝した。

 まだ勝負は決まっていないのだと背筋を伸ばし、再び戦況を眺める。




 ————————————————————そのはずだったのに。




「大道寺勢が崩れています!」

 あっさりと敵先鋒の大道寺軍が崩れている。

 守友のおかげか。


 いや、違う!



 そんな事ができるのは!



「北から軍勢!」

「どっちのだ!」

「甲陽菱、いや風林火山です!」

「…そうか」


 引き締まりかかっていた空気を弛緩させるその旗の名を聞くと共に、信茂は全てを理解した。




 この甲州がどうあがいても武田の地であり、この戦場自体が信勝の舞台だったと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ