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『ヒロイン』・市原紗香の微笑


四月二十三日 火曜日


「で、僕はどうすればいいんだろう」

「そうだなぁ………」

 翌日の始業前、いつもの教室の隅で駄弁る中、僕の問いにうさりんは思案顔をした。

 梁間くんはいつものように教室の中心で皆に囲まれながら爽やかスマイルを放っていて、そこから少し離れたところで白峰さんも数人の友達と談笑していた。

「まず、女友達を一人作っておきてえな」

「…………うさりん、君は何か勘違いをしているようだけど」

「なんだよ」

「木場は男勝りなところもあるけど、れっきとした女の子だよ?」

「…………この教室内で、だ。それもできれば梁間一派の面子から」

「そ、それは無理でしょさすがに」

 言いながら横目で梁間くんたちを見る。

「やー、それにしても昨日はマジ有り得なかったわー」

「だよねー。制服埃まみれって感じー」

「あれクリーニング代請求とかしていい感じじゃねー?」

「言えてるー」

 昨日の一件でうさりんと僕の好感度がダダ下がりしている。

 うさりんがいるから昨日以前ほどあからさまに嫌悪をぶつけてくることはないけれど、その分内に秘めたものは大きいだろう。

「まあまあ。埃なら払えば済むじゃないか。それより昨日の焼き肉の臭いが取れてないんじゃないか? いい消臭剤があるけど使うか?」

「いいの梁間くん!?」

「さっすが!」

 梁間くんがさりげなく話題を逸らしてくれていることに内心頭を下げながら、うさりんの方を向く。

「確かに、正面から行っても無理そうだな」

「さすがにそれは僕の精神が持たないよ………」

 言うなれば体を鍛えるといってウォームアップもなしにフルマラソンを走ろうとするようなものだ。

 ガッツが足りないとかそれ以前に下準備が終わっていない。

 何事にも段階というものがあるのだ。

「梁間一派の誰かと仲良くなってほしかったのは、梁間のステマに乗っかりやすくするためだったが、まあ別に人馴れするために他の誰か適当なやつでもいいことはいいんだよな」

「適当なやつって………」

「ほら、廊下側の席で本読んでる堀なんてどうだ? 意外と話しやすいかもしれんぞ?」

「意外と、ってことは話しづらいだろうって予測が立ってるってことだよね」

「まあそうとも言えるな」

「ホントに適当だ…………」

 溜息を吐いた僕をうさりんはケラケラと笑った後、

「当たって砕けろ、と言いたいところだが下手に動いてその後動きづらくなるのも考えものか。少数派が群れるのを多数派は結構毛嫌いするしな。よし、とりあえずは昨日の件のほとぼりが冷めるまで様子を見ることにする」

「了解」

 賢いうさりんがそう言うなら僕は従うだけだ。

「まあ一応、お前なりに作戦は考えといてくれ。実行はお前だからな、お前に合った道筋はお前が一番立てやすいだろうし」

「そうだね。うさりんや梁間くんに頼り切りなのもよくないしね」

「いや、頼ってくれるのは全然構わねえよ。そこは遠慮しなくていい」

「うさりん……………」

「お前が変わってくれることを、俺も梁間も望んでるからよ」

 そう言ってはにかむうさりん。

「お、そろそろ授業始まるか。前向けよ佐上」

「うん」

 黒板の方へと体を振り向かせながら、僕は考えていた。 

 頼ってくれていいとは言うけれど、それは僕が何もしなくていいという免罪符にはならないよね。

 なら、自分から少しは動かないと駄目だ。

 そういうわけで。

 

 時間過ぎまして昼休み。

「あの、木場」

「どうした? わざわざ体育倉庫裏に呼び出して」

 上機嫌そうな木場に弱弱しい笑みを返す。

「ちょっと、話があって」

「それなら別に教室でもよかったんじゃないのか?」

「や、今僕皆から煙たがられてるし。そんな僕と話したら木場まで皆から距離を置かれちゃうよ」 

「そうなのか? 大変だな佐上。困ったらいつでも言ってくれ」

「あはは、木場は優しいなぁ。頼りにしてるよ」

「任せろ。少なくとも私はお前の親友のつもりだからな」

 ふんすと胸を張る彼女には親愛の情を感じずにはいられない。

 うさりんといい木場といい、本当に僕は友達に恵まれている。恵まれすぎている。

「もちろん僕もだよ、木場。君と友達でいれる僕は幸せ者だ」

「そ、そこまで言うのか…………少し照れるな………」

 木場はてれてれとはにかみながら、

「で、話とはなんなんだ?」

「うん。今僕は皆からちょっと嫌われてるんだけど、何とかして皆から少なくとも嫌われない程度にはならないといけないんだ」

「嫌われないように?」

「イメージアップだよ、イメージアップ」

「ほぉー」

 ふんふんと木場は頷き、

「…………モテモテになりたいのか?」

 軽くかすってる。気もする。

「や、そういうわけじゃないけど。そんな風に見える?」

「そういうわけではないが…………」

 むぅ、と不機嫌そうに俯く木場。

「………お前が誰かと仲良くしてるのを見ると、なんとなくだが胸の中がもやもやする」

「え、僕が仲良くしてると?」

「ああ。………あんまり、喜ばしくないと思ってしまうんだ」

 自分でもよく分かっていないらしく首をかしげながらもそれでもむすっと不機嫌そうに眉を寄せる彼女に一つだけ思い当たることがあった。

「…………もしかして嫉妬とかかな」

 友達が友達の友達と話すのを見て機嫌を損ねている姿は教室でよく見るけれど。

「そうなのだろうか……………」

 うーんと二人首をかしげる。

「……まあ、ならないといけないなら仕方ない。私にお前の行動を強制する権利はないしな」

「ありがとう、木場」

「なあに気にするな。して、私は何をすればいいんだ?」

「女の子と仲良くなる方法を教えてもらおうかなって」

「…………やっぱりモテモテになりたいんじゃないのか?」

 半目で睨まれ慌てて首を横に振る。

「違う違う、そんな色恋沙汰的な仲良くじゃなくて。………ほら、例えば木場との関係みたいにお友達って感じの」

「お友達かぁ…………」

「そうそう。友達を作る方法を一緒に考えてほしいんだ。木場、友達多いし」

「あれは勝手に話しかけてくるだけだしな………私の友達はお前だけだ」

「うさりんといい君といいどうしてそんな友人関係にストイックなの………。でもあれだけ人が集まるってことは何か人に好かれる魅力があるってことだよ」

「お前がそう言ってくれるなら嬉しい限りだが………悪いが自覚がないな」

「そっかぁ………じゃあまずはそこから考えていかないといけないかなぁ」

「私の魅力を列挙していくのか?」

「そうなるね」

「結構時間がかかるだろうか………」

 自惚れでもなんでもなく、自分の何がいいのかを分かっていないからそう言うのだろう。

「あ、ごめんね。また日を改めるよ」

「いや、そうではなくて…………」

 木場は荒廃した倉庫裏を見渡して、

「さすがにこんな場所で長話はしたくないな。誰かの告白と鉢合わせるかもしれない」

「あ、木場もそういうこと気にするんだ」

 意外に思ってそんな言葉を口にするとまた半目で睨まれた。

「私だって女だぞ。なんなら今日だって、てっきりそういう誘いかとちょっと期待したくらいだ」

「そんなカミングアウトされても………ラブレターでも書いた方がいいかな?」

「………いや、別にそういう関係になりたいわけではない、と思う」

「何故推定形なの………」

 呆れながら問うと、木場は「いや」と首を振り、

「これだけ親しいからな、たまに周りの奴にも付き合わないのかと言われるのだが…………そんなことを言われるたび妙に気分が悪くなってな」

「え、生理的に無理ってこと?」

 虐げられ慣れてる僕とはいえ親しい仲にある彼女からそんなことを言われたらさすがに傷つく。

「どうだろうな………自分でもよく分からないが、とりあえず今のままの関係でありたいんだと思う」

「そっか…………」

 木場も僕と同じ人間だ。色々あるのだろう。

 彼女の悩みを僕が理解できるという保証はないけれど。

 それでも、

「僕も、ずっと君とは友達でいたいよ」

「…………それは、嬉しいな」

 隠そうとして、しかし隠しきれなかったかのように漏れ出た微笑みに胸の内が暖かくなる。

 友情というものは、こういうものなのだろうか。

「じゃあ、とりあえずこのままで」

「ああ、このままで」

 穏やかな笑みを浮かべながら、木場は頷きを見せてくれた。 

「よし。なら放課後に喫茶店にでも行こうよ。パフェくらい奢るよ」

「おお! それは嬉しいな。ぜひ行こう」

 満面の笑みを浮かべた彼女になんとなく何とかなりそうなんじゃないか、と期待を胸に抱いた。

 期待してしまった。 

 駄目だと言っていたのに。

 期待するなんてことは無意味で不利益で人生の道草でしかない。

 そう、知っていたのに。


 放課後。

 ちょうど木場が剣道部でレギュラー選抜があるからそれが終わるまで時間を潰さなければいけなくなった僕は、机に入れっぱなしの本でも読んでいようと教室へとむかい、そこで相も変らずギャルギャルしい市原さんと鉢合わせた。

「………何、佐上?」

 いかにも不機嫌そうな彼女の声色に思わず身がすくむ。

 男として情けないようだけど、心身が勝手に怯えていた。

 生まれたてのカモシカのように震える脚がなんとか崩れ落ちないように心を奮い立たせながら、言葉を捻り出した。

「わ、忘れ物を、取りに」   

「ふぅん、そっか」

 捻り出した言い訳を気にも留めない様子で、市原さんは目を逸らした。

 彼女のようにある程度高い絶対的ともいえる立ち位置にいる人には僕のような下々の者は虐げる必要がない。

 誰かを虐げるのは自分の立ち位置が崩れないかと不安で不安で仕方がない人だけだ。

 自分より下の者を虐げることで自分は少なくともそれより上にいると信じたいのだ。

 市原さんは教室を練り歩き、僕の席の近くの掃除ロッカーを開けた。

「ここにもない、か」

 呟かれた言葉に、よせばいいのに声をあげてしまった。

「何か、探しているの?」

 言ってから後悔した。

 彼女たちは僕らを自発的に虐げるようなことはしない。

 だけど、僕らが干渉しようとした時は別だ。

 貴族に農民が声をかけていいものではないのと同様に、彼女たちの生活に僕らという異分子が混じることは許され難いことだ。

「………あんたに答える必要があんの?」

 元々機嫌が優れなかったのだろう、苛立ち交じりにそう返され僕の心は折れかけた。

 さっさと机から本を回収してこの場から逃げるとしよう。

 そう考えていたけど。


『大丈夫だ佐上。お前は変われる』

 

 うさりんの、大切な友人の言葉を思い出した。

「………ごめん」

 市原さんに頭を下げてから教室を出た僕は、ケータイで電話をかけた。

 呼び出し音が鳴って、すぐに声が聞こえた。

「あん? どうした佐上。ゲームでも借りてえのか?」

「違うよ、うさりん。………手伝ってほしいんだ」

「…………それは、お前が変わるための一手か?」

「…………うん」

「そうか…………」

 数瞬の沈黙ののち、電話口の向こうで彼が笑う声が聞こえた。

「…………任せろよ、佐上。お前がやるって決めたら必ずうまくいく」

「………ありがと、うさりん」

「いいってことよ」

 うさりんは楽しげに笑って、

「よし、なら何を助けてほしいか説明しろよ」

「うん、分かった」

 僕は、僕がしたいことを伝えた。

  

 三十分後、僕は再び教室を訪れていた。

 そこでは市原さんが疲れた様子で椅子にもたれかかって座っていた。

 ずっと探し物をしていたのか、本来なら気にも留めない僕にさえ刺すような視線を向けてきた。

「………何、佐上。また忘れ物? 悪いけど、今機嫌悪いから出てって」

 足が震える。

 冷や汗が止まらない。

 覚悟は決めてきたつもりだけど、それでも恐怖が拭えない。

 怖い。

 怖い。

 怖い。

 でも、やらなきゃ。

 大切な友人が手を貸してくれたんだから。

 僕がそれ以上に頑張らなきゃ。

「……………市原さん」

 彼女の名を呼びながら、僕は後ろ手に持っていたものを彼女の眼前に差し出した。

「これ、探していたもの?」

 さくらんぼの飾りがついた黄色のヘアゴム二つ。

「あんた、それ…………」

 信じられないような目でこちらを見る彼女に腰が引けそうになる。

 それでも何とか踏みとどまって、言葉を続ける。

「ご、ゴミ捨て場の奥に隠されてたんだ。汚くなってたから、ちょっと水洗いしたんだけど………」

 捨てられていた、とはあえて言わなかった。

 くすんでしまった黄色を申し訳なく思いながら、彼女に手渡す。

 手の上のそれを呆然と眺めてから、市原さんは僕を見た。

「……………これ、探してきてくれたの?」

 まっすぐな眼差しに身体が勝手に萎縮する。

「い、一応…………」

「どうしてこれがあたしの探し物だって分かったの?」

「う……………」

 僕にだってそんなことは分からなかった。

 ただ、うさりんが、

『よりにもよって市原かよ…………あー、はいはいはい。やるよ、やります。………さくらんぼ付いたヘアゴムがゴミ捨て場の奥の方に投げ捨てられてらぁ。頑張って探せや』

 いつものように推理でもしたのだろうか、それだけ教えてくれた。

「もしかして、あんたが犯人だったりしないよね…………?」

 睨みつけるような瞳に、蛇に睨まれた蛙の気持ちになる。

 市原さんの言うことももっともだ。

 僕だって同じことをされたら真っ先にその人を疑う。

 うさりんにだってそれを忠告された。  

『それだけ言ってもお前、どうせ疑われて損するだけだぞ? それでもいいのか?』

 それでもいいと、頷いた。

 他人と関わるのが苦手な僕だから。

 世間話もロクにできない僕だから。

 せめてこうして、誰かの力になることで、彼らと接点を持つことができたら。

 僕でも、少しは変われるかな、と思った。

 白峰さんみたいになれるかな、とそう思った。

 手を取り合い、助け合うその社会という名の輪に加わることができるかもしれないなんて、期待した。

 所詮は期待だ。

 希望的観測でしかないから、叶うとは到底思っていない。

 だから、

「…………好きにしていいよ」

「え………?」

「僕を疑ってくれても、貶してくれてもいいよ。それで、君の気が済むのなら」

 彼女たちは正しい。

 僕はいつだって間違っている。

 それはきっと絶対で。

 変わりようのない事実だろうだから。

「………………へぇ」

 市原さんは底冷えした声を漏らした。

 そうして立ち上がり、僕を見据え、そして、

「なら、しっかり仕返しさせてもらおっか」

 すごまれ、思わず僕は目を閉じてしまった。

 脳裏に昨日の見ている方がスカッとするようなビンタが浮かんだ。

 拳でも振り上げているのか、いまだ衝撃は来ない。

 僕は弱いなぁ、と心の内で溜息を吐いた時、

「えいっ」

「あいたっ」

 額に痛みが走った。

 怯んだ眼前、凸ピンを放った右手を下げながら、市原さんは穏やかな笑みを浮かべていた。

「……………信じるよ、佐上。あんたが、犯人じゃないって」

「え?」

「いや、ホントは犯人なんて分かってたんだよ」

 けらけらと笑いながら、市原さんは机の上に座り込む。

「やー、あんたたちが昨日散々やらかしてくれたから皆フラストレーションが溜まっちゃっててね。そのとばっちりがあたしにまで来たよ」

「ご、ごめん……………」

 慌てて謝ると、市原さんは笑みを浮かべたまま手をひらひらと横に振った。

「いいっていいって。元から気にくわなかったみたいだし。ほら、あたしって結構リーダーっぽいじゃん? それを不満に思ってるやつもいんのよ。分かる?」

 問いかけに頷く。

「………分かるよ。ええと、平越さんとかかな、犯人は」

「お、そこまで分かってんだ。やるねぇ佐上。どして分かったの?」

「あ、いや………その、失礼かもしれないけど、教室で平越さんたちが市原さんに向ける視線がまるで睨むようだった、から」   

「へー、傍から見ても分かるんだねそんなこと。それとも佐上が周囲の目気にしすぎてるだけ? ぼっちだから? ぼっちだから?」

「あ、あはは………そうかも……………」

「冗談だって。もー、真面目だなぁ佐上は」

 楽しげに笑う市原さん。そこに先程まであった嫌悪の情はない。

「あ、昨日はごめんね? 犯人でもないのにあれだけ責めちゃって」

「いや、いいよ。杉崎さんを心配してのことなんでしょ?」

「…………そんなとこまでばれてるんだ。困っちゃうね」

 市原さんは決まり悪そうに頭をかいた。 

「ご、ごめん………馴れ馴れしかったよね、いきなりこんなこと言っちゃって」

「いいよ別に。というか、それを言うならあたしの方が馴れ馴れしいし。あ、ひょっとして迷惑だった?」

「い、いや、そんなことはないよ」

「ならあたしも同じ」

 上機嫌にそう言って、市原さんは手の中のヘアゴムを見た。

「わざわざ探してきてくれるなんて、意外といいやつだね、佐上」

「そ、そうかな…………」

「意外と、って失礼か。宇佐類とつるんでるからてっきり嫌味なやつかと思ってた」

「う、うさりんだっていいやつだよ! ……………あ」

 思わず叫んでしまった僕を、市原さんは驚愕の表情で見てから、

「…………ホントにいいやつじゃん、佐上」

 そう言いながら笑みを返してくれた。

「あたしだって宇佐類が悪い奴だとは思ってないよ。まあちょっと口は悪いけど、言ってることは大体正しいしね。あの若い男教師だって本当だったんでしょ?」

「た、多分……………」

「狼狽具合からして分かるっつうの。皆イケメンってなった瞬間に目が眩むみたいでさぁ。バカみたい」

「い、市原さんは違うの?」

「あたし? あたしはほら、恋多きギャルだから。イケメンから不細工まで色んな人に恋してるよ」

「そ、そうなんだ…………」

 いまだ謎の多いギャルの生態について一つ学んだところで、市原さんは机から降りてこちらへ歩み寄ってきた。

「こんないいやつがこのクラスにいたなんてねぇ。あたしもまだまだだな」

「そんないいやつじゃないよ僕は………」

「何言ってんの。あたしにとって、大切なものを見つけてきてくれた恩人なんだよあんたは」

 ヘアゴムを愛おしげに見つめながら、市原さんは言った。

「これさ、妹が誕生日にくれたやつでさ。『お姉ちゃんにはさくらんぼが似合う!』ってお小遣い貯めて買ってくれたやつでさ。多分、今のあたしの持ち物の中じゃ一番大切なものだよ」

 だから、と市原さんは僕を見た。

「ありがとう、佐上。すっごく助かった」

 穏やかな笑みに、肩の荷が下りた気がした。

「…………それなら、よかった」

 安堵が笑みに変わり、世界へと現れる。

 誰かのためになれてよかった。

 これで少しは、僕も変われただろうか。

 万感の思いに浸かる僕に、市原さんが言った。

「あ、明日お弁当持ってこなくていいよ」

「えっ」

 突然の命令に驚きの声を上げてしまう。

「それはあれかな……………お昼は抜きっていうあれかな。減食かな」

「いやそんないやがらせしないし。てかそれ言われても素直に従わないでしょ。従っちゃ駄目でしょ」

 市原さんは苦笑してから、

「今日のお礼に、明日、お弁当作ってきてあげる」

 

「で、何。市原とお友達になったの」

 午後九時、うさりん宅にて。

 怪訝な顔のうさりんからそう問われた。

「ま、まあ一応、ね。あ、でも向こうがどう思ってるか分からない………けど、少なくとも僕はああして楽しく話せたから友達かなぁって」

 てれてれと話す僕にうさりんは胡乱な視線を向けてくる。

「ほぉ。しかもその後木場と喫茶店デートしてたんだって?」

「で、デートだなんてそんな。ただ喫茶店でお話ししながらパフェ食べてただけだよ。女の子と友達になるためにはどうすればいいかな、って二人であれこれ考えたんだ」

「…………………マジかー」

 報告を終えた僕の眼前で、うさりんは頭を抱えた。

「木場に飽き足らず市原までも…………大丈夫なのかこれ…………」

「駄目かもしれないな…………」

 隣に座る梁間くんも笑みこそ浮かべているがどこか影のある表情をしている。

「え、何が駄目なの」

「いや…………」

 問うても二人は何も答えてくれない。

 しばらくして、うさりんが口を開いた。

「………佐上」

「なに?」

「市原は………言っても一時間程度しか話してないようだからまあいいとして、木場との会話の中で何かこう、『佐上と仲良くしてるとイライラする』的なことを木場は言ってなかったか?」 

「いやそんなに仲悪くないし………」

「そうじゃなくて、もっとこう………本能的というか、生理的に受け付けない、みたいな」

「あー…………」

 思い当たる節があった。

「仲良く、というか、ええと………その、恋仲になるとか考えた時に妙に気分が悪くなるって」

「そうか……………」

 一人頷くうさりん。

「それがどうかしたの?」

「いや…………」

 首を振るうさりんの横、梁間くんが笑みを浮かべる。

「佐上が俺らほっといてリア充にでもなるのかと思って心配になったんだよ」

「そんな馬鹿な」

 僕は胸を張った。

「僕は、その………白峰さん一筋だよ」

「お前その妙な勇気を白峰の前で使えよこんなとこで使ってんじゃねえよ」

「う……………」

 しょげる僕を他所に、うさりんは気怠そうに頭を振りながら、

「あー…………まあ、一応機能はしてんのか」

「そうみたいだな。だが、全員そうだとはまだ確認が取れてない」

「それはそうだが…………あー面倒くせえ」

 僕には意味が分からない会話を行った後、うさりんは絨毯の上に寝転がった。

「うさりんお疲れ?」

「推理するのは意外と体力要るからよぉ…………学校の時は授業中居眠りすりゃよかったが今日はやることがあったからな」

「うわ、ごめん、僕のせいで………」

 謝ったけど、うさりんは疲労感漂う笑みを浮かべながら手をひらひらと振った。

「気にすんなよ、ってこの体たらくで言ってもアレか。まあいいや。これからも遠慮せずガンガン頼ってくれ。お前はただ自分が変わることを考えてくれりゃいい」

「うさりん………トゥンク」

「トゥンク」

「おー、もうツッコむ元気ねえ、ぞ……………」

 ゆっくりとその瞼が下ろされ、うさりんは静かに寝息を立て始めた。

「…………寝顔は健やかだね」

「はは、いつもは悪役面だから余計にな」

 梁間くんは笑いながら部屋の隅に置いてあったブランケットを持ってきてうさりんにかけた。

「気が利くね。さすがイケメン」

「これくらい友達なら普通さ。それに、十波も疲れてたしな」

「……………やっぱり僕のせい、だよね」

 そう問いかけた僕の表情がよほど弱っていたのか、梁間くんは慌てて首を振った。

「ああいや、気負う必要はないよ。こいつも、好きでやってることだから」  

 そう言ってうさりんの頭を撫でる梁間くん。

「んむ………………」

 呻きながらも安らかな表情を崩さないうさりん。梁間くんのことは日頃あれほど罵倒しているけれど、あれはきっと信頼の裏返しなのだろう。

 ……………名前で呼ぶのを許しているくらいだし。

「ねぇ、梁間くん」

「何だい?」

「うさりんにとって、僕はここまで尽くしたいと思うほどの友達なのかな」

 不安に思っていたことだった。

 うさりんは素晴らしい友人で、非常に友達思いな人だ。

 だけど、それにしたって僕に対して優しすぎる、とそう思うのだ。

 そんな僕の心の内を見透かしたように、梁間くんは笑った。

「………………ああ、そうさ。十波にとって、君は誰よりも大切な友達で、誰よりも大切な人だ。きっと、俺や湊さんよりも大切な」

「そうなの?」

「ああ」

「…………どうして?」

「…………それは本人に聞いた方がいいよ。俺じゃ、その辺の話は伝えきれない」

 寂しげに笑って、梁間くんはうさりんの隣で横になった。まるでそれ以上の追及を避けるかのような動きだった。

「俺もそろそろ寝るよ。佐上はどうする?」

「僕は…………家に帰るよ」

「そっか。じゃあ玄関まで送るよ」

 梁間くんは立ち上がり、先に部屋を出ようと扉を開けようとして。

「…………佐上」

 僕に背を向けたまま、言葉を紡いだ。

「…………頑張れよ。お前が変わることができたら、俺も、十波も喜ぶ」

「どうして?」

「…………それが、十波の望みだからさ」

 それだけ言って、梁間くんは扉を開け、廊下を歩いていった。

 残された僕は、ふと、何気なく健やかに眠るうさりんを見た。 

 僕を誰よりも大切だという友人。

 僕の一体何が、彼の琴線に触れたのだろうか。 

 僕には何も、分からなかった。

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