第8話/100人ぐらい斬っちゃえ
会議室のドアを開けると、主要キャストたちが次々と集まっていた。
俺は深呼吸し、肩を回す。
「……よし、これが初顔合わせだ」
心の中で自分を鼓舞しながら、机の周りを見渡す。
まず、主役の山田剛が入室。
質実剛健、無口な男だが、その目には芯の通った覚悟が光る。
「桐谷さん、よろしくお願いします」
軽い会釈に、俺も自然と背筋を伸ばす。
次に山上ローラ。
清楚な見た目とは裏腹に現場の天然トラブルメーカーとして知られている。
「はじめまして〜よろしくお願いします!」
その無邪気な声に、俺は思わず微笑むしかなかった。
「……絶対現場で波乱を起こすな……」
心の中で警戒を強める。
鏑木一誠が静かに入室。
元悪代官役だったが、人気爆発で主役に抜擢された男だ。
「よろしくお願いします」
無言に近い挨拶だが、その目に野心が光る。
藤堂亮は黙って頷き、彼の実力を確かめるような視線を送っていた。
岸本春男は白髪交じりの長髪を軽く撫でながら入室。
「皆さん、脚本は渡しました。後は現場で魂を吹き込んでください」
その一言で、空気が少し落ち着く。
そして、会議室の重厚な空気を一変させる人物――矢田藤七。
大御所中の大御所、大名役に抜擢された男だ。
ゆっくりと現れるその姿には、歴史を感じさせる威厳が漂っていた。
「桐谷君、よろしく頼む」
低く落ち着いた声、しかし重みが違う。
俺は思わず膝の下で拳を握る。
この男がスクリーン上に立つだけで、物語の重心が決まってしまう気がした。
田代美咲が入ってきて空気は再び緊張する。
「……倫理的に問題のある描写は厳しくチェックしますから」
赤ペンを握りしめ、眉を吊り上げる。
ローラは一瞬怯え、山田は小さく肩をすくめる。
鏑木は無言でペン先を見つめ、岸本は苦笑するしかなかった。
俺は資料を押さえ、キャストに向き直る。
「今日は初顔合わせです。自己紹介と意気込みを簡単にお願いします」
ローラが真っ先に手を挙げる。
「ねえねえ、血飛沫とかどれくらい出るのかな〜?」
田代の顔が真っ赤になり、赤ペンを握りしめて口を尖らせる。
「……何ですか、その質問! 倫理的に許される範囲で発言してください!」
その光景に、俺は苦笑いと共に背筋が冷たくなるのを感じる。
矢田藤七は静かに椅子に座り、視線をキャスト一人一人に投げる。
「映画とは、役者の心と監督の意志が一体になった時に生まれるものだ」
その言葉に、場の空気が引き締まる。
藤堂亮も満足げに頷き、岸本は軽く笑う。
俺は資料を押さえ、心の中でつぶやいた。
「……よし、これで主要キャスト全員揃った。ここからが本当の戦いだ……」
会議室には、緊張、期待、恐怖、そして少しの笑いが混ざり合っていた。
桐谷雅彦の戦いは、ここから映画制作本番への序章を刻み始めるのだ。
会議室の空気が少し落ち着いたところで、藤堂亮が立ち上がった。
背筋をピンと伸ばし、両手で資料を握る姿は、まさに現場を支配する監督の風格だった。
「皆さん、今日は初顔合わせということで、簡単に方針を説明します」
低く、重い声が会議室に響く。
俺の心臓は早鐘のように打った。
「……この男、映像に関して妥協を一切許さないタイプだ……」
頭の中で昨夜見た血飛沫の想像がフラッシュバックする。
藤堂は資料を配りながら話し始める。
「まず、時代劇映画としてのリアリティを最優先します。衣装、小道具、武器の使い方、戦闘の間合い、すべて妥協しません」
山田剛は無言で頷き、ローラは目を丸くして聞いている。
鏑木は眉をひそめ、岸本春男は資料をなぞる指に力を込めている。
「そして……戦闘シーン。斬撃や血飛沫は、物語の迫力を最大化するための重要な要素です」
藤堂の目が鋭く光る。
俺はその瞬間、頭の中で田代美咲の顔を思い浮かべた。
赤ペンが嵐のように吹き荒れる姿、注意書きだらけの脚本……胃の奥がひりつく。
「……桐谷さん、また胃潰瘍悪化しそうだな、俺」
小さく呟くと、耳の奥で田代の声が反響する。
「……そんな血飛沫描写、許せません!」
会議室に響くその叫びは、空気を震わせる。
藤堂は微動だにせず、俺に視線を向けた。
「倫理的に問題があるなら、その範囲内で最大限表現します。ただし、妥協はしません」
その言葉に、俺は椅子に深く腰を下ろす。
「……妥協なし……か……」
思わず肩をすくめ、胃の痛みをこらえる。
田代は赤ペンを握りしめ、眉を吊り上げたまま口を尖らせる。
「でも、この描写は現実的に問題があります! 子どもや青少年に見せられません!」
ローラは小さく肩をすくめて唇を噛む。
山田は静かに拳を握り、鏑木は資料を睨む。岸本はため息混じりに首を振る。
俺は資料の束を握り、心の中で必死に整理する。
「……藤堂を止めることはできない。だが、田代のチェックも通さねばならない。俺の立場は……完全に板挟みだ」
頭の中で血飛沫と赤ペンのイメージが入り混じる。胃が痛む。
「……くそ……ここからが本番だ……」
藤堂は再び口を開く。
「俳優の皆さん、役に対する準備は怠らないでください。私は現場で、皆さんの魂を引き出す」
その声に、山田は拳を軽く握り、ローラは小さく頷き、鏑木は少し目を伏せる。
矢田藤七は重々しい声で一言。
「覚悟を持て。映画とは、血と魂で観客を震わせるものだ」
その言葉に、会議室の全員が息を飲む。
俺は椅子に深く座り込み、手のひらで額を押さえる。
「……これが現実か……」
藤堂の演出方針、田代の赤ペンの嵐、岸本の脚本、そして主要キャスト全員の個性。
すべてが俺の頭の中で渦巻き、胃潰瘍の痛み以上に精神を蝕む。
それでも、プロデューサーとして俺がやるべきことは一つだ。
「……やるしかない……」
深呼吸を一つして、俺は会議室の全員に視線を巡らせる。
ここから始まる戦い――血飛沫と赤ペン、信念と妥協の戦場で、俺は生き抜かなければならないのだ。
初顔合わせが終わった数日後、いよいよリハーサルの日がやってきた。
正直、胃の痛みが治る間もなく、また俺は戦場へと放り込まれる。
稽古場の扉を開けた瞬間、熱気が肌にまとわりついた。
畳敷きの大広間に、役者たちが木刀を手に並び、藤堂亮が中央で腕を組んでいる。
まるで戦場の総大将のような眼光――いや、あれは監督というより鬼だ。
「さあ、始めようか」
藤堂の低い声が響くと、山田剛が一歩前へ出た。
彼の構えはまさに闇の狩人そのもの。剣先がピタリと止まり、空気が凍りつく。
「……おいおい、本番前からこの迫力かよ」
思わず俺は唾を飲み込む。
一方の鏑木一誠はというと、少しぎこちない。
かつて悪代官役でブレイクした男だが、剣を握る手にわずかな迷いが見えた。
それでも、斬り合いに入ると目つきが変わる。
「……なるほど、悪の色気が抜けないまま主役を張るか。これが彼の武器かもしれないな」
俺は内心でうなずく。
そして問題の山上ローラ。
木刀を手にするだけでバランスを崩し、畳に尻もちをついた。
「きゃっ! ……あ、でも大丈夫です!」
笑顔で手を振るが、誰も安心できない。
藤堂の目が光り、冷たく一言。
「……そのままでは足手まといだ。基礎から鍛え直す」
ローラは頬を膨らませて「子役じゃないんだから!」と抗議したが、場は凍りついた。
稽古が進むうちに、藤堂は役者の魂を引きずり出すように厳しく指導した。
山田には「間合いを詰めろ」、鏑木には「悪を背負え」、ローラには「生き残る必死さを見せろ」。
言葉は鋭く、容赦がない。
「……俺の胃が痛む原因の八割はこいつだな……」
思わず腹を押さえた。
その横で、田代美咲がノートを開き、赤ペンを走らせている。
稽古場の端にいるのに、彼女の書く音が耳に突き刺さる。
「暴力表現過多」「女性差別的」「未成年視聴者に不適切」――ページの余白が真っ赤に染まっていく。
まるで血飛沫そのものだ。
俺の脳裏に、真っ赤に塗りつぶされた脚本のイメージが蘇り、胃に鈍い痛みが走った。
稽古の最後、藤堂が言った。
「ここで斬る者、斬られる者、それぞれの覚悟を見せろ」
山田と鏑木が向かい合い、木刀が激しく打ち合わされた。
畳を震わせる音、息遣い、そして鋭い視線の交錯。
まるで本物の死闘だった。
ローラがぽつりと呟いた。
「……ねぇ、最後はもっと派手にした方がいいんじゃない? たとえば百人くらい斬っちゃうとか」
藤堂の目が輝き、岸本が唸り、稽古場がざわめいた。
田代が立ち上がり「そんなの絶対ダメです!」と叫ぶ。
俺は頭を抱えた。
「……百人斬り……? 胃潰瘍が千穴空きそうだ……」
天井を見上げながら、俺は心の底から嘆息した。
ローラの「百人くらい斬っちゃうとか」という拗ねたような一言は、まるで火薬庫に投げ込まれたマッチだった。
最初は冗談のように聞こえたその言葉に、稽古場は一瞬しんと静まり返ったが――次の瞬間、藤堂亮の目がぎらりと輝いた。
「……いいな」
低い声が響く。
「血の雨の中で、主人公が百人を斬り伏せる。観客は狂喜するだろう」
その言葉に呼応するように、岸本春男が身を乗り出した。
「藤堂監督、それは面白い! これぞ勧善懲悪の極致だ! 悪党どもを束にして斬り倒す、これ以上わかりやすいカタルシスはない!」
興奮のあまり、岸本のメガネがずり落ちる。彼は慌てて掛け直しながらも、ペンを走らせる仕草まで見せた。
「百人をどう配置するかだ……城下町か、城内か、それとも戦場に持ち込むか……」
藤堂の頭の中では、すでに血飛沫がスローモーションで舞い散る映像が完成しているのだろう。
「ローラの天然発言で映画のクライマックスが決まるなんて、悪い冗談だ……」
俺は頭を抱えた。
だが次の瞬間、烈火の如く立ち上がったのは田代美咲だった。
「――ダメです!」
稽古場の空気を一瞬で切り裂く声。
赤ペンを握りしめ、ノートを突き出すその姿は、まるで刀を抜いた侍のようだ。
「未成年への影響を考えてください! 百人を惨殺なんて、倫理委員会が黙っているはずがありません!」
「いやいや田代さん、これは芸術表現だ。暴力ではない!」と岸本。
「芸術? 人を百人も殺しておいて芸術ですって!?」
田代の声は怒りで震えている。
俺は両手を広げ、必死に仲裁に入った。
「まあまあ、落ち着いて……! 百人という数字は、あくまで例えであって――」
「例えでもダメです!」
即座に斬り捨てるように田代が言い放つ。
俺の言葉は一刀両断された。
「だが観客は血を求めている」
藤堂の冷ややかな声が重なる。
「それに、この映画で俺は一切妥協するつもりはない」
「観客は血なんか求めてません! 心を動かす物語を求めているんです!」
田代が声を張り上げる。稽古場の隅で、ローラはお菓子をポリポリ食べながら「私のせい?」と首をかしげている。
俺の胃が、また軋んだ。
頭の中では、血飛沫がスクリーンを真っ赤に染める藤堂の映像と、脚本の余白を真っ赤に塗り潰す田代の赤ペンが、交互にフラッシュのように点滅する。
「……俺はいつから、血と赤ペンの板挟みを生きる人間になったんだ……」
情けない笑いが喉から漏れた。
「百人だろうが千人だろうが、俺は撮る」
藤堂の声が低く響く。
「それを止めたいなら、俺を降ろせばいい」
稽古場が凍りついた。
田代は顔を真っ赤にして言葉を失い、岸本は唇を噛みしめながらも瞳を輝かせている。
ローラは「千人はさすがに疲れるよね」と呟き、場をさらに混乱させた。
俺は深くため息をついた。
「……誰か俺を降ろしてくれ……」
心の底からそう思った。




