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三月物語  作者: 仲町鹿乃子
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Yell

宮坂主任が退職する。主任は、わたしに働く楽しさを教えてくれた。

 昨日まで、宮坂みやさか 真吾しんご主任が使っていた机には、一枚の紙も載っていなかった。


「おれの机、やけにすっきりしちゃったな」

 聞きなれた低い声に振り向く。わたしより頭一つ高い宮坂さんが、そこにいた。宮坂さんは何も載っていない机を、撫でだした。

「退職されたんだから、もうそこ、宮坂さんの席じゃないですからね」

岡田(おかだ)は冷たいなぁ。少しは寂しいくらい言ってくれよ」

「寂しがる間もないですよ。宮坂さんが会社を辞められたのって、昨日ですよ? ちゃんと、お別れ会もして、豪華な花束もお渡しして、さようならってときに、明日も会社に行くからよろしく、なんて。みんな、涙が引っ込みましたよ」

「仕方ないだろう。お世話になった大先輩たちへの挨拶が済んでなかったんだから。しかし、なんだな。華々しく退職した翌日に、会社に来るっていうのは、間抜けな感じだな」

「だから、もっと早くから挨拶をしておけばよかったんですよ。わたし、何度も宮坂さんに言いましたよね」

「そうだな。ほんと、岡田には、いろいろと世話になったよ」

 いつになく宮坂さんの口調が穏やかで、ついつい突っかかってしまう。

「世話になったなんて、そんなの思ってないくせに」

「そんなことないさ。ただ、割合で言えば、おれが世話をしたのが8割で、岡田に世話になったのが2割だけと思うけど。その2割分は、ちゃんと感謝してるって」

「うわぁ、キツイ。ほんとキツイ。どうせ、わたしの能力は2割ですよ。すみませんね2割で。だから、ホワイトディのお返しもすぐ隣のビルのコンビニのクッキーだったんですね」

「だって、岡田。あの菓子、いつも食べていただろう?」 

 なぬ? と思い、訊き返す。

「見てたんですか?」

「視界に入るだろう」

「だったら、毎日、デパ地下のスイーツを食べていればよかった」

 悔しがるわたしを宮坂さんが笑う。

 今日でお別れだというのに、涙のひとつもこぼさずに、いつもと変わらずぶつくさ文句を言うわたしは、ちっともかわいい部下ではない。

 それに対して、宮坂さんは、口こそ悪いが部下を潰さずに育ててくれる、いい上司だった。入社してから四年の間、私は仕事の一から十までを、宮坂さんに教えてもらった。卵からかえった雛が、最初に動くものを親だと思うように、社会人として歩き出したわたしにとっては、宮坂さん=会社だった。



 ――― 「岡田! 失敗したからって泣いている場合じゃねぇだろ! 諦めんな! どうやったら帳尻合わせられるか、頭で考えろ!」


 ――― 「岡田! ミスなんて誰でもするんだよ! だからミスした時に、次にどう動くかで仕事が良し悪しが決まるんだよ!」  


 大ボケ、小ボケの連発のわたしに、宮坂さんはそう怒鳴った。怒鳴るだけでなく、辛抱強く付き合い見届けてくれた。



 失敗した時に、どう動けばいいのか。


 そんなことを、常に頭に置きながら仕事をする癖をつけたわたしは、失敗が怖くなくなっていった。

 A地点に結果を導くには、道は一本ではないと知った。

 これがダメなら、こっちでどうだ。それでもダメなら、こうはどうか。

 仕事に対しての様々なアプローチの可能性を知り、覚え、考え、実行した。そうなったとき、ミスは自然と減った。また、ミスに対する考えも変った。仕事が、楽しくなった。

 わたしは、このさき何十年も働くだろう。その基礎を、宮坂さんは作ってくれたのだ。



「おれ、もう、行くわ」

「わたし、下まで送ります」

 宮坂さんにおいて行かれないように、素早く自分の机の下に隠していた紙袋を持った。紙袋には、小さなブーケが入っている。



 ――― 「こんな時期に会社をやめて独立なんてどうかしている」

 豪華な花束の裏で、妬むような蔑むような会話があったのを、わたしは知っている。

 ――― 「友だちだけで会社をおこすらしいよ。そーいうのが一番ヤバイんだって」

 フロアの自販の前で、就業中なのにぐだぐだと噂話をしている宮坂さんの同期の人もいた。




 エレベーターの中で、宮坂さんがネクタイを緩めた。

「しばらく、これもしないんだろうな」

「新しいお仕事、ガテン系でしたっけ?」

「事務所作りとか、一から自分たちでやるから、スーツなんて着ている暇はないんだよ」

「お手伝いに行きましょうか?」

「払える金がない」

「体で払ってもらってもいいですけど」

「セクハラおやじか。おれ、コンプライアンスに相談に行っちゃうぞ」

 バカな会話に、わたしも宮坂さんも笑う。

 既存の会社に入るのと違い、自分たちで会社をゼロから築くのは、わたしの想像を超える苦労がたくさんあるのだろうと思う。面倒だったり、嫌な思いもするのだろう。

 けれど、宮坂さんなら、乗り越えていくのだろう。わたしなら三日かかる雑多なあれこれも、一日でこなし。一日かかることなら、ものの数時間でやり遂げてしまうのだ。


 エレベーターが一階に着いた。扉が開く。ガラス張りのロビーから見える街の景色は、すっかり明るい春色だ。けれど、風は強い。隣のビルのコンビニののぼりが、書いてある文字が読めないほどに揺れていた。


「じゃあな。岡田」

「あっ、これ」

 わざとらしくも、袋からブーケを取り出す。グリーンやブルーで纏めた、すっきりとしたブーケだ。

「おぉ」

 宮坂さんが珍しそうな顔をして、ブーケを見つめる。

「これ。食えるの?」

 緑色の小さなリンゴだった。

「なに言いだすんですか。こんなの食べたら、おかなをこわしますよ」

「なんだよ。食えねぇもんよこすんじゃねぇよ」

「わたし、2割なんで。退職されるかたに、花束ではなく、リンゴを贈るべきだとは頭が回りませんでした」

「リンゴなら王林にして。おれ、あれ好きなんだよね」

 王林か。2割の頭脳にメモをする。

「でも、サンキュウな」

 ふいに、宮坂さんは照れた顔でそう言うと、出口へと向かった。ガラスの自動扉が開く。


 風が吹いた。荒い春風が宮坂さんのネクタイをはためかした。

 春の風の中、揺れるネクタイ。それは、まるで海賊の旗みたいだった。


 これから、予想もしない強風の中を、ときには逆風を受けながらも、宮坂さんは進んでいくのだ。

 ぐんぐん。

 ぐんぐんと。

 その様子に胸があつくなる。


 ……がんばれ。

 がんばれ。


 たまらず、わたしも外に出た。通りには、多くのサラリーマンが歩いていた。


「宮坂さん! がんばってね!」


 がんばれ!

 宮坂さん!

 がんばれ!


 そんなわたしに答えるように、宮坂さん右手を空にあげた。

 そして、大きくニ回。

 宮坂さんの持つ小さなブーケが、三月の空の下で揺れた。


お世話になった方々を思い浮かべながらの物語でした。

次は、またまた高校生モノです。

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