地獄の桜並木
一ヶ月前であればまだその輪郭さえ定かには浮かび上がって浮かび上がって来なかったであろう山の形がまるでもう真昼の様に余す所無く陽の光の下に曝されているところを見て、季節がもうすっかり闇の装いを脱ぎ捨て、本格的に春に突入しているのだと判った。まだ早朝だと云うのにそれでも肌を汗で濡らそうとするしっとりと重く霞む大気は、ものみな全ての境界線をぼやけさせてやろうとでも言いた気な暴力的なにやけ顔であらゆるものの間に浸透し、視界の端から端まで、焦点から外れた所までも決して逃すまいとでもするかの様に、私の目に映るものどもの間に薄い半透明の膜を張って、既に同定されたものどもやこれから同定されようとしているものどもを堕落させていた。優しく、甘く、白痴的な春だった。窒息する最期の瞬間まで、犠牲者達に自分達が今正に犠牲にされつつあるのだと云うことを自覚させない、狂宴の季節だった。何と云う呆けた風景だろうか。何と云う惑乱した構図だろうか。私はその悲鳴を封じ込める悍ましいまでの穏やかさに突風の様な憎悪とその後に蟠る小さなつむじ風の様な悪寒を感じ取り、歩き放しで温度の上がった体の中に、ぽっかりと髑髏の眼窩の様な空洞が開いたことを悟った。どう足掻いても、私はこの歓喜ならざる歓喜、法悦の顔をした忌まわしい悦楽、完全に満ち足りていて一切の不足の存在を容赦しない、この監獄から逃れることは出来ないのだとそれで判った。私自身もまた既にこの蠱惑的な微笑みの洪水に呑み込まれ、それと気付かぬ裡に無力にも溺れ掛け、いっそそこに快楽をすら嗅ぎ取っていたのだと云う事実が、私を震え上がらせた。これは罠なのだ、万象を形作るあらゆる細胞の内側から発する、万力の様な斉一的な力の作用なのだ。何と巧妙にして無様、狡猾にして不貪極まり無い叡智だろうか! ねっとりとした樹液を滴らせる傷口に、剝き出しの精液を塗りたくる様な猥褻な汚らわしさがそこには在って、目を開こうとする者の瞼を、まるで赤子を寝かし付ける淫蕩な乳母の手の様に、たおやかに、しかし有無を言わせずに閉じさせ、声を上げようとする者の口を鑞蜜の様に隙間無く封じ込めるのだ。嗚呼しかしその扼殺の腕の何と力強く、美しいことか! その圧倒的な説得力の前ではあらゆる疑問が、生を生たらしめ、存在の度合いを深化させるべきあらゆる試行錯誤が意味を失い、効力を低下させ、あっさりと白旗を掲げて道化の行進を始めそうではないか? 私はその時点で出来る精一杯の嫌悪と軽蔑を込めて、その瞬間に対して憎しみの眼差しを向けた。
山の頂周辺には、まばらにだがまだ広範囲に白い雪の刺青が残っていたが、その周囲に立ち込める薄霞は、私の直ぐ目の前に続いている散り始めの桜並木の所為だろうか、ほんのりと桜色掛かって見え、それが光線の具合に因るものか、或いは色の対比から来る偏圧に因るものか、それとも私の少し疲労を蓄積させた精神状態に因るものかは判断が付かなかったが、何となく酷く淫らで露骨過ぎる印象を与えた。幻の桜色に囲まれた白は、冬の名残りの孤高の清純さを保つどころか、寧ろ周囲の色と秘めやかな共犯関係を結び、何か表立って口には出せぬことどもをひそひそと囁き交わしてでもいるかの様に、実にしっくりと調和した美しさを演出していた。そのわざとらしさ、その底意の悪辣さ!
雪に閉じ込められている間は、死は己の領分を弁えている。寒さと固さに適応出来るものとも出来ないものとを截然と別け、そのそれぞれに対して、別々の形で己を分け与え、食ませ、乳をやり、惜しみの無い抱擁を与えて、縮小し密度の高くなった、しかし一見したところは全く静止している様な生達だけを守り、生だったものどもに対しては気高く形の有る永続的な痕跡を贈るのだ。それは正に摂理と呼ぶに相応しい厳格な配慮であり、人の精神はその曖昧さの少ない冷厳たる存在の事実を目の当たりにし、直に触れ、その深遠さに戦くことによって、世界にはその沈黙の後方に、地上の愚かしい諸々の思惑を超越した法則が働いているのだと信じることが出来る様になるのだ。それは美を結晶として固体化する季節であり、永劫を思わせる地質学的な循環の中に事物を移し変えることによって、地表を這うあらゆるものどもにはその奥に更に大きな、測り知れぬ力が働いているのであって、それは個々の事物のひとつひとつを無慈悲に破壊しつつも、その懐の内で各々に約束された永遠を与えるものであると云うことを、知る者に知られるのだ。
だから春は装う。春は雪の中に握り固められていた生が解き放たれ、無定見に、野放図に種撒かれ、だらだらと、ぞわぞわと増殖させられて行く季節であって、そこでは死は最早厳然たる事実としての毅然とした姿勢を保ってはいない。死はあらゆるものの下から露呈し、融け出し、ぐずぐずになって生と混じり合い、乱交し、織り物の様に、或いは溶岩の様にそれまでの境界を突き崩し、分解し、解きほぐして大地にバラ撒き、曾てそうであったところのものどもを、これからそうなるものどもの為の供犠として差し出し、書き換えられる為に過去を御丁寧にも調理してやり、あらゆるものにはそれ自身の永続的な意味など有りはしなかったのだと、如何にも底意地の悪そうな訳知り顔で、呆然と麻痺した様になって為す術を知らない精神達に、こっそりと、しかし嬉々として耳打ちをするのだ。死は生に蹂躙され、寧ろ蹂躙されることを悦び、官能的な陶酔さえも覚えて、その裏切りを謳歌する。そこには一切の恥も、屈辱も、煩悶も無く、葛藤どころかひとひらの躊躇いや戸惑いすらも無く、唯ひたすらな発狂した夢幻が在るばかりだ。そこではあらゆる憎しみもその声を周囲の大気の圧力に押されて衰えさせ、決然たる反逆も遅かれ早かれ一時の気の迷いに因るささやかな反抗へと転落させられてしまうので、一切の抵抗は究極の力を持たない。それに対する恐らく有り得る唯一の空しからざる反応は、己を捨てた宇宙的な哄笑、地獄墜ちしたサタンが腹がよじれ息が出来なくなり視界がぼやけて塞がれるまで行ったであろう、空しい高笑いばかりではなかろうか。そう、そこは地獄だ、花咲く地獄だ、生が死を陵辱する、底の抜けた地獄なのだ。
私は足の向きを変え、足早にその場を立ち去った。頭が噴火して裂けそうだった。とろける様なあの禍々しいピンクの色彩が、全身の毛穴と云う毛穴から入り込んで、私を溶かそうとしている様だった。私は悲鳴を上げたかった。だがどちらへ逃げ出そうとも、舞い散る花びらと賑やかな人々の雑踏と噎せ返る様な芽生えの息吹きで埋め尽くされた桜並木は、まだ暫く私の眼前に続きそうだった。日は高くなり始めていた。これからもっと高くなるだろう。しかも昼までには更に何時間も待たなければならないのだ。私は空を仰いだ。