初界穿の翼
皆がしてないことをする自分。そんなことに価値が無いことを知ったのは十代に回ったか回らなかったかの時だった。
「ぶっちゃけ寒いよな」
「笑ってあげてるってわからないやつって居る」
学校に忘れた宿題を取りに行った時だった。放課後の校舎で、いつも自分が馬鹿をして笑わせていたクラスメイトがそう言っていた。体を張ったユーモアが周囲を楽しませていると思ったが、そうでない現実を知る。
「一応取締役の息子だった……か?」
「七光って言うらしいじゃん。自分で何もしないのに、したり顔の奴。ああいうの言うんだろう」
「あ、アイツ」
教室の扉の隙間。そこから覗く少年を見たクラスメイト達は声を上げる。
少年は深く沈み込む虚無感を噛み締めて駆け出していった。行く宛はない。
「鴉丸……もしかして俺ら先生らに怒られる?」
「知らん。まあ事実なんだし、そう思ってるのもいっぱいいるっしょ。思われてたら終わり。先生だろうが、大人だろうがどう言おうがアイツに対する見方を変えることは無いと思うけど」
「そんなもんだよな!」
実家付近の公園で泣きじゃくっていたら、弟が父親を連れてやってきた。
「取るべきものは取ってきたのか?」
「取ってきてない」
「なんでだ?」
「……」
「黙るなよ。聞いてるんだから答えろ」
親が強く言い放つが、少年は目線をそらしたまま口を紡ぐ。それを見て、親は少年の襟首を掴み上げ、少年をつま先立ちにさせた。
「しゃべらないのなら、こっちにも手があるんだけど、良いのか?」
「……みんなが悪口言ってたから」
「は?」
「みんなが俺の悪口を言っていて、教室入れなかった」
「そんなことかよ」
少年を投げ落とすように、襟首を離す父親。
「お前のするべきことは何だ?」
「……」
「ただでさえ成績も悪いお前に、足りてない部分を補う部分は何だ!?」
「勉強して賢くなる」
「じゃあなんでそれが必要って分かっていてしなかったんだ?」
「……だ、だから」
「周りが悪口言ってたから? お前を嫌っている連中が居たから? お前は必要なことすら手放してこうしてイジケて公園にでも屯するつもりか!?」
「そ、そんなんじゃ」
「でも、こうして居るってことはそうなんだよなぁ?」
「……う、うん。そうなる」
「弱すぎなんだよ。ったく。意味もなく虐めて来るやつなんて社会じゃ幾らでも居るんだよ。その度こうしてちゃ話にもならねえだろ」
「……」
怒りなのか、然りなのか。まくし立てる父親に頭の上がらない少年は頬を軽く噛みながら祈った。ただ殴られないことを。外だし、殴られる確率は低い。そんな算段を立てながら少年はただ時が過ぎることを祈った。
哀れんで、そして遠巻きに巻き込まれなくて良かったという表情を見せる弟に静かに怒りににた感情を胸にして少年はこらえた。
「で、どうなんだ?」
「……え?」
「だから」
「……」
「聞いてなかったのかよ。ホントに救えないな」
等々父親からの平手が少年の頬を捉えた。夕暮れも過ぎ、青みかかった暗闇が空に降りる。公園にある高い電灯が点き初め、それをぼんやりと少年は眺め一人になっていた。
「キミ帰らないの?」
ベンチで仰向けに空を眺め、涙で頬をふやかせていた少年に呼びかける声があった。
「……見ないでくれよ」
「見ないでって。こんな所に子供一人で泣いてるってヤバイじゃん」
「子供って。お前もだろ」
半泣きで吐き捨て、少年は呼びかける声の主に背中を向けて横になる。高い声だった。
その少年の肩を掴んで自分の方に体を傾かせ、顔を覗かせようとする主。
「やめろッて!」
「泣いてるじゃん!」
「良いだ……ろ」
見たことのない顔立ちをした短髪の子供だった。同年代くらいの人物。少女か少年か。まだ幼く中性的な顔立ちで判別はできない。その判別を行うだけのリソースが脳内に足りてない状態だったのかもしれない。
「また明日これくらいの時間に来るから」
高い声の主はそう言って少年の元から去っていった。
「……勝手にしろ」
少年の涙を染み込んだ鉛色の髪先。月光に艶やかに照らされていた。




