前編
お久しぶりです
ヒトは
人は死ぬ瞬間に本性が現れると、言う。
なら、痛みすら遠のいているような。
痛みと共に熱が身体から抜けていく
凍えて冷たく人から物へと変わるその狭間
そんな瞬間にすら抜けない、気だるい怠惰こそが俺の本性だったんだろうか。
少しでも生きる道を探そうと、脳がフル回転しているからか時間の進みが妙に遅い。
アスファルトを叩く雨の滴が弾ける瞬間まで、眼球が思考が捉えている。
そんな生の足掻きを、達観――いや、傍観して無為に磨り潰すように思考を傾ける。
倒れた際に鞄の金具が開いたのか、周囲には真新しい高二の教科書とプリントが散らばって雨と血を吸って、ぐずぐずと色を変えていく。
降りしきる雨が、アスファルトに広がる血を波立たせる。
鼓膜はまだ生きているのか、か細い自分の呼吸と雨粒が地面を叩く音だけが聞こえる。
人気の少ない路地だからか、スマホと野次馬に娯楽として消費されないのだけが幸いな所か。
誰もいないせいで、救急車も呼ばれずに死ぬ所は不運なのかもしれないけれど。
それを言うなら。気がついた時には痛みすら無かったのは、幸いで。
――幸運、不運の話をするのであれば、そもそも空から落ちてきた少女にぶつかって瀕死になってる時点で運は最高に悪かった。
そうやって。
走馬灯を走らせるだけの思い出も無い俺が、その危機的状況を空回りさせて身体が生を諦めるまでの、
暇つぶしをしていると
ふと、血溜まりの動きが変わったことに気がついた。
もぞり 蠢いて 震えて
雨に打たれるまま撥ねて踊っていた赤い水面が、いつの間にか生き物の身震いのように細かい振動に変わっている。
動いて震えるほど、その血溜まりはどろりと粘度を高めていく。
それは、水に泥を足していくように
それは、泥に土を足していくように
液が固形に近づいて纏まって、そしてゼリーほどの弾力を持った血が
ずぞり
吸い込まれるように、視界の外へと消えた。
見渡す範囲の血が消え去った異常な光景に、凍りかけていた心臓がばくりばくりと音を立てる。
恐怖と緊張が脳みそを巡るアドレナリンによって興奮と緊張に置き換わり、呼気に熱が混じる。
耳が痛いほどの静寂の後に、何かが動く布擦れの音が響く。
そうして、ソレは、アスファルトを踏みしめて立ち上がった。
元々至近距離にいたのであろう、ソレは俺を見下ろしていた。
姿は見えない、首すらピクリとも動かない身体では、眼球を僅かに動かしても、視界には街灯を遮られて出来た黒い影しか映らなかった。
「わぁ、ぐろてすく」
鈴を転がすような、けれどどこか耳障りなトゲのある幼女の声。
反射的に何か言い返そうとして、喉に詰まった血だか肉だか分からないものを吐き出す。
「生きてる。人間ってこうなっても生きてられるんだ……ねぇ、意識あるの?」
ぺしぺしと頬を叩かれる感触。
人が静かに死にかけてたのに、何なんだこいつはと腹立たしさを感じるが、
精々、指をぴくりと痙攣させるのが精一杯だった。
「ありそう。えー……妾がぶつかったせいだよね?」
視界の中で影が伸びたり、縮んだり。
こつこつと、アスファルト越しに歩き回る振動が伝わってくる。
「ほっといても死んじゃうだけだし、いっか」
ぽたり、と影に朱が混じる。
先程と同じように液体というより、ゼリーのようなそれは重力に負けることなく地面に染みこむことなく楕円状に地に落ちて。
「じゃ、頑張ってねー」
軽い言葉と共に、ゼリーが矢のようにこちらに向かって体当たりをしてくる。
たかが一滴の、血。
けれどそれがぶつかった目は焼けるように熱く、麻痺していた痛みが視神経から脳髄を焼いていく。
「がぁあああぁアァ?!」
獣の鳴き声が聞こえる。
喉が渇く、頭が目が痛い、冷え切っていた筈の四肢が痙攣で跳ね起きる。
痛みで気絶して痛みで起きるような、地獄のループ。
熱さと冷たさが混じり合い、心臓が滅茶苦茶なリズムで鼓動する。
獣の声が遠くなり、そうして漸く意識と痛みが遠のいていく。
ああ、漸く死ねるのか。この痛みから逃れられるなら死すら安堵でしかない。
落ちる意識に、最後まで生き続けた鼓膜が音を拾った。
「わ~、生き延びた。なら、妾に貸し1って事よね?」
鈴の音は、何処までも身勝手にトゲだらけの言葉を吐いていた。
目覚めの気分は最悪だった。
頭は痛いし、固い床で寝たせいか関節は硬いし、身体は重いし、喉はカラカラだ。
少し身じろぎをすると、固まった血が粉のように床に散らばり、先程の大怪我が夢で無かったことを否応なしに突きつけて来た。
同時に、疑問が湧く。
「……なんで、生きてるんだ?」
頭も関節も身体も喉もあちらこちらに不調はある。が、つい先程感じた全身から命が漏れ出していくような感覚も、全身を作り替えるような強烈な痛みは無くなっていた。
不思議に思いながらも、上半身を起こして周囲を見渡せば、そこは朝焼けに包まれた廃墟だった。
正確には、空から降ってきた人影との衝突事故があった裏道の直ぐ近くにある万年建設中のマンションの中だ。窓枠から見える景色からて、そう遠くには移動していない。この辺りで、廃墟と言ったらこのマンションくらいしかなかった。
壁紙も敷かれていない冷たい灰色の床と地面に積もった土埃が、長い間人の出入りが無かったことを物語っている。
「あっ……んんっ、漸く、起きたのね」
わざとらしい咳払いの声にそちらを向くと、外からの街明かりに照らされた小学校低学年くらいの少女が立っていた。
銀糸の長髪に、血のように赤い猫目。
多様性の名目の元、様々な色が溢れるようになった現代でも珍しい色合いは、やや気の強そうな少女によく似合っている。
服装は……ゴシックロリータと言われて思い浮かべるようなスカートが広がったワンピースだった。とはいえ、それも血や泥で汚れ、あちらこちら破れているが。
「下僕のくせに、主人に看病させるなんて良い度胸じゃ無い」
「は?」
なんつったこのガキ?
つんっと芝居臭い動きでそっぽを向きながら、こちらの苛立ちにも気がつかず尚も少女は続ける。
「貴方の命は妾が助けたの。なら、恩を返しきるまでは貴方が妾の下僕なのは当然じゃ無くて?」
そう囀る少女の声には聞き覚えがあった。
鈴のように綺麗なのに、耳障りなトゲのある声。
空から落ちてきた、人影。
それと、血溜まりから逆再生するように、視界の外で立ち上がった何か。
警戒が、視線に乗る。
「助けたも何も、殺しかけたのはそっちだろ?」
「じ、事故よ事故。誰が、屋上から飛び降りた先に人間が歩いてるなんて思うのよ。それも、あんな暗い道」
「道なんだから、人は歩いてるだろ」
鎌をかけてみれば、動揺しながらも自分は悪くない! と噛み付いてくる辺りいい性格はしていそうだ。
そこまで考えて、化け物を観測してどうするんだと、自分の癖にため息を吐く。
「とにかく! 貴方は妾の下僕なんだから、私の言うことを聞きなさい!!」
きぃっと、癇癪混じりに少女が俺に命じる。
妥協も希望も聞かずにただ自分の要求を押しつける様子に、どんだけヤバイ環境で育ったのか親の顔を見てみたくなった。多分、家の親と似た顔をしているんだろう。
正直、断りたいが相手が未知の能力を持っているのは確か。
生き残ってしまったからには、積極的に死に向かう気は無い。
何より、首をねじ切られて死亡とか嫌だし。
「……わかったよ、だけど今日だけな。俺も帰らないと心配かけるし」
「げ、下僕の癖に期限を付ける気?!」
「一生下僕なんてごめんだし、そこまでの恩は正直感じてない。いくら何でもマッチポンプ過ぎるだろ。お前だって、いつ裏切るかも分からない下僕なんか要らないだろ」
「それは……そうかも、だけど」
少女の勢いが弱まった隙に言葉を畳みかける。
「だから、俺が妥協してるわけ。お前は1日限定で忠実な下僕を手に入れる。俺は恩を返してスッキリした気分でお前と別れられる」
「…………」
「それが嫌なら、俺は全力で逃げるし抵抗するし裏切るぞ」
「……分かったわ」
むっすりとした声が、少女から返ってくる。
年下相手にやり過ぎたか? なんて感情は、続いた言葉に吹き飛ばされる。
「一日で貴方を妾の魅力でメロメロにすれば良いって事ね!」
「はぁ?!」
「ふふ、仮の契約のつもりが妾のカリスマで真の下僕に……良い! 燃えるわね!」
「……早まったか?」
斜め上の発想でテンションをぶち上げた少女に思わず後退る。
あれか、厨二病的な……女王様。いや、ヒロイン病か?
「そうと決まれば、妾の事はご主人様とお呼びなさい!」
「町中で幼女をそんな呼び方したら目立つだろ……」
普通に、警察の補導に捕まる。
「もうちょいマシな呼び方は無いのか?」
「クイーンでしょ、マイスター……そうね、隈は酷いけど貴方、顔は綺麗だしお嬢様でも許してあげてよ?」
「はぁぁぁぁぁぁぁ」
思わず、大きなため息が出るほど脱力する。折角、起こした上半身がまた重力に負けた。
ガラスが嵌められていない、窓予定の壁の穴から雨雲が散った空が見える。朝焼けが眩しい。
「マリー」
「え?」
「マリーお嬢な。そんくらいなら、目立たないだろ」
「ま、まりー? なにそれ?」
「何って、お前の偽名だけど。有名なお姫様から取ってやったんだから満足しろよ」
「マリー……マリー……いいわ! 下僕に妾に名付ける名誉をあげる!」
そう言って朝日の中、無邪気に笑う顔は、確かに目を引く華があった。
少なくとも、このお嬢様の遊びに乗っかって一日くらい潰すのも悪くないという気分になる程度には。
「それじゃ、マリーお嬢様。一先ず、俺ん家行くぞ」
家政婦によってピカピカに磨き上げられた廊下の電気を付ける。
正直、1日2日サボったところで気づきもしない自信があるが、顔も見たことの無い家政婦さんの仕事は今日も完璧だ。
「へ、へぇー。下僕の癖に良い所に住んでるじゃない」
「……まぁ、金はある家だしな。両親も殆ど仕事で帰ってこないし、安心してあがってけ」
「……ねぇ、この家は靴脱ぐタイプ?」
「そうだが?」
妙な質問に、首を傾げながら答える。
「そ、そうよね! 他に靴が無いからちょっと迷ったわ!」
そう言うと、ぽいっと靴を脱ぎ散らかしながら、廊下をずんずん進んでいく。
通り過ぎる扉を片っ端から開けていくのも忘れない。
小学生か、あいつは。……いや、小学生くらいで良いのか。
靴を拾って揃え直しながら、人の家を探検しているマリーの背に声をかける。
「目的忘れんなよ。血と服をどうにかしないと、ご要望のお出かけ出来ないんだから」
「殆ど下僕の血じゃない!」
「……そう言われると、よくこんだけ出血して助かったよな」
「ふふんっ、妾のお陰なんだから感謝してよね!」
胸を張るお嬢様に何をされたのか、気にはなる。
けど、事情も理由も聞けば巻き込まれそうな厄介事の塊に、自分から突っ込んでいくのは――とても、面倒くさい。
迂闊な言葉を吐けば、こちらの事情なんてミリも考えないマリーは簡単にこちらを巻き込んでくるだろう。
疑問も不安も飲み込みながら、マリーがバタバタと楽しそうに探検をしているのを見守る。
「はいはい、感謝してますよマリーお嬢様。風呂はもう一個隣の扉な……一人では入れるか?」
「シャワーくらい入れるわよ!」
「服は脱衣所隣の衣装部屋から、好きなの選べよ」
ラノベならラッキーシーンが起きるところだなと思いつつ、シャワーの音がしているのを確認しつつ別の扉から衣装部屋に入る。
防虫剤の香りに包まれたここには、小学生サイズの服が馬鹿みたいな量、収められている。新品も多いしあの年の頃なら性差で服のサイズもそう変わらない。
どうにでもなるだろうと、明かりを付けて部屋を後にする。
キッチンシンクで髪だけ流して後は、レンジで蒸しタオルをこさえて身体を拭きながら自室へ。
流しても流しても赤い水が出てくる髪はかなりの強敵だった。
経験したことの無い労力にため息を付いて、自室へ。
開けっぱなしの扉から聞こえる、シャワーの音はまだ途切れない。
部屋のクローゼットを開ければ、先程の衣装部屋の十分の一にも満たない量の服が収められている。やたらと多いフード付きパーカーと、サイズ調整が利く帽子。後は、適当なシャツとズボンをベッドの上に放り投げ、泥と血でやたらと重い、詰め襟の制服をゴミ箱にねじ込む。ぱらぱらと落ちる血埃を部屋の隅に足で寄せて隠蔽工作を図る。
そうして、持ってきた蒸しタオルで全身を拭けば、漸く人心地がついた。
ベッドに飛び込みたいような精神的な疲労感とは裏腹に、身体は試験明けのような活力の張り方。
これも、マリーの助ける方法がもたらす効果の一つなのかと考えると、余りの面倒くささに今すぐ寝落ちたくなる。
触らぬ神に祟り無しとは言うが、触りたくない神が全力疾走で抱きついて来た時の対処法は、過去の偉人も残してはくれなかった。
12/1の東京文芸フリマた-38にて出品小説の試し読み投稿になります。
その為、続きの投稿は年明け以降となります。
またネタバレ防止の為、感想欄も閉じていますがご了承下さい。