第5話/地獄の会議
会議室に足を踏み入れると、空気は熱気と緊張で満ちていた。
山田剛、山上ローラ、鏑木一誠――主役三人がすでにテーブルを囲んでおり、俺を見上げる。
「桐谷さん、今日の打ち合わせって……」山田が穏やかに切り出す。
「いや、まだ企画段階なんだ。脚本も演出も決まってない。ただ、監督と脚本家の意向をざっくり共有する必要がある」
俺は深く息を吸い、資料を机に並べる。
岸本春男が口を開く。
「今回の映画、まだシナリオは固まっていません。ですが、藤堂監督とは『時代劇の血の表現』の方向性について意見交換しました」
藤堂亮は無言で頷き、瞳に独特の光を宿している。
俺は背筋を伸ばす。
まだ企画段階だというのに、二人の怪物的な情熱がすでにテーブル上に渦巻いている。
藤堂が低く響く声で言う。
「主人公が斬られるシーン、どのくらいリアルに血を表現するか……理想は現場で検討します」
岸本も負けじと指をくるくる回しながら補足する。
「血だけじゃなく、心理的恐怖も映像に刻むべきだ。どの程度の恐怖で観客を揺さぶるかも、企画の段階で方向性を出しておく」
俺は思わず唾を飲む。
血飛沫の話が始まると、田代美咲の顔がみるみる赤く染まっていく。
額に汗を浮かべ、赤ペンを握りしめる手が震える。
「桐谷さん……これは……!」
声が怒気を帯び、会議室全体に響き渡る。
山上ローラは手で口を押さえ、鏑木一誠は眉をひそめる。
山田剛だけが静かに俺の方を見て、深く息を吸った。
「……桐谷さん、どうします……?」
目で訴えられ、俺は唇を噛む。
まだ具体的なシナリオは決まっていない——だというのに、現場はすでに戦場の予感で満ちていた。
藤堂と岸本の血飛沫談義は続き、具体的なカットや演出の理想像を議論している。
俺の頭の中では、血飛沫がスクリーンに飛び散る光景と、田代の真っ赤に染まる顔が交錯する。
心臓は早鐘のように打ち、胃の奥がぎゅっと締め付けられる。
「……これは……本当に、どう収めればいいんだ……」
俺は深く息を吸い、机の端を握りしめる。
シナリオはまだ決まっていない。
だが、この会議だけで、血飛沫と赤ペンの嵐、監督と脚本家の怪物的熱意、田代の正義感、キャストの戸惑い……すべてが俺の胸に圧し掛かる。
会議室の空気が一段と張りつめた。
テレビシリーズ「闇の狩人」のファンを意識して、俺はどうまとめるべきか迷っていた。
しかし、岸本春男と藤堂亮の間で、シナリオの方向性について火花が散っていたのだ。
岸本が声を張る。
「テレビシリーズでは、悪人も改心する瞬間が描かれた。それが物語の深みだ! 勧善懲悪にただ振り切るだけでは、魂の重みがない!」
一方の藤堂亮は眉を寄せ、低くうなり声をあげる。
「俺は違う。映画では観客の目を奪うインパクトが必要だ。悪は悪として裁かれ、勧善懲悪のカタルシスを提供する。それこそが映画のエンタメだ」
田代美咲はすぐに声を荒げる。
「どちらにしても、暴力表現には限界があります! 血飛沫や過激描写も、倫理に反しない範囲で……!」
しかし藤堂は無視するかのように机を叩き、岸本も譲らない。
俺は椅子に深く腰掛け、手元の資料を押さえながら息を飲む。
キャストの顔を見ると、山田剛は眉をひそめ、ローラは口を開けて驚き、鏑木は手で顔を覆っている。
「……これは……どう収拾つければ……」
心の中で唸る。
未決定のシナリオで、しかも企画会議なのに、現場の火花はすでに火山級だった。
岸本がさらに譲らず、声を震わせながら言う。
「悪人にも理由がある。彼らの弱さや迷いを描いて初めて、主人公の正義が際立つんだ!」
藤堂亮は鼻で笑い、低く言った。
「理由なんてどうでもいい。観客に見せるのは結果だ。血も恐怖も、罪を裁く衝撃も、全部映画で提示する」
田代は両手で赤ペンを握りしめ、顔を真っ赤に染めながら叫ぶ。
「そんな……そんな表現……! 倫理的に、絶対許せません!」
「俺……どうすれば……」
俺は小さく呟き、資料を押さえながら頭を抱える。
正義感に燃える田代、妥協なき藤堂亮、物語の深みを守りたい岸本、そして現場に立つキャストたち――
すべての要素が俺の胸を押し潰しそうだった。
会議室は次第に喧々諤々の声の嵐となり、俺は資料を握りしめたまま、戦場の只中に立つ船長のように、身動きひとつできずにいる。
「……ああ、これは……映画化する前から、すでに戦争だ……」
俺の頭の中で、血飛沫と赤ペンの嵐が同時に舞い、胃が疼く。
それでも、俺は覚悟を決めるしかなかった。
「……俺が、この会議をまとめるしかない……」
未決定のシナリオ、怪物のような監督、正義の炎を燃やす田代、美味く収めなければならないキャストたち――
桐谷雅彦の戦いは、まだ映画化企画段階で、すでに地獄の入り口に立っていた。
「……でも、主人公ってやっぱり悪人を改心させるべきじゃないですか?」
山田剛の声が、会議室の重い空気の中で響く。
普段は無口な彼が、真剣な表情で口を開いたことで、一瞬、皆の視線が止まる。
「山田くん、それも一理あるが、映画としての迫力はどうする?」
藤堂亮が低く、鋭く返す。
「迫力? 迫力なら血も恐怖も最大限に表現するしかないだろう!」
岸本春男も口を挟む。
「いや、迫力だけでは物語の深みが失われる。悪人にも背景があり、迷いがあるから、観客は主人公に共感できるのだ」
「……でもさ、そうなるとローラちゃんが演じる町娘は……」
鏑木一誠が口をはさむと、山上ローラが手で髪をかき上げながら声を上げた。
「えー! 私の役、どうなるのよ! ただの清楚な娘じゃないんだから、性格も変わるの!?」
「いや、ローラの天然キャラは必要だ。でも、改心シーンとか勧善懲悪シーンとか……どういうバランスにするか……」
俺は資料を握りしめ、椅子に深く腰掛けながら頭を抱える。
田代美咲は目を真っ赤にして机を叩く。
「そんなこと……そんなこと許せません! 倫理的に問題がある表現は絶対に……!」
俺の頭の中で、血飛沫と赤ペンのイメージが一度に押し寄せる。
胃が痛み、背筋に冷たい汗が伝う。
「……ああ、もう……どうまとめれば……」
俺は小さく息をつき、思考を整理しようとするが、キャストの意見も監督と脚本家の激論も、田代の怒声も、全てが同時に襲ってくる。
山田は正義感から、主人公の行動に人間らしさを求める。
鏑木はブレイク俳優として主役級の見せ場を確保したい。
ローラは天然キャラの魅力を守りたい。
そして藤堂亮は演出の妥協を許さない。岸本春男は物語の深みを譲らない。
田代は倫理の名の下、全てに赤ペンを振りかざす。
俺は資料をぎゅっと握りしめ、唇を噛む。
「……ああ、どうしよう……俺が折れなければ、現場が崩壊する……」
思わず頭を抱え、天井を見上げる。
汗と胃の痛み、混乱する思考、すべてが重なり、俺はまるで押し潰されそうだ。
それでも、会議は進む。
誰も譲らず、誰も折れない。
だが、どこかで全員の目が俺に集まる瞬間がある。
「桐谷さん、どうします?」
「桐谷さん、まとめてください……」
俺は深呼吸し、手元の資料を押さえる。
「……わかった、俺が、なんとか……まとめる……」
板挟みに耐えながら、覚悟を決める。
企画段階ですでにこれほどの戦場なら、映画化現場は地獄だ。
「……これを生き抜かなきゃ……俺の仕事だ……」
会議室の中、血飛沫の妄想と赤ペンの嵐が交錯し、桐谷雅彦の頭はもういっぱいだった。
未決定のシナリオ、怪物的監督、正義の炎を燃やす田代、キャストたちの思惑——
全ての板挟みに、俺は今、確実に押し潰されそうになっている。
会議室は既に熱気と緊張で満ちていた。
藤堂亮と岸本春男が血飛沫の描写で意気投合し、田代美咲は顔を真っ赤にして怒鳴り、山田や鏑木も意見を言いにくそうに押し黙っている——そんな空気の中、山上ローラが突然、ぽつりと言った。
「……そんなに斬り合いがしたかったら、最後に100人ぐらい斬っちゃえばいいのに……」
その瞬間、会議室の空気が微妙に変わった。
誰も言葉にしなかったけれど、ローラの一言は、藤堂と岸本の熱を一気に煽り、山田と鏑木の心にも小さな炎を灯した。
山田が口を開く。
「……まあ、それも……ありかもしれませんね。最後に一気に決着をつける、みたいな」
鏑木も頷き、にやりと笑った。
「やっぱり、映画は派手に見せないと。100人斬り、ちょっと面白そうじゃないですか」
藤堂亮は微笑みながら机を叩き、目を輝かせる。
「そうだ、それでいいんだよ! これぞ映画のクライマックスだ!」
岸本も指で小さく円を描きながら、にやにやして言う。
「ふふ、なるほど、悪人は改心せずに、最後に全力で斬られる……か。深みは犠牲になるが、映画としての迫力は間違いなく出るな」
しかし、田代美咲は顔を真っ赤にして、机を叩きながら叫んだ。
「……なっ……何言ってるんですか! 倫理的に絶対に許せません! 100人斬るだなんて……!」
その叫び声が、会議室にこだまし、俺の心臓をさらに締めつける。
俺は手元の資料をぎゅっと握り、背中を丸める。
「……ああ、もう……どうまとめれば……」
板挟みに耐えながら、キャストの意見と監督・脚本家の情熱、田代の怒りの渦が、俺の胸を押し潰す。
しかし、誰も引かない。
ローラの何気ない一言が、会議の流れを変え、藤堂・岸本・山田・鏑木の共感を呼び、会議室の大半が「最後に派手にやろう」という方向に傾きつつあった。
「……くそ、どうやって田代を止めるんだ……」
俺は思わず小声で呟き、机に顔を伏せる。
赤ペンの嵐と血飛沫の妄想が同時に頭の中を駆け巡り、胃がきりきりと痛む。
だが、それでも、俺は覚悟を決めるしかなかった。
「……俺が……なんとか、この場をまとめる……」
未決定のシナリオで、未だ混迷する企画会議——
桐谷雅彦の戦いは、まだ始まったばかりだった。
「……いや、ちょっと待ってください!」
田代美咲が立ち上がり、声を張り上げる。
「100人斬りだなんて、倫理的に絶対に許せません! そんな描写をそのままスクリーンに出すなんて……!」
藤堂亮は笑みを浮かべながら肩をすくめ、低く言う。
「許せない? 倫理的? 映画は現実じゃない。血も恐怖も、物語のスパイスだ」
岸本春男も苦笑し、指をくるくる回しながら付け加える。
「まあな、物語としての迫力を出すには、多少の血飛沫は避けられない……しかし、倫理的配慮も考えるべきだな」
俺は手元の資料を押さえ、深く息を吸う。
「……田代さん、もちろんあなたの言うことも一理あります。倫理や暴力表現への配慮は必要です。ただ、映画としての迫力も出さないと、せっかくの企画が台無しになります」
田代は机を叩き、眉をひそめる。
「そんな……そんな妥協は……!」
「いや、待ってくれ」
俺は声を抑え、両手を広げて落ち着かせようとする。
その瞬間、山田が静かに口を開いた。
「桐谷さん、僕も田代さんの意見は理解できます。でも、映画としての魅力も大事です。100人斬りをそのままやる必要はなくても、インパクトは欲しい……」
鏑木も同意するように頷いた。
「派手に見せる工夫は必要だけど、田代さんを怒らせるほどやる必要もない。バランスが大事だ」
ローラはにやりと笑い、両手を腰に当てる。
「ほら、桐谷さん。私の一言が火種になったけど、みんな結局、派手さは欲しいのよね。田代以外は」
俺は資料を握りしめ、頭を抱える。
赤ペンの嵐と血飛沫の妄想が頭をぐるぐる回る中で、妥協点を探るしかない。
「……わかった、じゃあこうしよう。シナリオはまだ未決定だから、暴力表現は抑えつつも、迫力ある演出は藤堂監督に任せる。ただし、田代さんの許容範囲を明確にして、赤ペンの嵐が吹き荒れないように調整する」
田代は眉をひそめ、なおも抗議の意志を示すが、山田や鏑木、ローラの視線に押され、少し黙った。
藤堂は低く笑い、岸本もくすくす笑ってうなずく。
「……ふう……」
俺は深く息を吐き、頭を掻く。
会議はまだ完全に収まったわけではないが、ひとまず、板挟みの中で最小限の落としどころを見つけた――未決定のシナリオでの妥協案だ。
心の奥で、血飛沫の妄想と赤ペンの嵐は消えていない。
だが、俺は一歩ずつ、現場に向けて舵を取るしかなかった。
「……まだ戦いは始まったばかりだ……」
俺はそう呟き、会議室を後にした。




