プロローグ もしくは徘徊するハサミ 2
幽霊、妖怪、怪物。他にどんなものの名前をあげれば良いかわからない。どれにも物語があって、ここにいる。物語が先か、ソレらが先か。そんな議論したことないけれど、僕には僕なりの持論がある。
生まれる原因があり、ソレらがうまれ、物語が追いつきソレを確立する。
別に僕が考えたわけじゃない。誰かに言われて、真に受けて、今もまだ何となくそれを信じているだけだ。
それで何をいいたいかって? 別になにも。言いたいことがあるなら、最初からその話をするに決まってるさ。当たり前にね。そんなこともわからないのかい?
もし、もしもだが。僕に言いたいことがあるとすれば、僕は勘違いしていたということだ。
ソレを確立する物語に存在しない一節を描いていた。忘れられた一節と言って良いかもしれない。
人は怪談に抵抗できない。
実在しないそれを今日まで信じて生きてきた。当たり前にして、絶対の法則だ。
もしそれが妖怪や、幽霊や、怪物ではなく怪談と呼ばれるなら、絶対にして無二の法則。それが目の前で崩れつつあった。
「よう? 元気かい?」
眼前の床は木製で、跳んだ木片がいくつか顔にあたった。あるいはすこしばかり刺さったのか頬とかが少しチクチクする。床をえぐったのはやはり金属バットのようで、安っぽいアルミの銀色が鈍く輝いている。たどればそれを握っているのは当たり前の、少なくとも幽鬼の類のものとは思えない、輪郭のはっきりした人間の左手。夏だというのに手袋と長袖で肌は見えない。
ああ、これに色をつけるなら鮮烈な赤が相応しい。どこぞの人外バトル的な方向にぶっ飛んでいく推理モノ小説に登場する『人類最強』のような、そんな理不尽さを持つ鮮烈な赤が。
だが目の前にあるのは黒だ。
ナニモノをも飲み込んでしまいそうな絶烈な黒。多分、相応しいと思い描いたものすべてが馬鹿らしくなるような絶対にして不可侵の色。
そもそも深夜に近い時間帯でまともな明かりが無いとか、こちらが伏せていて相手を見上げる姿勢にあるだとか、そういう影とか闇だとか、そういうのも考えの中に入れることができるかもしれない。でもともかく黒い。目の前にあって僕を見下ろしているそれは、人の形の輪郭に墨汁を流し込んだような、そんなものが歩いているような奇妙な存在感を持っている。
少なくとも気持ちいいものじゃない。
そしてその右手が持っているのは、気のせいじゃなければ『徘徊するハサミ』の描くヒトガタ。ついさっきまで僕が必死に逃げていた、怪談だ。
「俺は結局通りすがりでね。これがなんだかは知らないんだ」
黒がしゃべった。いや、二度目か。
『これ』とはたぶん右手に握ってぶんぶん振り回している『徘徊するハサミ』のことだろう。
より細かく精緻に描写するならば『徘徊するハサミ』が描くヒトガタの右手に握られた、黒いハサミの刃の部分を閉じたまま握り閉め、それに指を通しているせいですぐには手放せないでいるヒトガタを、ひたすら振り回すことで逃げられないように拘束している。なんだっけあれ、カスミ網か?
どうも『徘徊するハサミ』も歌うのをやめた訳ではないようだが、振り回されているせいでよく聞こえない。こうなると追っかけてきてたときの威圧感もどこへやら。黒い布が振り回されてバサバサ言ってるようなものだ。
ていうか全体的に真っ黒すぎて、黒い人影が自分の影を足下からひっぺがして振り回しているような、妙なシュールささえ感じる。
もうほんとなんなんだ。
「うん? 大丈夫かい? 気は確かかな?」
「はあ」
「喋れるんだね? よしよし。これってさ、『隠し』属性持ってる怪談かな? そもそも怪談だよね?」
「え、まぁ『徘徊するハサミ』って名前で……『カクシ』?」
属性って何だ? ゲームかなんかの話じゃないんだよな。
「怪談なんだね。陣地は持ってる? 弱点とか追い払い方は? やっぱり七不思議?」
え、ええと? 最初のバットの一撃と印象がだいぶ違うっていうか、なんか妙に気さくで親しげだけど、ていうかこの声の感じは女か?
「ああ、名乗り遅れたね。俺は通称G! B!」
フェルトハットもかぶってないのに、M.Jみたいなポーズとらないでください。しかも一文字ずつ。
正直もう何がどうなってるのかわからない。
どこから何の話を聞けばいいのかもわからない。
自称GBから聞いた話はどれも耳を右から左へすり抜ける。
目の前に転がってるのは、単に僕の命が助かったらしいということだけ。
どこから整理すればいい?
まずは一旦スイッチをOFFにしよう。
ガヅン
……
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……
……………
……
「—い! おい!」
「あ、はい、なんですか?」
「なんですかじゃないよ! 目の前でいきなり自爆されて、あれになんかヤバい性質があるのかと思ったろ!」
ええと、ここは僕の通う中学の裏手の山にある建物、通称旧校舎。次郎丸幸雄こと通称ジローというトラブルメーカーに唆されて七不思議を見に来た。んで、しばらくあちこち見て回っているうちにとうとう『徘徊するハサミ』に遭遇、逃走中にジローに裏切られて絶体絶命のピンチを味わった。
ちなみに今好きな人の名前は眞弓野朱里。
で、目の前の自称GBが『徘徊するハサミ』を撃退して、撃退して、撃退して? あれ? この人さっきまで左手で『ハサミ』振り回してなかったっけ? 気がついたら僕両手で抱えられてるんだけど。
「ああ、あれ? そこの窓から投げ捨てた。テリトリーは校舎でくくられてるみたいだね。消えちゃった。殺せてないといいけど」
そこの窓って、すぐ横のガラス割れてるやつ? ころ? ええと? 七不思議って死んだり殺せたりするものなんだっけ。幽霊だって死ぬとも思えないのに、七不思議なんてますます死にそうにないんだけど。
「まぁ詳しい話はここから出てからかな。さっきのは別に怪談のせいじゃないんだよね?」
さっきのってのは多分、スイッチOFFのこと、だよな。具体的に言うと、軽く壁に側頭部をつけて反対側から思いっきり掌打をかましたこと。考えがまとまらないと頭をガジガジやる人がよくいると思うけど、あれのちょっと過激なのだと思ってほしい。ただの癖です。
「ただの癖です」
「OK」
ひょいと俵のように担がれた。次の瞬間滑り落ちた。肩幅狭い。ついでに撫肩。腕力半端無いのに体格が弱い。これ本当に女性なんじゃないか? スイッチOFFにするとき思いっきりやり過ぎたのか頭まだクワンクワンするのに、俵担ぎされたとき腹に結構な衝撃入ったし、落っこちた拍子に全身にもきた。なんか、この人インパクトが強すぎて一緒にいるだけでダメージが増えてる気がする。
「あー……ごめん。自力でたてる?」
「肩、かしてもらえます?」