四枚目 ライドオンゲーム
東を復活の象徴とし、西を死の象徴とする宗教は多い。
地球が出来上がってから四十六億年にも渡り繰り返されてきた誕生と死没は、人間にインスピレーションを与えるに充分すぎるほど美しい。冬の短い日照も、夏のうんざりするほど長い日照も等しく尊い。
だが和泉は知っている。自分たちの立場が地表である限り、毎日太陽が拝めるわけではない。曇った日には、いつ太陽が生まれて、どのような軌道で地球を照らすのかもわからない。最後には、誰もが認識できない内に沈んでしまう。晴れてさえいれば美しい夕暮れも、曇天の裏なら関係ない。
風が強くなってきた。空も段々と暗くなってきている。寒気が目と鼻の粘膜に刺さり、涙が滲む。耳が今にも凍って千切れそうなほどに痛んで、亀のように首をすぼめた。
――どっちにしても早めに終わらせたいな。
野次馬の作るサークルの中、和泉は目をゆっくりと開けた。
これから何が起こるのか、誰にも予想は付かなかった。和泉自身も、あらゆるTCGに通じているとはいえ、デッキの内容すら知らない。自分の手で弄ったデッキではないから、流石に勝てるかどうか不安だ。
「おい」
意識が敵方の声で途切れ、デッキが掻き消える。
龍人の後ろに控える茶恋寺が、コインを構えていた。お互いあまり離れていないので、それが五百円玉だということがよくわかる。
「表か、裏かどっちだ? ハズレの場合は俺が先行を貰うぞ」
「裏」
和泉が考え無しに答えると、茶恋寺は親指でコインを弾く。キィン、という音が冷たい空気に響き渡り、手の甲に着地して止まった。背の小さい和泉に見えるよう、茶恋寺が屈んで手を開くと、そこには数字が描かれていた。
裏、つまり和泉の先攻だ。和泉の横から同じくそれを見ていたキャントリッパーは頷いた。
「都合がいいな。キャプテン、ルールの説明はその都度行う」
「お願い」
素直に礼を言い、和泉は顔を上げて茶恋寺を見る。立ち上がる彼はこちらに敬意を払う気も容赦をする気もないようだ。彼はこちらを、塵芥を扱うような目で見ている。
「……よしっ! やろ!」
◆
キャントリッパーが説明した星術師の原則は、全部で四つ。
一つ、ブレインは自分より格の高い星駒をハートとして使役できない。霊格遵守の原則。
二つ、デッキの尽きた星術師は、あらゆる星術の行使権を持ってはいけない。魔道限界の原則。
三つ、星術師はどんな形であれ、一度発動した星術は必ず履行しなければならない。因果絶対の原則。
四つ、上記三つの内一つでも欠けた星術師は、星術師として存在できない。存在維持の大原則。
これらを和泉の中で、カードゲームとしてわかりやすく噛み砕くと――
ルールその一、プレイヤー自身の持つブラッドポイントが自身の選んだ星駒のブラッドポイント以下になった場合、そのプレイヤーは敗北する。
ルールその二、デッキが尽きたプレイヤーは、デッキが尽きたその瞬間に敗北する。
ルールその三、例え間違いであっても一度プレイしたカードは、そのプレイを取り消すことができない(ただしカードの効果によってカードの効果を打ち消すことは可能)。
ルールその四、上記三つのルールを守らないプレイヤーは、問答無用で反則負け。
――と、このようなものになる。
このゲームの場合、和泉のハートはブラッドポイントゼロのキャントリッパーなので、和泉自身のブラッドポイントがゼロになれば和泉は敗北する。
「でもキャントリッパー。一体どうやって相手のブラッドポイントを削ればいいの?」
「大抵の場合は、ハート以外の星駒の攻撃だな。星駒がブレインに攻撃すれば、その星駒のブラッド分、ブレインのブラッドが削れる」
「ふーん……ん?」
和泉は納得しかけて、そこで気付く。何故ハートを除外したのだろう。
「ハートは攻撃できないの?」
「魔力の運用で忙しいからなぁ。手が空けば直接的に動けるんだが」
「ふぅん?」
この辺りは後で、改めて訊ねることにしよう。今はゲームの準備の方だ。
ハートの設定、先攻後攻の決定、と続けば次は予想が付く。
「初期手札は何枚必要?」
「五枚だな」
和泉はそれを聞くと、手を一回叩きデッキを召喚する。カードを取ろうと手を伸ばして――
「うわっ」
カードの方が先に浮かび上がり、和泉の手の平に吸い付いた。ちょうど五枚だ。それ以上は、山札からぴくりと動きもしない。
面食らったように目を見開き、取りつかれたように茫然と声を出す。
「……本当に魔法のカードなんだなぁ」
「本当に魔法を知らないんだな」
和泉の方は未だにおっかなびっくりだが、キャントリッパーの方は慣れたように肩をすくめるだけだ。和泉は彼女の方に首を傾ける。
「ねぇ。僕が異世界人だってことをあっさり信じてくれたけど、この世界では『僕みたいなの』ってそんなに珍しくないの?」
「珍しい。が、例がないわけではないからなぁ。具体的には多指症の人間が産まれてくる程度の頻度で異世界人がこの世界に紛れ込む感じか」
それは珍しいが、確かにありえないという程でもなかった。彼女の例えはきっと絶妙なのだろう。
もしかしたら和泉以外にも異世界から来た人間が、この日本にいるかもしれない。暇を見て探しに行こうと密かに決心した。
手に持つカードの感覚を鋭敏にし、瞳に光を宿して敵方を見る。
「よしっ。それじゃあ茶恋寺さんを待たせるのも悪いし、準備も終わった。速くやろうか」
「……お前、結構余裕だな。戦いたくないって言ってもいいのに」
申し訳なさそうに睫毛を伏せ、憎まれ口を叩く彼女はしおらしい。巻き込んでしまったことへの罪悪感が、時間差で彼女を侵しているようだ。
和泉は彼女に文句の一つでも言ってやろうかと、頭の中を巡らせるが、不毛と悟りやめる。
「今はそんなんと違う。次に何すればいい?」
「……」
いっそ精一杯なじってやった方が、彼女の心は軽くなる。その程度のこと、和泉にもわかっていた。だが和泉には彼女のことを悪だとはとても思えない。
俯きがちになっているキャントリッパーに声を投げかける。
「キミは何も悪くないよ。僕は手を差し伸べた。キミはそれを掴んだ。癪だけど、それだけだ」
「キャプテン……」
和泉がキャントリッパーに伝えたいことは、これが全てだ。彼は敵方を見つめ、彼女を一瞥もしない。彼女はしばらく呆けたように和泉を見つめていたが、顔を上げて主人と同じものを見つめた。
「頭脳駆動」
「ぶれいんおん?」
キャントリッパーが呟いた言葉に追随するように訊き返す。
それはあまりにも軽い引き金だった。和泉が知らず口にした言葉が切っ掛けになり、黒い破片がデッキ周辺に浮遊し始める。よく見るとそれは、先ほど割れたはずのデッキケースだった。
驚愕に目を丸くした和泉は、割れたデッキケースの断面を見て息を飲む。
断面では歯車が露出し、駆動していた。星光のような銀色の歯車だ。やがてデッキケースは更に分解され、伸縮を繰り返し、パズルのようにそれぞれが複雑に組み合わさり、デッキケースではない別の何かへと変わる。
それは盤だった。現在の和泉の身長の半分程の幅はある、薄い盤が彼の前に佇むように浮遊している。
盤の中心にあるのは《キャントリッパー》の絵柄が、水色の枠内に描かれたカードだ。右手にはデッキが設置されている。
左上にはアラビア数字で二十万と、燃えるような赤い光子で描かれていた。平面の中で歯車が噛み合い、尚も駆動し続けているのが、ところどころに開いた穴から見えていた。この穴はカードより小さいので、置いても巻き込まれることはないだろう。
和泉はここに来て、子供のような興奮をやっとのこと露わにする。顔を紅潮させ、目をキラキラさせた。
「デッキケース兼プレイマット? 凄いな!」
「ちなみにそれ、実体ないからな。盤に置かれたカードも実体を失くす。お前にしか触れない」
「へぇー」
ペタペタと感心しきりで和泉は盤に触る。緊張感を持てと注意しようとキャントリッパーが口を開きかけたそのとき、和泉の手が盤上の《キャントリッパー》のカードに触れ――
「ひゃあんっ!?」
「ん?」
ピンク色の悲鳴が上がった。和泉は彼女の願い通り、一旦は盤を弄るのをやめる。しかし、顔を真っ赤にしてそっぽを向くキャントリッパーを見て、和泉はもう一回彼女のカードを指でなぞった。
「……っ!」
彼女はまるで、背中にゆっくり電撃が走ったように全身をひくひくと動かしている。顔は陶然としていて、どことなく嗜虐心を刺激させた。和泉は彼女と盤上のカードを交互に見比べ、呟く。
「……感覚繋がってるの?」
「ああそうだよ! 繋がってるよ! カードが性感帯だよチクショウ! 悪いか!」
「キミ肉体年齢だけは小学生だから性感帯とか言っちゃダメだよ!」
耳まで真っ赤にして怒鳴りたてる彼女は、まるで暴走機関車だ。悔しそうに地団太を踏んでいる。
「触るなよ! 用がない限りは絶対に! 触ったら『シャーペンの上と下を間違えてペン部分を親指で押してしまう呪い』をかけてやるからな!」
「地味! でも痛い!」
「おい」
あ、と思い出した二人は揃って前を向く。茶恋寺が腕を組み、苛立たしげに右の靴の底をにじっていた。
「じゃれてねぇでさっさとしろボケ共。シャーペンより百倍怖いもので親指刺すぞコラ」
「具体的には?」
「Gペン」
「ん、んー? 百倍かどうか判断しにくい……」
和泉は悩ましげに空を仰ぎ、深呼吸。
そして前を向き、手札を構え、龍人と目を合わせて決意を新たに名乗りを上げる。
「お待たせしました! 鳩須磨小学校六年二組、出席番号十八番! 猫宮和泉です! よろしくお願いします!」
小学生流元気いっぱいの挨拶を受けた大人、茶恋寺は頭を掻き、面倒そうに息を吐いた。肺の空気を精一杯抜いてから、ふっと眼差しを鋭くし、足を力強く開いて腰を落とす。
「茶恋寺組の若頭、茶恋寺島次郎。相手が女子供だからって容赦はしない」
「……え?」
相手はヤクザだった。




