苦しいか?
翌日。無事契約を交わし、ばーちゃLimit!は、グリーンムーン・フォレスト……通称『グリフォレ』専属のアイドルユニットとして活動する事に。
書類の契約内容も、二人で凝視して一字一句をちゃんと読み、かなり安全、というか軽率な内容だった。無名のアイドル事務所だからこそ、僕が契約の件を両親に話した際は反対されるかと思った。しかし二人とも、快く受け入れてくれた。
「これからも宜しく。精一杯のサポートはグリフォレに任せてくれ」
「おなしゃす! スギ社長!」
「……妙なあだ名を付けられたな」
社長室。印鑑を捺し終えた2枚の書類を渡し、杉並社長と新井くんがテーブル上で握手。
そして杉並社長が手を離すと、今度は僕に手を差し出す。事務所所属の実感が湧かないまま、恐る恐る彼の手を握った。偽りない優しい笑顔を見て、少し安堵した。
「よし……早速なんだが、1ヶ月後に地下ライブを行う予定だ。新井君のアカウントで告知すれば、少なからず集まるだろう」
「ええ、いきなりライブ!? あと、勝手にアカウント使っていいんすか!?」
「ん? 不満があるなら、我々で管理するが?」
「いやいや、全然不満なんかじゃないです! むしろ……『自由』で最高っていうか!」
とか言いながら、キラキラと純粋に輝く瞳を羽瀬に向ける。
新井が沢縁社長のスカウトを断る時、「自由に活動して、ファンを信用させたい」と言っていたのを思い出した。
「そうかそうか、なら良かった! 当たり前だが、『専属のマネージャー』も配置される。あまり無理を言って困らせないようにな?」
「マネージャー! まじすか! パシリにします!」
「おい言った傍から」
やはり、新井と杉並社長は、相性抜群だと思う。
その他諸々の説明を聞き終え、新井くんと社長室を出る。扉の前で立ち止まり、向かい合って話し合った。
「……なあ、どうする?」
「うん。スタジオに行く必要、無くなっちゃったね」
どうやらビル六階の事務室の隣、普段から撮影等を行っているスタジオより狭いが、鏡に囲まれたれっきとしたレッスン場があり、そこは自由に使っても良しと言われた。
つまり、いつものスタジオは、もう必要ないという事でもある。
「レンタル、終えるか?」
黙り込んで深く考えた末、僕は頷く。
何だか寂くなった。なんせ、思い入れのある場所を、自らの手で手放すことになるから。
「……おいおい! なーに落ち込んでんだよ! これも、新たなスタートだろ? 何かを捨てて何かを得るのも、立派な前進だし」
元気のない表情に、セルフで元気を注入。新井くんらしい一面でもある。
「う、うん。そうだね。……でも、最後に拝んでおこうかな。思い出の場所」
「そうだな? じゃあ、一緒に行くか!」
新井くんは陽気にスキップしながら、僕はそろそろと、共にスタジオの方へ向かった。
同日の昼過ぎ三時十四分。スタジオを拝みに行った後、レンタルを止めると同時に、新井くんは、金銭的な余裕とアイドル業に専念したいという理由で、職場に向かい、バイトを辞めてきた。自由時間が大幅に増えた。
六階のレッスン場。シンプルな明るいフローリング、鏡の壁に囲まれた場所。動きやすい服に着替え、予定通りに待つ。新井くんは、五分前集合がいいとアドバイスした僕と、その時を待った。
そして、現れた。『ばーちゃLimit!』の専属マネージャーが……。
「……フン。羽瀬陽菜斗、新井隼也……か」
突如目の前に現れ、名前を確認。僕らの顔を順番に凝視する、暗い青色の髪をした男。反射する四角い眼鏡越しの鋭い目付きが、僕の背筋を凍らせた。
「俺がこれから、お前たちをシゴき倒す――宮條巴矢だ」
どこから見ても厳つい顔付きが、これから先の地獄のレッスンを予感させた。
「……あのー」
「何だ」
恐る恐る手を上げた新井くんに、彼の顔が向く。機械的な音が鳴ってもおかしくない。
「俺たち、そんなに強面を見せられると、全然集中できないんですけど……?」
「…………」
「ほら。羽瀬の足元。めっちゃブルってます」
新井くんが指差した、ピクピク震えている僕の両脚。無表情を意識しているものの、とにかくすごい怖がってるという事実が分かると思う。
「――生まれつきの顔を指摘するとは、まず礼儀がなってない」
何故か宮條さんの中で、誰も望まぬスイッチが入ってしまった。
「いいだろう。これから俺に対して礼儀正しくない発言を行った場合、連帯責任でスクワットと腹筋、腕立てを五十回ずつだ」
「ふぁっ!? なんだそれ! スパルタ体育教師かよ!?」
「八十回に増えたな」
明らかに同じ二十代の若者なのに、性格の歴然とした違いを見せつけられ、ショックで固まる僕ら。激しい運動を課せられたことも原因ではあるけれども。
こうして数分間、スクワット、腹筋、腕立て伏せを、言われた通り八十回こなす。
「はぁ……はぁ……」
「こ、こんなのって……おかしい! マネージャーあんた、このご時世に……」
「隼くんそれ以上は言わないで!?」
汗だくで息切れをしながら、僕は新井くんの口の前に手の平を向けて制止。危うくまた増える所だった。
服をびしょ濡れにして床に座る僕らの周りを、歩きながら見下ろしている青いスーツの宮條さん。新井くんはバレないように睨みながら、心の奥に不満を募らせていた。
「苦しいか? 正直に言え」
「ああ! 苦しいに決まってんだろ!」
「……現実はもっと苦しいがな」
目を細めて発せられた小さな一言は、僕らの耳に届き、唖然とした顔をさせた。
「八十回をこなした事は、まあギリギリ及第点だ――お前らは、夢があるか?」
そして無表情になり、唐突な質問。内容も意外だった。
「あ、ぇ……」
「んー、俺は昔からある。ヒナと一緒に、でっかいステージの上に立ちたい。出来れば、一緒に有名になってな」
疲れているのに、すらすらとその言葉が出てくる新井くん。隣で汗だくの清々しい表情の彼を見つめる。何だか、尊敬の念が湧いてきた。
「……活動期間は?」
「最近、半年を超えたばっかだ。な、ヒナっ?」
「え……? あっ、う、うん」
急に目が合って話を振られた。緊張するも、宮條さんの方を見て首を頷かせる。
「……お前たちは……」
彼は立ち止まり、驚いて目と口を開いた状態になった。その時、本人が生まれつきだと言っていた、厳つい顔では無かった。何故そんなに衝撃的だったのかは分からない。
「ん、何?」
「……いや、何でもない」
宮條さんはこの場を立ち去っていった。去り際に「5分後のダンス練習に備えろ」と厳しく言われ、愕然と落ち込む2人だった。




