業と力 22
『本日、西の半島付近で起きたと考えられる地震ですが、原因はまだ不明とのことです。専門家の意見は、地盤の変化と考える説が一般的とのことです』
揺れる車内。鉄の長箱。
日中の電車は空いている。鴉丸と月詠のその二人以外に、年の近い男女が居ることも無い。そして、二人も口を閉ざしたまま、ただ今から向かうその場所とその先に視線を見据えいていた。
夜はあんなに賑わう繁華街も静まり返り、往来を行き来するのは今から数時間後に始まる本日の細やかな宴のための買出人。閉まりきったガレージ。道の隅で袋を突く烏。
不潔な路地裏をゆく鴉丸。覚えているその道筋と、次第に高鳴る鼓動。何も言わない月詠の表情も秒を負うごとに神妙になってゆく。
「『高層区A-』……」
ローカル系雑誌にも載せられていたオカルトの一帯。かつては海外組織の能力者マフィアの抗争の場となったと言われる街の死角。止まった噴水、ヒビ割れた煉瓦の足場。整地はされており、継ぎ目内コンクリートだけの地面には、以前血しぶきがあったはずだ。
「以前お前と出会ったところだ。今日はここで、今日のところの決着をつけるぞ」
「何のつもり? わざわざこんな所を場所に選んで。懺悔?」
「……」
ネクタイを外し、首を鳴らす鴉丸はその椎骨の余韻に数秒浸った後瞼を開ける。
「もとより、俺はお前に殺されるため生きていたのかもしれない」
「……何、言い出すの?」
「いつか滅びるこの身体。自分の価値を見いだせない人間は、常に自分を否定しながら生き続けなければならない。ツメを噛みながら他者の幸福を眺めるだけの人生。心を荒ませて命を繋ぐためだけに血を滾らせる。そんな生き方しかできない存在に、終止符を打つ者を求めていたのかもしれない」
手首を捻ってまた、パキパキと骨を軋ませる。準備運動をいつもどおり飄々と行う鴉丸の動作は至って以前通り。そう目で捉えている月詠だが、鼓膜はそんな元来の波動を捉えては居なかった。
真に迫る様な、押し寄せる圧。空虚で、捨てるもののない特攻に質量が伴ったような幻影が脳裏を過ぎった。
「手を抜いているつもりはない。でも、今日はマジでやりにいく。死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。でも、もしものことを考えたならば、俺はお前にここで殺されたい」
「……何時にもないよ? どうしたの、そんな弱気……で」
「さあな。ちょっと構って居られる時間が無かったから、関わり方を忘れていたのかもしれない」
肩を回しながら鴉丸はそう言って、直立する月詠を睨んだ。殺意に対抗して正面から激突する殺意。
銀色の旋風が少女の周囲から巻き起こった。片翼を生やし、片腕を異形の物に変化させた月詠は何か伝えようとして口を開くが、それは文を紡ぎだすことはなかった。
「やろっか」
「きやがれ」
衝撃が走った頃にはまた地面にクレーターの如くひび割れが入っていた。
鴉丸の拳は間違いなく月詠の頬にめり込んでおり、月詠の拳も鴉丸の頬の横、寸前のところで薄い空間に止められていた。クロスカウンターだ。
互いの攻防の結果に対しての追撃と対処は早かった。数秒で数千の殴打と回避の駆け引きの後に、先に一撃を決めたのは鴉丸だった。
月詠の腹部に強烈な蹴りを入れ、上空に弾き飛ばしたかと思えば月詠は翼を展開させて再度直下する。
上空からの鋭い一撃の回避を行った鴉丸だが、その凄まじい突風に体勢を崩した。そこを見逃す月詠ではない。上腕から銀色に光るブレードを展開させて、それを鴉丸目掛けて振りぬく。
切り飛ばされる腕。虚空を舞う鮮血。
ポタリポタリとそれが地面に飛散した時には、鴉丸は断面から青黒い影で腕を型取り月詠への反撃を行っていた。
そんな攻防が幾度と無く続いた先には、双方は互いに人外に近い形質へと変化を遂げていた。
鴉丸は片腕から片胸。首と頭を人間のままに残し、それ以外は影で身体を型取り月詠と対峙している。
対して月詠は、以前に『銀咲のハウライト』と呼ばれたソレとほぼ同じ形質となっていた。鳥人を思わせる体躯。巨大な翼。羽角を思わせるものが二つ伸びる東武から、異形の物とも言える声がまだ、月詠という人物を思わせる言葉遣いで鴉丸に語りかけていた。
「……どうしたんだァ!? その力ァ!」
既に余裕のなくなってきている声色だった。月詠サラクの──銀咲のハウライトの中には間違いなく確信とまであった認識があった。
単純なポテンシャルは自分の方が強い。幾度と無く刺客として現れた黒い外套の影使い達。確かに実力者も居た。だが、最後に勝つのは自分だった。
鴉丸もそうだ。力は確かに強い。出力は確かに今までと比べて並ぶものなど居ない。でも、それまでだ。今まで戦ってきた人間と同じで、勝つまでの道を一飛びできないだけで、いつかは勝てる。──いつか殺せる。
間違いなくあったその確信が揺らぎ、同時にその強くそびえる一本の塔を揺らした物に警戒と脅威だけが身体の中心から熱を持って溢れ出してきそうだった。
「力……か」
「何をほざいた事言ってやがるッ!」
鴉丸がそう漏らした途端、飛び込んだのは銀咲の月影だった。
振りぬかれた太い腕の一撃。だが、その拳も鴉丸の肌に触れること無く寸前の空間がせき止めていた。
「小賢しい真似をォォ!!」
そう吠えて、逆の腕による追撃が鴉丸を捉えようとした。
寸前のところでそれは遅かった。
既に反撃の身構えと意識に偏りを持たせていた鴉丸。人のソレでない部分から伸びる、蒼黒に煌めく槍の様な影。その衝撃が銀咲の腹部を捉えて迎撃した。
「ッッ!?」
モロにそれを受けて身体に風穴を開ける銀咲。弾き飛ばされて既に半分を瓦礫の山と化した雑居ビルのそこへと身体をめり込ませる。
空かさず飛び込む鴉丸。反撃の余地も許さない音速の踏み込み。
「お前にしかできないと思ってるんじゃねェぞォォォ!」
銀咲は胸の前で腕を交差させる。途端に出現する艶めき。球体を思わせる膜が空間に展開される。
しかし、鴉丸の振りぬいていた腕には、月詠の予想と合致するものでは無かった。荒々しく影を纏わせた力任せの一撃。それを防ぐはずだったが、彼の腕に纏わりついていたものは無数に輝く蒼黒の粒子。
「フン!」
銀咲の意識する殴打から一瞬送れて、鴉丸は腕を振りぬいた。粒子が触れた途端、膜を腐食させるかの如く、風穴を開けていく。次第にその小さな風穴は一つの歪な大穴となり、鴉丸の次なる行動を許していた。
「ガッハッ!」
月詠の取った防御手段。それが破られ意図しない被弾は想像のそれを超える。
生身だけの攻撃とは言え、力任せに振りかぶった腕の一撃。その衝撃波一帯に地割れを起こし、大気を震わせることなど容易い物だった。
当然、鴉丸はその衝撃で上空に跳ね飛ばされた。だが、直下するそこには銀咲の月影。
「来やがれッ!!」
「そうなんども同じ手にかかると思うなよォッ!」
さっきの防御手段が使えなくなったからどうということは無い。
そう、遅れたのだ。あの攻撃を行おうと思えばワンテンポ遅れる。
銀咲は3対ある翼を展開し、その翼に光を集めた。その瞬間、乱射される光の閃光。細く空を切るワイヤーの様な銀の光全てが、自然落下運動に身を任せて銀咲を狙う鴉丸に振りかかる。
被弾している。だが、それも最小限。蒼黒の稲妻を巻き上げて強烈な圧を解き放つ鴉丸の腕と、胸や頭を含めたその部分を射抜くことはない。
射撃を行った反動で身を動かせない銀咲。間に合わない。脳裏にそう浮かんで、そして銀咲はそう浮かんだと同時に勝算を脳裏で掴みとった。
かつて彼の言った言葉、そして今までの振る舞い。
『お前は俺に似て──』
私がそう思っているんなら、相手もそう思っている。分かり合ったから。孤独を嫌ってこうして二人で殺しあって生きてきた仲なのだから。
「貰ったァ!」
「此処だァ! 遅えんだよッ!」
鴉丸の一撃が、鴉丸に打ち込まれる寸前。ほんの少しだけ、翼に貯めていた光で銀咲は鴉丸の迎撃を試みた。
反動で僅かに行動が遅れる銀咲。だが、鴉丸も遅れる。膜がある限り攻撃は通さない。鴉丸も、それをしていた。だからこそ防御の大切さを十分に分かり認識している。
だからこそ、してくると。
身を任せて光を解き放つが、認識をした時にはそのワイヤーめいた光は上空の雲を貫いて螺旋状の風穴を空けていた。
「!?」
「ふぅ……そんな風に暴れてくると思ったぜ。あんなのを見たらな」
またしても、敗れる銀咲──月詠。鳥人めいた異形の姿を解いて、少女の外見となった彼女の頬には敗北の痛みだけが骨に伝わっていた。
「今回のところも俺の勝ちだ。殺したがりの衝動も十分吐き出せたか?」
「そんな力……どこで手に入れて?」
拳で頬を押さえつけられたままで、月詠はモゴモゴとそう言う。
「力……か。力でも何でもない。お前の今ままで知るありのままの俺だ。違うとしたら、業と力だ」
「なにそれ」
「人間らしく、小賢しくやったまでだ」
鴉丸がその拳を引き抜くと同時に、自分の下でくたばる月詠へと手を伸ばした。
「どうした?」
その手を月詠は一向に取ろうとはしない。肩で呼吸しながら胸郭を上下させたままそっぽを向いて視線すら鴉丸に合わせようとはしなかった。
「殺したら?」
そう漏らす月詠。頬には水滴が一つ伝っていた。
「……」
「もういいじゃん。スイレンには新しい居場所があるみたいなんだし、ずっと構って貰えないし、いつの間にか戦闘も別人みたいになっているし……もう、私に縛られるのも億劫なんでしょ?」
「……」
鴉丸は一瞬だけ言葉を失ったが、その硬直が溶けた頃には月詠の襟首を掴んで胸の前に掲げ上げる。
「縛られるもクソもない。居場所なんて俺は疎か、そこらの人間にすらない。必死に切り捨てられないように、置いていかれないように何かに食いついて今を生きていやがる」
「じゃあ……!」
「だから、俺はお前に食いついて、追いすがって生きてやる。何百回殺せだの離せだの言われようがお前は俺に一生付き合ってもらう。そうじゃなきゃまた──」
「……独りになってしまうから?」
銀色の異形の髪が風に揺れる。昼下がりの光に照らしだされる月詠の潤んだ目元は鴉丸の瞳孔の奥を捉えるように見据えられていた。
「ほんと勝手な男」
「悪かったな。テメェこそ、俺を束縛して、勝手にネグラに踏み込みやがって何様のつもりだ?」
「勝手にしたまでだけど?」
「フン……」
腕を振りほどくと同時に、ぺたんと地面にへたり込む月詠。
なんだかペースが掴めずに下唇を噛み締めながら鴉丸は首裏にボリボリとツメを立てて片膝を付いた。
「俺は強くならなくちゃならねぇんだ。半島のあいつらにも、ネストの連中にも、お前にも負けない位強くならないとならねぇ」
「あ、あいつら?」
「だから約束しろ。もうこんな癇癪みてぇなこと起こすな。殺し合いなら何時だって付きやってやる。人間がなんだかは分からんが、人間らしいことにも付きやってやる。もう、お前は俺にとって……」
「俺にとって……?」
その突如のことだった。無数の黒い影が鴉丸らを取り囲む。
「忠告する! 闇還アヴィタリス! 今直ぐその月影をこちらに渡せ! さもなければ──」
「面倒なのが出やがった」
鴉丸は腰を上げると同時に、月詠へと手を伸ばした。
「こんなのが居るから……な? 分かるだろ?」
「半分くらい」
ハニカミながら鴉丸の手をとって立ち上がる月詠。
取り囲むのはネストの兵力だ。町外れの廃屋街とはいえ、あんな衝撃と轟音を上げ続けていれば嫌でも目に付く。そして、ネストには観測班も居る。
鴉丸の脳裏にはふとあのサイケデリックなミニスカ和服金髪ロリータの顔が思い浮かんで内頬を噛み締めた。
「どうするの?」
「逃げる」
「だろうね」
その短いやり取りの後、鴉丸と月詠は瞬時に跳躍して空の雲の向こうへと消えていった。
後にこの街では黒と白の流れ星が見られるという噂が密かにされる。




