人は皆消すべきなんだ 14
鬼道がそのビルの上階にたどり着いた時には二つの蒼炎が稲妻のように閃光を描いて飛び回っていた。空を切って衝突しあう二つの青の光が夜闇に尾を引く。
その中心で乾いた高笑いをするメガネの男。報告にあった、糸吊ブラックラスプのそれだと鬼道は判断する。
「ネスト第7機動小隊の者だ。同行を願う」
「……君は、あの時の……」
口角を歪め、口が裂けかけるのではないかと思うほど、そのメガネの男は不敵な笑いを浮かべた。痩せこけた浮浪者のような頬、隈の濃い目元。痩せたその身体つきを見たところ、自分のそれと比較して肉弾戦では負けることはないだろう。だが、そんな弱々しい体格をした人間に、鬼道は今身震いを抑えきれないでいた。
「あの時とはなんだ! 大人しく着いて来いッ!」
「着いて行くものものか。どうせ地下牢だのなんだのにぶち込んで拷問まがいの屈辱を追わせるだけだろう! 何が! 僕の何がいけないんだ!」
「……ッ!」
話が通じないと判断した鬼道は一気に駆け抜ける。筋繊維に伝う緑色の発光線。鬼道の影が体中に張り巡らされ、既に戦闘態勢に入って駆け出していた。
「そうやって会話をしようともしないッ! 自分たちの行動に後ろめたさがあるから! 本当のことを言われれば、自分で立っても居られないからそうなるんだよお前たち人間はッ!」
鬼道の太い腕が振りぬかれ、一気に男の頬めがけて一閃するが、それは頬の感触を捉えること無く静止する。
黒い粒子が渦巻き、殴打をせき止めた。やがてそれは人の形を取って、まるで生きた人と同じ姿を象る。黒い外套を纏った、屈強な身体つきの厳しい顔つきの男。
「力で何でもかんでも解決するのでなく、自分と対話をしてみるがいいッ! それすらも有耶無耶にして今まで生きてきた! だから自分という者がないんだッ! 周囲に合わせてやせ我慢だけを覚える共通の精神体! 空っぽだ! そんな空白がこの世界を埋め尽くすッ! たまたま手に入れた才能や富、名声や立場を利用して少数派というだけで弱者のレッテルを張られた人たちを食い物にするんだッ!」
饒舌に吠える男の細い腕による殴打が鬼道の喉元を捉えた。細い腕で、筋肉質でもなんでもない華奢な一撃に、普段ならどうもしないはずの鬼道だが、影による身体強化のそれなのか、激痛と嗚咽感に怯んでしまう。
次に鬼道の腹部にめり込む巨大な異物感は身体をふっとばすほどの一撃だった。いつも自分が、影や外敵となるものに打ち込んでいる拳。自分を模したそのメガネの男の影がすかさず、鋭いソバットで鬼道を追撃し、ビルの端まで鬼道は吹き飛ばされた。
吐血と筋繊維を断裂させて漏れ出る血しぶき。じっとしていれば影による促進された自然治癒能力でどうにかなりそうではあった、しかし、今自分の目の前に居る、自分と同じ外見をしたそれに、どうやら回復を待ってくれそうにないことを鬼道は悟る。
自分の模倣に、襟首を掴まれて宙空に浮かび上がらせる鬼道。四肢をばたつかせて暴れる気迫すらそこには無かった。ただドロのように脱力しようとする身体がふわりとビルのコンクリートの上に浮かぶ。
後ろからその影の主であるメガネの男がやってきた。細めた目つきから紛れも無く強い殺気を放ったまま歩み寄る男は、一つ咳払いをして口を開いた。
「群れることに価値はあったか?」
低く言い放つ男。鬼道はただ沈黙して飛びそうになっている意識を強く持とうとするが、口が動かない。
男は黒い粒子を両腕に纏わせて、鬼道の後ろにある鉄格子の柵に指を絡ませる。その次の瞬間に、それらを一気に両腕を振りぬき、格子に巨大な風穴を空けた。縦2メートル、横幅1メートルほどの穴。
押し黙る鬼道の襟首を掴んだまま、影はそのまま前進し、その穴を潜る。
その時には既に鬼道の足先から下は、断崖の外だ。眼下に広がる車道や街灯が遠く、小さく瞬くそんな景色。
「……分からない」
ひねり出すように鬼道は言う。黒コートの裾が、夜のしっとりとした空気に煽られて揺らめく。
「僕を打ち倒すことに意味はあるかい?」
「分からない」
「この世に生きる価値はあるかい?」
「分からない」
「自分自身に打ち勝てず、力量もわからないままこうして打ちのめされている君の未来に、意義なんてあるかい?」
「……」
鬼道は思考を巡らせる。今、自分にとって死がそこにあるという現実に、気が気で無かったが、驚くほどどこか冷静な自分が居た。
力を手に入れたのは約一年前。自分を救い出してくれた年も近い少女に、何か答えたくて己を磨き上げてきた気になっていた。自分が今ある命のために、散っていった先輩にあたる、今は亡きネストの人たち。何か結果が出したくて、何か物事を成し遂げたくて、今までこうして生きていた。
だが、何も救い出すことは出来ず、自分と同じ形をしたまがい物の影にも負けて、更には一般人一人すら救えず、その人物は片足を失って生死の境目に居る。
霞む視界、遠くなる聴覚。麻酔でもかかったようにブヨブヨと浮遊するような皮膚と皮下の感覚。自分というものが、限りなく小さくなって凝集されるような実感。
「無──」
捻り出すように、己の否定を言おうとした時だった。突如鬼道のその奥、ビルの中心に突き落ちる青黒い落雷めいた衝撃が走る。
「……!?」
メガネの男は驚くようにして振り返る。そこにあったのは、クレーターの様に凹むビルのコンクリートに、鉛色の髪色をした頭を押し付ける、鉛色の髪色をした人物だった。白色のシャツは所々破けるようにして穴が空き、ジーンズには土埃が刷り込まれていた。
「ったく。俺と同等の力を出せると言うのは大したもんだ。だが、成長速度までは真似れないようだな猿真似野郎」
口元に伝う血を拭ってから、その男、鴉丸スイレンは自分と同じ姿をしたそれを押さえつける腕に意識を集中させる。青黒い稲妻のような影が集約して暗く輝き出す。その次の瞬間には、轟音と瓦礫を巻き上げて、鴉丸の模倣は消滅した。
「鬼道ッ!」
呆気にとられるようにして硬直するメガネの男に目もくれず、鴉丸は吠えるように言う。夜闇に伝わる声が、鬼道の遠くなりかけた鼓膜を打ち震わす。
「お前の価値はお前で決めろ。他人の意味もお前が決めろ。その男の意義もお前が決めろ。自分の辿ってきた道を否定するも肯定するもお前の勝手だ。──だが、それを決めるのは俺やそのメガネじゃない。お前の意思だ。……お前自身は、一体どうしたいんだッ!?」
宙空で揺られる鬼道は、その言葉に思考を途絶えさす他なかった。自分を否定する他者。自分を突き放すように現れる道標。結果。どれも、全て自分の意思のもたらした結果だ。
「ネストに従属して、意味があったと思っていた。だが、違っていた。誰一人救えず、誰一人咎める事もできず! 自分さえも倒すことさえ出来ない影使い……一体この先、何を成し遂げられるんだ!」
「結果じゃねえよ。お前のしてきた過程に、お前そのものの意思の介在はしてこなかったのか?」
最後の生存本能に任せて、己の意思を吠えるように伝える鬼道だが、鴉丸の返答は冷静だった。
「貴様ッ! 何を言っている!」
メガネの男は黒い粒子を纏った四肢で跳躍し、鴉丸の方向めがけて飛びかかるが、宙空に浮かんだその男の頭を鴉丸はアイアンクローの如く掴みあげて地面に叩きつける。
「グフッ……! クソがッ! 自分の無力さを知らないガキ風情に! 俺の! 人の何がわかる!」
「知るかよ。何だよ人の意味だの意義だの、十代そこらのガキに聞く質問じゃねーだろ」
屈んだ鴉丸が細めた目でそう漏らした。そのまま足で、コンクリートにめり込むメガネの男の後頭部を押さえつけた鴉丸はスクッと立ち上がり、鬼道浮かぶビルの外に視線を向けて口を開く。
「ここで死ぬのもお前の勝手だ。俺にとっちゃ、年の近い男が目の前で死んでもトラウマにも何にもなりやしない。お前の好きにすればいい。無力な人間に意味なんてないとでも思えば、そのままビルの下にでも落っこちて、才ある来世にでも生まれ変わるお祈りでもすればいい」
「……」
「もう一度聞く。お前の意思は何なんだ?」
鴉丸の力強く放たれる言葉に、鬼道は唾を飲んで言葉を出そうとする。乾ききった口腔や咽頭。捻り出すことさえ苦痛の伴う感覚だが、それだけは伝えなければと鬼道は意識を集中させる。
「──あの人に応えたいッ!」
「お前だけでも死ねェェェーーーーーッッッ!!!」
メガネの男がそう吠えると同時に、鬼道の格好を模した影の拳が緩む。同時に、自然落下運動に任せてビルに対して平行に落ちる鬼道。引かれるようそこにあるのは紛れも無い地面だった。
その瞬間、一気に鴉丸はかけ出した。力強く踏ん張ってメガネの男をコンクリートに更にめり込ませ、眼前に立ち尽くす鬼道の模倣を青黒い稲妻で引き裂き、ビルの端から一気に飛び出す。
同時に、身体を前方に回転させて、ビルの壁面に着地して弾丸の様に駆け抜ける。コンクリートに亀裂を上げ、強化ガラスに蜘蛛の巣めいたヒビを入れ、宙空を引き裂く青黒い稲妻が鴉丸の下肢から火花のように巻き上がるッ!
「……ッ!」
地上までは数秒もかからない。足の下に広がるのはこのビルの4階か3階だろう。
鴉丸は振りかぶった腕で一気に振りぬき、地面めがけて脳天から落ちようとする鬼道の足首を捉えた。
「……上出来だ」
ビルの外壁に片腕と片足を突き刺し、ひっかくようにしてガリガリとコンクリートを削る。勢いが止まった時には、鬼道は地上から十数センチの位置で宙吊りになっていた。
「……!? これは?」
慌てふためいた様にキョロキョロと周囲を見渡す鬼道は、その次の瞬間に地面に脳天をぶつけて落下した。死は免れて仰向けになりくたばる鬼道。口から漏れる吐血も、腹部や胸部から漏れる鮮血も今や乾いて固まっている。
ふっと広がった鬼道の視界には、高く天に伸びるビルがそこにあり、そのビルを伝う様にして蒼黒の雷がジグザグに折り返すようにして空に向う景色がそこにあった。
「遅くなったな」
再度、ビル最上階へと身を投げる鴉丸。メガネの男は、地面から顔を引き抜いたのか、膝をつき両手を地面につけて、ただ只管に充血させた目でそこにある小さな穴を見つめる。
「ここで……! ここで終わりかよ!」
メガネの男は、ひび割れたメガネをビル外壁の向こう側に投げ出した。こぼれ落ちる涙と鼻水。震える声をこらえるようにして、再度咆哮めいた声を上げて、その姿勢のまま鴉丸に呼びかける。
「僕の何が行けないんだ! なんで邪魔なんてするんだ! この世には死んでいい人間しか居ない! だから殺すのに! 一刻も早く正しい未来のためのことなのに!」
「別に誰殺そうとお前の勝手だ。知ったこっちゃない。ただ──」
「ただ……なんだ?」
鬼道は手刀の構えをとり、蒼黒い閃光を指先に纏わせてメガネの男の足首に狙いを定める。
「俺と、俺の周りを巻き込むな」
そのまま刃の様に鋭い手刀が、メガネ男の靭帯を切断して鮮血を巻き上げた。
「ッ──!!!」
「後数十秒もすりゃ奴ら(ネスト)が来るだろ。俺にとっちゃそれ以上は関係ない」
吐き捨てる様にそう言った後に、鴉丸は自分の指先についた血を振り払って、ビルの外壁へと身を投げ出した。
メガネの男の視界に最後に写ったのは、夜闇に溶けこむ青い流星が空の向こうに飛んで消えていく景色だった。




