粘土細工の手の林 2
回転する視界。見慣れたものだ。僕はまた転んだのか。視界の端ではまだGBが鼻歌まじりにバットを振るっている。さすがに数が多いみたいで、あまり減っていない。そういえばあの鼻歌は洋画『ゴーストバスターズ』のテーマだ。名前のGBってそれなんだろうか。うぐ……息が詰まる。ドアは開きっぱなし。ちゃんと逃げられる……この足を掴んでいるやつをちゃんと振り払えたら。
ああ、やはり見逃してはくれなかった。足首を完全に掴まれている。痛い。こっちの足首握りつぶされたらどうしよう。というか何本か気付いてこっちに向かってきたんだけど、どうしよう。松葉杖壁側なんだが。
「このっ」
あいた手で床を掴み、思い切り引っ張ってみる。意外。引きずれる。そうか、石膏だし根をはってるわけでもない、僕が倒れたのはあくまで痛みであって、引っ張られたわけじゃないのか? 壁に松葉杖を押しつけ、足で地面をけり、腕で身を引きずる。行ける。にげきる。逃げ切る。顔のガーゼがはがれた。痛い。ヒリヒリする。GBの高笑が耳障りだ。けど、彼奴がいなかったらとっくに僕は死んでいる。さっき近づいてきていた手は今どの辺だ。スイッチを切ってる暇がない。とにかく前に進むことだけに集中しろ。足が、痛い。
こいつもテリトリーがある。GBはハサミは校舎から外に出したら消えたと言う。だったら、こいつだって外に連れ出したら消えるかもしれない。いくしか無い。死んでやるもんか!
部屋の出口が少しずつ近づいてくる。どうも、ここにくるまでで随分廊下を這いずったおかげかなんとなく匍匐前進することに慣れているようだ。足を掴んだ腕がびたんびたんと地面を叩いているのに思ったよりずっと動ける。痛いことには痛いけど、それでもこのままなら逃げ切れそうだ。
「っがぅ……!」
思わず悲鳴が上がる、足首がめきりとなった。なにやら引っ張る力が強くなったようだ。
「あー……やっぱりただでは出してくれないか」
そっと後ろを見ると、僕の足首を掴んでいた腕が別の腕に掴まれている。そしてその腕もまた別の腕に捕まれ、最後の腕が肘をまげて机の脚にがっちり絡み付いている。足が腕に掴まれてその腕が脚に絡み付いている……何がなんだかわからない。わかっているのはこの机をまるまる引きずるくらいの馬力を出すか、もしくはこの足首を掴む腕を振り払うかしない限りこの部屋からは出られないと言うこと。
うん、この腕は多分さっき横からこっちに向かってきてた奴らだな。あんまりあっさり引っ張れるから、こいつらがどうやって人間の首を××××とも思ったけど、こういう連携があるわけだ。見たところ今こっちに来てるのはこいつらだけ。後は全部GBにかかり切りだ。そう思えばさほど危機感を持つことでもないんだろうか。
ギリギリギリギリ
木製の机の脚が軋む音。ああ、肘で締め上げてるのか。そんでもってさらに引っ張られてる感じがするのはまさにそのまま。巻き込んで巻き上げて僕を机に引き寄せようとしている。ああそう。そうだっけ、腕は二本でワンペアだもんね。片方が足か肩辺りで固定して、もう片方が同じように首を掴んで引っ張る。二本あればできる。今は合計三本いる。十分だよな。その為にまず二本の机の脚にまたげる程度に引き寄せると。
そうだよね。殺す気か。殺されるのか? 冗談じゃない。手近な物を掴み振りかざす。
椅子か。
「喰らっとけよ」
ボグッ
鈍い音がする。僕の奮った木製の椅子が彼の腕をへし折った音……のハズがない。
強くなった引っ張る力に堪えられていたのは、一重に松葉杖と右手で壁に突っ張っていたからだ。なのに勢い込んで右手で椅子を掴んでしまい、あまつさえ身をよじりながらそれを振りかぶってしまった。当然突っ張りなど利くはずもなく、引きずられた勢いで椅子は床にたたき付けられた。
四角く無骨で木製の嵌め込み組立式、いかにも美術室の備品という風情のそれはやはり年期も行っていたようで、床にたたき付けられた拍子にあっさり天板と脚を一本手放す。これでは重量も半減、従って鈍器として期待していた威力も半減以下だ。いや、この感じだと残りの脚もあっさり外れそうだし、もはやなんの期待も出来ない。変に興奮して選択を誤った。大人しく別の机の脚でも掴んで耐久すべきだったか……いや、いまさら悔やんでも仕方ない。
「というか、そうしたらそうしたで足をもがれるか潰されるかしそうだよね」
軽い口調で言ってはみるが、想像するだに怖気が走る。
まあ首よりは遥かにマシだが。例えこの足がもげても、反対の足が治り次第また松葉杖でここに来ることもできるはずだ。さすがに車椅子の経験は無いから、両足がもげたらどうなるかはわからないけれど。もしそうなったら……そうなったら存外死んだ方がましなのかもしれない。自分が好きなときに好きな場所に行けない人生なんて想像もしたく無い。
ああもう、なんだかなぁ、畜生。やっぱりやだ、死ぬのも脚がもげるのも痛いのもやだ。なのに、なんで僕はこんな簡単に引きずられてんだギロチンに。いや、これギロチンていうより車裂きか。どっちもやだけど。
石膏の腕が木製の机の脚を締め上げる音と僕自身の心音だけが静かな部屋に響く。
それだけの音なのに嫌になるくらい五月蝿い。
骨に響くからかな。
なんか前にもこんなことあったぞ……。
あのときは……あのときは……あ、の、と、き、は……。
あれ? 静かな部屋?
「全く、どうにも情けない姿だね!」
なんていうか、激しく気合いが入った声が聞こえてきた。今までだってけして明るかったわけでもない視界が、輪をかけて真っ暗になっていく。ついでに脚が今までの非じゃないスピードで引っ張られている。上に。上方に。要するに空中に向かってだ。
なんとなくオチが読めた。認めたく無いけど何が起きてるかわかる。
GBが持ち上げているんだ。机ごと。
なんかもう何でも良いから泣いて良いかな。よくわかんない。だって多分片手だぜこれ。ちらりと金属バット持ったままなのが見えたもの。とりあえず深呼吸。深呼吸。スー……ハー……スー……ハー……。
「随分時間かかったね、石膏の腕ごときに」
「お? 言うねぇそんな無様をさらしながらさ!」
軽くあごを引いて上を見上げる。反対側の角が天井につきそうなくらい高く持ち上げられた机と、その脚と脚に渡された梁? に絡み付く三本の石膏腕。そしてそこからぶら下がる僕。ちなみに僕の頭はかろうじて地面からはなれてるけど髪の毛が時々床をこすっている。松葉杖付きの左腕は文句無く地面にこすってるしね。
「これでも結構楽しんでるんだって言ったらどうする?」
「じゃ、お楽しみのとこ悪いけど……まぁ頭打たないように気を付けな!」
とっさに頭を右手でかばう。
左足の付け根から足首までに激痛が走った。掴まれたままなのにおかまい無しにバットでひっぱたかれたんだから当然だろう。石膏の腕は粉々に砕けたけど全部顔に降り注いでくるし、少し横にそれたせいで首がグキってなったし、いつものように地面に叩き付けられた全身が痛くてしょうがない。松葉杖がひっかかったせいで肩もグリってねじれたしな。
ああもう、あれだ。
勘弁して。
空気が吹き飛ぶ音がした。多分頭上を机がすっ飛んだんだろう。派手な音がしたから、あるいは壁にでも突き刺さっているかもしれない。もしかしたらヴィーナスのレプリカなんかも木っ端微塵だろう。
ていうか見えないけどなんとなくわかる。木っ端微塵だ。間違いない。
軽く振り回しただけの松葉杖にごつごつ当たる石膏腕の破片達。あれ、粘土細工だったっけ。どっちでもいいけど、これらも『踊り場のカガミ』の鏡の破片みたいに、近所のいろんな学校にばらまかれるんだろうか。ばらまかれるんだろうな。ばらまいて、それでまた人がこっちに来て、それで、それでまた、
「死ぬのか」
「かもね」
笑いやがった此畜生。