業と力 1
朝日が瞼の上から差し込み、ただ仄暗く赤い景色が視界を塞ぐ。頭は動いているが身体は動いていないような、或いは身体は目覚めているが頭は追いついていないようなそんな微睡みの中、鴉丸スイレンは自分の胸元で細い寝息を立てるぬくもりを感じ取っていた。
白いシーツのシングルベッドの中で鴉丸の首や腰、足に絡みつく柔肌を持つそれは、抱きつく対象の覚醒めを読み取ったのか、一層強く締め付けるようにしてうー、と寝言を漏らす。
細くさらりとした髪質が朝日を帯びて黒く艶めく。
「……」
ドキリとして上体を持ち上げる。慣れない感覚だ。
生物としては別物だが、婚前の異性同士が同じ寝台を共にするということには違和感がある。いや、拒否反応がある。だから、自分だけ一人床で寝てみたり、座椅子とタオルケットを用いてみたりをしてみたが、幾らお前は一人ベッドで寝ろと鴉丸は促したとしてもその少女、月詠サラクはそうはいかず何度も鴉丸の首を腕で締めつけ、足で身体にまとわりついて熟睡に浸っていた。
最近は諦めたのか、鴉丸はもう勝手にしろと言い放ち、この少女が貸家に住み着く前に使っていたベッドで横になって朝を迎えるのが常になっていた。気がつけば月詠が掛け布団の中に入っている。
「おはよう、スイレン。よく眠れた?」
「……おう」
屈託のない微笑みで起床を告げる言葉を月詠は告げるが、鴉丸は仏頂面で応対し自分の体幹に絡みつく少女の手足を引き剥がした。
悪い気ではないが慣れない感覚に、なぜ何時も寝台にやって来るのかと聞いたことがある。すると彼女は「私は多分生まれて間もないから。それくらいの赤子って抱き癖とかあるもんじゃん?」とはぐらかすように微笑んで答えた。
その後、キッチンにてトースターに食パンを2つ投入し、平行してフライパンにオリーブオイルを塗りたくり、その上にベーコンを敷いて卵を二つ投入した。
ジュウジュウと油が熱しられ、ベーコンが焦げ付くまでの音。黄身が固まっていく過程。油が周囲にはねないように蓋をした後に、電気ポッドで湯を沸かす。
ポッドの中の熱湯をカップにいれ、その中にインスタントのコーヒー粉を混ぜあわせる。湯気を立てるカップが二つと、二つの皿を部屋の中央にある机に運ぶ鴉丸。その頃には机の前で座椅子を使い、目を擦りながらあくびを連発する月詠があった。寝癖を直すように髪の中に指を入れては手櫛のように直すしぐさをして待っていた。
「いただきます」
一度コーヒーを啜って乾いた口腔を湿らそうとカップを傾ける月詠だが、熱いと舌先を歯と歯の間から突き出してうなだれている。
それを尻目に、鴉丸はトーストとベーコンを前歯で噛み切り咀嚼していた。
「今日は創立記念日だとかで学校休みなんだっけ?」
「まあ、そうだな」
普通に飯を食うだけの姿を見ておけば、月詠も普通の人間のそれと変わらないように鴉丸の瞳には映る。そんな朝食を頬張る少女を眺めていた時にそう言われた時のことだった。
「あそこ行く? レンサ・ブリッジだっけ?」
「いや、すまん。それは出来ない。行く宛がある」
「何々? 彼女?」
茶化すように笑う月詠には違う、と低く告げて鴉丸はカップの中のコーヒーを二口ほど飲んだ後口を開く。
「近郊報告も兼ねて、金蔓に顔出しに行かなくちゃならない」
「今日じゃないと駄目なの?」
「監視役だ。桃城やら鬼道とやらも今日は特殊な招集に行っているとかでな。自由に動けるのはなかなか無い」
「へぇ。やましい事でもあるんだ。こんな朝早くに出かけるなんて」
ニマニマと鴉丸を見つめる月詠。やましい事と言えばそうかもな、と反逆の意思を見せずに鴉丸は続ける。何かここで気の触れるような仕草を見せた場合は、また面倒なからかいに付き合わされることを予期したからだった。
「まあ、お前一人で外にだすことも色々とリスクが付き纏って出来ない。悪いけど部屋でダラダラしておいてくれ。帰ってくる時間は分からんが」
「……はーい。退屈しておきまーす」
鴉丸がそう告げて、月詠が返す。それ以降二人は会話をすること無く、トーストをかき込むように平らげて、既に人肌程度の温度になっているコーヒーでそれらを流しこんだ。
部屋着を着替えて、いつもの白のワイシャツと深い藍色のジーンズを纏う鴉丸は、部屋の隅の本棚から文庫本を取り出して三角座りで読書にふける月詠の姿をとらえた。
人を知るには本が良い。と言って最近では読書が趣味だそうだ。人の文字は読めるのか、と鴉丸は問うことがあった。帰ってきた返事は「スイレンを殺すために有効に働く技能というものは身についているの」という物だった。
コテン、と三角座りのまま横に倒れる月詠の姿を尻目に鴉丸は財布と携帯端末を身につけ玄関に向かった。
「じゃあ、退屈だろうけれど大人しく頼むぞ」
「はーい。そういえばこの国では、毎朝男女が送迎の口吻とかするって聞くんだけど、スイレンは……」
「……行ってくる」
「行ってこい」
玄関を開けて、その先に踏み出し鍵を締めてから鴉丸は端末を取り出して着信履歴を確認する。
一件一件の日がバラバラに空いたその着信履歴の中で、これだっと捉えたその数字配列の欄をタップした。
「コグネか? いきなりで悪いが今からそっちに行けるか?」




