始まりの夜 4
何時もは電車に乗って向かう学都区の郊外。約1時間かけてそこに佇む雑居ビルに着いた時には足が強烈に浮腫んでいる感覚に支配され、鴉丸は今直ぐにでもどこかに腰をおろしてマッサージでもしたい気分だった。
「俺だ。開けてくれ」
古びたビル。その横にとってつけたようにある寂れた足場に登って、鴉丸は扉にノックする。
うーい、と気だるげな引く声が扉の向こうからして、少し待った後扉の端が少し開き、中からボサボサの金髪をして無精髭を生やした男が顔の半分だけ覗かせる。
「上がらせてくれ。幾つか聞きたいことがある」
冷たい視線でそう言う鴉丸に、男は無言で扉を締めた。
「おい! なんで閉めんだよ! 開けろよ!」
「アポを取ってもらわないとこっちも困るんでねぇ。情報屋ってもんは機密性が重要なわけよ」
扉の奥からはそんなこじつけ染みた屁理屈で鴉丸に投げ返される。
錆びた重々しい鉄板をガンガンとつま先で蹴りつけながら鴉丸は開けろ開けろと連呼する。
「機密性とか言う割には、俺が昨夜高層区で狩っていた事バラしてんのは誰だよ。此処ら一帯はお前の管轄じゃないのかよ、コグネェ!」
鴉丸がそう吠えるように言うと、奥から何やら押し黙る気配があった。数秒の硬直。再び扉がゆっくりと開いて、その金髪無精髭男は顔を覗かせて口を開く。
「そうか。それは知っておかなくちゃならない事項だ。上がってくれ。茶を淹れる、ゆっくり話し合いたい」
鴉丸が中に入ったその屋内は、何やら怪しげな雰囲気を纏うダンボールが所狭しと積まれ、書類らが地面に散らばり足の踏み場に困る空間だった。
鴉丸はその部屋には慣れっこであり、書類を踏みにじり、奥の開けた空間にあるソファに座った。無精髭を生やした金髪の男、コグネはティーパックをつまみ出してインスタントの紅茶を作っているらしい。以前、コーヒーのが格好がつくのでは無いかと行った時に、あれは喉に絡まるとよくわからない反論をされたのを鴉丸は覚えている。
「安心してくれ。例え僕がネスト登録済みの正規影使いだろうが、登録されていない君みたいな影使いだろうが、守秘義務は守る。信用は金で買えない財産だからね。それで、一体何があった?」
妙に底の黒ずんだカップをソファの前にあるガラスのテーブルの上に置くコグネ。
彼には特殊な能力があり、大まかに言えば『街全体を見渡せる眼』を持っている。鴉丸もそれ以上詳しいことは知らない。
知っていることはこのコグネと呼ばれる男が『月影』と呼ばれる人を襲う異形を討つ影使いの総括組織『ネスト』に登録されている一人で、その『ネスト』からも問題児扱いされ除け者にされている立場が現在ということだ。
ネストの目的は『月影』の殲滅。街の影に隠れ、人の影に隠れ、夜と闇に隠れる『月影』の減数には核兵器を用いて殲滅という大規模な事はできず、やはり人間側としても特殊な技能の人間を用いた少数精鋭で小規模に、虱潰しに周るしか無いというのが現状である。最も現代兵器でダメージを与えるということも難しいのも事実ではあるが。
話は戻るが、このコグネと呼ばれる男はその特殊な技能を使うことで月影の隠れているであろう街のポイントを、ある程度特定が可能であり、その情報をネストの戦闘員に送ることが主な役割として任されてはいる。
しかし、守銭奴なためか、そのネストの隊員より戦闘技能に優れ功績を持って帰る『影使い』にはネストの正規登録員で無くとも情報を与える性質を持つ。
例えばこの春、高校生になった少年『鴉丸スイレン』のような相手にも──
顔をしかめた後に鴉丸は口を開いた。
「同じ高校、日輪第一高等部の同年代っぽい女に一人、同じく同じ学校の上級生らしき男一人、計二人に俺が昨夜例の月影と戦闘をしていることが知られていたらしい。奴らは俺に『なぜネストでないのに』だのどうだの言っていた。口ぶりからするにネストのそれだろう」
「なるほど。ネストから課せられた僕の管轄域はここら学都区と高層区の一部であり、例の戦場は僕の領域だった。他のシマの連中がこちらに茶々を入れることはネストの規定にない。管轄された場所だけを任されるのが基本だ。結果、君はこの僕に、その例の二人が莫大な金でもちらつかせ情報を吐かせた。そう言いたいわけだね?」
「悪いが、そう言っても刺し違えない。しかし、その反応を見る限り、そうでもないみたいだな」
まあ、そうだね。とコグネも紅茶の入ったカップを口元に当てて傾ける。饒舌に語ったのか、喉が渇いたようだ。
「僕もこんなグレーゾーンを歩む身だ。敵も居る。僕と同じ属性を持つ人間にでも告げ口をされて、二人は君を襲った。そうじゃないかな?」
「ホントにそうか?」
「ネストとしても一般人を月影との戦闘に巻き込まないよう規約では決められている。それに、ネストの登録員としてのプライドが『非正規の野良犬』に功績を奪われるのはシャクなんだろう」
「……」
押し黙る鴉丸。コグネのその口ぶりから察するに、どうやら彼が昼間あった『桃城レンカ』と『鬼道ムサシ』に情報は漏らしていない様子だった。
「まあそれは良いや。今日も俺の飯の種をもらおうとここに足を運んだまでだ。何か見つけはしなかったか?」
「うーむ」
鴉丸の問いかけに、コグネは難しい顔をして腕組みをする。唸るように、思考を巡らせ俯く彼は数秒間硬直したまま動かない。
「僕の管轄する一帯ではここ最近、新しい月影の出現は確認されていないね。確認されていない、というと正確には違うが、『金になる骸』ではないね。僕もそんなものを君に教えようとも思わない。おそらく実力の無いネスト正規員が下積みのため狩りの対象にするような雑魚だ」
「そうか」
落胆したように俯く鴉丸。その表情を見てか、コグネはカップに入った赤色の液体を一気に煽ってから口を開く。
「これは僕の推論だけど」
前置きをして、コグネは咳払いをする。
「月影が月影を狩る、という話を聞いたことがある。彼らは人を殺す衝動に従い、四肢を動かし思考を巡らせる。だが、ここ数日ではそれだけではないという見方も出てきている」
「何だそれは?」
「特定の人間を殺すために動く月影。仮にそんな者が居たとしたら、その月影は、他の同族を見た時、どうするだろうね?」
「……」
何やら含んだようなややこしい言い回しだ。ハッキリ言えと鴉丸は言いたかったが、このコグネという男の下で月影を狩り、金を恵んでもらい生活費を補っている身ではそうも強く言えない。
鴉丸は頬を軽く噛み締めながらその推論を聴き終えた後に、重々しく口を開いた。
「雑魚でも何でもいい。そいつの情報を教えてくれ」
「なぜだ?」
「例の『銀咲』……それがもしその推論のそれだとしたら、他の雑魚をつぶしに来るはずだ。──独占のために。だから着けてみる」
黒く深く、冷たく燃える眼の鴉丸に、コグネはため息を一つ漏らしてから仕方ないな、と漏らした。
「ちょっと待っていてくれ。まだ、日課のその時じゃない。別段、決まった時間はないんだけどね。如何せん疲れる。習慣のその時までは待っていてくれ」
コグネは伸びをした後、自分の元にある空になったカップを炊事場に持って行き、その次には書類を取り出して何やら作業を再開したようだ。
ボールペンで必死に書いては、間違ったと言って顔に手をかぶせて唸る。
その光景を見ながら、鴉丸は学校に置いてきたカバン、どうしようかと呑気な思考を巡らせあくびを一つした。