俺は本気だ!
翌朝の十時。「待ち合わせがしたい」とメッセージアプリで新井くんから連絡があり、急いで着替え、送られてきた地図を元に、とある四階建てビルの前に向かった。
「おう、待ってたぜっ!」
「うん。で、えっと……この建物、何?」
家から約六分歩いてきた所にあるビル。通りには人が少なく、スラム街のような危うい裏社会的な雰囲気。見上げたビルの建物も、黒い外壁が不気味にひび割れている。
「こ、ここで、僕たちのライブを?」
「はあ!? そんな訳ないだろ! こんな所にお客さんなんて来ないし」
「え? じゃあどういう事?」
「んー。つまり『ここから、外のファンに届ける』んだよ」
「……え?」
遠回しに言われ、羽瀬は意味が分からず、周囲に対しての警戒も解けなかった。
隣にいた新井くんの表情に目を移す。口角を上げて自信ありげに「うんうん」と頷くばかりだった。ふと視線が合い、
「ん? やっぱ不安か? 大丈夫だって! 中にはそんな人いないし」
「そ、そう?」
不安な思いを見透かされたのか、新井くんに心配の声を掛けられる。
「ああ! 今から地下一階へ向かう。そこでネタバラシしてやるから!」
言いながら、何気ない様子で薄暗い入口を通っていく。僕は置いてけぼりにされないよう、恐る恐る彼の背中を追った。
中に入ってすぐ右に曲がり、奥の通路。灰色の壁にある簡易的なスイッチを鳴らすと、静電気のような音が鳴り、古い照明が順に点いていき、下へと続く階段が見える。
「うわぁ……」
すると、僕の中の不安も飛んでいった。まるで、名の売れたミュージシャン達が下積み時代に通っていった、クールな地下階段のようで。僕の反応を横目に見ていた新井くんは、顔に笑みを浮かべていた。
一段ずつ下り、曲がった通路を歩き、奥の扉を開け、照明の電源を入れると……。
「──え!!」
想像したものとは大きく異なる、明るく広々とした、シンプルなスタジオ空間。白いコンクリート壁に囲まれたこの部屋は、まるで造りたてのように輝きを放っている。テーブルに段ボール、照明付きの三脚カメラ、ポータブルスピーカーとパソコンがある。それ以外は何も無い。
僕は衝撃の余り、開いた口が塞がらない。
「な……なに、これ!! 何なの!?」
「いぇい! ヒナを驚かせようと思って、急遽サプライズにしたんだよ! この部屋は少し前から借りてて、パソコンや三脚カメラとかは俺の持参な?」
「うそ……! こんな部屋があるなんて、外から見た時は全く想像つかなかったのに……」
「俺が学生の頃から必死にバイトして、稼いできた結果が、これな」
入り口で驚きながら、室内と隣の新井くんを交互に見る。彼の頑張りに対しては、関心の方が勝っていたけども。
しかし、ここで何をするのか。そんな疑問がまだ僕の中で浮上していた。
「んで、これから俺らは、ここで撮影する予定な」
「撮影? えっと……アイドル事務所に応募とかはしないの?」
「んー。アイドル始めるつっても、そんな簡単には出来ねーだろ? 確かに事務所に応募すればいいだけの話かもだけど。とりあえず、今すぐ出来ることから始めようかなーと思って」
「──え。まさか」
その時。新井は部屋の中心に移動し、羽瀬の方に振り返って両手を開く。
「ここで動画作って、ネットで全国に公開する!!」
「……ええええええええ!?」
あまりにも突飛なアイデアに、声を上げるほど引いてしまう。
「そんなのでアイドルになれるの!?」
「行っとくが、ネット中心のアイドルグループなんて昨今じゃ良くあるんだぜ? 最近テレビに出てるアイドルグループだって、ネット発が多いしな」
「う、確かにそうかもだけど!」
それでも、古臭い考えの僕は、やっぱり腑に落ちなかった。それじゃアイドルじゃなくて、動画配信者になってしまう、と。
「……曲とかはどうするの?」
「俺のSNSの人脈なめるなよー? 三ヵ月前に依頼したし、実際にそういう衣装作ってる人とか、振付の人にもちゃんとお願いしたからさ。もう必要なものは全部揃ってるし、いつでも活動出来るからな?」
「待って。色々追い付かないんだけど……こんなにお金を費やして、隼くん平気……?」
「あー。心配になるのも分かる。確かに正直ここまではやりすぎたかなぁとは思ってたたんだけど、電子機器類は元々俺が持ってるモノだし、スタジオとかもレンタル代安いやつだし。金銭面ならヘーキヘーキ!」
それを聞いて、ほんの少し安堵する。もし失敗した時の事を考えると、頑張って新井くんが稼いできたお金が無駄になるかもしれない。
しかし、それ相応の覚悟があるのだと、再確認させられた。
「……隼くん、本気なんだね」
「おう、俺は本気だ!」
新井くんは、満面の笑顔を見せていた。
「──ごめん。僕は……隼くんくらい、本気でやろうとしてなかった」
「え?」
「だから今、すっごく挑んでみたいって思った。お願い、僕に出来る事はなんでも言って。えーと、これから何をするの?」
胸に手を当てながら、真剣な目を正面に向けていた。
すると新井くんは笑みを浮かべ、入口に立っていた僕の元へ駆け寄ってくる。
「わっ」
友情の証として、新井の方から軽く抱擁を交わす。羽瀬は訳も分からず、両手のやり場に困っている。
「……ありがとな……」
「え?」
「正直、寸前で断られると思ってた。こんな唐突なアイデアも、真面な人間なら、直ぐには受け入れられないだろうし。……ヒナは、俺と共に人生の時間を賭けてまで、やろうとしてくれるんだな」
「そんな。大袈裟だよ」
「いや、マジで感謝してる……ありがとな、本当に……」
目を伏せて、聞こえない声量で発した後、彼は顔を少し後ろに下げる。
「じゃあまず、段ボールからモノ出すの手伝ってくれねーか? あとその後は、曲の振り付けを覚えてほしい。出来れば、一週間で!」
「──いいいいいい、一週間!?」
「だーいじょうぶ! 簡単なやつだから! 厳しかったら一週間超えてもいいし!」
期間の短さに驚くダンス素人。そう励まされながらも、両肩をポンポンと叩かれた。
その後、僕ら二人で段ボールに入っている衣装を取り出す……。
「うわあ」
「ほー! アイドルしてんなー」
「この衣装、すごく作り込まれてるって、一目見るだけでも分かる。すごい人脈だね……。でも、どうして僕の分まであるの」
「万が一の予備も作ってもらってたから。サイズ合うか? 俺の身長一七四だけど」
「……僕は一六八」
「あちゃー。ビミョーだな」
「うるさいっ」
輝く空色のアイドル風衣装を一緒に見ながら、僕は隣の肩をべしっと叩く。力加減は弱めていたから、痛くなかったが、痒くはあったかもしれない。
──久々に会っても、昔のような関係とは何一つ変わりなかった。
まずは、この衣装に着替える事に。更衣室は無かったので、まず僕が部屋の外に出る。「一緒に着替えようぜ?」と誘われたが、丁重に断った。
扉に背を向けてから、一分経過。ノックで終わりの合図が聞こえてきた。
「お、お邪魔します──わー。すごい!」
部屋に入ると、足先から頭の天辺まで、新井くんの姿をゆっくりと見つめる。
輝くグレーの靴は少々大人っぽさがあり、上下は一見スーツのようなシックな見た目だけど、王道衣装の雰囲気もきちんと取り入れられている。明るさの目立つスカイブルーを着こなす新井は、はつらつとした表情と完璧にマッチしている。
急いで着替えたのか、少々シワがあるものの。
「ね、ねえ、すっごい似合ってる。けどこの後、僕がプレッシャーなんだよね」
「いやいや! お前の方が絶対似合うだろ!? 髪と服の色の種類、ほぼ一緒だし」
「うーん。でも、そもそもサイズ違うし、自信ないなあ……」
僕の不安な思いがこれ以上膨らむ前に、衣装を押し付けて部屋を去る新井くん。次は僕の番だ。もじもじしながらも着替え、二分程度で終わらせる。
「お、終わったよ」
そう言いながら、扉を三回叩く。直後に走り、一刻も早く扉の前から離れた。恥ずかしそうに、両手を後ろの腰に回す。新井くんは扉を開けた直後、目の前の僕の衣装姿を見て、呆然と立ち尽くしていた。
「……めっちゃ似合う」
スマホで撮った姿を見せられると、まるで可憐な月がうっすら覗く、真昼の空のようだった。大人しめで真っ直ぐ、かつクールで落ち着いた雰囲気が、新井くんが着た瞬間とはまた異なる印象だ。
「あのさ、思ったんだけど。ヒナは昨日、俺なら努力すれば何でも出来る、みたいな事を言ってたの覚えてるか」
「うん、言ったね」
「その言葉。今ここで、そっくりそのままお返ししてもいいか」
「そんなことないよっ!!」
思わず顔が熱くなり、扉を勢いよく閉め切ってしまった。
ちなみに懸念していた服のサイズは、確かに少し合っていなかったものの、特に気になる点は見当たらなかった。