ユニット名決めなきゃ!
こうして一週間、僕はダンスのトレーニングに励んだ。
アルバイトなど、予定が空いている時間を相談し合って、毎日朝十時、夕方五時にスタジオで合流。1時間前後、新井くんに振り付けをみっちり教わることに。家に帰っても暇があれば練習を続けたし、分からない部分は一緒に踊った。
唯一の小さな事件があったのは、四日目の朝の特訓中、新井が足の捻挫を起こした件。幸い大したケガにはならずに済んだ。十分な休息を取ったら、何事もなかったかのように笑顔で踊ってた。恐ろしい。
最初の日は不安で、振り付けを全く覚えられなかった僕も、次第に少しづつ体が暗記してきた。同時に、ダンスに没頭する事が楽しかったのかもしれない。
「ふー。お疲れ」
「やっと終わったぁ~……」
七日目の午後。息を吐き、安堵する僕ら。
広く真っ白なスタジオの真ん中で、床に座り込んだり、仰向けに寝転んだりしている。
「それにしても、こんな古いビルの中に、なんで新しく増築されたみたいな部屋があるのかな。借りる料金も安かったんでしょ?」
「俺も最初ネットで見た時、ビックリしたわ。最初はなーんか怪しくて詐欺かと思ったんだけどさ。詳しく調べてみたら、れっきとした理由があって。元々このビルの所有者が、ほんの趣味で、使われてない地下室を改装したんだってよ」
「へー、そうなの」
「でもその人は既に年が行き過ぎてて、それから少し経たない内に、な」
「そんなことが……」
「だから今ここは、事故物件として扱われてるらしい」
「え――えええええええっ!?」
シリアスな空気が一変、鳥肌がぞわぞわと立つ。辺りを見渡して見えざるモノを警戒する僕をよそに、何気ない無表情で、体を起き上がらせている新井くん。しかし口角が上がるのをどうにも抑えきれず、腹を抱えて笑い声を響かせる。
「ぷっ……大げさ過ぎんだろ!! 俺は幽霊とか信じねーし、元の所有者も、俺らがスタジオ使ってくれてるのなら本望じゃねーか?」
「部屋に、札とか張らなくて大丈夫……?」
「心配すんなって! 何かあったら俺が守ってやるから! ダイジョーブだ!」
焦って見渡していた頭を、不意に横から撫でてくる新井くん。幽霊が苦手である僕の事情も、幼馴染の新井くんは良く知っていた。
それから問題なく、振り付けを覚えた僕ら。ぴったり一週間最終日の午後に終えられた結果は、嬉しくもあって、これからが不安でもある様子だった。
「えーと。次はどうするの?」
「踊ってるとき、曲も十分覚えてきただろ? じゃ、本番いこっか!」
「え、もう!? 僕、ダンス忙しくて歌の練習してこなかった――」
「ヒナの歌唱力なら絶対出来るって! 歌詞なら印刷して持ってきたから!」
「れ、レコーディングは……」
「ぶっつけ本番でやる!!」
ピースサインを突きつけられ、思わず息を吐く。早くも先行きが不安だ。
「大丈夫だって、そんな絶望した顔しないでくれよ!? 先ずは手探りで始めればいい! 改善点はこれから考えようぜ!」
「う、うん……分かった」
ぼーっと棒立ちで放心状態だった僕を激励しながら、設置していた自前の三脚カメラの位置調整等を行う新井くん。
「あのさ。隼くんって、何でそんなに機械持ってるの?」
「まあ、SNSの撮影用で、色々とな。本アカはアイドルの情報とかを集める為だけど、サブアカでは食レポとかやってるし」
「へぇ……何だか意外。 フォロワーさんはどれくらい?」
「あー、本アカはそんなでもねーな。ざっと三六〇人程度だけど、サブアカは……まあ、一九〇〇人位だな」
さらっと言われた数に、驚愕のあまり硬直する。彼曰く「俺はフォローの方が多いから!」との事。それでもフォロワー数六人の羽瀬には衝撃的過ぎた。それは新井だからこそ、到達することのできた数なのかもしれない。
丁度、カメラ準備が終わる。あとは動きやすいダンス練習用の服から、例のアイドル衣装に着替えるだけ。
「おし、大体準備おけ。ヒナは出来そうか?」
「う、うん。ここまで来たら、やるしかないよね」
「おう! 頼もしいな!」
ふざけ半分に親指を立ててくる。僕は不意に表情が緩んだ。この瞬間、この時だけは、お互いに楽しい気持ちでいられた。1週間、新井くんと日々を共にして、彼の事を心から信頼できると、信じていたのかもしれない。
着替え終えた僕らは、歌詞や自分が歌う箇所の記された紙に目を通す。
ぶっつけ本番。「行くぞ?」という合図を受け、焦って待ったと制止する。己の胸に両手で触れ、瞼を伏せる。
――緊張と深呼吸。
それを数回行った後、僕は頷いた。
様子を黙って見ていた新井くんは、カメラの前で改めて訊ねた後、撮影ボタンを押す。同時に、机から持ってきていた自分のスマートフォンを操作し、接続されたスピーカーから、一週間の間に聴き慣れた音楽が流れる。
タイトルは『ブルースターの空』。新井がSNSで繋がった作曲家に、四ヵ月前に依頼して作ってもらった。優しくて幻想的な導入部から、元気になれる歌詞。プロと言うには少し大げさかもだけど、ズブの素人とは思えないものだ。
そして一週間で覚えてきた振り付けを、じっと真っ黒な目に捉えられながら、2人は着々と滑らかにこなしていった。
「この~、ブルースターの空で~♪」
歌唱の部分も手ごたえがある。新井くんが先導して歌ってくれているので、初心者の僕は安心して歌う事ができた。
三番まで終わり、手の平を空に掲げる。最後の振り付けが終わり、曲も終わる。
「……はぁぁぁぁ……!!」
「うぐっ。つ、疲れた、ね……」
直後、まるで四分間の熾烈な戦いを終えた戦士のように、表情や足を崩す新井くんと、再び座り込む僕。さっきよりも、一層疲れて果てている様子だった。
「どう? 失敗とか、してない?」
「俺、途中で歌詞ド忘れしそうになったんだよな……確認するから待ってて」
言いながら、カメラの近くに駆け寄る。その後ろ姿を見詰めて、思わず素朴な疑問を抱いた。
「……こんな事して、アイドルになれるのかな」
新井くんはカメラを持ち、動画を再生しようとしていた手を止める。嫌そうな顔をしていた。そんな様子を背中から察してしまう程で、それを言った張本人は、罪悪感を抱いてしまう。
「あ。ご、ごめん……! 誤解しないでほしいんだけど、ダンスとか歌とか、活動は何もかもすっごく楽しい。けどさ――」
「お前の言う通りかもしれない」
振り返り、彼の開いていた眼差しを、真剣に見据えた新井。互いの目が合う。
「お前の歌唱力はすげぇし、俺のSNSので宣伝すれば再生数は期待できる。俺だって今、お前とこんな事できてすっごく幸せだ。……けどハッキリ言って、俺もまだ分かんないのな」
羽瀬は黙々と話を聞いていた。何も言えなかった、という方が正しい気もする。
「アイドルってさ。それ以上に『人を引き付けるモノ』が無きゃ、この時代やっていけないかもって、今更ながら気付いたワケ。……もしあっても、他人に受け入れられるかどうかは別の話だけどな」
彼は彼なりに業界を把握していた。夢を見てきたからこそ、知る現実である。
「そんなこと、考えてたんだ」
意外に思ってしまった。新井くんはただただ必死に、無邪気にアイドルという夢を追い続けてきたと思っていたから。
「……ま、投稿しねぇと分かんねーしな? んじゃ、ちゃっちゃと確認するか!」
真面目な空気から一変、一瞬でにこやかな顔つきに戻ると、持っていたカメラに視線を戻す。今の彼の笑顔は純粋なものか、それとも仮面のものか。小学校の頃から接している僕ですら、その心が理解できなかった。
その後、録画した動画を一緒に確認する。
「ほー」
「うーん」
声を唸らせたりしながらも、それを観終えた後は、微妙な表情だった。
「……声小さくない?」
「やっぱり!? だからレコーディングしようって言ったのに!」
「す、すまん……。けど、映像自体は問題ナシだよな?」
「うん、まあそうだね。そこは納得できる。振り付けも、ぴったり合ってたし」
話し合いながら、今後の改善点を探っていく。最終的な議論の末、動画の音だけを、今後スマホで録る歌声に差し替えるという結論に。音質はあまり見込めないけれど、二人はれっきとしたマイクを持っておらず、そうする他無かった。
完成した素材は、これまた新井がSNSで繋がった動画編集者の人が、最短三日で見事に仕事して下さるとの事。羽瀬は本気で依頼費用が心配になった。
「そんじゃ、解散っ!」
新井くんの一言で、一緒にこのスタジオを離れる。
階段を上り、ビルの外に出て、その場で別れるはずだった……互いに手を振って背中を向けた直後、思い出した事があって「あっ!」と声を上げる。
「アイドル活動するなら、ユニット名決めなきゃ! どうするの?」
振り返った新井くんが「そうだった!」と手を叩く。
「俺、実は心の中では決めてんだよ。気に入ってもらえるか分かんないけど」
「なになに? 教えてよ」
「うっ。えーと……そんな知りたいか? 『No Limit!』だよ。英語で、最後にビックリマークつけるやつ」
近づいて前のめりになり、近距離で期待の眼差しを向ける羽瀬に、少し恥ずかしがりながらも打ち明ける。「それって半角英語?」と質問され、黙ってこくりと頷いた。
「ど、どうだ?」
「なるほどね。うーん、十分いいと思うんだけど、もうちょっと捻らせたいかなあ」
「そ、そうだよなー。俺も薄々思ってた。だけど、Limitの部分は外したくなくて」
「どうして?」
「Limitって……『限界』って意味だから、さ」
それを聞いて、時間差でハッとする。少し前に羽瀬が、自分に自信が無くて憂鬱になっていた時、新井に言われた言葉を思い出した。
『限界を超える』。そういう強い意味を込めたかったんだ。限界を超えて、その先の景色が見てみたいという願いもあったんだ。と、羽瀬は思う。
「……僕も、外したくないな」
「だろ!? でもさ、これにぴったり合う文字が分っかんねーんだよな。最初の単語も要らねー気がする。できれば、もっとふんわりしたヤツが良いし」
「そうだなぁ……家に帰ったら、僕も考えてみるよ」
「ありがとな!」
改めて、別れの挨拶を交わす。新井くんの背中を見ると、小さくガッツポーズをして喜んでいる様子だった。一方の僕は、帰り道を歩きながら、仮のグループ名をいくつか考えていた。