一話【失われた記憶、異なった世界】
「んっ...う...ん......ん...?」
白が意識を失ってからどれくらい経ったのか、それは定かではないが白は意識を取り戻す。
白は意識を失っていたにも関わらず森の前にしっかりとその足で立っていた。
もっとも、目の前に広がる森の風景は意識を失う前とは完全に異なって、いや、森に限らず白以外の周囲は完全に異なっていたが。
「あれ?ここは...どこだろ」
意識を取り戻した白はキョロキョロとあたりを見回して首を傾げる。
周りの景色の変化に疑問を覚えたかのように見える行動だが、実際にはそうではない。
「そもそも僕はなんでこんなところに?」
白は意識を失う前までの記憶がほとんど思い出せないでいた。
「名前は分かる、星神 白。誕生日は8月9日、それから血液型は...」
自分の名前や誕生日などの自分に関する基本的なことはきちんと思い出すことができる。
しかし、白はそれ以外、自分がなぜここにいるのか、今まで自分は何をしていたかなどの思い出とも言える記憶が一切思い出すことができなかった。
グ.........ギャ...グギャ.........
何か今の状況のことだけでも少しでいいから思い出せないかと白が首をひねっていると、不意に森の奥から何か生き物の鳴き声らしき声が聞こえてくる。
森の中から聞こえる恐らく人間以外であろう生き物の声。
本来ならば白はすぐにでもその場から離れるべきだった。
しかし、不用意にも白はその場にとどまったままじっと森の奥を見つめていた。
グギャ グギャギャ グギャギャギャギャ
ガサガサッガサッガサガサッ
そして、なにかの鳴き声がかなり近くまで感じられるようになった頃。
草木をかきわけて現れたのは、三匹の人型の怪物だった。
それ、は身長──この怪物の大きさも身長と形容するのかはともかく──は120cm程だろうか、白の胸の高さに届くかどうかというくらいの身長で、緑色の皮膚に醜悪な顔をしている。
また、腰に小汚い腰みのを纏い、手には木を削りだしたのだろうか、無骨な形の棍棒のようなものを手に握りしめていた。
「ゴブ...リン...?」
無意識のうちに白の口からそんな呟きがこぼれる。
確かにその怪物は日本のゲームに出てくるゴブリンと言われるモンスターに似たような見た目をしていた。
「え?」
白は自分がそれを見てゴブリンと呟いたことに驚いて口元に手を当てた。
白はゲームやゴブリンのことを覚えていたわけではない。
でも、目の前の怪物はゴブリンと呼ぶのが正しい、そんな風に白は感じていた。
だが、そんな目の前の怪物の名前よりももっと、今気にしなければいけない重要なことを白は忘れていた。
そう、目の前にはゴブリンという見るからに友好的ではない怪物がおり、その手に武器を持って白のことを見ているということを。
「グギャア!」
三匹のゴブリンの中の一匹、真ん中にいたゴブリンが不意に武器を振り上げて白へと襲いかかる。
「うわぁっ!?」
突然の攻撃に驚き、とっさに後ろにジャンプした白の目の前を棍棒が通り抜けた。
白が下がったことで狙いを外した棍棒はそのまま地面に叩きつけられ、あたりに土が飛び散る。
突然の攻撃をよけれたことにホッとしたのも束の間、残りの二匹のゴブリンも棍棒を構えて襲いかかってきた。
「わ、わ、うわぁああああ!!??」
気が動転した白は叫び声をあげると、ゴブリンたちに背を向けて脇目も振らずに駆け出す。
「「「グギャッグギャッグギャア」」」
しかし当然逃げていく獲物──白をゴブリンが放っておくわけもなく、ゴブリンたちは白を追って駆け出した。
焦る気持ちで足が上手く動かず、何度も転びそうになりながら白の背中目がけて棍棒が振り下ろされる。
幸か不幸か走る速さに大きな差はないのかゴブリンに追いつかれることはないが引き離すことも出来ない。
また、攻撃の時にわずかに減速しているためか棍棒が白に当たることもなく、ゴブリンと白の命がけの鬼ごっこは続いていた。
だが、
「あっ...」
ついにバランスを完全に崩してしまった白は勢いよく転んでしまう。
ズザァッと豪快な音をたてて地面を滑り、恐らく手足は擦り傷だらけだろうがそんな場合ではない。
痛む体をこらえて背後に目を向けた白の視界に映ったのは不気味な笑顔(に見える)で棍棒を振り上げるゴブリンの姿だった。
「うぅ......」
避けられない死の予感をひしひしと感じ、目を閉じた白。
しかし、そんな白に届いたのは死へと導くであろう棍棒の一撃ではなく、ヒュットスッという棍棒とは違う何かが風を切り何かに刺さった音。
そして、ドッという恐らく棍棒が地面に落ちた音。
それだけだった。
何が起こっているのかわからない中、恐る恐る目を開けた白の視界にまず映ったのは、棍棒を振りあげたような姿勢のまま固まるゴブリンだった。
そのゴブリンの手に棍棒はなく、顔は驚愕しているようにも見える表情で固まっている。
さらに残りの二匹のゴブリンに目を向ければ、どちらも動作の途中ですというような姿勢で固まり、驚愕の表情で目の前のゴブリンを見ていた。
さらに視線を動かすと、目の前のゴブリンの後方に矢が突き刺さった棍棒が落ちているのが見える。
「い、一体なにが...?」
なにが起きているのか全く分からず、惚けてしまう白。
そんな白に後ろの方から女性の声が聞こえてくる。
「こっちだよ!走って!」
声のした方に目を向けると、人が三人いるのが見えた。
一人目はついさっき声をかけてきた人だろうか、手に杖を持ち、こっちに来いというようなジェスチャーをしている女性。
二人目は棍棒に突き刺さった矢を射た人だろうか、ゴブリンに弓を向けている女性。
三人目は腰の剣に手をかけて今にも走り出しそうな体勢の男性。
なぜかは分からないが恐らく助けに来てくれたのだろう。
安心感で体から力が抜けそうになるが、女性はこっちに来いと言っている。
「っ!う...」
立ち上がろうとすると体に走る痛みをこらえ、立ち上がった白は痛みでふらつく体で三人の元に走り出した。
「グギャ!」
しかし、ゴブリンたちも正気に戻ったのだろう、後方からゴブリンの声が聞こえる。
だが、それを確かめるよりも早く、剣の男性が駆け出した。
男性は瞬く間に白との距離をつめ、一気に白の横を通り過ぎていく。
そして、
「ギャッ...」「グギャッ...」「グッ...」
背後からゴブリンの叫び声のようなものが聞こえたかと思うと、重いものが地面に落ちる音が三度立て続けに聞こえてくる。
その間にも白はその場に残る二人の女性の元へと辿り着いた。
再び倒れ込みそうになるのを踏ん張って耐えようとするが、杖の女性に優しく抱き止められる。
「もう大丈夫だよ、頑張ったね」
そう言われて頭を撫でられ、安心した白はそのまま再び気を失った。