表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テレビでやるだけでも大変だったのに今度は時代劇映画を作れと言われた俺はどうすればいいんだろうか?  作者: ふゆはる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/20

第4話/そりゃこうなる

 桐谷雅彦――俺は、事前打ち合わせの名目で田代美咲を食事に誘った。

 局の会議室では絶対にできない話が、居酒屋の薄暗い照明の下ならまだ少しは通じるかもしれない、と思ったからだ。


 店に入ると、田代はすでに座っていた。背筋を伸ばし、手元にはスマートフォンと赤ペンが見える。

「桐谷さん、遅かったですね」

 その声には冷たさがあり、普段の優等生的な正義感が、そのまま目の前に立っているようだった。


 俺は深く息を吸い、テーブルに資料を広げる。

「田代さん、今日はちょっと……映画『闇の狩人』の現場について、事前に共有したいことがあって」


 酒を勧めると、田代は一瞬迷った後、コップに手を伸ばした。

「……仕事ですから、少しだけ」

 氷がカランと鳴り、二人の間にわずかに緊張が漂う。


 俺は覚悟を決めて、藤堂亮の方針を伝える。

「藤堂監督……映像に妥協は一切せず、全ての演出を自分の信念で撮ると言っています。血も暴力も、表現として最大限追求するつもりです」


 その瞬間、田代の表情が変わった。

 目が一瞬で燃え上がるように光り、掌に握った赤ペンが机を叩く。

「……何ですって!? 血飛沫ですって!? 暴力表現ですって!?」

 声が徐々に大きくなり、居酒屋の他の客もちらりとこちらを見やるほどだった。


 俺は慌てて制止する。

「田代さん、落ち着いてください! これは……現実の現場です。監督の方針を前提に、対策を考えたいだけで……」


 しかし田代の怒りは止まらない。

「落ち着く!? 桐谷さん、あなた本当に分かっているんですか!? そんな表現、絶対に許せません! 俳優もスタッフも危険に晒すかもしれないんですよ!?」


 酒の勢いも手伝ってか、声はますます荒々しく、赤ペンを振り回すように机を叩き、資料の端がひらひらと舞う。

「誰が責任取るんです! 局が黙認するんですか!? これ、絶対に差別的で暴力的で……!」


 俺は頭を抱えそうになる。

 藤堂亮の怪物性、田代の烈火の如き正義感、そして現場の荒波——

 頭の中で血飛沫と赤ペンの幻影が再び渦巻き、吐き気がこみ上げる。


「……わ、わかった……俺も最大限、田代さんの指摘を現場に反映させます……」

 声が震える。

 だが、田代の視線は、まだ消えていない。烈火のごとく燃えた赤い炎が、俺の胸に突き刺さる。


 酒の香り、居酒屋のざわめき、赤ペンの軋む音——

 全てが現実と幻覚の狭間で俺を押し潰す。

「……これが、藤堂亮の現場か……」

 静かに呟き、俺は深く息を吐いた。

 覚悟はしていたつもりだったが、田代の怒りの炎を目の当たりにして、現実の荒波はさらに苛烈であることを思い知らされた。


 田代美咲の目が、まるで火山の噴火口のように赤く燃えた。

「桐谷さん、何を考えているんですか!?」

 その声は居酒屋の天井まで届くんじゃないかという勢いで、俺の耳をつんざく。


 赤ペンを握る手が、机を叩き、資料を散らす。

 紙が宙を舞い、酒のグラスも微かに揺れる。

「血飛沫だと!? 暴力表現だと!? そんな映画、絶対に許せません! 俳優はどうなるんですか! スタッフはどうなるんですか!」


 俺は何度も口を開くが、言葉が喉でつかえる。

「田代さん、ちょっと落ち着いて……俺も調整は考えています……」


 しかし田代は聞かない。

 声がさらに荒くなり、ペンを振り上げる手に力が入りすぎて、紙の端がくしゃくしゃになる。

「落ち着く!? ふざけないでください! 誰が責任取るんです! こんな映像、絶対に放送できません! 差別的、暴力的……いや、人道的にも許されない!!」


 その勢いは増すばかりで、周囲の客もちらほらこちらを見てざわつく。

 俺の頭の中に再び血飛沫と赤ペンの幻影が交錯する——

 スクリーンには血が飛び散り、赤ペンが企画書を容赦なく切り裂く。

 現実と幻覚の境界が消えかかり、胸の奥が締め付けられるように痛む。


「……わ、わかりました……田代さん……俺も最大限、考慮します……」

 声が震える。

 だが、田代の怒りは止まらない。

「考慮!? そんな生ぬるいことじゃ済みません! 桐谷さん、このままだと現場は大混乱です! 血も暴力も容認するつもりですか!? 俳優やスタッフを危険にさらすつもりですか!?」


 俺は椅子に深く座り直し、額の汗を拭う。

 心臓は早鐘のように打ち、息を吸っても胸が苦しい。

「……これが……藤堂亮の現場か……」

 頭の中で血飛沫と赤ペンがうねり、逃げ場のない荒波が押し寄せてくる。


 田代はさらに声を荒げ、最後にはグラスを軽く叩きながら叫ぶ。

「絶対に……絶対に、このままでは許せません……!」


 俺はただ、深く息を吐くしかなかった。

 この怒りの渦に、現場の荒波、藤堂亮の妥協なき意思、そして自分の責任——

 全てが一度に襲いかかってくる。

「……俺は、どうすれば……」

 椅子に沈みながら、俺は途方に暮れ、現実と幻覚の狭間で揺れる自分を感じた。

 田代の叫びがようやく少し収まった。

 息を荒げ、額に汗を浮かべ、机に突っ伏すようにして肩を震わせる。

 その姿を見て、俺は静かにノートを閉じた。

「……田代さん、落ち着いてください」

 声は低く、できるだけ柔らかく。

「怒りは分かります。俺も、俳優もスタッフも安全に撮影することが第一です。だから、今の段階でできる対策を一緒に考えてほしいんです」


 田代はまだ震えていたが、少しずつ顔を上げる。

「……桐谷さん、本当にわかっているんですか……?」

 声はまだ強いが、さっきの烈火のごとき勢いは徐々に和らいでいた。


 俺は深く息をつき、頭の中で現場の状況を整理する。

 藤堂亮の意思は妥協なきものだ。血も暴力も、映像表現として最大限追求する。

 キャストは山田剛、ローラ、鏑木一誠と豪華だが、演技経験や安全面に差がある。

 スタッフももちろん、過激な演出に対する備えが必要だ。

 そして、田代のコンプライアンスの目も、現場では容赦なく回る。


「田代さん、まずは現場での安全策を具体化しましょう」

 手元のノートにメモを取りながら、声に出す。

「血飛沫はCGか安全装置を使い、俳優には事前に全カットの流れを説明。スタッフには保護具を用意します。田代さんには現場で赤ペン役……じゃなくチェック役として、最初から監督の意図と合致しているか確認してほしい」


 田代はまだ眉を寄せるが、少しだけ頷いた。

「……それなら、やれるかもしれません……」

 声は小さいが、意思は確かだ。

 俺はその頷きを受け取り、心の中で小さく安堵する。


「そして、藤堂亮には……」

 俺は自分に言い聞かせるように続ける。

「妥協はさせない。だけど、危険は最小限に抑える。両立できる方法を考えるしかない」


 酒の香りと居酒屋のざわめきが、少しずつ現実に戻してくれる。

 頭の中の血飛沫と赤ペンの幻影は、まだ残っている。だが、それを恐怖だけで終わらせてはいけない。

 俺の役目は、現実の現場を動かすこと。

 荒波に立ち向かう船長のように、俺は覚悟を固めた。


「……よし。これで準備は整った。現場に行くしかない……」

 深く息を吸い、手元のノートを胸に抱く。

 田代の視線が鋭くも温かく、自分の背中を押してくれる。

「……やるしかない……藤堂亮の怪物現場を、俺がなんとか収めるんだ」


 そして、俺は立ち上がった。

 荒波の向こうに待つ血飛沫と赤ペンの嵐を、現場で初めて目の当たりにする前に、少しでも備えるために。

 桐谷雅彦――ベテランプロデューサーの戦いは、ここから本格的に始まろうとしていた。

 居酒屋を出る頃には、すでに身体中が重く、足取りもふらついていた。

 酒のアルコールが、心臓の奥を熱く通り抜けると同時に、胃の奥から鋭い痛みが波のように押し寄せる。

 俺は自分の体を支えながら、タクシーに飛び乗った。


「……やばい……」

 呟く声も、痛みにかき消されそうだ。

 胃の中で何かが焼けるように、じわじわと、そして強烈に疼く。

 脳裏には、田代の烈火の如き怒声、藤堂亮の妥協なき宣言、頭の中で暴れる血飛沫と赤ペンの幻影が、ぐるぐると渦巻く。


 自宅の玄関を開けると、無言の静寂が迎えた。

 照明をつけ、玄関の靴を脱ぐ。足元までずっしりと重い感覚がある。

 廊下をゆっくり歩き、リビングに倒れ込むように座った。


 胃の痛みは一層強まり、思わず手で腹を抱える。

「うっ……うっ……」

 唸り声がもれ、涙が自然と頬を伝う。

 悔しさ、恐怖、責任感、疲労……すべてが一気に押し寄せ、理性が崩れそうになる。


 でも、同時に笑いも混じる。

 馬鹿らしいほどに状況は過激で、荒唐無稽で、現実感がなさすぎて、思わず声を出して笑ってしまう。

「……俺って……ほんと……バカだな……」

 笑い声は嗚咽に変わり、泣き笑いとなる。

 痛みで顔をしかめ、涙で視界を濡らしながらも、頭の中では次々と現場の問題点が整理されていく。

 血飛沫、赤ペン、藤堂亮の演出、キャストの安全、田代の烈火の正義感……すべてが俺の頭の中で交錯し、まるで一つの戦場のようだ。


 息を整えようと深呼吸するたび、胃の痛みが鋭く突き刺さる。

 それでも俺は、泣き笑いの中で一つ決意する。

「……俺がなんとか……しなきゃ……」

 誰にも頼れない、この現場を生き延びるためには、自分の全てをかけるしかない。


 膝を抱え、天井を見上げる。

 涙が頬を伝い、笑いの痕跡が唇に残る。

 痛みと不安、責任感と恐怖が入り混じる中で、俺はこの奇妙な感覚をしばらく噛み締めた。

「……これが……俺の、仕事だ……」


 時計の針は夜遅くを示している。

 部屋には静寂だけが残り、俺の泣き笑いと荒い息が響く。

 それでも、この苦悶の中で少しずつ、覚悟が形を帯びていった。

「……明日も……戦わなきゃ……」


 俺は布団に倒れ込み、胃を押さえたまま、泣き笑いのまま夜を迎える。

 荒波の前夜、桐谷雅彦の孤独な戦いは、まだ始まったばかりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ