初まりの夜 7
緊急入院ということで思わぬ失費にはなり鴉丸の貯えが磨り減ることは事実だった。
担任の教師からは「夜遊びも程々にするように」と厳重注意で済んだ。事故という処理らしい。桃城や鬼道の根回しか、それともネストの根回しか、そんなのは知らない。
窓から差し込む茜色の残光が、静寂に包まれた病室を仄暗く照らしだす。
「明日から学校行けるか……?」
一人ぼやいて鴉丸は一つあくびをした。体はまだ疲れているようで睡眠を求めている。早朝に感じることの出来るただ無気力にベッドに沈み込む心地よい微睡み。
それを破る存在が現れる。
「あ! 居た!」
「あァ!?」
個室のスライド式扉を開けて顔を覗かせるのは特徴的な二つのくせっ毛がある黒髪の少女だった。
「おいーっす鴉丸くん。元気ー?」
「……昨日の?」
「そうそう。じいやが持病でここの病棟に入院してるんだけど、鴉丸がここに運ばれるのちょっと見てしまったから」
爺や、という響きに鴉丸の薄々抱いていた、お嬢様というイメージが輪郭を持ち始める。
こいつ、昨日の自販機初心者だ。
「てかなんで俺の名前知ってんだよ」
「病室の名札?」
「あぁ。そうか」
ズカズカと部屋の中に入ってるく少女。
モニターだの点滴だの、管だのが身体に取り付けてある鴉丸の姿を見て、口元に手を添えて痛そー、と心無い感想を漏らす。
「ちょっとどうしたの? 怪我?」
「あ、ああ。そう。ちょっと知らない間に事故ってた」
「不良くんだったらアレ? 飲酒してバイク乗って事故ったとか? カワサキバイクブルンブルンッ! て」
「どんなイメージだよ。それに大型二輪の免許は疎か、俺は何も持ってないし。そもそもあれは十八歳以上じゃないとダメとか言うじゃん」
「じゃあ、何?」
そう聞き返されて、口をつぐんだ様に押し黙り硬直する鴉丸。数秒硬直した後、関係ないだろ、と吐き捨てる様に言って少女の方へ向いていた視線を逸らして、窓の方を向く。
「関係無くないし」
「昨日あったばかりの赤の他人じゃねーか。知った所で何も変わらん」
「そうやって他人に何も吐かないと損ばっかりするよ!? 気難しい男って烙印を押されてずっとひとりぼっちになってもいいの? そりゃ、こっちは興味本位だけど教えてくれても良いじゃん!」
ひとりぼっち、という言葉の響きを鴉丸の鼓膜は敏感に捉えた。
そう。確かにそうだった。
自分の感情を押し付けることは何の得にもならない。他人に必要とされていない人間。肉親にさえ必要にされてきたことのない人間は、自分が無価値だという印象をいつの間にか植え付けられている。鴉丸もそうだ。
価値の無い人間を探ろうとする者は居ない。探る労力に対する見返りが不足しているから。そう思い続けていた。
「いい? 人間ってモンは言葉を喋って自分を表現することが出来るの。ちゃんと自分で今どういう状態なのかを伝えて、なんでそうしてほしいか、そうしてほしくないか言わないと何も始まらないんだから」
「興味本位で他人を探るな。触れられたら嫌なことも人によっちゃあるんだよ。他人が首を突っ込むことじゃない」
「そんなこと言われれば余計気になるじゃん!」
好奇心旺盛な彼女は、腑に落ちない様子で、なんでだし、と繰り返してベッドサイドのパイプ椅子に腰掛ける。
他人と時間を共にする免疫を鴉丸は持たない。加えて異性だ。どんな話題をするのが円滑な人間関係を築けるのかも知りはしない。そもそも、円滑に進める必要があるのか。
いや、ある。女の情報網は予想を遥かに超える広さだ。
中学時代の元同級生、山本くんはバレンタインで貰ったチョコを溶かし、ゲーセンのプライズフィギュアにぶっかけ、それを舐め取る様子をmp4で送りつけていた。チョコを渡した本人に。
鴉丸が知ったのはその騒動の起きた次の日に小耳に挟んだ。登校路の同じと思われる、年下の下級生のうわさ話から
この妙にちんちくりんで、ネコ科の獣の耳めいた黒の跳ね毛を生やす黒髪の少女も、何処かしらで自分とつながりのある人間にネガティブキャンペーンを行うかもしれない。
「鴉丸は意地悪だし。ちょっとくらい教えてくれてもいいのに」
「分かったよ教えるよ。事故。事故です。バスの事故。事故ったバスの中に知人が居て。そいつが亡くなったんだけどそれを思い出したくなかったの。これでいいか?」
「バスの事故なんて、少なくともこの街で起こっては居ないんだけど?」
「……」
「嘘だよね?」
「……おう」
ただなんとなく。表の世界を歩く人間には教えたくない。そういう良心に似たものだった。
月影を都市伝説程度にしか認識していない、今を生きる学生。その無意味で怠惰で、何よりも価値のあるその時間に黒いヒビが入るというのはしたくない。
最も、本当のことを言えば、この好奇心旺盛な娘はそこに行くだろう。そして、月影と対峙し絶命させられる未来。
「鴉丸くんって何かしらひた隠しにするよね? 気持ちの表出が下手って言うか、過去に何かあった?」
「何もねえよ。詮索すんなよ面倒くさい」
「一人じゃ寂しいと思って来てあげてるんだけど? 何なのその態度? わかった! 照れ隠しでしょ! 同年代の女子なんかに見舞いに来てもらうなんてことそう無いけど、こうして来てもらってるってことが妄想の様な幻覚のようなもので否定したいんでしょ!?」
「うっせえな。何よりもそのやかましいしゃべりどうにかしろ」
「どうにかしたら、ココに居てもいいんだ」
「勝手にしろ。それに同年代の男女、一人ずつ見舞いまがいの理由でココに今日来てたから。お前だけじゃない」
ウッソ!? と漏らすその少女はまじかー鴉丸くんも隅にはおけないなー、だとかブツブツぼやいてパイプ椅子で腕組みをする。
こうしていれば害は無い。
かつて鴉丸は他者に自分の境遇を語ったことがある。
あれは確か学童時代の教師だったか。担任ではないが、何時も独りで居る鴉丸を気にかけてか、丁度この夕方の時間に顔を合わして話していた。
趣味は何? 学校の空いた時間では何をしているの?
そんな問かけばかりで、今思えば友達も居ない鴉丸を気にかけてくれていたのかもしれない。
その時、どう言ったのだろうか。明確には覚えていない。
ただ、自分はその時友達というものが分からない、と答えた記憶がある。それは定義と言い換えることが出来るかもしれない。
その教師は、頑張れ。これからも時間はあるから、とだけ言ってそれ以上は何も言わなかった。
同時にある記憶が掘り起こされる。ほぼ同時期だ。
鴉丸と兄弟が父に外食に連れて行ってもらう時のこと。父が言った言葉だった。
車の窓から見えるのは、既に暗くなりかけた空の下の校庭。グラウンドで玉を蹴り合い、その挙動に一喜一憂する少年達の姿。
『何も成し遂げられないお前が、ああいった人間と競争していくのが社会だ。お前は勝ち抜いていけるか?』
丁度その頃から成績が下に傾き始めた頃だ。
「ちょっと鴉丸!?」
「うっえい!?」
突如、肩をすくみ上げた鴉丸は声の方向を向く。
これまでに無いくらい顔を近づけたその少女が怒ったような心配したような。長いまつげの奥の大きな目が不安の色を映し出していた。
「良い? 孤独に浸るのは確かに気持よくて、気が楽かもしれない。でも、誰かが歩み寄らないと、ずっと孤独に浸り続ける人も居るの」
「……」
「鴉丸くんももう少し歩み寄らないと。誰にも救われないし、誰も救えないの。いい?」
「説教ならその辺にしてくれ。で、お前は何が言いたいんだよ」
「そ、それは……」
今頃になって、少女は今の体勢に気がついたのか。ベッドの上に大きく身を乗り出して近づけたその顔も身体も引いた。
若干の沈黙の後、その少女はぽつりと口を開く。
「ちょっとね。この街の都市伝説に興味があって。でも、その……私一人だとアレだからさ。一緒に来て欲しいかなって。お、男だし……」
窓から差し込む光が、その顔を赤色に照らしていたのか、それとも単純に照れていたのか何なのかは分からない。
鴉丸はただなんとなく、そう本心を言える彼女のことに感心して黙りこんだ。
その後、ダメかな? という追撃に仕方ないな、とぼやくように言って端末の通信番号を交換した。




