夢ができたんだ
とある近くの商店街から、徒歩で約一分離れた場所。多少人の通る道にお店がある。三階建ての内、二階の窓のない部分に掛けられている錆びた看板には「あんどうふ」と達筆の文字で書かれており、古き良き老舗らしさが外観に表れていた。
この建物の前に、僕は一人で立ち尽くす。そこでさっき、新井と別れ際に話していた内容を思い出していた。
『じゃあ、明日の朝にまた連絡するから! あ、内容はまだヒミツね!』
『え? なに』
『えーっとそれはな――ておおいっ! 何だよ!! ヒミツって言ったばっかだろーがっ!!』
『……ノリツッコミ』
『そう指摘されると恥ずっ。とにかく、ヒミツのもんはヒミツってこった。いいな?』
結局、何も大まかな詳細を告げられなかった。秘密を隠されてしまうと、どうしても気になってしまうため、未だにモジモジして唇を歪ませている。
でも別れてしまった今、考えてしまっては仕方がない。僕は店の入口の、不透明ガラスの横開き扉をガラガラと開ける。白い漆喰の壁と、コンクリート状の床で造られた内装、いくつか置かれている木製の棚に歓迎された。
「ただいまー」
ふと目の前の店長エプロンを着た、中年の男に目を付ける。ようやく買ったカウンター上のレジに悪戦苦闘していた所、僕の方を見て、ぱっと表情が明るくなる。
「おおー。おかえり陽菜斗。どうだった? 久々に友達と会った感想は」
「父さん。うん、楽しかったよ。今日はカラオケに行ってきた」
すると声が聴こえたのか、奥の部屋から優しそうな女性が現れた。
「あらっ! 帰ってたのね、おかえりなさい!」
「ただいま、母さん」
「友達との再会は楽しかった?」
「う、うん。楽しかったよ」
短いスパンで同じ受け答えをするのが苦手な僕は、ほぼ同一の言葉になる。しかし母は「良かったわ!」と手の平を合わせ、安心している様子だった。
ここは、古くから経営している由緒正しき豆腐屋。そして、僕の実家でもある。
「あのね。父さん、母さん。話があって」
「ん、なんだ急にかしこまって」
「あら。何かあったの?」
揃って首を傾げ、疑問符を浮かべる両親に、思わず弱気になってしまう。アイドルの件を打ち明けようとしたものの、視線を浴びながらだと言いにくい。少し考えた後、辺りの店の風景を見渡しながら、
「ここの豆腐屋ってさ。もう何世代も続いてる……?」
「んん? ああ、そうだが。確か、俺でもう四代目だったな」
「よ、四代目」
話を切り出せないまま、別の話題に行ってしまったことを後悔していた。
四代目という事は、少なくとも200年は続いていると思われる老舗。羽瀬は一人っ子のため、代々後を継いでいるものを終わらせてしまうかもしれない。
そう思うと、むしろ切り出しにくくなってしまった。
「あ、あの。五代目は、僕が継がなきゃダメだよね?」
「「?」」
両親は顔を見合わせ、再び首を傾げる。それを見て、意外に思ってしまった。
「……陽菜斗が継がなきゃって、誰が決めたの?」
「えっ?」
「陽菜斗は陽菜斗の決めた、自由な生き方をしてもいいと思う。だって大切な息子から、夢や未来を奪う事なんて、私たちには出来る訳がないもの」
「か、母さん」
父に視線を向けると、腕を組んで頷く。
「ああ、同感だ。この店は俺に任せて、もし陽菜斗に夢ができたら、それをひたすら追いかけていって欲しい。俺の望みでもあるからな」
「父さん。……ありがとう」
二人を交互に見ながら、まとめて礼を言う。
この両親に支えられてきたからこそ、今の僕はいる。もし厳しく育てられていたならと考えれば、彼はきっと、こう打ち明ける事が出来なかった。
「あのね。今日、夢ができたんだ」
「本当か!?」
「まあ! 何かしら!」
期待の眼差しを向けられ、何だか恥ずかしくなる。仄かな実家の香りがする空気を肺の中に溜め込み、僕は口を開いた。
「……僕、アイドルになりたい。歌をたくさん歌いたいから」
両親の表情は唖然とし、直後に喜びを表した。これまでの僕は、夢を語る事が無かった。だから、こんなにも良い表情をしてくれたのかもしれない。
「そうかそうか! いやー! 陽菜斗も、俺の学生時代と似てハンサムだしな!」
「私、応援するわ! ねぇ、いつテレビに出るのかしら? はぁ~、いつか有名歌番組に出た時は、CDとかに焼かなくっちゃねぇ……」
「え……ちょっと、気が早すぎるよっ」
急に親の期待を受けすぎてしまい、困り果ててしまう。けど、まだまだ一途な夢を想う背中を押してくれた事には、感謝しかなかった。
その後、三階の自室に移動し、電気を点ける。窓の外は大分暗くなっていたので、カーテンを閉めて、青い布団の敷かれたベッドの上にダイブ。
僕の人生を大きく変えるような一日だったと、何気に実感する。先の分からない未来に想像力を駆使して、これからどんな事をするのかと考えていた。
「『明日の朝に、また連絡』……何があるんだろう」
仰向けで白い天井を見ながら、新井くんの言っていた台詞を思い出し、ぼーっとしていた。
だけど、本当に新井くんを信じてもいいのか。万が一裏切られたりなんてしたら。そんな事は、親友として可能性は少ないはずだけど。悪い想像が不意に膨らんでしまい、両頬を手の平で叩く。小気味いい音と、じわじわくる痛み。
未来の事なんて、何一つ分かりはしないのだ。