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テレビでやるだけでも大変だったのに今度は時代劇映画を作れと言われた俺はどうすればいいんだろうか?  作者: ふゆはる


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2/20

第2話/打ち合わせからこれですか

 電話の次は、局内の最も恐ろしい壁——コンプライアンス担当、田代美咲だ。

 若手スタッフが笑顔でメールを開く横で、俺の手は微かに震えている。


「……よし、行くしかない」

 深呼吸を一つ。スマホを取り、田代の番号を押す。


 ――カチッ、カチッ、カチッ、ツー……


「もしもし、田代さんですか。桐谷です……」


 電話の向こうで、軽やかな声が響く。

「桐谷さん、どうしました? 今日も残業ですか?」

 明るく、しかしどこか鋭利な声。田代美咲。

 彼女の声には、正義感と規則への忠実さがびんびん伝わってくる。

 俺は胃を押さえながら、ゆっくりと言った。


「えっと……その……『闇の狩人』、映画化が決まりまして……」

 一瞬の間。電話の向こうで、微かな息遣いが聞こえる。

「……映画化ですか?」

 声は柔らかいが、潜む鋭さは隠せない。


「はい。企画段階ではありますが、正式に進める予定です」

「なるほど……」

 田代の声には、確かな注意力がこもる。

「ただ……テレビシリーズでは許されていた表現も、映画では慎重にならざるを得ません。桐谷さん、この点は大丈夫ですか?」


「……そ、それが問題なんです」

 俺は小さく息を吐く。

「テレビでは通った刀の斬撃や町娘の行動も、映画では赤ペンで潰される可能性が……」


「赤ペン? ああ、そうですね。私の仕事は、差別表現、暴力表現、倫理面でのリスクを潰すことですから」

 田代の声は明るく、しかし鉄壁のように冷たい。

「でも、正義のためです」

「……ええ、わかっています」

 俺は俯き、肩の力を抜く。

「わかっていますが……胃が痛いんです」

 電話越しに軽く笑われた。


「桐谷さん、心配いりません。私も赤ペンばかりじゃありませんから。面白く、かつ安全に届ける方法は必ずあります」

 声に少しだけ温かみが混じる。

「……ええ、でも、現場の混乱は避けられないと思います」

 俺の頭には、若手スタッフの飛び跳ねる声、ポスター案、岸本春男の低く哀愁ある声がぐるぐる回る。


「そこは桐谷さんの腕の見せ所です。プロデューサーなんですから、調整してください」

 彼女は断言する。

 俺は拳を握りしめ、苦笑する。

「はい……わかりました……やるしかないですね」


 電話を切った後、俺の胃の奥はまだキリキリ痛む。

 だが、少しだけ光が差した気もする。

 岸本春男には任せられる。田代美咲にはチェックしてもらえる。

 そして、若手たちの熱気も背中を押してくれる。


「よし……まずは第一波を乗り越える。映画はまだ企画段階だが……」

 俺は机の上の白紙を見つめ、深呼吸した。

「次は……岸本さんとの初打ち合わせ、具体的な脚本作り……」


 廊下の歓声と笑い声が聞こえる。

 局内は祭り騒ぎだ。

 その熱気の中、俺だけが孤独な船長のように、未知の映画の海に一人立たされている。


 そして、まだ見ぬ嵐と戦いながら、俺はペンを握るのだった。

 午前十時、局内の会議室に俺は一歩踏み入れた。

 大きな長机の向こうには、岸本春男が静かに座っている。年季の入った革の手帳を開き、ペンを握る指先が微かに震えているのがわかる。まるで、これから戦場に赴く武士のような空気を纏っていた。


「おはようございます、岸本さん。桐谷です」

「おぅ、桐谷……来たか」

 彼の声は低く、少しだけ哀愁が漂う。長年、時代劇を作り続けてきた男の余裕と疲労、そしてまだ消えぬ情熱が混ざった声だった。


 会議室の蛍光灯は、やや白く硬い光を放っている。窓の外では、早朝の都会の喧騒が遠くに聞こえる。俺は深呼吸を一つし、テーブルの書類に目を落とした。

「さて……映画化です。テレビシリーズでの成功を踏まえ、映画ではキャラクターの掘り下げをもっと深く、物語を一本に凝縮したいと考えています」

 俺の声はやや震えていた。気負いだけが先行する。


 岸本は目を閉じ、指先で手帳のページをなぞる。

「桐谷……映画は一発勝負だ。テレビのように数十話でキャラクターを育てる余裕はない。一作で全てを語らねばならん。尺、緊張感、人物描写……どれも妥協できん」

 その低い声に、俺の心臓は一瞬跳ねる。


「はい……そこは承知しています」

 俺は手元の企画書を指で押さえ、息を整えた。

「主役の山田剛さんは、テレビシリーズで寡黙な闇の狩人として人気を博しました。しかし映画では、彼の過去や心理をもう少し掘り下げ、観客が共感できる構造にしたいのです」


 岸本は目を開け、俺を見据えた。

「ふむ……なるほどな。だが、キャラクターの深掘りはな、簡単ではないぞ。セリフ一つ、表情一つで全てが決まる。俺はその重さを知っている」


 俺は頷き、手帳にメモを取る。

「もちろんです。テレビと映画は違います。全てが一作で勝負……責任の重さは、十分承知しています」

 言葉に自分を励ますように力を込める。


 岸本は少し笑った。

「ふん……若いのに、肝は据わっているな。だが、桐谷……映画は現場も違う。俳優たちも疲労し、意見も多い。監督の意向、演出の都合、スポンサーの要求……数々の壁が待っている」


 俺は息を吐き、頭をかく。

「……承知しています。ですが、俺たちはテレビシリーズで培った経験を生かし、最高の映画を作りたいんです」

「桐谷……お前の熱意はわかる。だがな……」

 岸本はペンを手に取り、手帳に何かを書き込む。紙に落ちるインクの音が、会議室に静かな緊張感を作る。

「面白くするには、時代劇の王道も外せん。だが、昨今のコンプライアンスや社会的配慮も無視できん。難しい注文だな……」


 俺は小さく息を吐く。

「はい……それが現実です。正直言って、胃が痛くなるくらいです」


 岸本は微かに笑った。

「それでいい。心配するな。桐谷、俺はまだ死んではいない。時代劇を愛し、物語を作る心は残っている。だが、お前も覚悟せよ。映画の現場は甘くない。ペンを投げたくなる瞬間は何度も来る」


「……はい。それでも、やり遂げます」

 俺は拳を軽く握りしめた。


 岸本は書き込みを終え、手帳を閉じる。

「よし、まずはプロット案をまとめ、キャラクターの軸を決める。桐谷、お前の仕事は……それを皆に伝え、現場を回すことだ」

 俺は深く頷き、胸の奥に湧く覚悟を感じた。


「わかりました……岸本さん、よろしくお願いします」

「よし……楽しみにしているぞ。テレビの枠を超えた闇の狩人を、共に作ろうではないか」


 会議室の空気は、緊張と期待が入り混じった熱気で満ちていた。

 蛍光灯の光に照らされる書類の上で、俺は深呼吸を一つ。

「よし……これで、映画化への第一歩だ。現場の混乱も、コンプライアンスの壁も、全部俺が乗り越える……」


 窓の外、都会の喧騒が遠くに聞こえる中、俺は一人、未知の海に漕ぎ出す船長のような気分で座り直した。

 この先には、ペンを投げる岸本春男、大混乱の現場、そして赤ペンを振り回す田代美咲との戦いが待っている。

 だが、俺はもう覚悟を決めていた。

 会議室から戻った俺のスマホが震える。

 画面には局の上層部からの通知。「至急、監督候補に関する指示あり」。

 深く息を吸い、背筋を伸ばす。まだ企画段階だが、ここで監督が決まらなければ、映画は現場にすら進めない。


「……やっぱり来たか」

 俺は一人、廊下の壁に手をつき、気持ちを落ち着ける。

 頭の中では、岸本春男の低く哀愁ある声、田代美咲の赤ペンの視線、若手スタッフの熱狂的な声がぐるぐる回っている。

 その全てが、重く胃を圧迫する。


 上層部との電話会議は、文字通り“戦場”だった。

「桐谷君、今回の『闇の狩人』映画化だが、監督候補を二名ピックアップした。我々としては、映画としての成功はもちろんだが、テレビシリーズのファン層も失いたくない」

 低く落ち着いた声が、電話越しに耳を突き刺す。

「……承知しました」

 俺の声は自然と小さくなる。


「候補の一人は、テレビシリーズの常連ディレクター、山本和也。安定感はあるが、新しい挑戦にはやや慎重すぎるかもしれない」

「はい……」

 山本和也の名前を聞いた瞬間、俺の胸の奥で微かにため息が漏れる。確かに安定はするが、映画化のスリルには少し物足りない。


「そしてもう一人は、新進気鋭の映画監督、藤堂亮。独創的な演出で業界内外で評価されているが、扱いは荒い。主演俳優や大御所脚本家との相性が未知数だ」

 俺の胃がキリリと締まる。

「……藤堂亮……」

 名前だけで現場が荒れる未来が浮かぶ。テレビ局の上層部としては挑戦の意味で推すのだろうが、俺としては、心臓の奥で警報が鳴る。


「桐谷君、君の判断も重要だ。我々としては、スピード感を持って決定したい」

 電話越しの声に、無言の圧力を感じる。

「……わかりました。現場とキャストとの兼ね合いもありますので、慎重に判断します」


 電話を切った後、俺は会議室の窓際に立ち、外の街を眺める。

 ビルの谷間を行き交う人々は、無邪気に日常を生きている。

 その平穏とは裏腹に、俺の頭の中ではキャストと監督、脚本家との関係がぐるぐると絡み合い、映画化の海は荒れ狂う。


「山本か……藤堂か……どっちを選べば、岸本さんと若手キャスト、そして田代美咲を納得させられるんだ……」

 俺の心は焦燥でいっぱいだ。

 それでも、プロデューサーとしての俺の役割は明確だ。決断し、現場を回すこと。


 手元のスマホを握り直す。

「まずは、両候補の過去作を洗い、脚本家と主演の相性を考える……」

 机の上に散らばる企画書、キャラクターメモ、スケジュール表を眺めながら、俺は決意を固める。

 映画『闇の狩人』はまだ企画段階だ。だが、ここから全てが動き出すのだ。


 廊下の壁に耳を傾けると、若手スタッフたちの興奮した声が漏れてくる。

「すごいな……映画になるんだ」

「主演も豪華だし、絶対観たい!」

 熱気が溢れる現場と、俺の胃の痛み。

 その狭間で、俺は深く息を吸った。


「よし……まずは、監督候補の調整だ。ここで間違えば、全てが崩れる……」

 孤独な船長のように、俺は荒れ狂う海原を前に立ち尽くす。

 そして、覚悟を胸に、最初の航路を決めるのだった。

 会議室から戻った後も、俺の頭の中は渦巻く思考でいっぱいだった。

 山本和也を監督に据えよう——安定感は抜群だ。俳優たちも慣れているし、現場の混乱も最小限に抑えられる。胃の痛みも多少は和らぐだろう。

 しかし、局内の空気は徐々に、藤堂亮へと傾きつつあった。


 岸本春男が口を開く。

「桐谷、藤堂亮の手腕は侮れんぞ。大胆で斬新な演出が、闇の狩人をスクリーンで生き生きと動かすだろう」


 俺の胸がざわつく。大胆……斬新……だが、藤堂の過去作といえば、血飛沫、残虐描写、グロテスクな映像のオンパレードだ。テレビシリーズでは決して許されなかった、あの「リアルな血の飛び散り」を映画で再現される……想像するだけで胃の奥がキリキリと痛む。


 局内でも、プロデューサー席から見下ろす上層部は興奮気味だ。

「藤堂監督なら、若手キャストの魅力も最大限に引き出せるはずだ。映画化で話題になる」

「テレビシリーズとは違ったインパクトを与えたい」

 耳を塞ぎたくなるほどの熱気。

 皆が口を揃えて「藤堂なら面白くなる」と言う中で、俺は必死に反論の材料を探す。


「でも、藤堂監督だと……ゴア描写、過激すぎます……」

 胸の内で、心の声が震える。現場で役者が怯え、田代美咲が赤ペンを振り回す光景まで、容易に想像できる。

「スクリーンに血が飛び散る……キャストは耐えられるのか……」


 岸本春男は渋い顔でうなずく。

「その通りだ。だが、映画は挑戦だ。桐谷、安定ばかりでは観客は唸らん。藤堂の才能を生かすことも考えねばならぬ」


 俺はテーブルに手を叩きたくなる衝動を抑える。

「わかってはいる……わかってはいるんだが……」

 頭の中で、テレビシリーズでの穏やかな闇の狩人、山田剛の寡黙な魅力が、スクリーンで藤堂によって過激に描かれる姿がフラッシュバックする。

 血飛沫が飛び散り、町娘の山上ローラが危うく吹き飛ばされる……そんな映像が、目に浮かんで吐き気がこみ上げる。


 局内の誰も、俺の胃の痛みまでは知らない。

 笑い声と歓声に包まれたオフィスの中で、俺は孤独な船長のように、荒波の上に一人立たされている。

 安定か、それとも挑戦か——選択の重さは、まるで心臓を締め付けるようだ。


「桐谷……どうする?」

 岸本の視線が俺を射る。鋭く、そして温かくもある。

「……藤堂……か……」

 小さく呟く。心の中では拒否したい衝動と、理性で押し返す覚悟がせめぎ合う。

「だが、現実は……彼に傾いている……」


 俺の視界にはすでに、スクリーンに飛び散る血飛沫の映像、叫び声、田代美咲の赤ペンが舞う姿がちらつく。

「やはり、胃に穴が開くのは避けられないのか……」

 孤独な船長の心臓が、荒波の上で跳ねる。

 だが、それでも俺は決めなければならない。映画『闇の狩人』は、ここから始まるのだ。

 俺は会議室の椅子に腰を下ろし、頭を抱えた。

 山本和也に直接連絡を入れ、映画『闇の狩人』の監督候補としての意向を聞かなければならない。

 だが、局内では藤堂亮への傾きが日に日に強まっている。

 胃の奥が締め付けられる感覚が、今日も俺を襲う。


「山本さん……もしもし、桐谷です」

 電話越しに、山本の落ち着いた声が返ってくる。

「桐谷か……おう、どうした?」

 安心感すら漂う声だ。山本は、テレビシリーズで俺たちが築き上げた安定の象徴だった。

「……映画化の話が来ていまして、是非監督としてお願いしたく……」

 声が少し震える。だが、理性で押さえる。


「映画……とな。なるほど、面白そうだが……」

 山本は少し間を置く。

「ただ、俺は大掛かりな演出や過激な表現は苦手だ。テレビの延長なら安心だが、映画は……どうなるのだ?」

 俺の心臓が跳ねる。まさに俺が懸念していたことだ。


「……そこなんです。山本さんの安定感は、現場にとってもキャストにとっても、絶対に必要なんです。ただ……局内では藤堂監督に傾いていて……」

 言葉を飲み込みながらも、正直に告げるしかない。


「藤堂……か」

 山本の声が低くなる。聞き慣れた名前が、俺の胸をさらに重くする。

 テレビシリーズで許された表現ではない、血飛沫、残虐描写……藤堂の得意技は、正直に言えば俺の胃には毒だ。


「そうなんです……藤堂監督なら大胆で斬新な演出は期待できますが、血や暴力が際立つ……」

 俺は目を閉じ、思考を整理する。

「山本さんにお願いしたいんです。安定感と現場コントロールのために」


 一瞬の沈黙。電話の向こうで、山本が深く息を吐く。

「桐谷……わかった。だが、君の判断は正しいと思う。だが現場はもう……藤堂に傾きつつあるのか」


「……はい、局内も岸本春男も、藤堂を推しています」

 俺の声はかすかに震える。

「桐谷……お前、大変だな……」

 山本は苦笑する。だが、その声には優しさが滲む。

「わかっている……しかし、俺にはやるしかないんだ……」


 俺は机に拳を叩く。周囲には若手スタッフの歓声が漏れる。彼らは映画化の熱気に胸を躍らせ、まだ現実の困難に気づいていない。

「局内は藤堂推し……岸本さんも『挑戦だ』と言う……血飛沫、過激な演出……想像するだけで胃が痛む……」


 電話を切り、俺は会議室の窓の外を見る。

 朝の光が都会のビルを照らす中、俺だけが荒波の上に立つ船長のように孤独だった。

 安定か、挑戦か、正義か、現実か——すべてが桐谷雅彦の肩にのしかかる。


 机の上には、企画書、キャラクターメモ、スケジュール表が散らばる。

 そして、テレビシリーズの岸本春男の手書きメモ——大胆な演出への期待と、伝統への執着——が俺の目に飛び込む。

「これをまとめ、現場を動かし、キャストを守る……」

 深く息を吐き、俺は拳を握る。

「……映画『闇の狩人』は、ここから始まるんだ。血飛沫も、赤ペンも、全部俺が受け止める……」


 廊下の向こうから、若手スタッフの笑い声と歓声が聞こえる。

 俺は肩を竦め、孤独な船長のように現場の荒波を見据える。

「よし……まずは山本をどう説得するか、次の作戦を考えよう……」

 そして俺の頭の中で、映画の荒れ狂う海が、静かに、しかし確実に広がっていった。


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