三度目の夜
今日も今日とて僕は旧校舎の前で彼女を待っている。
一応今日の狙い目は、別棟の一階にある理科室が狙い目かと思う。比較的行きやすいし、いざと言うとき逃げやすい。腑抜けの人体模型……あれ、『腑抜け』だっけ、『空腹』だったっけ? どっちにしろ内蔵が足りなくて奪いにくると言う話に変わりはなかったと思う、とにかく人を殺しにかかる恐ろしい怪談には違いないが、どの怪談もだいたいそんなもんなので今更それを遠ざける基準にはする理由が無い。
相変わらずポケットの中の鏡の欠片は鏡の欠片でしかない。中を覗いたところで動くことも無ければ影を奪われることも無い。目が見えなくなったりもしない。隣人とやらが映る気配もない。鑑みれば、GBさえいれば大丈夫と盲信することも出来るように思う。
思える。
……やっぱり無理。
若干お腹痛くなってきた。どうしてくれよう。
昨日のあれのどこに覚悟が必要だったのかもわからないし、覚悟があってどうなったのかも想像つかない。結局何もわからないままに振り回されて振り回されて振り回されただけだ。覚悟があったら何か教えてくれたとでも? 無いな。GBが親切にそんなことしてくれるとは到底思えない。
だから今日も昨日と同じ。
ただ振り回されて、思うままにかってに飛び込んでいくしか無い。
「やぁ、早かったね。感心感心!」
「今日は最初っからその格好なんですね」
「はっはっは。それで、成果は見てきたかい?」
「成果? ってあれですか」
今日朝から噂になっていた事件。いくつかの教室の黒板に鏡の破片のようなものが張ってあり、矢印で『旧校舎の踊り場の鏡』と書いてあったらしい。らしい、って言うか全部見てきたけど。僕のクラスには無かったけど、7つのクラスで確認した。ついでに妹の学校にも4つほどあったらしい。携帯にメールが来た。放課後にはばっちり見てきた。
なお言うなら昼頃に学校中に連絡が回った。近隣小中高問わず、いろんな場所にそんなことがされていたそうだ。
誰がやったんだろうね? 全くもって謎だ。
「まぁ大騒ぎでしたけど」
「それだけ? な、わけないよね。わかるし」
「意味が?」
「まあいいさ、ついてきな!」
いつも通りバットを降りながらGBは歩き出した。いつも通り? いつも通りってほどの付き合いじゃないよな。まだ一週間立ってないのに……何となくもう3〜4ヶ月くらいの付き合いのような気がする。うん、改めて考えてもそれほど間違ってないような気がする。まあ深く追求するべきじゃない気がするな。置いておこう。
っていうか昨日は案内しろって言ってたのに、なんで今日は先導してるんだ? 今日は怪談探しとは別のことするのかな。
「あれ? 君わかんないかな、この匂い」
「心読まないでもらえます?」
「いいから鼻を働かせてごらんよ」
鼻? 匂いってこと? 最近、あんたがなに考えてるのか考えるのやになってきたんだけど。
まあ、やれって言われたことならするけどね。
「……におい?」
それって常人にわかる匂いですか?
うっかりすると見失いそうになるほど闇に融けきっているGBに必死に追いかける。しかも足早い。
幸い無駄な動きは無いし、廊下なんて直線だけだ。目を凝らせばわからなくは無い。でも、うっかり階段の前なんかで見失ったらちょっと困ることになるだろう。残念ながらGBを引きつけてる匂いというやつも僕にはまだわからないし、ちょっと急いで追いかけて確かめるなんてことが出来るはずも無い。
あーもう! 僕は足が駄目なんだってわかってるだろうに……ってそうだよな、GBがそんな事情考慮してくれるわけないか。
「ねぇ、どこに向かってるかわかってるの?」
「さぁ? でも比較的生臭い七不思議のところかな」
「ここの七不思議はどれも大概に生臭いよ……」
っていうか匂いって血の匂いか。それに関しては自分自身の匂いが大概だから全くわからない自信があるぞ。鼻血こそ出してないものの舌も血が出るくらい噛んじゃったし、骨折とかほど派手なものじゃないから目立たないけど擦過傷やら切り傷もそこそこあるし。むしろGBは僕の匂いとかでわからなくならないのかな。
……血の匂い? しかも道がわかるほどの? それはつまり、
「え」
「どうかしたかい?」
「それって、誰かが死にかけてるって」
「もう死んでるんじゃない? この匂いは」
「そんな、警察! 救急車!」
左の松葉杖に寄りかかって右腕でポケットを探る。ああもう邪魔だ右の松葉杖! 脇に挟んでいたそれを放り捨て、改めて探る。右には無い。左? 違う! 確か松葉杖に擦れて何度も落としたから……胸ポケットか。
バギン
煌めくバット。手に走る痛み。吹き飛ぶケータイ。飛び散る破片。バットを片手で振り切った姿勢のままに帽子を抑えて決めポーズを取るGB。
「え」
「無粋な真似はやめてくれないか」
「無粋? 無粋ってなんですか! 人が怪我をしてるかも知れないんでしょう!?」
「覚悟は出来てるかと聞いたよね?」
「そんなもの無いと……!」
「ここから先にあるのは怪我人なんかじゃない、さっきも言っただろう? 死体だ」
「覚悟が無くてもその気があるならと招き入れたのは俺だが」
「それすらわからないなら去ぬるがいい」
GBの姿が大きく伸び上がる。否、僕が倒れたのだ。あごを打った。息が詰まる。左腕に括り付けた松葉杖がねじれて肩を痛めつける。頭にぱらぱらと降るのはガラス片? 昨日の鏡のがまだついてるのか。ビュンビュンといつも通りに金属バットを振り回し一瞥すると、GBは振り向いて歩き出した。
目が覚めない。これだけ痛いのに。
人が死んでるって言うのか。この先で。
『無粋な真似』
『もう死んでるんじゃない? この匂いは』
『この匂いは』
『あれ? 君わかんないかな、この匂い』
『この匂い』
『それだけ? な、わけないよね。わかるし』
『わかるし』
『それで、成果は見てきたかい?』
『成果は見てきたかい?』
『成果は』
成果……今朝の成果? 昨日の成果? 昨日の? 昨日したことは……つまり僕は人が死ぬようなことに加担したって、そういうことなのか? そういうことなんだな? そういうことなのか。
この先で人が死んでて、その原因には僕が少し噛んでる。そういうことか。
「こないのかい?」
やっぱり覚悟なんて無い。それにいらないだろう。あってもきっとどうにもならない。
立ち上がるのにいるのは根性で、ついてくのに必要なのは好奇心だけだ。
「いくよ」
思ったより恨みがましい声が出たな。
間もなくGBは階段をのぼりだした。本格的に見捨てられかけてるのか、階段だと言うのに全くペースが落ちない。だが、全くついていけないと言うほどでもない。松葉杖は無視して、片足だけで飛び上がっていく。ふんぬっ! あ、これ4階まで行ったりしないよね、結構辛いんだけど。
……
…………
………………
「ぜひっ……ぜひっ……」
普通に四階まで来たよ。足がパンパンでもう動ける気もしない。現在尺取り虫のように這ってGBのあとをつけてます。ああ、やっぱり左腕に松葉杖括り付けて使うのはやめておけば良かった。歩くだけなら別に右松葉杖だけでも良かったし。こうやって這ってると左の松葉杖が邪魔でしょうがない。右松葉杖は階段上ったところに置いてきちゃったし。結局走れないなら何の意味があったのか。
「君、走れなくなってもついてくるんだね」
「はぁ?」
まぁそれは身を守る為に確保したいものの一つだけど、とりあえずGBのそばにいるそれとは比べ物にならないし。別に走れる自信があったからついてきたってわけでもない。
どこでどう歪んだのか、GBは『理由』をついていく為に必要なものだと捉えているようだけど、僕にとっての『理由』って言うのは結局、ここにいる動機そのものにすぎない。どこまで行っても僕の欲求を、彼女が理解するところか求めるところの『覚悟』と同列に並べてるんだろう。変な話だ。いや、変なのは僕なのかな。解釈次第によっては、死体を見る為だけにこうやって歩いて……這ってると言うことになるのか。いや、別にどんな変でもないだろう。
「Stand by me......Stand by me......」
人は時としてよくわからない欲求に命をかけられる。むしろ、覚悟ばかりを口にするGBは……何を動機にこんなことをしてるんだ?
「When the night has come and the land is dark......」
GBが足を止めた。とうとう辿り着いたのか。ああ、確かにわかる。匂う。
「And the moon is the only...... light we'll see......」
悲しいくらいに臭く無い。生臭いと言えばそうなのかもしれないが、むしろ甘く感じる。新鮮な匂いだ。
「No, I won't...... be afraid..... no......」
一歩、GBの背が遠ざかる。扉の前。
開けるのか。
「I...... won't...... be af......raid......」
「なにを歌ってるのか知ら無いけど」
引き戸。相変わらず教室名に関する表示はない。防音タイプの扉ではないから音楽室じゃないだろう。ガスの類は別館に集中しているので、本館であるここにはそういう教室はない。扉の薄汚れた雰囲気、その他諸々。ならここはきっと、
「それで耐えられるのかい?」
「……」
美術室。