人は皆消すべきなんだ 11
殺戮の夜にも日は昇る。同年代の男女が、春の陽気が過ぎ去りかけ、少しだけ汗ばむ日光を照らし突ける空。街。鬼道ムサシはその厳しい顔をより厳しく歪めて眼前に横たわる女性を眺める。
ただ、法則性のない深いような浅いような呼吸をして、白いシーツの上で横たわるその女性の左下肢は無い。複数の管が身体の中から伸びて、口と鼻を包む酸素マスクの送気音と心機能モニターだけの電子音が病室に響き渡る。
「救えなかった……か?」
鬼道の後ろからそう呼びかけるのは桃城レンカだ。長い黒紙が揺れて、鬼道の横にまで歩み寄りその女性の姿を見下ろす位置で立ち尽くす。
「自分には、この”世界”がむいていないのでしょうか」
「……どうだろうな」
鬼道がひとりごとの様にそう漏らす言葉に、桃城は鬼道の方を見ることもなくそう答えた。
「決めるのはお前だ。だが、”私達”が救ったその生命を、否定するのは勝手な考えだが勧めたくはない」
「否定……」
「ま、それは私の介入するそれではない。表の世界で生きていくも良い。このまま背負い切れない重みが更に乗算されていく中で、自分の中の器に風穴を空けるのも良い。その生き方をして後悔があるとしたら、お前の能力はその程度だったってことだ」
立ちすくむ鬼道は目の前で横たわる重症の人間に、何もすることが出来ない無力感を感じていた。医療者になって誰かを救いたいといったような意思はそこにはない。ただ、自分の能力の無さが招いたこの結果だけに後ろ髪を引かれた感覚が拭えないのだ。
「報告を聞いた。どうやらあの『影』は単体ではないようだな」
「……2体というのは、捌ききれなかった」
前夜のことだった。あの大きなビルの屋上で鬼道は己に覚醒めた影の力を緑色に発光させて、あのOL風の女性を模した影との戦闘を行った。
防衛ということを念頭に置きながらの近接戦となったが、思いの外自分の実力が相手となるそれを上回っていることを確信し、一気にトドメをしようと攻めの意識に転じた時だった。
鬼道の拳による渾身の一撃がその影の頭部にめり込んで消し飛ばした時には一つの悲鳴が上がった。
本能が生命の機器を感じ取った時に呻き出す悲痛の叫び。その方向に鬼道が視線を向けた時には黒い大柄の影が、女性の脚部を手刀の突きにより捉え切断していた。
鮮血が夜空に散って、また一つ鬼道の交感神経をふるいたてる。
瞬時にその影の方向に跳躍して振りかぶった拳の一撃を与えようとしたが、それは太く鍛え上げられた筋肉の集合体めいた上腕のようなものに遮られて止められる。
すかさず蹴りにより相手を吹き飛ばすことに判断を切り替えた鬼道の行動は正しかった。低く鳴り響く乾いた音が夜闇に溶けて消えていく。革製の布製品でも蹴ったかのような乾いた音。
「何が目的だ」
低く言い放つ鬼道の言葉。十数メートルまで吹き飛ばされたその大柄の影は受け身をとった後に、無遠慮な視線を送りながら呻くような音を放つ。
「……ジャマナンダヨ……ジブンノイシガ……タイゲンデキルニンゲンガ……」
「……何だよそれ」
眉を狭めてから鬼道は宙空を勢い良く殴る。拳の形状を模した鋭い真空の衝撃波が影の胴体を捉える。黒い粒子がビルの壁面からもれ、地上から漏れる呑気な街灯などに照らしだされて消えていく。
風穴の空いた影の塊。その頭部と思わしきその部位は、確かに浅黒い肌色をした見慣れたものの形状を象っていた。
自分が鏡の前に立った時に眺める、その顔──
「時間じゃないのか?」
桃城がそう言うと同時に、鬼道はふと我に返る。固く握られた拳が汗ばんでぬめりを帯びている不快感を次に自覚した。
「ああ。この件だけは最後まで見届ける。自分の力だけでは及ばなかったとしても」
「そうか」
女性に背を向け院外に出ようとする鬼道。桃城は追うことはしなかった。時計を確認し、今が何時かだけを確認して、ゆっくりと鼻から息を吸う。
「果たして相手は待ってくれるかどうか」
病室を後にした桃城。鬼道の向く方向とはまだ別の、今案件対策班の揃う高層区中心街に。




