ブラチルだああああ!!
色々ありながらも、ここから更に時は流れ、『ばーちゃLimit!』の活動も格段にヒートアップ。記念すべき結成百日を迎えた時には、既に六曲目の動画の振り付けに取り掛かっていた。もっと別ジャンルのコンテンツ(例えばゲーム系や、商品紹介系など)を提案したものの、とりあえず結成から半年間はオリジナル曲に専念したい、という新井くんの意向に従う事に。
結成百五十日目を超え、四曲目の動画再生数が七千回以上という驚きの数字に到達していた時、僕らの運命をさらに大きく揺るがす出来事があった。
「――は!?」
新井がスマホ画面に向けていた目を見開き、スタジオ中に彼の声が響き渡った。
「え……どうしたの?」
「ヤベェヤベェヤベェヤベェ、マジでヤベェ……!!」
画面から目を離し、ダンス練習の休憩中にその場をウロウロ。思考がパニくっている。さすがにこの様子はおかしいなと思い、羽瀬は首を傾げた。
「ブラチル、ブラチルだああああ!!」
「え!?」
何かが原因でパニックを起こしすぎて、訳の分からない単語を叫んだものかと思った。それに、明らかにキャラ変しているのではないかと思った。しかし新井くんがそう叫ぶのには、れっきとした理由が。
「ヒナ……! み、見ろよこれ!」
「ん、何これ……『沢縁〈さわぶち〉プロダクション』?」
「そうだよ!! 最近6周年の節目を迎えてトレンド入りした、平均年齢10代という若きメンバーで、超高難易度なダンスをこなす有名女性アイドルユニット『BLACK CHILLY』の事務所だろ!! 知らないのかヒナはぁ!?」
あまりにも説明的すぎる新井くんの解説に、僕は首を傾げた。
「ぼ、僕はそういう業界には疎いから……」
「アイドルに疎い人間だって知ってる、超ビッグネームだぞ!?」
スマホを素早く顔面に近付けてきたと思えば、今度は新井くんの表情がぐいっと近付く。ツッコミすらも興奮している状態で、本気で引いた。けど確かに、アイドル業界に入ろうとする人間が業界に詳しくないのは無理がある。
「で……沢縁プロダクションが、どうかしたの?」
「今見ただろ!?」
「え、あ、うん。僕らの動画にコメントしてた……よね?」
そう。『湖に落ちる水滴のような恋』の動画を見た事務所の人間が、コメントを送ってきたのだ。一瞬しか見れなかったので、新井くんが深呼吸してアドレナリンを落ち着かせた後、改めて見せてもらう。
「えーと……『初めまして。沢縁プロダクションの者です。本動画を拝見させて頂き、是非とも当アイドル事務所にスカウトさせて頂きたく、ご連絡差し上げました。もしご興味が御座いますのなら、下記記載のメールアドレスへご連絡いただけますと幸いです。良い返答を心からお待ちしております。』」
難しい敬語に羽瀬は四苦八苦しながらも、とりあえず意味は読み取れた。
一言で言うなら、「大手アイドル事務所からのスカウト」。成功例もある。
「す、すごい……」
「な!? すごいだろっ!? 星の数ほど存在するアイドルの中から、俺たちが選ばれたっつー事だよ!!」
「僕たちが、こんな所に辿り着けるなんて思ってなかった……」
「何言ってんだよヒナ!? 俺たち、ここからが新たなスタートラインだろーがっ!!」
バシッと僕の両肩を掴み、強く上下で擦ってくる。まだ興奮が冷めていないように思えたものの、実は真面目な表情だった。それを真正面から見て、軽く頭が混乱する。
「えっと、うん……そうだね。とりあえず、急いでその事務所に連絡した方が」
「あー確かに。んー。どれどれ」
新井はすぐさま、コメントの下に記載されてあるメールアドレスをクリックする。
「……よし、俺はこれから敬語の文章考えるわ。悪いけどその間、ヒナは振り付けの練習しててくれ」
「うん、分かった」
潔く答えたものの、練習中、後ろの方で声を唸らせながら文章を考えている新井くんが、とにかく気になって集中できなかった。
まあ確かに。敬語の文章を考えるのは、少し難しい。僕の場合「ご」とか「お」という、文字の前に付く接頭語の大まかな違いが分からず、話にならないし。
「出来た! どう?」
すると、踊っていた後ろから新井くんが、スマホ画面を見せて、最終確認を促してくる。
僕はそういう文に関しては全く分からない。けれど新井くんが心配だったので、そう訊かれるのを待ち構えていたかのように、すぐさま振り返って確認した。
「いいと思う」
キリッとした真顔で、しっかり返せていたと思っている。
「……お前、ちゃんと見てねーだろ」
「えっ」
うん。やっぱりバレていた。
とまあ、ジト目で睨まれる事がありながらも、改めて確認。正直に「こういう文章って僕は素人なんだよね」と打ち明けながらも、それでもパートナーにはしっかり見てほしい、と強くお願いされてしまう。パートナーという単語に過剰に反応してしまったものの、光の速さで平静を取り戻す。
じっとそのまま目を配り、新井くんにスマホを渡され、更に近くでじっと目を配る。そして、形式的に気になる点はなかった。
「送っていいか? これで」
「多分、問題無いと思うよ。SNSで鍛えてるおかげかな? 隼くんの文章は意外と丁寧だからさ」
「おい意外とってなんだよ意外とって」
失言へのツッコミをスルーしながら、僕は何気ない様子を装い、練習再開。けれど、周りを付き纏って、繰り返し「なあ?」と圧を込めて訊ねてくる新井くんに、思わず耐えきれなくて笑ってしまった。
朝十時の練習が終わり、正午を過ぎた頃。実家の豆腐屋の商品運搬をボランティアで手伝っていた時、スマホから通知音が鳴る。
額の汗を拭い、袖を捲った店のエプロン姿に着替えていた彼は、それを手に取って開くと、メッセージアプリにはこう書かれてあった。
『バイト休憩中に返事来てた。俺たちと直接、今すぐでも会いたいって、社長が』
新井からの突然のメッセージに、目を白黒とさせる。
それを見た後、新井のバイトが終わる四時半まで待つことになった。あまりにも夢のような話に、抑えた頬が熱く感じられる。
「何だ? 恋でもしたか?」
真横からカウンター越しに言われた父の冗談に、肩をぴくりと動かしてしまう。
「ん、図星か!? これからアイドルになろうってのに、罪な男だな陽菜斗は!」
反応を見られて、父に変な誤解をされてしまったかと思えば、高笑いをしていた。実は父、意外と掴みどころのない性格でもある。
「い、いや違うよ! 恥ずかしくて父さん母さんに言ってなかったけど……僕たち、大手アイドル事務所にスカウトされたんだ」
「そうかそうか……ん? スカウトって、何だと!? お前と、お前の友達がか?」
「まだ決定ではないけど。多分僕らは、その事務所専属になる」
「な、な、な……なんで、なんでもっと早く言ってくれなかったぁ――!?」
口を開いた状態から、店内に響く大声。数人いたお客さんも引いてしまっていた。
「ご、ごめんなさい。今くらいの時期に言おうと思ってたんだけど、忘れてて」
「そうか、ならいいんだ……で、どこの事務所のスカウトだ? 羽瀬の優しさとイケメンさを分かってない事務所なら、俺は承知せん――」
「沢縁プロダクション。『BLACK CHILLY』の事務所なんだけど、知らない?」
「何だとおおおおお!?」
壁を貫通して、店の外へ届きそうな太い声。本気でお客さんが離れていきそうだったので、辺りを見渡しながら、何度も頭をぺこりぺこりと下げまくる。
「ブラチルか!? ブラチルの事務所か!?」
「えっと。多分、それ。よく聞くけど、ブラチルって何……?」
「知らないのか!? BLACK CHILLYの略! ブラチル!!」
「父さんってドルオタだったの?」
ぐっと胸を抑える父。言ってしまった本人も少し焦る。しかし勿論、父はドルオタという訳ではなく、実家の2階にはテレビがあるので、多分それで事務所を知っているのだ。
いや本当は、隠れて女性アイドルを推しているのかもしれない。そういう事は息子として考えたくない。
「すまん、取り乱したな……。だが陽菜斗、それは一生に一度のチャンスだぞ!? よし、今週中に親戚を連れて、お祝いでもするか――」
「まだ決まった訳じゃないから!」
「とにかく、これは母さんに報告だ!!」
父はカウンターを抜けて走り、二階のリビングまで、ドタバタと階段を駆け上がる。今の時間的に昼寝しているはずの母の方へ行った。自分の役割を忘れながら。
「あ、あのー」
「ご、ごめんなさい。店主が戻ってくるまで待っててもらえますか」
そのままお客さんの対応をさせられる。親バカな父の様子に、思わず呆れてしまった。




