轢き語りのピアノ
ふざけんなよ。ふざけてるよ。僕は好きでやってる。場合によっては死んでも良いと、思ってるさ。死にたくなんか無いけど、それでも死んでも良いと思ってる。怪我もするのも痛いのも嫌でしょうがないけど、それでもかまわないと思ってる。こいつがばらまいた物に吊られてくるやつらだって、多少は思うところがあるんだろう。なんかまぁ、口で言うくらいの覚悟みたいなものも。だけど、それを刺激してるのはこいつだ。それも、人死にが出ると思って、それで良いって、笑ってる。
人が死ぬことを笑ってるのか、人が吊られてくることを笑ってるのか、なんなんだか知らないけれど。僕には聞いたじゃないか、覚悟があるかって、なのに……なんなんだよ。畜生。
「おや、どこに行くんだい?」
笑うなよ、くそ。わかってるくせに。
僕がどこに這いずっていくのか、わかってるくせに。
工作室か美術室か、石膏だか粘土だかで散らかったその場所から出る。体中が痛い。息がしづらい。何もかもが辛い。松葉杖を置いてきたのは階段の前だったか。
拾い上げた松葉杖と共に壁に背を付け、縋り付き押し付けるようにして身を起こす。立ち上がる。
「っづ!?」
足首がびりびりした。だけど、まだ『痛い』だけだ。痛い。
めっちゃ痛い。
休みたい。
寝たい。氷欲しい。あ、やっぱりお風呂入りたい。
けど、そんな場合じゃない。
「歩けるんだ?」
「歩くんですよ……っはー!」
……っはー! ……っはー! ……っはー! ……っはー! ……っはー! ……っはー!
真っ暗な廊下にひたすら呼吸音を響かせる。肋骨がキリキリ言う。コルセットがきつい。なんか背骨がミシミシ言ってる。立ってると言うより、まるっきり松葉杖にぶら下がっているような有様だ。深呼吸をしたところで誤摩化せるような辛さではないし、勿論呼吸で痛みを忘れるような技術を持ってるわけじゃない。むしろ余計な痛みも背負い込んでいるような感触すらある。
だけどそれで良い。
立ってるのだって勿論辛い。歩くのなんて正直もってのほかだ。だけど、歩く。いつまでも這いずってるわけにはいかない。階段を這い上がるならまだしも、這い降りることなんてできる気がしないし……なにより、
「ここはどこだい?」
「音楽室。ここには轢き語りのピアノがいる」
僕は今日でこの七不思議を終わらせたいんだから。
もう脚を止める暇はない。
昨日の晩、GBに連れ回されるなかで目に止まった扉たち。
明らかに他とは違う重厚な扉の並び、一般的な教室の引き戸ではない圧して開ける重たい蝶番の扉。明らかに防音を意識して機能を高めた作りである。1つ2つなら視聴覚室とか、放送室もあるだろうけど。3つも4つも5つも並んでいるのだからそれは無い、十中八九は楽器室や準備室を含めた音楽室だろう。そしてそのいくつもある扉の中で僕は迷わずたった1つの扉を選んだ。
理由は簡単だ。
なんか一個だけ妙に綺麗だから。縦に長い金属製の扉の取っ手が、ピカピカ光っている。他の扉は防音材のスポンジを閉じてはられている布が色あせているのに、この1つだけつやつやしている。まるで誘ってるみたいだ。っていうか誘ってるんだろうけど。
「轢き語りのピアノって?」
「詳しくは知らないですけど、じゃんじゃんじゃんじゃーん! って言いながら部屋を駆け回っ」
衝撃。
首根っこを引っ掴まれて後ろに放り捨てられる。
尻餅をついて火がつくほど滑るとかではなく、ふわっと身体が浮いてむかいの扉の縁に背中から叩き付けられた。当然壁も防音なわけで、扉は壁の中に埋まってるような感じだ。背骨が弓なりにそれて抵抗する間もなくビタリと地面に叩き付けられる。松葉杖も落としてしまったし、いよいよダメかもしれない。
ジャッ!
ジャッ!
ジャッ!
ジャッーンッ!!!
盛大に扉をぶち抜いて、ついでに僕の松葉杖をへし折りながら現れたのは、趣味の悪い燃えるように真っ赤なピアノ。別に血染めとかそういうんじゃない。輪島塗みたいな普通の漆の輝かんばかりで普通の赤だ。脚のキャスターに絡む黒く細いもの……おそらく人毛だけが、それらしさを形作っている。かの有名な轢き語りのピアノ。ろくに調律されていなさそうなガリガリの音で響かせるのはベートーベン交響曲第五番《運命》。
とりあえずひとこと言うなら……おい、テリトリーどうした。
テリトリー。怪談の支配する領域。あるいは怪談の行動限界範囲。
例えば『踊り場のカガミ』なら各階段の踊り場にある鏡そのもの、あるいは踊り場。『粘土細工の手の林』なら、美術室。よく考えたらそんなものがあると言う保証は無い。なんだか、それがあるのが当たり前だと思っていたけれど、どこでそんな言葉を覚えたのだったろうか。
——それで、どこに向かってるの?
——ここの七不思議って、ほとんどが明らかなテリトリーを持ってるんですけど。
昨日にはもう使ってたな。うーん?
『腑抜けの人体模型』なら理科室。『轢き語りのピアノ』なら当然音楽室だと思っていた。でもちょっと待てよ、ピアノはなんとなくわかる。きっと音が漏れたりして人が寄って来るんだろう。でも、他のは自分の部屋から全く出て来ないのか? それに疑問を持ってなかったってことは、もっと動き回るのが当然だと思ってたって事じゃないのか? だって、手土産って、
——ああ、あれ? そこの窓から投げ捨てた。テリトリーは校舎でくくられてるみたいだね。消えちゃった。殺せてないといいけど。
あー……あれか。あの言葉を勝手に自分の中で補間しちゃったのか。僕は。そういえば校舎からでたら詳しく教えてもらう約束だったのに、あのまま倒れて何も聞けなかったんだっけ。テリトリーって言うものがなんなのか全然知らないけど、でもやっぱりピアノのテリトリーは音楽室の中だと思う。思うんだ。だから、理科室につく前に納得しないと。なんとかして。じゃないと変なしっぺ返しくらいそうだ。
「さて、これくらい解体すれば良いかな」
「あ、うん、そうだね」
ちなみにピアノはGBに分解された。分解? よくわかんないけど。分解。
たとえさいころ大に粉々にされてても、分解。
移動方法もキャスターついてる脚だけだったし、ね。
さて……七不思議のうち、いくつがここから消えただろうか。
まず踊り場のカガミ。七不思議としての価値とか真価とかはともかく、もはや要を成さないのは確かである。同じく粘土細工の手の林に轢き語りのピアノ。ほんとに粘土細工だったら自力で成型して復活の可能性とかあるかもしれないけど、ヴィーナス含めて間違いなく石膏だったし大丈夫だろう。ピアノはもう、うん……火をつけることこそしなかったけどそれは優しさなんだろうか、それともさらしモノにして辱めるため? まぁ、間違いなく後者だよね。考えるに寒々しいけど。
ええと、あと遭遇した七不思議と言えば……ハサミか。徘徊するハサミ。昨日今日と全く見かけない事を考えると、最初にGBが危惧していた通りテリトリーから飛び出した拍子に死んでしまったんだろうか。七不思議になんて物に、死ぬなんて言葉を使うのははなただ疑問だけれど。そうとしか言いようが無い。
「歩きにくそうだね? 肩を貸そうか?」
「結構です」
ふと足が止めると、心底楽しそうにGBがそういった。
松葉杖が一本ダメになったので確かに歩きにくい。だが正直彼女に肩をかしてもらいたいとは思わない。なんか良い思い出が無いと言うか、痛い目見るのが目に見えてると言うか。正直ちょっと怖い。
「ふん。そうかいそうかい」
すねた風に言われても今更思う所なんて無いですよ。
まあいい、とにかく残りの七不思議だ。人体模型と裁縫道具。家庭科室と理科室。どちらもガスを使う部屋。まぁ家庭科室と言うより被服室の方がらしいけど、家庭科室と聞いている。で、そういった大きめの部屋が集合してるのは。
「どうでも良いけど、別館まで持つのかな」
わかってんなら先に行けば良いじゃないか。