欲の写身 5
薄暗な一室。書類が散らばり、インスタントの紅茶やコーヒーの香りが薄汚れたカップから上がる。
「見慣れない人たちだね」
無精髭を撫でる男はそうぼやく。来客用の湿気たソファには淡いパステルカラーの和服をした金髪ツインテールの少女が座り、その後ろには黒い外套に身を纏い背後で腕組みをしてピシャリと建つ男たちが居た。
「君のようなマトモなネストが、端くれの僕なんかに会いに来るとは」
「ふん。他にアテが無かっただけだ。だれがこんなかび臭い所に来るか」
「それは結構」
足組をする少女は口元を尖らせながら周囲を一瞥する。ホコリの被った一帯と床、食具。喘息を持つ人間ならば、入出した途端に流涙が止まらないだろう。
「状況は?」
「西の半島の海中ラボが何者かに襲撃されてから『四海臨空のゼフトクリューゲル』の反応の喪失。日夜監査してるが見当たらない。そして、増え続ける『糸吊ブラックラスプ』という人間だか何なのかの影力反応があるだけだ」
「なるほど。僕の監視した範囲でも似たような名前が浮かび上がるだけだ」
「糸吊ブラックラスプは分散してるのか?」
「うーん。どうだろうね。ただ、ネストが捉えた被験体の中に、同質の『内包影力』が確認されていない。人の模倣を作る能力……江ノ島コウジがそうだったが、また別のケースでは違う」
「それはどういう?」
「全く別の影力なはずだが、マスキングされている。僕はそう睨んでるよ」
赤茶けた底をしたカップを手に取り、コグネはその中身を啜った。
「何のために?」
「さあ。僕にはそれは分からない。ただ、意図して『本来ある影』にマスキングを行える奴が居るのだとしたら、見つからない『四海臨空のゼフトクリューゲル』の反応もその先に隠されているんじゃないかい?」
「虱潰しにしろだと?」
「本来、影の始末なんてそんなもんさ。目立って表を出歩けないから影を歩く。こちらも見つけるしか無い。僕達みたいに『街を見渡す眼の影』が無い者は皆そうしてる。索敵型だの監査型だのの影使いからしたらあまり想像できないけどね」
「……」
押し黙るその少女、エステライトは死線を下げ薄汚れたカップを見つめる。湯気を立てるが外気は夏だ。とても啜る気にはなれない。
現在、こうして観測型の影使いが落ち合っているのには理由があった。消えた四海臨空の骸。そして、その反応。増え続ける糸吊ブラックラスプの反応と、桃城レンカを殺害した犯人。ネストの中でもこの区域を任された人員は何かに駆られるようにして街を奔走している最中だ。
「まあ、僕も協力はする。『デザイナーズ』なんて用済みに慣れば処分されてしまうからね。僕としてもうら若き少女がそうやって大人の都合で殺されるのなんて好きじゃない」
「案外優しいのね」
「実力主義なことは譲らないよ。こうして、僕の元にやってきてくれるだけでもありがたい限りだ。次合う時には小言の2、3コ付き合ってもらいたいな」
「あまり押し付けがましい男は好きじゃないの」
「なら他を当たろう」
コグネがそう言ってカップの中身を飲み干し、膝に肘を付く。そして指組。その様子で硬直する姿をみたエステライトは周囲の外套の男たちに目配せをして席を立った。木造の床から、重々しい皮の靴の音が上がる。
「そういや、ブラックラスプ以外でも面白い反応があることは知ってるかい?」
コグネが思い出したかのようにそう言ってエステライトの背中に呼びかけた。
「何? それは」
「『荊棘裁ルフスレイン』……そいつが街に時々浮かび上がるんだ」
「それって──」
「さあ。金にはならないし報告も無い。僕は追わないけど、君たちはご自由に」
「……」
重々しく閉まる扉の音。静寂の部屋でコグネは無精髭をなでながら、また独りだなとぼやいて下膳を行うため腰を上げた。




