【ヘンゼルとグレーテル】邪悪なる大魔道士ヘンゼル卿の黒歴史ノート
お父さんとお母さんに捨てられてしまった可愛そうな兄妹、ヘンゼルとグレーテルは、森の中で迷子になっていました。
「お兄ちゃん、私、疲れちゃった。もう一歩も歩けないわ」
小さなグレーテルは、木の根元に座り込みます。
「早くお家に帰りたい……」
「無理だよ。お父さんたちは僕らのことなんか嫌いなんだから」
とは言うものの、ヘンゼルもすっかり疲れ切っていて、お腹もペコペコになっていました。兄として気丈に振る舞ってはいるものの、グレーテルがいなければとっくに泣き出していたかもしれません。
「それに家に帰りたくても、道も分からないし……」
「あら、それなら心配いらないわ」
グレーテルは顔を上げて、持っていたバスケットの中から一冊のノートを取り出します。それを見たヘンゼルは、息が止まりそうになりました。
「グ、グレーテル……。それをどこで……」
「お家のゴミ箱よ。お兄ちゃんが捨てたんでしょう? いらないなら、私がもらっておこうと思って。何かの役に立つかもしれないし」
「そ、そうなの……」
ヘンゼルは顔を引きつらせます。
グレーテルが持っていたのは、ヘンゼルがかつて自分で考えた設定や必殺技をメモしたノート……いわゆる『黒歴史ノート』だったのです。
少し前まではそのノートを愛用していたヘンゼルでしたが、最近正気に戻って、こんなものを持っているのがいたたまれなくなり、ひっそりと処分したのでした。
それがまさか、妹の手に渡っていただなんて……。
「グレーテル……そのノートの中身、見た?」
絶望的な思いでヘンゼルは尋ねます。グレーテルは「ページを破いた時にちょっとね」と言いました。
「ページを?」
「ええ」
グレーテルは誇らしそうに胸を張ります。
「ノートを一枚ずつ破いて、家からここまでの道に置いてきたの。道しるべの代わりよ。こうすれば家に帰れるでしょう?」
見れば、ノートのページはほとんどなくなっているではありませんか。
ヘンゼルは、もう少しで叫びそうになりました。
「いい思い付きでしょう、お兄ちゃん!」
正直に言って、ありがた迷惑です。もしこんなものを、お父さんやお母さんが見てしまったら? そう思うと、ヘンゼルはもう二度と家には帰れないと思ってしまったのでした。
しかし、ノートの切れ端をヘンゼルの両親より先に見つけた者がいました。この森に住んでいる魔女です。
「おや、これは何だろうね」
魔女は落ちていた紙を拾います。そして、中身を見て肝を潰しました。
『邪悪なる大魔道士ヘンゼル卿の一日
朝。村人たち百人ばかりを生け贄とし、深淵からおぞましき神々を召喚。それらを自らの眷属とした後、さまよえる魔獣との決戦に挑む。
昼。太陽を食らう者の眠りを終焉らせる。これで世界は闇に包まれるであろう……。
夜。舞え、歌え、狂え、恐怖せよ! 今宵は宴! 邪悪なる大魔道士ヘンゼル卿を称えるのだ! やがて世界を滅ぼすその悪しき力を存分に言祝ぐがよい!』
「な、何てことだい……!」
魔女は、こんなことが書かれた紙切れが至る所に散らばっているのに気付きました。彼女はそれらを回収しながら、一枚一枚丁寧に読み込みます。
「素晴らしい……。大魔道士ヘンゼル卿……」
魔女はうっとりと呟きます。
「あたしもこの方に弟子入りしてみたいねぇ……」
ふと、魔女は思い付きました。この落ちている紙を追っていけば、憧れのヘンゼル卿に会えるのではないか、と。
魔女はそれを実行に移します。辿り着いた先にいたのは、幼い二人の兄妹でした。
「もしもし、邪悪なる大魔道士ヘンゼル卿というのは、あなたたちかね?」
突如現われた怪しそうなおばあさんが話しかけてきて、ヘンゼルはビックリしました。しかし、グレーテルは動じることなく答えます。
「それはお兄ちゃんのことよ」
「おお、あなた様が!」
ヘンゼルの前に魔女はひれ伏し、彼を拝み始めました。
「大魔道士ヘンゼル卿! どうぞこのわたくしめを弟子にしてください!」
どうやらこのおばあさんは自分の黒歴史ノートを見てしまったようだと知って、ヘンゼルは狼狽えます。
けれど、グレーテルはちゃっかりしていました。
「弟子? 別にいいいわよ。でも、私たちお腹が空いてるし、住むところもないんだけど」
「承知いたしました! どうぞわたくしめの家をお使いくださいませ! 食事も、すぐに最高級のものを手配いたしましょう!」
こうして二人は魔女の家に迎え入れられることとなります。
初めは恥ずかしくて戸惑っていたヘンゼルでしたが、魔女と住む内に病気を再発。創作魔法を次々と編み出します。
「我が弟子よ。今日は暗黒の秘技を教えよう」
「はい、師!」
「二人とも頑張って!」
こうしてヘンゼル師匠と弟子の魔女、そして居候のグレーテルは、いつまでも楽しく暮らしました。