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九枚目 決着ゥゥゥゥゥゥ!

「……へ? 勝っ……た?」

「見りゃわかるでしょ」


 デッキを纏め、元の一つの束に戻すと、盤はデッキケースの形に戻りカードを収納。コンパクトなフォルムを取り戻し、和泉の手の中に納まる。


「なるほど。自分の弱さを棚に上げて、相手の強さを上げることに特化したデッキか……強すぎてもアウトになるのなら確かに有効だな」


 ――でも、望まぬ力だ。

 和泉はデッキケースに目を落とし、思案する。ここまで巻き込まれてやったのだから、これ以上厄介ごとに首を突っ込みたくはない。


「さ。これで満足だろ。契約とやらをさっさと解除――」


 がばり、と和泉の体に柔らかい物が衝突し、後ろ向きにバランスを崩す。


「うお……!?」


 二人分の体重を殺せるように、上手く受け身を取れたので傷みはなかった。倒れた和泉は茫然と空を見ていたが、胸のあたりでなにかがもぞもぞと、こそばゆい動きをしているので視線を下に落とす。

 キャントリッパーが蕩けそうな笑顔で、自分の体に頬を擦りつけていた。


「リップと呼べ」

「はい?」

「愛称だ。本当に親しい人間にしか呼ばせない」

「……え? いや、ちょっと待って。僕は」

「契約は絶対に破棄させないからな」


 可愛らしい少女の上目遣いが、和泉の首を絞める蛇睨みへと変貌する。

 ――先回りされた!

 いや、そういうつもりで戦っていたのだ。キャントリッパー――リップがそのことを感付かないはずもなかった。

 しかし、それは困る。和泉はこの世界に来たばかりで、そしてこれから何としてでも元の世界に帰る方法を見つけなければならない。女の子を守りながらの探索では、ゴールは遠のいていくばかりだ。

 そんな和泉の逡巡に気付いたのか、リップは脅迫の目付きをふっと緩め、優しく笑う。


「一人で全部やる気か? なんなら、私が手伝ってやってもいいんだが」

「!」


 女の子の髪の香りよりも甘く、残酷に得物を食い殺す蜘蛛の巣よりも狡猾な罠だ。

 典型的すぎる、交渉の名を借りた誘導。人格操作。相手自身が交渉を遵守するという保証がない以上、飲む理由などどこにもない。

 小学生にしては世間擦れを起こしているため、そのことは経験則からよく知っている。


 しかし、やはり和泉はどこまで行っても小学生(こども)だった。この交渉には、和泉にとって一つだけ、確実に得られるものがある。

 即ち――


「本当に手伝ってくれるんだね?」

「ああ。もちろんだ。マイキャプテン」

「……嘘吐き」


 ――孤独感の誤魔化しだ。

 最愛の姉はいない。父も同様。友も知り合いも向こうの世界の住人だ。

 当たり前に享受できた愛情も、外に出かければすぐにでも感じることのできた友情も、この世界にはない。全て例外なく置いてきてしまった。


 状況が状況。ありがたいとはとても思えない。だが、リップの慕情は少なくとも、ないよりはマシなのだ。

 その慕情すら、本物なのか不明なのだが。


「わかった。契約続行ね。もういいよ、どうでも」

「……え? あれ。なんだその消極的な承諾理由」

「だってキミ、何もかも胡散臭すぎて信用できないもん」

「なっ、なんだと!?」


 憤慨、ではなく驚愕に目を見開くリップは、まるでそんなこと生まれてこの方言われたことがないという態度だった。

 本気で自覚してないのか、演技が上手いのか。どっちにしても面倒だ。


「信用できないのなら何故、契約を続行するつもりになった?」

「キミが僕を利用したがってるのと同じで、僕もキミを利用したいから」


 リップはそれを聞くと顔を赤らめ、もじもじし始める。


「……そ、その……最近の小学生って進んでるんだな……」

「あ、性的な意味ではまったくないからね! なに満更でもない感じ醸し出してんのさ! というか冬の地面って冷たいから、そろそろどいてほしいんだけど!」


 むぅ、と不服に口を尖らせて、キャントリッパーは傍らへ移動。体が軽くなり、上半身を起こすと、傍に茶恋寺がいるのに気付いた。

 彼の眼から敵意と害意が消えていたため、和泉は特に慌てない。茶恋寺がふと手を差し伸べたので、和泉は少し逡巡したあと、握手の形で手を組み合わせた。茶恋寺が和泉の体を引っ張り、起き上がらせる。


「うーん……ゲームが終わった後は握手、ね。相手へのリスペクトを忘れないところは前と同じか」

「何言ってんだ? 握手したのは賭けブラッドをお前に渡すためだぞ」

「へ」


 ずるり、と溶岩のごとき熱さを持つ液体が、茶恋寺の手から和泉の手へと流れ込む。我慢できずに握手をほどき、手の平を見る。火傷の一つもできていないのに、手首の血管が破裂しそうな程に脈打ち、体中の骨が蒸発しそうだった。


「な、んだコレ……!」

「賭けブラッド二十万。確かに譲渡したぞ。あとキャントリッパーはもうお前のものだ」


 和泉の耳に茶恋寺の話声は届いているが、痛みのせいで意味を処理することができない。

 茶恋寺の方は平然としており、スーツの中に手を滑り込ませ、名刺を取り出していた。裏に何かをペンで書いた後、リップに差し出す。打って変わって、リップの目付きに険が籠った。


「ほれ。後見人は欲しいだろ。俺の名前を貸してやるから、これで星術師協会(ネビュラクラン)に申請しな」

「……どういう風の吹き回しだ?」

「別に。強い星術師に恩を売っておくのも茶恋寺組のやり方だからな」


 リップは茶恋寺の名刺をひったくり、傘状の杖の中へと仕舞い込む。


「恩だとは思わんぞ。お前の名前は使わせてもらうが、使うだけだ。返してやらん」

「それでもいいがな。後見人と新人星術師に、実用的な法関係はないし」

「ああ。何を取り立ててこようと無駄だ。わかったら()ね去ね」


 手で追い払うような動作をしながら、リップは犬歯を剥き出しにして不快の意を露わにしていた。

 体中の熱が収まった和泉は、頭をぶるりと振って正気を取り戻し、壊れた交番を見る。


「……リップ。あれってどうするの?」

「え?」


 リップは交番を向くと『ああ』と思い出したような声を出して、茶恋寺に鋭い目配せをする。


「保証は俺がするよ。おい! 誰かリペア系の星術カード持ってるヤツはいるか!? いたらすぐ貸せ!」


 和泉は目を白黒させ、リップにその視線を投げかける。彼女はさも当たり前のように答えた。


「星駒と組んでれば、多くの星術カードはノーコストで運用できる。あと、星術師同士の争いで何かが壊れたら負けた方が保証を負担だ」

「壊れることは特に何も思ってないんだなぁ……」


 ――いや。

 ここで根源的な問題に向き直る。この世界の住人は、そもそも『人間同士が争う』ということに関して寛容すぎる程に寛容だった。

 この世界における価値観と、自分の元いた世界の価値観が違いすぎる。早めに郷のルールを学び、郷に粗相のないように会得しなければ。元の世界に帰るまでは、ここにずっといなければならないのだ。


「……あ、区役所」


 新宿区から見ることが可能な、渋谷区に佇立する威容を持つ時計塔に目を向ける。確か中身は電話の会社だったはずだ。

 時計盤は午後九時を少し回った程度の時間を指し示していた。区役所はもう開いていない。パラレルワールドにありがちな『もう一人の自分』がいるかどうかを確認したかったのだが。こうなっては仕方ない。


「……直接帰る、じゃなかった。向かうか」


 アトランタと組んで星術を行使し、交番を直していく様を尻目にして、和泉はその場を後にした。野次馬のサークルはちょうど裂けていたので、リップ以外の誰にも気づかれないまま猫宮和泉は離脱する。


「あ、キャプテン」


 当たり前のようにリップが追随した。彼女の気配を感じ取った和泉は、暗澹とした気分を抑えることができそうになかった。


◆◆◆


「うーん……」


 街並みは『追加された物が多すぎる』ため、一見して激変したように見えるが、あくまで変容ではなく追加のため、面影は残っていた。

 住所も特に変わらず、かかっている名札も『猫宮』だ。

 和泉は、この世界の自分の家へと訪れていた。外観はくたびれた二階建て。窓にはカーテンがかかっており、中を伺い見ることはできない。だが、カーテンの柄は間違いなく和泉の家にあったそれそのものだった。

 どこからどう見ても和泉自身の家だ。ただ一つ差異があるとしたら、その家を囲む塀が生垣からコンクリートブロックに変わっているところだろう。


 しかし、気になるところは一つある。


「……キャプテン。ここ、人の気配がしないぞ」


 寝静まるにはまだ早い時間だというのに、リップが疑問視するほどに家は無音だった。カーテンの向こうに光を認めることもできそうにない。

 父親は――おそらく何らかの事件で、警察署にいるのだろうことは想像に難くない。だが姉の方は果たして、家にいない、あるいは寝ている理由がついぞ思い当らなかった。


「おかしいな。ねぇねぇ、今ごろはまだゲームしている時間だろうに」


 そしてこの世界にいる可能性の高い、もう一人の自分は。

 いくら考えても答えは出ない。夜の帳の落ち切った今、思考能力の半分も冷気で凍ってしまったようだった。

 体中が熱を産み出そうと震えはじめたそのとき、冷たい風に乗って、鼻頭に冷たい固体が衝突し、砕け散り、液体となる。


「……雪か」


 辟易する。まさに泣きっ面に蜂だった。そろそろ余裕で作った仮面が溶けて、泣き顔が露出しそうになる。一人であったのなら間違いなく泣いていただろう。

 横をチラリと見れば、人魚のリップは雪を見て目をキラキラさせている。寒さのせいで頬に赤みが差し、喜色を浮かべる彼女の顔は、シチュエーションも伴って生半可な芸術作品よりも美しい。

 半ば押し付けられた関係だが、こんなとき彼女がいてくれて心の底から喜んでしまうのだから、人間の心というのは現金だ。和泉が自嘲気味な笑みを漏らすと、それを別の意味に受け取ったらしいリップが口を開く。


「水中に雪なんてなかったからな。私は雪が好きだ」

「ん? マリンスノーってのがあるんじゃなかった?」

「あれプランクトンのウンコと死体だぞ」

「マジで!?」


 それを言うなら初期雨水も綺麗とは言い難いのだが。言わぬが花だろうと和泉は自重した。ふっと息を吐いて、どうしたものかと頭を巡らせる。

 家を見るという目的は、目的を作れないという虚無感を埋めるために作ったものに過ぎない。それが終わった今、本格的に路頭に迷ってしまった。


「……どうしよっかな。どうしようもないけど」

「あ、じゃあ星術師協会(ネビュラクラン)に行ってみないか?」

「ねびゅ……何?」


 聞いたことがある単語だが、どこで聞いたか思い出せない。

 リップは続ける。


「星術師協会に入れば色々と便利だぞ? 運転免許よりも簡単に取れる上に、運転免許と同じく身分証明書になるしな」

「……え。いや、僕はさっき言った通り『異世界人』なんだけど? 身分も何もあったもんじゃ」

「そのために後見人はいるだろ?」


 傘状の杖を一振り、宙に放り出された一枚の名刺を気取ったふうにリップは掴み、和泉に見せびらかす。


「自分以外の誰かが身元を保証してくれればいい。これなら異世界人だろうと関係ないんだよ」

「身元の保証システム、ガバガバすぎるだろ! この世界どうなってんのさ!」


 ペットの電子タグを連想する。彼らは戸籍を持たない代わり、飼い主に身元を保証してもらうことで安穏と暮らすことが可能になっているが、どうやらこの世界では人間とて例外ではないらしい。

 だが、彼女の提案のお蔭で目的はできた。リップのナビゲーションには感謝せねばなるまい。


「……でも、そうだね。やることないんならそうしようか」

「星術師協会は……えーと、営業は夜十一時に終わるんじゃなかったっけな」

「じゃあ早めに行かないとね」


 屋内に入ることができるというのは、この寒気の中では十分魅力的な提案だった。早く暖房の効いた部屋でゆっくりしたい。

 リップに先導してもらい、和泉は家を後にしようとして――


「……」


 ――リップの歩が止まり、彼女の背中にぶつかりそうになって歩を止める。


「どうかした?」

「……殺気を感じる。私たち向けじゃないけど」

「殺気?」


 和泉はぼんやりと周りを見渡す。傍にあるのは、軒並みだけだ。


「なんかイヤな感じがする。遠回りになるけど、逆から行こうか」

「まあ僕はどっちでもいいんだけど……」


 刹那。

 音も無く表れた影が二つ、和泉とリップの傍を走り去り、宙の雪を舞わせながらどこかへと走り去っていく。

 それを見た和泉の目が凍りついた。影は、追われる者と追う者だ。そして、追う者の手には銀色に鈍く光る凶器が握られていたのを確かに見た。

 見間違いでなければ、追われる者の方の顔は、匂いは、雰囲気は間違いなく、紛うことなく――


「――ッッ!」


 心臓がピアノ線で締め上げられ、悲鳴を上げるかのように何度も強い鼓動を繰り返す。息が詰まる。背中の毛が全て逆立ち、体中の汗腺が全開になった。

 叫びたいのに声が出ない。目の焦点が合わなくなり、鼓膜が麻痺して三半規管が狂い、真っ直ぐ立っているのすら辛くなる。

 そんな中、無意識の内に足だけは事態を理解してくれた。本能の叫びを受理したそれは、二つの影を追うように動き、走る。冷たく尖った空気が全身を突き刺してくるが、そんなことはどうだっていい。


「キャプテン!?」


 リップも慌ててそれに随伴。併走して、和泉の尋常ならざる顔色を見てゾッとした。

 先ほどの影の何が彼をここまで(はや)らせるのかわからないが、わからないなりに危機感を覚える。

 二人は影を追い、迷路のような住宅街を抜け、とある二階建ての駐車場にたどり着いた。影は見失ってしまったが、ここに入ったところは確かに見ていた。どこかにいるのは間違いない。


「……くそっ! どうして『あの人』がこんなところに……!」


 吐き捨てながら和泉は周りを忙しなく探す。キャントリッパーも、この駐車場に充満する殺気をひしひしと感じて落ち着かない様子だった。

 やがて、静寂が打ち破られる。ガァン、という打撃音が響き、二人の肩を震わせた。弾かれたように和泉が走り、またリップがそれに付いていく。

 車の影に二人はいた。片方はぐったりと倒れていて、片方はそれの体に何度も強烈な蹴りを浴びせている。先ほどの打撃音の正体は、そこら辺の車からもぎ取ったフェンダーミラーで、片方の影を殴りつけたときのものらしい。優位に立っている影の傍に、若干凹んで破片をまき散らすフェンダーミラーが落ちていた。

 和泉はその光景を見るや否や、頭に血が上り、雄叫びを噛み殺しながら優位の影にタックルをかます。背後から来た和泉に気付くはずもなく、影と和泉は激突。

 優位の影と共に倒れた和泉は、すぐに体勢を整え、影の胸倉を掴みあげ、顔を視認し――


「……お?」

「あ」


 間抜けな声を上げてフリーズした。

 優位の影からは、女性的な声が上がる。呑気な声だった。胸倉を掴みあげられているとは思えない程。


「……ねぇねぇ?」

「和泉ちゃんじゃない。どうかした?」


 髪を肩のあたりで切りそろえ、両目が健在で、転校する以前の制服に身を包んでいたのは和泉の姉。

 この世界の猫宮陸美だった。

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