ちょっと超えてみねぇか?
夕方の帰り道。新井くんは先程のアイドルの話題すらしなかったものの、少しばかりか気まずそうにしていた。
「……あー。何かすっげー歌ったわ! なーヒナ?」
「う、うん」
もっとも、一番気まずそうにしていたのは僕だと思う。会話の意味も入ってきていないのが唯一の証拠。僕は一曲しか歌っていない。本当はもっと歌いたかったのか、やっぱり人に自分の歌声を聴かせるのは恥ずかしいからか。
そこで、ふと思った。
「……僕ってアイドル向いてないよ」
新井くんから「へ?」と、らしくないような間抜けな声が漏れる。内心言い出した方も、終わった話を無理に延長させたような気がして申し訳なかった。
「あ、いやあの。えーっと……」
「――人見知り、だからか?」
「あ。うん」
僕が言い淀んでいた時、不意に図星を突いてしまい、失礼な発言をしてしまったと感じる新井くん。けれども、言われた僕も納得していて、つい首が縦に動いた。
「隼くんも分かってるでしょ? 僕って俗に言う、人見知りで陰キャだから。人前に立つのって、向いてないというか、喋るのが大して得意じゃないというか、僕自身が不安というか。そもそもチームの輪に入るって事が無理な話だし」
新井くんは路上で立ち止まった彼の隣で、黙って話を聞く。
「それに、影が薄いから。ほら、あの。高校でも生徒に避けられてたぐらいだし。こんな僕の存在がさ、隼くんにいつか迷惑かけて、隼くんが大切にしてる夢を踏みにじるんじゃないかって――」
僕が俯いていると、突然、正面に影が現れた。
新井くんが僕の縮んでいる両肩を、ぐっと掴んだのだ。
「逆だろ」
「えっ」
意味が分からず、唖然とする。
「お前は俺に、夢を与えてくれんだよ」
そう言われても、やはり理解できなかった。しかし新井くんの瞳は、夕日のように鮮明に輝き、純粋に事実を語っているように思えた。
「いいか? 人見知りとかリア充とか、陰キャとか陽キャとか、そんなの関係ねぇ。お前の声にはすっげー価値がある。さっきお前の声を聞いた時は、衝撃受けて腰抜かしそうになった。いやマジのマジで。で、それと同時に、俺の夢が鮮明に見えた気がして……」
「どういうこと?」
「今までの俺はな、無邪気に夢を追っかけるだけの、幼稚というか? バカで曖昧な夢物語だったっていうか。けど分かってんだよ、現実じゃそんな一途な思いは通用しない。でも諦めきれないの。そんな俺を救い上げてくれたのは、お前だった。お前が歌ってる姿を見た途端、俺には大した想像力なんて無いのに、見えちまった」
僕は首を傾げ、目を見開いたまま「……何が?」と訊ねる。
「俺の想像した未来には、お前がいたんだよ。大きなステージの天辺でマイク握って、ペンライト握るファンの前で。俺の隣で歌ってる姿が見えたんだ」
肩にぐっと強く感じる握力と、互いに見据える表情が、彼が真摯に語っていたという事を証明していた。
「……言いたくないけど、僕にだって限界はあるよ。人前に出られる自信なんてないし、歌だってさっき歌ったのが人生初だった」
「え? でも、俺がカラオケ誘った時、歌下手だって……」
「ごめん。勝手に嘘ついてた。歌うのが怖くて、逃げる口実が欲しかったんだよ」
「マジで? そうだったのか……」
少し顔を後ろに下げ、冷静に驚く新井くんを、上目遣いで見つめる。
「それに芸能界は、僕なんかよりもすごい人が、数え切れない位いる。アイドル業界はそんなに詳しくないけど、きっとそこなら尚更だよ。隼くんなら、努力すればアイドルだって何だってなれそうだけど、僕の場合は違う。僕には、努力なんかじゃどうにもならない限度ってものがあるから」
「…………」
僕らは互いに視線を、足元の方へと向けてしまう。
このまま沈黙が続くと思っていた。しかし新井くんは、僕の憂鬱そうな様子を見ながら、何故か突然「ふっ」と声を漏らし、その顔に鮮やかな笑みを浮かべる。
そして肩から右手だけをぱっと放し、人差し指を上向きに立てて、相手の顔の前にビシッと持っていく。そして。
「だったら、その『限界』――ちょっと超えてみねぇか?」
「え……?」
言われた途端、思わず目を丸くした。
「限界の定義って、なーんか曖昧って思ったことないか? 『こんなのムリ!』って思うこともあるし、『頑張れば超えられる!』なんて変に思うこともあるし。大抵は時と物事次第だけど。でもさ、俺はどっちの時でも諦めたくねー。諦めたら悔しいし。もっと知りたいんだよ、自分の実力とかさ?」
新井くんが真剣な面持ちで紡いだ言葉に、話が少々付いて行けず、無意識に硬直する。けれども、これだけは分かったような気がした。
「隼くんって、どこまでも好奇心旺盛なんだね」
それを聞き、しきりに目を瞬いた新井くんは、やがて指をゆっくりと下げていく。
「……ん? あ! 俺いつの間に、人生の価値観押し付けてた……!? うわっ何かすまん!!」
やがて我に返るように、僕から離れながら手をブンブンと振った後、背中を向ける。明るく振舞っていたものの、心では言葉以上の反省をしていたのだろう。
「え、えーとさ、もし気が障ったんなら、今の――」
「僕も、歌が歌いたい」
「は……?」
それで僕は、横目でこちらを見ていた新井くんに、そう打ち明ける。
少し臆病で、けど自分の中で何か強いものを決意したように、両手で胸をぐっと抑える。
「僕は隼くんみたいに、分厚い壁に純粋に立ち向かえる強さなんてないけど、好奇心ならちゃんとあるよ。もし限界を超えた先に何かがあるなら、僕はその景色が見てみたい」
「……!!」
新井くんは、開いた口が塞がらないまま、こちらに身を翻す。
「もし、分厚い壁に直面したなら……隼くんは、隣でサポートしていてほしいな」
はにかむ笑顔を浮かべると、正面から差すオレンジ色の光が、どこか眩しく思えた。
「え、それって、つまり。俺と一緒に、アイドル目指してくれるってことか……?」
「うん。何か遠回しな言い方で、ごめんね?」
「……は? そんなの。全然いいよ。いいに決まってるじゃん。……ハァっ、いやったあああああ!!」
ため息が出た直後の、猛烈な勢いで出てきたガッツポーズを見て、思わず笑みが零れる。そんな大げさな反応をするほど、新井くんは僕を誘いたかったんだと思う。
因みに彼は気付いていないけど、学校や仕事帰りの通行人には変な目で見られていたのは、言わないでおこう。