第十三話
「眠い。でも、寝たらダメ……あつっ!?」
黒い靄に包まれた優夢の意識は徐々に薄れて行く。
靄が完全に身体を包む前は不安でいっぱいだったはずなのに靄のなかはむしろ居心地が良く思えるくらいに気持ちが休まって行くように思える。
その流れに優夢が身を任せてしまおうとした時、伐から身に付けているようにと言われた首飾りの辺りが熱を帯びて行くような感じがして声を上げた。
「……このまま、死んじゃうのかな?」
意識は引き戻されたものの、靄に包まれているせいか何も見る事もできず、伐の性格を考えても本当に助け出して貰えるかわからない。
優夢はその不安を吐き出すようにつぶやくが、自分で吐いた言葉はさらに彼女の不安を加速させて行く。
「ダ、ダメ、黒須くんは約束は守るって言ったんだから、私が信じないと」
「……あの男がそんなに大切かい?」
「へ?」
優夢は伐の言葉にすがろうとつぶやいた時、彼女の耳元でどこかで聞いた事のあるような男性の声が聞こえる。
その声に間の抜けた声を発しって振り返る優夢だが、振り返ると急に視界が開けて行き、彼女の身体を包んでいた靄が減って行くのがわかる。
「どう言う事? ……身体が動かない?」
突然の事に辺りを見回そうとするが、優夢の身体は今度は動く事はない。
靄は減って行ってはいるが自分の両手足は包み込まれており、減ったと言うよりは体全体を包んでいた靄が彼女の身体を完全に固定するために両手足の元に集まったように思える。
「ようこそ。水瀬さん……違うね。君は俺の物になったんだ。これからは優夢で良いね」
「ど、どうして?」
「やっと手に入れた。この力を扱い切れずに優夢の前に男が現れた時は焦ったけど、君はもう俺の物だ」
優夢の背後からは再び、男性の声が聞こえた。
その声には優夢に向けた歪んだ愛情が見て取れる。
状況が整理できない優夢の頬に男性の手が触れたと同時に、彼女の身体には寒気が走ったここに居ては自分の身が危険だと言うのを彼女の本能が瞬時に答えをはじき出したのである。
「何を怖がっているんだい?」
「ど、どうしてこんな事をするんですか?」
優夢の様子から男性は彼女が不安を覚えている事に気づき、意味がわからないと言いたげに言う。
その様子に優夢は逃げる手立てはないか、伐が助けに来るまでの時間を稼げないかと考えたようで男性の目的を聞く。
「こんな事を? さっきも言ったじゃないか? 俺は君を手に入れたかったんだよ。あんな淫売達とは違う。清楚で可愛らしい君をね。まぁ、君を楽しませるための実験台としては充分に楽しめたけどね」
「充分に楽しめた?」
男性の言葉から、最近の失踪事件の被害者達は男性が優夢を手に入れるための実験台であり、さらうだけでは物足りずにその欲望をさらった女達にぶつけていたのがわかる。
優夢は彼女達に怒った事やこれから自分に起きるべき事も理解できたようで顔を真っ青にして身体を震わせている。
「良かったよ。力で再生する事もできるけど、やっぱり、処女喪失は気持ちの問題もあるからね。君があんな男に喰われる前に俺の前に来てくれて良かったよ」
「は、放して」
「……なんだ。ただの処女信者か? くだらねぇ」
男性は伐が優夢のそばにいる事で焦ったようで強硬手段に出たようである。
その声と同時に優夢の頬には男性は頬ずりをする。その様子が優夢の横目に映った。
男性は優夢がバイトしている店でいつも彼女が帰る時間などに声をかける男性であり、優夢は身に迫っている恐怖に悲鳴を上げたその時、気だるそうな伐の声が聞こえる。
「なぜ、お前が俺の領域に入ってくる?」
「あ? この程度の結界を張れるようになったからって、調子に乗るなよ。三下」
思いもよらない侵入者の姿に男性は怒りを露わにする。
その姿は先ほどまで優夢に向けていた歪んだ愛情は彼女を自分から奪おうとする男へ向ける殺意に変わっている。
しかし、伐は男性の殺意など知った事ではないと言いたいのか、気だるそうに欠伸をするとズボンのポケットからタバコを取り出し、口にくわえる。
「……ちっ、ライター、忘れた」
「あ、あの、黒須くん、今はそんな事を言ってる場合じゃ、と言うか、助けてください!?」
タバコをくわえてポケットをまさぐるが、彼がいつも持っているオイルライターを忘れてしまったようで伐は舌打ちをする。
その姿に優夢は早く助けて欲しいと叫ぶ。
「あ? 先輩は愛とか言ってるんだ。これだけ、愛されてるんだ。一緒にいてやれよ。俺は目的の人間さえ連れ帰れればそれで良いんだからな。女を抱くだけに力を使ってるみたいだから生きてるだろうからな」
「そ、そんなわけないじゃないですか? 愛って言うのは一方的じゃないんです。お互い好き同士であって、こんなの嬉しくありません!!」
「って、言われてるぞ。ストーカー」
伐はくわえてしまったタバコをどうするかと考えているのか、眉間にしわを寄せると優夢に男性と付き合ってやれと言う。
優夢は自分が思っている愛情の形とはまったく違うため、こんなのイヤだと全力で声を上げると伐は口元を緩ませ、男性をあざ笑う。
「ストーカーはお前だ。優夢は俺が守る」
「……喰われかけてるバカが力に酔ったって、それはお前の力じゃねえよ」
「黒須くん!? 避けて!!」
伐の言葉は男性の逆鱗に触れたようであり、男性の身体は足元から黒い靄に変わる。
その様子に伐は力を手に入れたと言っている男性が、歪みに喰われているだけだと憐れんだように言った時、黒い靄は四つに分かれて伐に向かって飛んで行く。
優夢は伐への攻撃が向けられた事に避けるようにと叫ぶ。
「……言われなくても避ける」
黒い靄は不規則に伐に向かって攻撃を仕掛けるが、伐は気だるそうに欠伸をしながら、その攻撃を交わして行く。
伐は黒い靄になった男性の攻撃につまらないと言いたげであり、完全に相手を見下している。その様子に靄の攻撃はより速く鋭くなって行くが、伐を捕える事はできない。
「なぜだ? 俺は力を手に入れたんだ。この力で俺はすべてを手に入れるんだ」
「借り物の力で何かを手に入れようと甘い事を考えてるから、歪みに付け込まれるんだよ。力を手に入れたいと言うなら、自分の力で戻ってこいよ。それができないなら……俺が殺してやるよ」
攻撃は鋭くなろうとも伐を捕える事はできないため、男性は怒りの声を上げる。
伐は男性の様子にため息を吐いた後に目つきを鋭くして言う。
その目には強い光が宿っており、まるで闇夜の中に獲物を狙う捕食者のような輝きである。




