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十四枚目 世界はそれを愛と呼ばないんだぜ―4

 都庁屋上に吹く風は、地上に吹いている風とは桁違いに冷たい。既に昼時も近いというのに、太陽の高度も低いため、気温もまったく上がらない。空に浮かぶ水星と金星は青みがかっており、寒色系の色を受ける網膜まで冷えてきそうだった。

 北棟、高度二百四十三メートル。人類の英知の粋を集めて作られた摩天楼の最上階に佇むは、二人と二匹の影だ。片方は、星術師協会千代田支部の代表。対抗戦の切り札、大将の眞柄三郎(まがらさぶろう)とその相棒、金星出身の自立型戦闘兵器《メタルフィスト》だ。

 もう片方は、先ほど和泉に圧倒的な恐怖を与えた少女、メード・インヘブン。灰褐色の髪を靡かせる彼女は、寒さに身を縮こまらせている。その様は普通の少女にしか見えない。

 しかし、眞柄三郎は油断してはいなかった。彼は勝負師としては未熟だが、メードのことを見縊ったりするマネだけは絶対にしないようにと、あらかじめ肝に銘じていた。緊張感に眉間に皺が寄り、喉が渇く。

 今回の対抗戦は単純な星取り戦方式だ。

 それぞれが代表者五人を選び、先鋒は先鋒と、次鋒は次鋒と戦っていき、最初に三勝したチームの勝利となる。

 彼女は朝に弱いという情報は周知の事実だったため、朝方に対抗戦を行えばほぼ間違いなく彼女は大将に回ってくるだろうと踏み、事実そうなっていた。

 そのため、先鋒、次鋒、中堅に戦力を集め、先手必勝の構えを取ってこの対抗戦に臨んでいたのだ。誰もが彼女と戦いたがらないから、というそれだけの理由で。

 だが、相手の戦力を舐めきっていた。先鋒は確かに勝ったが、それから次鋒、中堅と負けが続き、相手の大将が引っ張り出されることが決定されてしまった。彼女と戦いたくない眞柄は副将に降伏することを提案したが、にべもなく拒否されてしまった。

 彼女が寝坊して、不戦勝になる可能性がまだ残っていたからだ。眞柄自身もその可能性に賭けた。

 結果は、この通り。しっかりと目を開いているメードが、目の前にいる。忌々しいことに睡眠はしっかり取れているようだ。


「メード・インヘブン……」


 何度呟いても、人間だとは思えない名前だ。

 噂によれば、これは都庁の受付嬢が付けた便宜上の名前で、本名ではないらしい。

 しかし奇妙なことにこの名前は、実に彼女にしっくり馴染んでいる。やることなすことは地獄の沙汰だが。


「……さっさと終わらせよ。リバシィ」


 メードは億劫そうに、抱いていたぬいぐるみを降ろし――そのぬいぐるみは、当たり前のように二本足で立った。

 デフォルメされ、指の概念が希薄になりすぎている手でしっかり親指らしきものを立て、ぬいぐるみは応える。


「帰ったらソフトクリームだな」


 童女向けアニメに出てきそうなフォルムをしているくせ、出たのは精悍な青年の声。

 あれがメードの相棒、《リバシィ・ホワイト》。彼女の凶悪な戦法を支えるデッキハートだ。

 メードは、ゴスロリスカートの襞の中からデッキケースを取り出し、相手に向かって突き付ける。眞柄もそれに合わせ、デッキを取り出した。


「「……心臓招聘(ハートインヴァイド)! 頭脳駆動(ブレインオン)!」」


 そして戦闘は始まる。

 血塗られた虐殺が。


◆◆

 戦闘が始まって三十分程度は経っただろう。

 時刻は十一時五十分。傍目から見て優性なのは眞柄の方だった。

 都庁よりも遥か上空より、屋上の様子をライブ中継している金星産浮遊撮影機は、都庁北棟の観戦室に映像を流す。

 固唾を飲んで見守るのは、新宿区の星術師だけでなく、千代田区の星術師も同様だった。和泉とリップもその中にいる。備え付けられたベンチに座り、天井に吊り下げられたモニターを凝視していた。


「……なんだ。あっけねーの。あのメードってヤツ、結構弱いじゃん」


 リップの無神経な感想に、反応を返す者は誰もいない。無視を決め込んでいるわけではなく、実際に事情を知らない者が見ればそういう印象を受けるだろうと誰もがわかっていたからだ。

 彼女のことを知らなかったころの自分も、まったく同じことを思っていた。だから人のことは言えない。彼らの脳裏に浮かんでいるのは、そういう思い遣りだろう。和泉にはなんとなくそれがわかる。


「キャプテン。あの勝負、どう見る? メードってヤツに勝ちの目あるかな?」

「彼女の戦い方がわからないから、なんとも言えないけど。でも彼女のソウルストックと今まで使ってきてるカード、ちょっと独特だね」

「独特?」


 メードはひたすら防戦に徹しており、そのソウルストックには大量のカードが並べられていた。そして、彼女はチャージステップでチャージ料の上乗せを行っており、いくつかのカードが公開情報化されている。


「……全部が全部、BPとCPが同じだよね。ハートの《リバシィ・ホワイト》も含めてさ」

「そういえば」


 モニターの別画面には、両選手の盤の状態が公開されていた。片方のメードの盤を見てみると、確認出来得るカードは全てBPとCPが同値となっている。そのどれもが黄色の枠を持っていた。

 金に近い黄色のカードは土星産であることを表すらしく、彼女のデッキはどうやら土星単色のデッキということがわかる。だが戦術が今一つ見えてこない。

 というより、今のところキーカードらしきキーカードが見えてこない。


「BPとCPはどれもそれなりに優秀っぽいんだけど、効果は今一つパッとしない……いや、どころか『無い』のがほとんどじゃないか」


 ソウルストックで公開情報化されている星駒は、どれもこれも効果テキストを持たない、TCGユーザーからはバニラカードと呼ばれるものばかりだ。ソウルストックで効果を発揮するテキストも持っていない。

 単純な攻撃と防御で対処できない要所は、全て免除権の行使できる低コスト星術カードで賄っており、全体を通して見る限り、はっきり言ってジリ貧に近い戦法しか取っていなかった。このまま押し切られてしまいそうだ。

 しかし――


「……なーんかイヤな予感するんだよなぁ」


 今は雌伏のとき。ひたすら耐え忍び、ときが来るのを待つのみ。それが来次第、すぐにでも相手の喉元を噛み千切ってやる。メードの目の奥に溜まるフラストレーションは、相手にも、そして観戦している全てに対してもそう告げていた。

 リップはまったく気付いていないようだが。


「バニラか……」


 カードゲームにおけるバニラカードの強みは、破格の燃費。あるいは、カードゲームによっては高めに設定された基本ステータスだ。出すことができれば、ひとまず序盤は有利にことを運ぶことができる。

 その反動として中盤以降は、バニラを中心としたデッキが取れる手段は限られてくるのが常なのだが。あるいはそもそも、バニラには序盤しか任せずに、中盤以降は通常の効果テキストを持ったカードを運用するのが定石となる。

 つまるところ、ああいうカードは使いやすさと汎用性は高いものの、全てを任せるには荷が勝ちすぎるのだ。

 ()()()()()


「リップ。ゲームの分類方法って知ってる?」

「え?」

「まず何人でプレイするのかの分類。それと、勝ちと負けの概念が明確であるかの分類に、そのゲームに限りがあるかどうか、プレイヤーの意志で操作できない運などの要素が絡むかどうか、情報が完全に公開されているかどうかで分類するんだ。このカードゲームの場合は、二人非零和有限不確定不完全情報ゲームって感じに分類される」


 多人数プレイができるカードゲームはあるが、今回の場合は二人。

 大抵の場合、初期の賭けよりもブラッドの数が多くなったり少なくなったりするため、明確なプラスとマイナスが存在しない非零和。

 デッキアウトという明確な終わりが存在する有限。

 次にドローするカードが基本的にはわからないという不確定。

 相手の手札、そしてデッキなどから直接送られたソウルストックカードや、相手のデッキタイプそのものが完全には予測不可能な不完全情報。


「この手のゲームはまず間違いなく必勝法が存在しない。つまり確率論的に、勝ち続けることは不可能なんだ。どちらか片方が絶対に勝てないデッキ構築でもしてない限りは」

「……でもいることにはいるよな。勝ち続けるヤツ。トーナメント方式では無敗のヤツが王者になるわけだし」

「そこまで高レベルになると、王者は天が選んだとしか言いようがないけど。確かに抜きんでて強いヤツはいる」


 前の世界で、その天に愛され続けた和泉は続けた。


「あの子はその領域に踏み込んでるよ。さっきから憎しみと殺意以外の感情がまったく読み取れない」


 無敗がありえない世界で、無敗を勝ち取り得る『王者の権利』。

 その領域に踏み込む人間には、どんな悪手が来たとしても、絶対に諦めない屈強な精神を持つという共通点がある。

 彼女にはそれがある。自分の勝ちを一切合財疑っていない。

 メードのターンに入った。チャージステップで、彼女はチャージ料の上乗せを宣言。


「……なんだって!?」


 ソウルストックに存在する全てのカードを消費した。

 あっさりと。何のためらいもなく。その思い切った行動に、リップは愕然となる。

 そんな中、和泉だけは目を凝らし、消費されたソウルストックを眺めていた。

 見知らぬ枠の形をしたカードがある。星駒とも、星術とも違うカードだった。


◆◆

 来たか、と眞柄は身構える。今まで補欠だった彼は、この予兆を観戦でしか見たことが無い。しかし例えモニター越しでも、この光景は意味をわかっている者が見れば身震いするほど恐ろしいものだ。

 実際に見た場合の恐怖感は計り知れない。戦慄に内臓がたわみ、歪み、冷え切って、消化器官が真っ先に機能不全に陥り、そのまま胃の中身をぶちまけてしまいそうになるが、ギリギリのところで耐え切った。この戦闘、対策は山ほどデッキに積んできているのだ。負けるはずがないと自分自身に言い聞かせる。


「……メインステップに移行。ハートゾーンに存在する《リバシィ・ホワイト》を転生」


 ビリ。

 布の破ける音が、眞柄の耳にまで響く。実際目の前にすると、こんなにも大きく響くものかと感嘆した。唐突な死刑宣告のような絶望感が、彼の心を支配する。


「……出番だよ。《リバシィ・ブラック》」


 リバシィ・ホワイトが、苦しそうな獣の呻き声を上げる。リバシィのくりくりとした大きな目は、ぎょろんと回転して白目を剥いていた。体を何度も小刻みに痙攣させながら大きく彼は空を仰ぎ、歯茎が露出するほど口を大きく開け、吐血とも喀血とも付かない夥しい量の血を噴水のように吐き散らす。


「ガアアアアアァァァァァァァ! アア、ァァァァ……ゥゥゥゥゥ」


 気管のどこかに穴が開いたような、不気味な呼吸音を響かせ、血を吐くのを中断する。そのままリバシィ・ホワイトは空を仰いだまま事切れ、『転生』を開始した。

 ぶくり、と腫瘍のような生理的嫌悪感を催す凹凸が彼の体中に発生し、風船のように膨らんでいく。やがて、白い腫瘍は彼の体を完全に覆いつくし、更に成長を続けた。

 その腫瘍は高さ百八十センチほどにまで成長すると、膨張をやめて変色していく。晴れ空に浮かぶ雲のような、清潔感のある白から、邪悪さを象徴する漆黒へ。

 子供にも大人にも可愛がられる、愛くるしいリバシィ・ホワイトはもういない。黒い腫瘍の塊の中からは、骨格が骨折や脱臼を繰り返しながら組み変わっていくグロテスクな音が響いてくる。

 鼓動するような収縮を繰り返し、腫瘍はやがて、その役目を終えた。中から腫瘍は鋭い爪に引き裂かれ、肉片が血の霧を伴いながらバラバラに散っていく。

 現れ出たのは黒い影――に見紛う程に真っ黒な獣人だ。

 顔面はネコ科に近いだろうか。髪は(たてがみ)のように、頭だけでなく首まで包んでいて、腰まで長く長く伸びている。手は人間と同じ五本指だが、ブラックダイヤモンドのように輝く鋭い爪を携えていた。腰から下にはヴィンテージもののジーンズを履いており、足は裸足。やはりこちらにも鋭い爪が生えている。

 ジーンズ以外には裸だ。いや、獣人だからジーンズを履いていること自体おかしいのかもしれないが。


 メード・インヘブンの切り札、《リバシィ・ブラック》。


 眞柄は知っている。二本足で立ち、手の調子を確かめるように握り、開きを繰り返している落ち着いた様子のこの獣人は、ただ転生直後だから大人しくしているだけなのだということを。

 緊張を解すときに猫が欠伸をするように――

 起きた直後の哺乳類が伸びをするように――

 彼の起動スイッチは、毎回決まっていた。大きく息を吸い、胸を膨らませたリバシィは――


「ガルルルララララララララララァァァァァァ!」


 空気が歪み、光が屈折するほどの轟音でもって雄叫びを上げる。恐怖に固まっていた眞柄は、鼓膜が破ける前に耳を塞ぐ。空気全体が共鳴を起こしたように暴風が吹き荒れた。

 大きく開けられた口から覗く牙は、黒くしなやかな体躯とは対照的に白く、鋭い。何人もの人間が、あの牙にかかって一生消えない傷を残していったのを見ている。それはこの新宿区支部の戦いを見た人間全員共通の、ちょっとしたトラウマだった。

 だからこそ、と眞柄は笑う。

 アイツの恐怖を知っているからこそ、大量の対策は取ってきてあるのだ。


「……リバシィ・ブラックの能力発動。召喚時、公開情報化されている土星産の星駒すべてをデッキに戻し、シャッフル」


 メードの盤の上に乗っていた、公開情報のソウルストックカードがデッキへと戻っていく。デッキのシャッフルはオートで行われ、終わったタイミングを見計らい、メードは眞柄のフィールドを睨む。


「……厄介。そのハート」

「は、ははっ……」


 やはりか。眞柄はしてやったりと、恐怖感の反動に笑い声を上げる。

 そう。彼のハートは防御においては最高の性能を持っていた。


『メタルフィスト

BP50,000

CP40,000


効果:このカードが存在する限り、相手星駒はこのカードしか攻撃対象にできない。(このカードがハートの場合は、フィールド上の星駒もこのカードを攻撃できるものとする)

 このカードが破壊されたとき、ソウルストックのカードを一枚消費することで発動できる。その破壊を無効にする』


「そうだ。このカードの破壊自体を無効にする効果は、お前のリバシィ・ブラックにとっては致命的なんだったよなァ! 対策はキチンと取ってあるんだよォ!」

「小賢しい」


 じっとりと湿った眼でそう言うと、メードは手札の星術カードを起動させた。


「……《壊れた砂時計》を発動。このターン限定で、ハートの効果を無効にする代わり、破壊された後に行動可能状態で蘇生する効果を付与できる」

「あん?」


 眞柄は片眉を上げた。

 このカードは、今までのデータの中に無かったカードだ。新しく入れたのだろうか。

 メードは少しも逡巡することなく、カードで戦闘兵器を指し示して見せる。


「このカードの対象は《メタルフィスト》」

「なっ!」


 傍らにいる戦闘兵器の頭上に、壊れた砂時計のホログラフが現れる。彼女の言うことが本当なら、これでメタルフィストの攻撃誘導効果は無くなった。

 しかし、こんなことは織り込み済みだ。こんなときのためにソウルストックには大量の罠を仕掛けておいてある。彼女が攻撃してきた途端、すぐさまにでも起動できるように。

 メードはそんな心情を知ってか知らずか、二枚目の星術カードを発動した。


「……《極寒の蜃気楼》を発動。指定した星駒のBPを二万ダウンさせ、ブレインへの直接攻撃を行えなくする。その代わり、指定カードの攻撃中、相手はあらゆるソウルストック効果を発動することができなくなる」

「ッ!?」

「もちろん対象は《リバシィ・ブラック》。BPは九万から七万へ」


 異常な存在感を放っていたリバシィ・ブラックの姿が、ボヤける。まるで眞柄の絶望の涙が、その姿を隠したかのように。実際、もう眞柄は泣いていた。震えも止まらなかった。

 このカードの場合、ブレインへの攻撃よりも、ハートへの攻撃よりも、星駒への攻撃そのものが一番に恐ろしいのだ。


「メインステップからアタックステップへ移行。その瞬間、《リバシィ・ブラック》の効果が発動する」


 メードの盤から弾けるような音が響き、デッキの上から五枚のカードが、公開情報状態でソウルストックへと移動していく。そのすべてが、ボウと蝋燭の火のような妖しげな光を放っていた。それに呼応し、リバシィの姿も黄金色のオーラに包まれる。蜃気楼に包まれているため、やはりボヤけていたが。


「メインステップ終了時、デッキの上から四枚以上のカードを、公開情報状態でソウルストックへ移動させる。そして、そのカードのCPの合計値私の所持ブラッドは回復。更にそのカードのBPの合計値、リバシィのBPがアップする。そして最後に、その枚数分だけリバシィは連続攻撃が可能となる」


 ふぅ、と一息吐いて、残念そうにメードは肩をすくめた。


「……所持ブラッドとBPゲインの同時処理。今回は意味なかったなぁ。心行くまでブレインをタコ殴りにしたかったのに」


 ゾォ、と全身の水分が気化し、体が凍ったかのような錯覚に陥る。歯の根が合わず、足が震え、涙も未だに止まらない。声も出せそうになかった。もう一生、出せないんじゃないかと思う程に、発声機能も凍結してしまっている。

 ハートをいくら攻撃されようとも、ブレインに直接的なダメージは一切ない。だが、彼女が狙っているのはそこではない。その先なのだ。恐怖を知り尽くしている分、もう頭の芯までどうしようもないとわかってしまう。


「リバシィ」


 彼女が自分たちを指さす動きが、随分と緩慢に見える。そのまま時が止まってくれと祈るが、無駄だった。


「……行って」

「グルルシャアアアアアアアア!」


 悍ましい獣の鳴き声が、ドップラー効果で眞柄に届く。

 火花が散ったような大きい金属音が響いたかと思うと、三百キログラムはあるはずのメタルフィストの巨体が空高くに跳ねあげられていた。腕を大きく振り上げているその黒い残像を見るに、どうやら右腕のアッパーカットのみでメタルフィストを吹っ飛ばしたらしい。

 残像を目で追うと、空中で更にメタルフィストが跳ねあげられていた。花火のような大きなスパークが、眞柄の目を焼く。

 それを今一度繰り返し、更に一度吹っ飛ばし、最後にメタルフィストの巨躯を掴んで大きく自分の体を回転させ、踵落としでヘリポートへと叩き落とす。

 隕石のような運動エネルギーを持ったそれは、空気を裂きながら眞柄の頭上に落ち、彼を容赦なく潰した。潰れ出た血が、屋上の床を蚕食する。


 蜃気楼と黄金のオーラを纏う黒い獣は、軽やかに少女の傍へと着地した。身長百八十センチのその黒い獣の腰に、メードがしがみ付く。リバシィは、その頭を優しく撫でた。


「……アタックステップ終了。そして、《リバシィ・ブラック》の最後の効果」

「ぐ、が……?」


 薄れゆく景色の中、眞柄は勝利宣言を聞くことしかできなかった。底なしの無力感に襲われるが、メードは一切の容赦を許さない。


「破壊した星駒の合計BP分のダメージを相手に与えるか、破壊した星駒の合計CP分のブラッドを私が得るかの選択をし、それを実行する」


 この効果こそが、メードとリバシィの最も恐れられている点だった。だからこそ眞柄は『破壊を無効にする効果』を持った星駒をハートに据えたのだ。破壊が無かったことになれば、この効果も発動されない。

 だが、その希望はあっさりと塗り替えられてしまった。破壊を無効にするのではなく、破壊する度に蘇生する効果なら、まるで問題は発生しない。


「私が選択するのは……破壊した星駒の合計BP分のダメージ」


 金色のオーラが獣の両手に集まっていき、蜃気楼が溶けていく。黒い獣の目に浮かぶのは、純然とした、それでいて美しい程に研ぎ澄まされた殺意。

 この少女の敵をことごとく葬ってみせるという、確固たる決意と深い愛情の裏返し(リバーシブル)


「これが……星駒を超えた星駒、真星(リインロイド)の力……!」

偉力の裏返し(パワーフィードバック)――」


 先ほど聞いた青年の声が、寒々しく響く。もう彼は野蛮に牙を剥いたりしていなかった。


「――闇の面(ダークネス)!」


 黄金のオーラが光り輝く斥力の波に変わり、兵器ごと脆弱な人間の体を引き裂き、そして――


◆◆

「……あわ……あわわわわわわわわ……」

「なんだ、あのカード」


 爪が食い込む程に主の腕を掴んでいるリップを無視し、和泉は戦慄していた。

 カードの種類は、星駒と星術だけではなかったのだ。リップの『ハートを変えることはできない』という話に、何かしらの裏があるとは思っていたが、まさかこんな形で認識するハメになるとは思いもよらなかった。


「……星駒の進化、じゃない。転生、か」


 モンスターカードの上にモンスターカードを重ねるタイプのゲームデザインは多く見られる。恐らく、リップの言う『ハートを変えることはできない』という話の裏の真相はこんなところだろうとは当たりを付けていた。

 だが、いくらなんでも強力すぎる。

 デッキ回復に、連続攻撃能力、果ては強力なバーンダメージ……


「デッキの地の力が違いすぎるな」

「お、おっかねーーー! おっかねーよキャプテーーーン!」


 いい加減鬱陶しくなったので、リップの頭を軽く叩く。きゃんと悲鳴を上げたリップは一旦落ち着きを取り戻した。


「リップ。あれは何?」

「何って……いつか説明しようとは思ってたけど、もうこれに関しては十分すぎるほどわかってるだろ」


 それはもう、イヤと言う程に。あの斥力波を受けたクレーターの最中にいる人間がどうなったのかを想像するだけで、恐怖感はいつでも蘇る。


「ああいうカードは確かに、デッキに入れた場合は事故になりやすい。そのリスクを込みでカードデザインがされていることが多いけど……いくらなんでも規格外だ。シークレットレアは下らない」

「あ、でも私たちのデッキにも真星(リインロイド)はいるぞ。一匹だけ」

「え? マジで?」


 それは朗報だ。顔色を明るくして彼女の方を見れば、しかしリップは首を傾げていた。


「……私じゃないけどな。対応カードは」

「じゃあ何?」

「ネコヒゲ」

「あの人か……」


 大物なのかそうでないのかの判別が今一付かない人物、ネコヒゲ。彼の挙動、言動を今一度思い返してみると、少し面倒だなと思った。


「元から優秀なカードを真星に転生させたところでなぁ……というかあの人、CPの観点から言ってハート向きじゃないから、真星カードがあったところで単なる事故要因じゃないか」


 ハートでない星駒を転生させる場合は、どうしても不確定要素が付き纏う。

 手札にネコヒゲだけが来ても意味がないし、真星カードだけが来ても同様だ。


「……一度、デッキを見直してみよう。もうキャプテンはお前なんだから、このデッキはお前が作り変えないとな」


 リップの助言に和泉は頷く。ベンチから立ち上がり、観戦室から退室しようとすると――


「やっほー」


 つい先ほどの惨劇のヒーローとヒロインが、揃って二人に手を振っていた。

 和泉とリップの目と鼻の先で。


「――ッ!」


 リップは恐怖のショックにより心臓にダメージを受け、そのまま心停止となりぐしゃりと倒れた。


「うわーーー! リップーーー!」


 呼吸が止まり、涙を流しながら事切れているリップはやたらと綺麗で、安らかだ。

 しかしこのままにしておくわけにもいかない。すぐに心臓マッサージを施し、蘇生にかかる。


 そして三分の時間が経った。

 心臓マッサージと、和泉の恥を忍んだ人工呼吸が功を制し、彼女は死の淵から生還する。ベンチに横たわる彼女は、震える手で和泉の方に手を伸ばす。


「あ……あう……ごめんなさい……ごめんなさい、キャプテン……」

「いいって。もうキミに迷惑をかけられるのも慣れてきちゃったし」


 疲労困憊でリップの傍に屈みこむ和泉は、リップにされるがまま、頬を撫でられている。その後ろには、呆れたような三白眼となっているメードと、元のぬいぐるみ状態に戻っているリバシィがいた。


「……話があるんだけど」


 メードの言葉を聞いたリップは、申し訳なさで泣きそうになり、和泉の方も心臓が裂けんばかりの恐怖を覚えていた。

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