七枚目 反撃潮流!
「よし。みんな! 茶恋寺さんに近づくよ!」
和泉の号令に、キャントリッパーとネコヒゲがぎょっとした顔つきになる。
先攻後攻を決めた後、できるだけ茶恋寺から離れようと言い出したのはキャントリッパーなのだが、その理由を無視しようとする暴挙にストップをかけたのも、やはりキャントリッパーだった。
「キャプテン! 危険すぎるって!」
星術師同士の戦いは『札によって構成された簡易星術書を駆使したターン制の戦闘』だが、しかし露骨な攻撃などの自分の手番でしかできない行動以外は特に制限を設けていない。
つまり勝負に支障を来さない程度の拘束、会話、接触などは可能なのだ。そして、カードの効果処理は現実に現れた質量を持つ星術的接触によって行われる。
例えば炎の絵柄が描かれたカードに、相手ブレインのブラッドを削る効果があった場合、カード効果は盤によって現実化された炎がブレインを燃やした瞬間に処理される。ブラッドが削れるのはもちろん、現実に起こっている現象によって熱さを感じれば火傷もする。
先ほどのアトランタの攻撃を受けそうになったとき、お互いの声が聞こえない程に離れていなければ、焦りによってパニックを起こし、ネコヒゲのアドバイスも聞けなかっただろう。その場合、キャントリッパーが打倒されるのはもちろん、和泉の体にも大きな穴が開いていた可能性すらある。ゲーム上は負けていなくても死んではお終いだ。
つまり『ゲーム的な処理』と『現実で起こる現象』が同時且つ同一の意味を伴って巻き起こるこの戦闘の性質上、相手の行動に対処するための余裕を作りだせる距離を保つのがセオリーとなる。
もちろん相手から余裕を奪うために近づくことも間々あるが、キャントリッパーの経験から推察するに、大抵それはお互いに『殴り倒す』系のデッキを持っていた場合か、あるいは次の一撃で確実に決められると確信したときだけに限る。
そういう事情があるのだが、キャントリッパーは『近づくのは危険だから離れよう』という最低限のことしか和泉に伝えていないことに気付いた。
この少年は頭がいい。だから、近づかない理由もその最低限の忠告でなんとなく察してくれるだろうと考えてのことだ。時間も惜しかったので手間取りたくもなかった。
だがそれが、今まさに裏目に出ようとしている。彼が『この世界と戦闘の仕組み』の基幹を掴みかけていることはキャントリッパーにもわかるが、何故かそれを、あえて度外視しようとしている。
不思議なことだが、彼の眼に不安は一切なかった。つい先ほどは思考を中断させる程でないにしても、かなりオドオドしていたにも関わらずだ。
だが、キャントリッパーにはわかる。彼の見据える何かの中に、人魚の魔術師の姿は入っていない。傍らにいるネコヒゲの霊魂と、二体のクリーチャーに信を置いているのに、キャントリッパーのみは眼中の外に追いやっている。取り返しが付かない、とまでは言えないが、キャントリッパーは和泉からの信用を失っていた。諫言を無意味と聞き流し、和泉はどことなく拗ねているような顔をした。
罪悪感がキャントリッパーの心を鷲掴みにし、彼女は目をあらぬ方向へ泳がせる。
「……わ、悪かったって。もう主人を謀ったりするようなマネはしないから」
「本当に?」
ここで、やっと和泉は冷めきった視線を彼女へ向けた。それはまさしく、まともな人間が星駒を道具として品定めしているときの眼だった。
こんなところまでこの世界に感化されてほしくはなかったが、むべなるかなと思う。強きに従い、弱者を虐げるは魔女の性。その強者を自分好みにアレンジしたいという傲った衝動もまた、魔女特有のものだった。前の主人のときも、この本能のせいで何度かあわや契約解消の憂き目に合っている。
結局、前の主人が優しい性分の持ち主だったので、その最期までことなきを得ていたが。
和泉の白い吐息がキャントリッパーの鼓膜を、うっとりさせるほど嫣然と撫で上げる。
「隠し事はいいよ。女の子なら男の子に言いたくないことの一つや二つあるだろうし。でも意図的に騙すのだけは許さない。二度目はないよ」
「……肝に銘じておこう。だが主人、一つ質問を」
「なに?」
「お前本当に小学生!? 語り口と男女関係観が成熟しすぎてるような気がするんだけど!」
少なくとも平均よりは、の話だが。
和泉は、何だそんなことかと質問に落胆の色を浮かべて答えた。
「姉が宇宙一のダメ星人なんだもん。そりゃ精神年齢も急速劣化するだろうさ」
「お前の姉ちゃん何者だよ」
「猫宮陸美十四歳。中学二年生。ひきこもりゲーム中毒。誕生日は七月七日。髪は一年前のとある事件から外に出なくなったため切る必要がなくなり伸ばし放題。好きな食べ物はわさびの合う料理全般。嫌いな食べ物は鶏の皮。スリーサイズは上から八十、五十九、八十一。体重は五十三キロ(髪込み)。視力は――」
「待て待て待て!」
黙っていられなくなったキャントリッパーは、彼の姉なる人物の名誉のためにも主人にストップをかけた。和泉は虚を突かれた調子で訊く。
「なに?」
「黙って聞いてる限り、それ弟が持ってていい情報から度を越しすぎてないか!?」
「え? ねぇねぇは僕の情報を、現在僕の体に存在している黒子の数まで事細かに説明できるし、普通じゃない?」
「お前の姉ちゃんも同じベクトルで狂ってるから、そこを基準にしたらお前も狂うのは必定だろ!」
「世間の規範じゃ違うみたいな言い方をしないでよ」
「そういう言い方にもなるよなァ!? 事実そうなんだからなァ!」
必死の形相でがなりたてるキャントリッパーを見て、彼はみるみる内に顔色をなくしていった。サァ、と血の気が引く音まで聞こえそうだ。
「……う、嘘だよねキャントリッパー。どこの家の弟も、姉の生理周期と初潮がいつ来たのかくらいは言えるんだよね?」
「言えねぇよ! どころか知らねぇよ!」
「そんなの嘘だぁ! もし本当だったら異世界トリップ以上にショックな事実だよ!」
今にも泣き出しそうに叫ぶ和泉は、そこではたと気付いた。これ目から鱗だとばかりに手を打ち鳴らす。
「あ、そうだ。ここ異世界じゃん。じゃあ姉と弟の関係のギャップがあってもしょうがないな。あー、ビックリした」
「えー……?」
――いや、そうじゃない。絶対そういう問題じゃない。
キャントリッパーの顔には、そういう感想がありありと見て取れる。だが和泉は自らの精神の安寧のため無視せざるを得なかった。しかもそれを今にも口に出しそうなので、和泉は逃げるように顔を逸らし、脱兎のごとく茶恋寺の方へと駆けだしていく。
「突撃だぁー! おらぁー!」
「ああっ! 待って! まだ話終わってないぞキャプテン!」
結果的に無防備な彼を先行させる形になってしまい、キャントリッパーはすぐに後を追う。すぐさまに追い抜かなければ彼は、次ターンで串刺しぶら下がりオブジェになってしまうだろう。
寒空の下でみるみる冷たくなっていく屍を想像、想起。同じことの繰り返しのみは絶対に避けなければならないと、十二歳の体に鞭を打って走る。
「キャプテン、話を――!」
「うわー! 持ち上げるなんて卑怯だぞー!」
「うわー! 既に捕まってらっしゃるーーーッ!?」
やたらしなやかに筋肉を動かし、走る姿は猫のようだった。しかし、殊の外優秀だった彼の身体能力は、アトランタに胸倉を掴みあげられ、地に足が付かない今となっては発揮されない。じたばたと空に振り回される手足がなんとも滑稽かつ憐れだ。
これぞ星術師同士の戦いにおける大きな穴。決定的にゲームの進行を妨げる行為と、ルールに真っ向から反する行動以外は、何をしようと許される。あのような拘束行為でも、手と頭が無事でカードの運用に支障が無いならまったく問題はない。
そして、これまた完全に端折って伝えてしまったが、盤の中に存在する遊星歯車が一巡すると自分のターンは終了してしまう。つまりそれぞれのターンには明確な時間制限があるのだ。
特例がいくつかあるにはあるが、ここに来たばかりの彼がそれに気づいているとは思い難い。このままだと彼は次のターンにて、アトランタの攻撃を一寸のタイムラグもなく受けることになってしまう。
キャントリッパーのデッキ【全奴隷】の真骨頂は『驚異的な燃費で行われる鉄壁の籠城戦』だ。ネコヒゲを筆頭とした破壊耐性とブラッド防御に、キャントリッパーの驚異的なチャージを組み合わせ、来るべきカードが来るのをひたすら待つ。それに対し相手のデッキタイプは、かなり大きな分類で見れば間違いなく【殴打】だろう。
あらゆるカードゲームにおいて、ビートダウンが環境のトップに立たないことはほとんどない。モンスターやクリーチャーと称される、それぞれのジャンルの下僕を操り、直接的に殴らせ続けて勝ち星を無理やりもぎり取る解り易さ。解り易さはそのまま扱いやすさに繋がり、それは国民性も性別も飛び越えるほど、研究され、やり尽くされた戦略だ。
ターンごとに、段々と場に出すモンスターのレベルを上げ、本気を出さざるを得ない程に強力な相手には、最終的に呼び出した大将にフィニッシャーを飾らせる。
カードゲーム初心者には、こう説明すればわかりやすいだろう。
レベルを上げて物理で殴る。これぞカードゲームの基本極意、ビートダウンである。
「キャプテン! なんとか振りほどいてくれ!」
遠巻きに、アトランタの腕の射程外からぐるぐると様子を見るキャントリッパーは、無茶だと理解しつつもそう叫ばずにはいられない。それ以外にできることがないからだ。
おそらく半泣きの主人からの無理だという泣き言が飛んでくるだろうな、と身構えていると、彼の顔から決定的な余裕が失われていないことに気付いた。
恐れは見て取れる。焦りに汗を流している。だがそれ以外に、彼の表情を彩る感情が存在していた。それが何かはわからない。わからないが、それ故に、彼が勝ちをまったく諦めていないことが逆説的に見て取れた。
「ああ。何とかするよ。流石にこの格好は男の子がしていいものじゃないからね。格好悪すぎる」
手札を構えていない方の手で盤を呼び出し、盤は突風にあおられる風船のように彼の手元へやってくる。夢眼のカードを横にして、傍らに浮遊する星駒に命令する。
「夢眼で、相手プレイヤーをアタック!」
――あれ?
キャントリッパーは目を白黒させた。
――攻撃方法、教えたっけ?
そう目線でネコヒゲの魂に問うと、彼は首を、というより体を横にゆるゆると振る。
間違ってはいない。いや、どころか作法は完璧だ。そして、BPゼロではあるものの、夢眼で攻撃することは戦略的に理に適っている。
理に適っているのだが、キャントリッパーとネコヒゲは揃って訝しんだ。
――あれ? 何故ド初心者である彼が、牡丹とまったく同じ戦略を取れている?
夢眼は、ピンク色のゼリー中に漂う眼球をギロリと茶恋寺に向け、突進していく。突進と言うにはあまりにも、あまりにも遅い遊泳だったが。
「あん? BPゼロのザコで何をするつもりだ?」
アトランタのすぐ傍にいる茶恋寺が首を傾げていた。和泉はどうでもよさげに肩をすくめ、いかにも義理で応える。
「止める手段があるんなら止めればいい。ただ『その状態』じゃどっち道だね。横向きになってるんじゃ攻撃も防御もできないんだろう?」
その通りだ。だが、ここでまたキャントリッパーとネコヒゲは前提を凝視する。
彼は初心者であり、星術の存在すら知らなかった異世界人だ。どうすればルールをそこまで把握できよう。
アタックした後は、星駒のカードは横向きに置かれ、その状態のカードは次の自分のスタートステップまで何もできないのだということを。
冷静に推測を立てれば確かにわかることではあるが、それは理解に至ることと必ずしもイコールではない。そう。場数、場慣れ、経験していない限りは絶対に。
少しも、確認を取ることもなく、その必要がないほどにルールを頭に叩き込まない限りは――!
「おっし! ヒット!」
べちゃ。
茶恋寺の顔に、ピンク色のゼリーが押し当てられ、その中にある眼球が愛おしげに茶恋寺を睨み付けていた。和泉はそれを見てガッツポーズを取り、茶恋寺は額に青筋を浮かべる。
「うぜぇ」
夢眼を『攻撃と認識されない程度の力加減』でどかし、服の袖で夢眼のくっついていた顔をごしごしと拭う。
だから気が付くのに遅れた。自分の近くに、何かいる。
見上げてみると、それはこちらに向き直ったアトランタだ。得物の槍以外まったくの手ぶらで、和泉の姿を認めることができない。
「ん? アトランタ、お前ガキはどうし」
茶恋寺が言い終わる前に、アトランタは素手で茶恋寺を正拳突きで殴りつけ、その体躯を数メートル、無抵抗に吹っ飛ばす。
「たらばぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
街路樹に背をぶつけて止まった茶恋寺は、痛みに明滅する意識の中で必死に頭を巡らせる。
当初どうにもアトランタが自分を殴りつける理由を見つけられなかったが、すぐに思い当る。これはあのBPゼロの夢眼の効果ではないか。
「ばっ……が!?」
頭を振り、目の周りに浮かぶ星を吹っ飛ばす。アトランタを見れば、彼は自分のしたことに気付かず、どうして自分の主人が吹っ飛んだのかという疑問で停止していた。
そして、先ほど認めた通りいない。
――やはり和泉の姿がどこにもない!
「どこだ!? アトランタ、ガキをどこに離した!?」
「!」
ハッとしたアトランタは、空になった手の平を見て、驚愕に口を開いた。次に足元、背後、上空を順番に目で索敵する。しかし、それでも見つからない。普段鳴き声を上げないアトランタの喉には、弱ったような声が響いている。
「ええい情けない声を出すな! 落ち着いて周囲をよーく調べろ!」
自分のステータスが気になる茶恋寺は、すぐに盤を手元に引き寄せ、所持BPを確認する。
十七万あったBPが、十二万にまで激減していた。一気に五万ものBPを失った茶恋寺は、間髪入れずに盤を引っ繰り返し、相手盤上のステータスを確認する。
夢眼のステータスを見て、茶恋寺は歯噛みした。
『夢眼
BP0
CP70,000
効果:このカードの攻撃が相手ブレインにヒットしたとき、相手ハートのBPの半分のダメージを相手ブレインに与える』
相手ハートのステータスに依存し、尚且つ単純にBPが低いデメリットがあるものの、茶恋寺のデッキタイプにはあまりにも相性の悪いカードだった。
しかもCPが七万。ここがまずい。【全奴隷】ではハート以外のCPが高いのはとてもまずい。
「……短期決戦だ。速めにケリを付けるぞ」
相場から見ると、初期所持BPが二十万の戦闘というのは、かなり控えめな賭け設定だった。相手のことを舐めきって、この条件を飲んだのは大きな間違いだったかもしれない。
茶恋寺のデッキタイプは【心臓殴打】。つまりハートでハートを、あるいはブレインを直接的に殴ることに特化したデッキだ。それ専用の強化星術を不断に使い、自らの命を削って大勝を狙う。
自らの命を資源にしている性質上、スタートラインは高めに設定された方がいいに決まっているのに、茶恋寺は半端な情けのせいでピンチに追い込まれている。あと二万で敗北ラインだ。もしも相手の手札の中にもう一枚の夢眼があったら、その時点で勝負は終わっていた。
「……もうガキだとは思わない」
茶恋寺は、見えなくなった相手に思いを馳せる。
カチリ、と茶恋寺の盤から歯車が噛み合う音が聴こえた。ターンが回ってきたようだ。




