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影使いの街  作者: やぎざ
第五章 初界穿の翼
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初界穿の翼 2

 喧嘩が起きた。小学生も半ばを超えれば体格も出来上がり、流血沙汰になることもしばしば見られるようになる。発端は些細な出来事だった。クラスメイトの嫌がらせが感に触った少年は手を挙げ、それを返すクラスメイト。次第にヒートアップし、少年は相手を階段から投げ飛ばしたところで自体は終了した。


 打撲と骨折。それを負わせた少年は授業から引き抜かれ、保健室に呼び出されていた。

 ベッドに横たわり細い寝息を立てるクラスメイト。その横に担任と少年が立ち尽くす。


 「謝りなさい」

 「なんで」

 「どんなひどい理由があっても、怪我をさせたら謝らなくちゃいけないの。友達でしょう?」

 「反省もしてないんだったらそんなごめんなさいに意味なんてあるのかよ」

 「あなた……もしかしてホントに悪いとも思っていないの?」

 「コイツが勝手に、父さんがどうだの家族がどうだの、オレのことをクズだのどうだの喚きまくった結果じゃん。こうなってもおかしくないし、コイツが変わらない限りオレも変わらない」

 「……」

「結局先生も、こんなこと起こらなかったら動かなかったし、こういう怪我したかどうか、そこだけを見て動いてるじゃん。立場がどうだかは知らないけど」

「親御さんに連絡します」

「……父さんに?」


硬直する少年。だが、担任の教師は揺るぎない視線を少年に送るだけだった。


放課後を迎えての帰宅。少年が例の公園を横切る時に、いつもの中性的な子供が歩み寄ってきた。


「どうしたの? 変な顔して」

 「変な?」

 

 頬に片手をかぶせる少年。痙攣したかのように振動するような、熱くこみ上げるような鼓動が肌に伝わる。


 「……どしたの?」

 「お前には関係ない」

 「なんでも話してくれてたじゃん」

 「なんでもって……ともかくオレには時間が……!」

 「いつでも聞くからさ。ちゃんと話してよ」

 「……いつでも?」


 早足で歩く少年。その背中に呼びかける子供。少年がぴたりと歩を止めると同時に遅れて止まる二人目。


 「後で話す。だから最後まで聞いてくれ」


 言い残しで自宅に変えれば母親が普段は見ない表情をして少年の帰宅に立ち会っていた。


 「父さんには連絡しました。学校からよく話し合ってくださいって。遅くならないってことだから待っておくように」


 背筋が凍る言葉だった。不貞腐れたように分かった、と吐き捨てて自室に戻る少年。脂汗が頬を伝い、揺れる瞳孔で自分の右下腿を見た。以前、しつけと言われ鈍器で打たれ内出血をした瘢痕があった。

 肉の奥から溶岩のような熱が溢れ出て歩くことすらままならないあの感覚が脳裏に過ぎった。


 (親父が帰ってくるのは後数時間……いざという時の為に厚着して衝撃に備えておく……いや、衣類が足りない。それに夏前だ。不自然でしかない。以前の様にならないよう、道具を隠しておくっていうのは、ちょっとわかり易すぎるか。万が一バレた時には余計に頭に血を登らせるし、隠す人間なんてオレ以外に居ない。だったら──)


 ありあわせの貯金を少年は確認した。遠いところに住む祖父から貰った財布だ。中身には数枚の札。お年玉だったりを溜め込んだ分で、それは万単位になるかならないかの金額だった。


 (これなら行けるぞ。二人でも遠くになんて余裕だ。──二人?)


 母親が夕飯の買い出しに行った時を見計らい、少年は財布を握りしめて飛び出した。行き先は公園。

 つまらなさそうに空を眺めてベンチに座るいつもの子。早足で駆け寄り、少年は息切れをしながらも言葉を紡ぎ立てる。


 「ちょっと遠くに出る。お前も来てくれ」

 「えぇ!? なんで?」

 「話してやるって言ってただろ。あまり知り合いが居る所で話したくないんだ」

 「わ、分かった……」


 細い手首を引っ張り二人は街を駆け抜ける。地下の駅に潜り込み、タイル敷きの床を駆け抜けて乗車券を購入し改札の奥へと向かう。


 「ど、どこいくの!?」

 「できるだけ遠くのォ! オレだって知らない!」

 「ええぇ!?」


 電車なんてそう利用したことは無かったが、切符を勝手その料金分なら乗れることくらいは知っていた。

 ただ、遠くに出るほど、逃げたく成るほど追い詰められた境遇にいること。環境にいた事を知ってもらいたいだけだ。それの裏付けとなる出来事に成る。

 誰に知ってもらうのか。親か? 学校か? いいや、子は宝だと唄う社会の中の誰かが、この現状に呼びかけをしてくれるだろう。腐った親と学校。何かが変わると信じれば数千円する片道切符に何の重みも感じなかった。


 「終点まで?」

 「あ、ああ」

 「じゃあ、話してくれる?」

 「……うん」


 この相手に自分の弱みを語ることには抵抗があった。妙な意地なのか、年頃の子供が自分を大きなものであると見せつけたいプライドのような何かが話を歪曲させてしまうかもしれない。

だが、もう何もかも捨てる気負いでここに踏み出したのだ。コイツにどう思われようと、自分がおかしいことを知ろうと、もう家と学校の板挟みの毎日が嫌だった。


少年は話した。家が比較的裕福な家庭で育ったこと、父親がある業界では幅を効かせてる人物であること、それをよく思わない人間とその子供が自分に攻撃を加えていたこと、耐えられず自分がアクションを起こせば誰も自分の真意を知ろうともせず頭ごなしに謝罪を要求したことを。こうして逃げ出している自分の弱さのことを。


「大変だね」

「それだけかよ」

 「私と貴方とは違うし、重みも何も分からないもの」

 「……まあ、そうだよな」

 「でも、そんな弱みを他人に話せるって、貴方結構まだ余裕あるんじゃないの?」

 「弱み?」

 「自分はダメな人ですって言ってるかもだけど、ほんとうはそう思っていないみたいな」


 終点までまだ遠いが、今乗っている電車はそこまでということで乗り換えを駅員から言い渡される二人。次の電車を待ちながら二人が口を空けることは無かった。


 乗り換えで乗る電車に乗る時に、少年の横でその人物は言った。


 「自由になりたい?」

 「オレを縛り付けるソレが無くなればそれでいいんだ」

 「線引が難しいね」

 「親と学校が死ねばいいんだ。金だとかなんだとか、飯食わせてもらってる分際じゃできないけどな」

 「仮に殺せたとしても、今度は世間が貴方を縛り付ける」

 「犯罪者の烙印を押されて底辺の生活を押し付けられて絞られるだけだ」


 向かい合っての席でなく、横に並んだ席に二人は座った。少年の顔は高揚を見せることもなく、かと言って悲哀に満ちたものでも無かった。虚脱したかのような生気。細く乾いた視線をリノリウムの床に向けて静止しているだけであった。


 「そういや、貴方の名前は?」

 「名前?」


 横を向く少年。瞳には黒髪のその子がぎこちない微笑みで小首を傾げている。


 「そう、名前」

 「そういや言ってなかったっけ。オレの名前は──」


 そのときだった。車内に衝撃が走り、電灯がまばゆく点滅した。振動に体を弾き飛ばされ、頭部をガラス戸に打ち付け瞬間、意識が飛ぶ。

 飛蚊が舞うような灰色の視界。その中に、赤黒く変色した見覚えのある肉塊が、歪んだ金属壁に挟まれているのを捉え、長時間を飛ばすことになる。


 地下鉄に直撃した地震だ。救出された時、少年は防寒用シートを身にまとい見知らぬ大人たちに囲まれていた。


 「鴉丸さんのお子さん、居ましたよ!」


 聞き覚えの無い声が少年の名字を呼ぶ。誰に。思考が回られればそれは自分の親への呼びかけということに気がつく。

 確信した時には足を叱咤させ飛び出そうとしていた。だが、激痛により再び転んだ。冷たいコンクリートと夜風。暗色の雲から透けて灯る月の光。


 「なんで逃げ出したんだ?」


 背後で呼びかけるのは男の声だ。何度も鼓膜に捉え、脳裏に手を挙げて蘇る人物。


 「アンタが殴り、追い回すからだろ」

 「嫌なことがあればそうやって逃げるのか?」

 「アンタは自分が嫌われてることに気が付きもしないのな」

 「お前が直さないからな」

 「テメェが直さねえからこうなってんだろうがッ!」


 夜空に吠える少年。その眼には涙が溢れ出ていた。

 後に耳にしたのは死亡者十数人、行方不明者数人。あの人物の名前を聞き忘れていた少年は、ひたすらに悔やんだ。関係者にその容姿を伝えたが、それらしい人物は見つかって居ないこと言うこと。

 また、例の公園の近くで居たということだが、付近では子供を失った親の話しを耳にしたこともなかった。


 だが、一つ少年の中で教訓として残ったことは「己の意思を表出する意味は無い」ということだった。

 学校では悲劇の主人公と言われ、家族からは例の事件以降極端に拘束され、自由を失った。変わらない日常。変わらない扱い。

 何より、自分の意思で人を殺した事実が彼を孤独の道へと縛り付ける決定的なモノとなった。


 そして、その生活に適応するため己の意思を捨てた。自分の考えが現実と摩擦する苦痛を捨てるための術だった。


 中学校に上がった時、担任の教師に少年が告げた相談は進路についてだった。向上心のある子だと教師は関心の声を漏らしたが、そう言われた少年の表情は何一つ変わらなかった。


「できるだけ遠く、この学校卒業から行ける高校はありますか?」


 生き抜くための乾いた視線。細く息を飲んで──


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