欲の写身 19
「客人もコレにて終了……か。ネストの小粒も恐れおののき、僕に向ける矛先を収めた。悲しいものだな。月影よ」
「……」
ビルの上。晶叢シナツは月詠に語りかけるようにボヤくが返事はない。既に瞼すら開けず、だらりと宙空で浮遊する少女。その肉体は、もはや女児のそれと言っていいほど小さく縮み上がっていた。
対し、肥大するかの如く実態を帯びる影。コンクリートの足場や外壁を振動させる鼓動のような衝撃が一帯に規則正しく響く。
眼下に広がる街は壊滅していた。もはや空か地かの境目すら見えない闇の中。ただ光を上げるのは街灯ではなく、火炎。黒鉛の中に鈍鈍しく光るそれは、まるで溶岩の灯火のようだ。
「おや?」
屋上につながる出入り口。音を立てて現れたのは黒い外套の男だった。長身。しかし、ありふれた何処にでも居る男にしか晶叢は見えず、興味を沸かすことは無かった。
「ネストかい?」
「そうだ」
「僕の企みを拒まないのなら、特別に命は見逃すよ。早く去るんだ。危ないからね」
「危なくても、逃げ出す訳にはいないんだ」
外套の男は低い声色だが強くそう言い放った。
緘黙で苦難がシワに刻み込まれたかのような顔立ちの男。短い黒髪が夜暗で小さく揺れる。
「応援を読んだ。いや、あいつが行くと言っていた。だから横した」
「それは誰だい」
「勝ってな男だ」
「なるほど。で、キミは? 見た感じ、やり手とは思わないが」
「確かにアンタの言うとおりだよ。だけどな」
外套を脱ぎ捨てた男。上半身は肌着一枚になり、その隆起した筋肉には深緑の閃光が碑文の如く刻み込まれていた。
「他人任せにして、何もできず死ぬ。それだけは嫌だって、そう覚悟したからだッ!」
駆け出すその男は鬼道ムサシ。緑の曲線が闇を引き裂いて獣の如く晶叢に襲いかかる。
「生憎僕は機嫌が悪い。手加減できないよ」
鬼道を回し蹴りで迎撃しようとする晶叢。それを間一髪の所で屈んで回避し、下段からのアッパーカットを決め込もうとする。筋肉に刻み込まれた雷光が、一層強く光出す。
「貰ったァ!」
「吠えるな」
鬼道が攻撃を開始した時には、そこに対象は居なかった。
低く冷たく言う言葉が、鬼道の鼓膜を捉えた時には紛れも無い殺気が背後を撫でる。
「ッ!?」
赤と青の闇が、渦を巻いて鬼道に叩きつけられた。それは、鬼道の側腹部を捉え、腹膜や筋組織を撒き散らし、せん断された腸が飛散して足場のコンクリートに落ちる。
「かッハ!」
「専門の使い手をまとめた特務機関と聞いたが、まるで幼稚園だ」
這いつくばる鬼道の後頭部を上から踏みつけ晶叢は言う。
「なぜ無駄なことを人はするのか。議論しようじゃないか」
「俺の行いが、無駄だと。そう言いたいのか?」
「この惨状を見て、他に思い当たる節はあるかい?」
血を吐きながら答える鬼道。流れ出る血液。肉体の再生が追いつかず、蓋ができない。段々と視界が霞んでいく感覚があった。
「答えてくれ。こうならない方法ならいくらでもあった。なのに、キミはなぜこうしたんだ?」
「人は何時か死ぬ」
「……?」
胃液か腸液か、それらを含む血を口や鼻から吐き出し鬼道は言う。
「死に方を選べないのは不幸だ。何時か死ぬその時に、俺は俺を許せる死に方を俺はしたい」
「死に方」
「……自分の勝ってを捻じ曲げて、死ぬことだけは嫌だってことだよォォ!!」
その突如、晶叢の眼下で這いつくばる鬼道の体が弾けた。血しぶきが撒き散らされ、骨組織らが晶叢の顔面に向かって飛びかかる。
「クッ!」
咄嗟に、腕を眼前で交差させてそれを防ぐ晶叢。
「!?」
「貰ったァァ!!」
背後からだ。鬼道の声が上がったと思い、晶叢が振り返れば上半身だけの肉塊になった男が拳を振り上げ飛びかかっていた。
「小癪なァ!」
空かさず拳を突き出す晶叢。その拳が鬼道の頬を捉えた時には、己の頬骨を軋ませる熱を感じ取っていた。
「グッ……」
「なんかムカつくその面。一矢報っただけでも十分だ……」
晶叢の拳に止められた鬼道の上半身。筋組織の節々に煌めかせていた深緑の影の強みが潜まり、地に墜落した。
「大した事ない男だ。だが、その非力さを自負しても尚僕に立ち向かったその覚悟と根性。今日合ってきた雑兵の中では経緯に値する」
晶叢が顔にこびりついた血液や漿液を拭き取りながら言う。
「……鬼道」
小さくボヤくその声は月詠だった。閉じた小さな唇を全く動かさず、その隙間からすり抜けるように言われた小さな言葉。
それを聞いた晶叢は、再度鬼道の肉体に視線を下ろした。
「死に方は自分で選ぶ……か」
つぶやきながら晶叢は天を仰いだ。
顎が見えた。巨人の顎。そこから伸びる首と喉骨の凹凸。赤色の光。それが横一線に光っていたと思えば、いくつかは球体を取っていた。
「人間みたいだな」
複数ある眼球の全てが開く。
地獄の門の開放を思わせる鈍く低い音。金属音のような赤子のような、鯨類の鳴き声のような叫びが大地に響き渡り、天の雲を引き裂く。例えるならばアポカリプティックサウンド。
「お目覚めのようじゃないか」
四海臨空のゼフトクリューゲル。そう呼ばれる月影は目覚めた。
産声を上げるかの如く、口を開けば深い紅色の波動が渦巻いており、それらが一点集中し空間を歪めていく。
晶叢の足場のコンクリート片。鬼道から飛び散った肉塊。それらがゆっくりと浮かび上がり、まるで吸い込まれているかの様に口の中へと消えていく。
「引力を形成するほど圧縮されたそれなのか……すごいな」
関心した様に言う晶叢。だが、その顔は普段と変わらない。
「これで終わり……か。結局、他に来る者は居ず」
紅色の閃光が瞬時に止まる。次の瞬間には街に向かって漆黒の柱が突き伸びていた。
激流。それが一本に集約された黙示録の一片。
岸壁を隆起させて数キロメートル先へと弾き飛ばす。大地を穿ち、大穴を空ける。着弾部が蓄積され、ドーム状に膨れ上がり、破裂する。大気を引き裂き、そこに巻き上がるのは茸雲。
肌でそれを受けながらも晶叢は済ませた視線でそこを眺める。
「もう一発だ。ゼフトクリューゲル。滅ぼせ」
再び紅色の閃光が、巨人の口の中に集約し漆黒の球体を集約させていく。
「放てェ!」




