第6話/キャスティング会議が始まる
会議室での激論から数日後、ようやくシナリオの方向性が決まった。
テレビシリーズを踏襲しつつも、映画として迫力を出す――
悪は最後まで悪として裁かれるが、物語の深みも残すという妥協案だ。
その方向性をもとに、数本のシナリオ案が脚本部から上がってきた。
俺は資料を抱え、自宅の書斎で山積みになったプリントを前に座る。
「……ふう、やっとここまで来たか」
心の中で安堵しつつも、胃の奥はまだぎゅっと締めつけられている。
藤堂亮の暴力描写の妄想と、田代の赤ペンの嵐が頭をよぎり、戦々恐々だ。
最初の案は、テレビシリーズの延長線上で、悪人の心理描写を丁寧に描くタイプ。
岸本春男の手によるもので、悪人が最期に少しだけ迷い、観客に同情させる演出が盛り込まれていた。
「……悪人にも人間味を残すか……」
読みながら、俺はつい眉をひそめる。藤堂亮の好む迫力には少し物足りなさを感じた。
次の案は、映画的派手さ重視で、悪人は最後まで悪として描かれ、クライマックスで一気に決着がつくシナリオ。
血飛沫と斬り合いの連続、カット割りも大胆だ。
「……うわ……藤堂監督、やっぱり本気だ……」
頭の中で赤ペンが舞う田代の顔が浮かぶ。
これをそのまま通したら、絶対に会議室で炎上するだろう。
さらに第三の案は、両案を折衷したもの。
悪人の心理描写も残しつつ、クライマックスで迫力ある決着を用意する。
「……まあ、これなら田代もなんとか納得するか……」
俺はページをめくりながら、少し安心した。
ただ、この案でも藤堂亮の演出意図をどう抑えるか、まだ調整が必要だ。
資料を前に、俺は頭を抱える。
「……うーん、どの案も一長一短か……」
キャストの立場、監督の意向、倫理の制約――全てを考慮しながら、どれを通すか決めなければならない。
「……でも、決めなきゃ……次の段階に進めない……」
深呼吸をひとつ、もう一度ページをめくる。
「……よし、まずは第三案を軸にして、藤堂監督と田代の折衷案を作るか……」
俺はペンを取り、赤字を入れつつ、自分なりに調整案を書き込んでいく。
未決定のシナリオが並ぶ机の上、キャストの顔が浮かび、会議室の怒声も遠くに響く。
だが、ここから先は俺の手腕次第だ。
「……さて、どう料理するか……俺の腕の見せ所だな……」
胃の痛みと戦いながらも、桐谷雅彦は次の段階への覚悟を胸に決めるのだった。
会議室に入る前から、胸が締めつけられていた。
藤堂亮の眼光は鋭く、机の上に置かれた資料を見ただけで、血飛沫の妄想が頭に浮かぶ。
田代美咲はすでに眉をひそめ、赤ペンを手にして待ち構えている。
俺は深呼吸をひとつして、両手に資料を抱え、口を開いた。
「藤堂監督、田代さん、今回のシナリオ案ですが、第三案を軸に折衷案を作ってみました」
藤堂は腕組みしたまま、冷たい視線で俺を見下ろす。
「ふん、折衷? 妥協案か。どれだけ迫力を削ったんだ?」
「いや、削るというより、演出の自由度は残しつつ、倫理的配慮も加えました」
俺は資料を机に広げ、ページをめくりながら説明を続ける。
「悪人の心理描写を残し、観客が共感できる部分も確保しました。その上でクライマックスの迫力も維持しています」
田代は眉間にしわを寄せ、赤ペンを手にして資料を覗き込む。
「……なるほど……でも、血飛沫の量や斬撃の描写はまだ多すぎます。倫理的に問題がある表現は……」
「そこは調整可能です。藤堂監督の意図も尊重しつつ、田代さんのチェックを通す形で対応します」
俺の声には、どこか必死さが混じっていた。
会議室の空気は、瞬間的に張りつめる。
藤堂亮は唇の端を引き、低く笑った。
「ふむ……なるほどな。だが、観客は迫力を求めている。俺の演出が制限されるのは許せんぞ」
岸本春男も同意するように首をかしげる。
「迫力は必要だ。ただ、倫理面も無視できん。なるほど、折衷案か……」
田代は赤ペンを振り上げ、資料に線を引きながら声を荒げる。
「でも、これはまだ妥協の余地があります! あくまで子どもや一般観客にも配慮すべきです!」
俺の頭の中で、血飛沫と赤ペンのイメージが交錯し、胃がきりきりと痛む。
「……わかりました、田代さん。ここは具体的に数字で調整します。斬撃や血の描写はここまで、迫力はここで演出してもらう、という形で」
俺はペンで線を引き、折衷案のポイントを示す。
「藤堂監督、ここはあなたの裁量で、演出として盛り上げてください。ただし、赤ペンの範囲は守る形でお願いします」
藤堂亮は一瞬目を細め、俺を見つめる。
「……なるほど、俺に自由は残す、だな。いいだろう」
田代はまだ眉をひそめるが、ため息混じりに頷いた。
「……仕方ない……ここまで譲歩するしかないですね」
会議室には一瞬の静寂が流れた。
だが、その静寂の奥には、火花が散り続けるような緊張が残っている。
俺は資料を抱え直し、深呼吸をひとつ。
「……ふう、なんとか一歩前進か……」
しかし、頭の中では血飛沫と赤ペンの嵐がまだ渦巻いている。
映画化現場の地獄は、ここからが本番だ。
俺は心の中で呟く。
「……さて、これでキャストと具体的な演出の調整に入らないと……まだ戦いは終わらない……」
会議室のドアを開けた瞬間、空気がぎゅっと重くなる。
今日は映画『闇の狩人』のキャスティング会議だ。
机の周りには藤堂亮、岸本春男、田代美咲、そしてプロデューサーの俺、桐谷雅彦が揃って座っている。
キャストの候補はまだ来ていないが、すでに緊張感で室内の空気は張りつめていた。
「さて……今日からキャスティングを本格的に決める」
俺は資料を広げながら口を開く。
「主役から脇役まで、候補者リストはすでに上がっています。皆さんの意見を聞きながら、最終決定に向けて調整します」
藤堂亮は腕を組み、無言で資料を睨む。
岸本春男は古びたメガネの奥から目を光らせ、紙をくるくる回しながら呟く。
「うむ……やはり山田剛が主役か……テレビシリーズでの人気もあるし、彼に外れはないな」
田代美咲は赤ペンを手に、資料を丁寧にチェックする。
「……でも、山上ローラのキャラは、映画でも安定感が必要です。天然キャラも面白いですが、演技の安定性も重視してください」
俺は資料を手で押さえ、田代に頷く。
「もちろん、田代さんの意見は重要です。ただ、映画としてはキャラクターの個性も大事なので、天然さを完全には削らない方向で」
藤堂は机を叩き、低く笑った。
「天然キャラ? 面白いじゃないか。観客は笑いも欲してる。山上ローラ、うちの映画にハマるだろう」
岸本も微笑む。
「まあ、多少の天然は映画のスパイスとして有効だろう」
俺は資料をめくりながら、鏑木一誠の名前に目を止める。
「そして、二人目の主人公には鏑木一誠を考えています。元悪代官役で一躍人気になった俳優です。迫力もあり、主役との相性も悪くない」
田代は眉をひそめ、赤ペンで名前を丸で囲む。
「……迫力は認めますが、過激な演出に耐えられるか心配です。演技力はあるものの、倫理面での調整が必要です」
俺は頭をかき、深呼吸する。
「そこは藤堂監督の演出次第で、抑制も加えてもらう予定です」
会議室の外から、ローラの声が微かに聞こえた。
「桐谷さん、主役決めるなら、私も参加していいですか?」
俺は微笑みを返す。
「もちろん、君の意見も参考にする」
藤堂は再び資料を睨みながら、低く呟く。
「キャスト選びは重要だ……映画の質はここで決まる」
俺は心の中で小さく溜息をつく。
キャスティングひとつで、藤堂の過激演出と田代の赤ペン、そして俺の胃が再び危険水域に達することは間違いない。
「……よし、では順番にキャストを確認していこう」
俺は資料を手に取り、会議を正式に開始する。
未決定のシナリオと未だ揺れるキャラクター選定——
桐谷雅彦の戦いは、まだ続く。
キャスティング会議は、まだ熱気と緊張が混ざったまま続いていた。
藤堂亮は資料に目を落としたまま、低い声でぽつりと呟く。
「……敵の親玉、大名役は矢田藤七だな」
俺は思わず息を止める。
矢田藤七――業界では知らぬ者のいない大御所中の大御所。年齢も七十を超え、存在感だけで画面を支配する俳優だ。
「……藤堂監督……矢田さんですか?」
藤堂は目を細め、静かに頷く。
「そうだ。俺の人脈だ。スケジュールの調整も済んでいる。映画としての威圧感、貫禄、すべて揃っている」
田代美咲は資料を見下ろし、眉をひそめる。
「……大御所……確かに迫力はありますけど、演技力は折り紙つきですが、倫理面や過激描写への耐性はどうですか?」
藤堂は口角を少し上げ、笑みを含ませる。
「心配無用。矢田藤七、役者としてのプライドがある。演出には従うだろう。ただ、存在感は絶大だ。画面全体を引き締めてくれる」
俺は深く息を吐き、資料を押さえる。
「……なるほど……さすが藤堂監督、人脈が強力ですね」
岸本春男も、資料をめくりながら感嘆するように呟いた。
「なるほど……敵の大名役に大御所とは……確かにこれなら映画としての重みが増すな」
ローラが机の端から顔を出し、興味津々で口を挟む。
「へえ、矢田さんですか! 画面に出るだけで迫力満点って感じですね」
俺は微笑むしかなかった。
「そうだな……藤堂監督の意図がよく分かる。敵の親玉として画面に存在するだけで、物語の緊張感が増す」
だが、心の奥では、胃の痛みと、赤ペンの嵐への恐怖が再びよぎる。
「……大御所が入れば、迫力は確実。でも……田代さんのチェックが入ったら……どうなることやら……」
会議室の空気は一瞬重くなり、俺は資料を手で押さえたまま息を整える。
藤堂亮は机を軽く叩き、低く笑った。
「これで敵味方のバランスは完璧だ。大名役が矢田藤七なら、主役の山田剛や鏑木一誠も映える。画面全体の重心が決まる」
俺は頭をかきながら、思わず心の中で呟いた。
「……やれやれ……これで血飛沫と赤ペンの嵐がますます恐ろしいことになる……」
会議室の空気は再び緊張感を帯び、桐谷雅彦の戦いは、新たな局面を迎えた。
敵の親玉、大御所矢田藤七の配役――藤堂亮の強力な人脈により、映画の盤面は一気に決定的なものになったのだ。




