第2話 不屈の精神
「私、キレイ?」
女は再度その言葉を俺に問いかけ、距離を詰めてくる。入口から離れたところにいる俺は、ここから出ようにもあの女の横を通り過ぎなければならない。ただのマスクを付けた不審者ならいいのだが、本当の口裂け女な気がしてならない。いや、多分そうだと思う。出なきゃこんなに鳥肌が立つわけ無いし、嫌な予感もしないだろう。
さてと…………え、詰んでないか?
「ネェ、私、キレイ?」
女は紅城の前にいきなり移動し、目と鼻の先でまた同じことを聞いた。
被害者の血が女の体に染み付いているのだろう。血生臭さが俺の鼻にくる。
一瞬吐きかけたが、寸前のところでそれを飲み込んだ。いつのまにか俺の首に左右から大型のハサミが迫っていたからだ。
女の呼びかけに答えなければ、俺は殺されるだろう。
「あ、あぁ、キレイだ」
俺はそう思ってもないことを口にした。間近で見た女の顔は全体的に生気が無く、黒目しか無い。もうこれが学校の一件と同じ化け物の類であることは分かっていた。でも、ここで汚いとでも言えば殺されていただろう。
俺の言葉を聞いて、女はハサミを俺の首からどけた。一秒たりとも目をそらさなかったが、いつの間にか女の手から大きなハサミは消えていた。
安心したのもつかの間、女はまだ俺から狙いを変えてはいなかった。
「アハハッ。なら、コレデモ?」
女はそう言いながらマスクを取った。
あらわになった女の顔を見て俺は言葉を失う。女の口が耳元まで大きく裂けていた。隙間から真っ赤な歯茎がむき出しになるほど、残酷なそれは俺の体から力を奪う。逃げようとしても、体に力が入らない。
「コレデモ、キレイ?」
クソ、こんなものを見てキレイなんて言えるわけじゃないだろう。それにこいつ、ハサミを出していないが俺への殺意がプンプンしてきやがる。正直何を言っても俺のことを殺す気だろう。キレイと言った俺の絶望する顔を見て興奮するとかか?
だったら、お前が望む通りに俺は動いてやるもんか。
「まっっっっったく、キレイじゃねえな」
「jfauhuenvauhvua!!!!」
女はよくわからない言葉を口にしながら、手に持っている大型のハサミをカチカチと鳴らし、それを俺に近づけ始めた。
クソ、これは死んだな。いや、あそこでなんて答えても死んでたし、結局変わらない。
「だったら!!!」
口裂け女を前に、俺は全身の震えを抑えて立ち上がる。近くにあった木の棒を取って、すぐさまそれで女の頭を殴りかかった。女はさっきまでのハサミを持っていない。この距離なら避けることだってできないだろう。
木のいい音が響いた。
────そして金属の音も。
「はぁ!?」
俺の攻撃はどこからともなく現れたハサミによって防がれた。女は両手で持ったハサミで木を断ち切ったのだった。
すぐさま辺りを見回すが、もう武器になりそうなものはない。くそ、どうしようもない。まず第一、物理攻撃とかがこいつに効くのか?
そうだ、口裂け女なら対処法があるじゃないか。絶望の中、俺はネットか何かで見た口裂け女を撃退する方法を思い出した。
「ポマードポマードポマード!」
俺は早口でそう唱えた。これで全て解決するはず……。
「……ソレダケ?」
口裂け女からそう聞こえた。都市伝説が今目の前にいるんだから、対処法だって本当に効果があってもいいじゃないか。でも、どうやら効果はないらしい。ああ、もう何もできないな。また体から力が抜けた。
カチカチとハサミを鳴らす音が俺の恐怖を駆り立てる。
「ソウ、アナタモ、ワタシヲキタナイッデイウノネェ」
口裂け女は今までで一番裂けた口を開いた。
俺はそれを見たくなくて目を閉じた。
「バカ息子!中々帰ってこんと思ったら、こんなやつとやり合っておったのか」
何度も聞いた声が目の前から聞こえた。この場にいるはずのない声を聞いて俺は目を開ける。目の前には俺をかばうように間に割って入っている親父の姿があった。両手で刀身を支えながらハサミを押し込んでいる。
「なんで親父がここに!?」
「変な『妖気』が漂っていると思ったら、いきなり凄まじいものを感じて突っ走ってきたわ」
妖気とやらはよくわかんないが、助かった、のか?
「危ないから離れとけ」
息子が巻き込まれなさそうな隅に移動したのを確認した後、詩郎は刀でハサミを弾き返す。すぐさま左手を柄に回し、刀を両手で構える。ハサミを弾かれて大勢を崩している口裂け女に距離を詰める。
「燃えろ 【灼國】」
その言葉と同時に、突如親父が持っていた刀の刀身から炎が立ち込める。
そして、神崎詩郎は口裂け女に斬りかかった。
────両者の実力には明確な差が存在した。
詩郎は陰陽師だった。なお、引退した今でも自主的な活動は続けている。そしてその実力と踏んだ場数は相対する口裂け女を優に超えているはずだった、いや超えていた。
体勢が崩れていた口裂け女だが、詩郎が接近してきたのをただ眺めていた訳では無い。口裂け女が持っていた力、別名”天恵”は【創呪】。
有する能力は刃物の創造と操作。無から刃物を作り出し、宙に浮かすことも、好きに動かすこともできる
。使いやすさ故の明快な強さを持っており、刃物が消えたり現れたりしていたのはそれが理由であった。もちろん今この瞬間も、その力は発揮できる。
「────化け物め」
確実に決まるはずの攻撃だった。油断も驕りも全てを持たず、ただ首を斬る。それだけの意志で口裂け女へと迫った。実力や経験を鑑みても、勝つのは詩郎のはずだった。だが、現実はそうではなかった。
詩郎の一撃は宙に浮く数多のハサミに阻まれて、女に当たるあと一歩のところで勢いを失っていた。壁を作り出すように所狭しと浮かぶハサミ。
だが、詩郎も実力者だ。攻撃が届くとは思いながらも、もしもに備えていた。だからこそ、天恵『灼國』を使っていたのだ。
刀身の炎によって、幾重にも群がっていたハサミは数秒ほどでその原型を失った。
「たった一撃、”たった数秒”もったところで俺は止まら────」
”たった数秒”、それが分水嶺。
そのまま口裂け女を斬り裂くかに思えた刀の先には、何もいなかった。
「離せッ!?」
詩郎の攻撃を避けた口裂け女が急接近し、首を掴まれて宙吊りになった男が声を荒げた。男、それは詩郎ではなくその息子、紅城。
作り出されたわずかな時間の中、不利を悟っていた口裂け女は人質を取ることに動いていた。
「……」
女はなにも言わない。だが、その大きく開かれた口からは真っ赤に染まった歯が剥き出しになっており、その表情は怒りよりも喜びに近いものだった。
***
(しくじったか。いや、あいつがまだいる)
詩郎は考える。
まだ致命的なミスは犯していない。まだ全員助かる方法はある。この場にあいつに手伝いを頼んではみたが、この様子だとまだ準備が終わっていないらしい。
だが、紅城の首にはメスが添えられており、あいつの生殺与奪は完全にあの化け物が握っている。もしここで息子を見捨て、そのまま攻撃したのなら、俺はやつは倒せる。だがそうすれば、息子の命はない。
俺ならば、やつが首を掻っ切る前に決着をつけられるだろうか。そうすれば、二人共……いや、老いた今の俺では無理だ。
(なら、)
詩郎は覚悟を決めた。二択の選択肢。これから犠牲者を増やす『都市伝説』の速やかな排除、もしくは息子の命。
時間にして一秒にも満たない間の後、詩郎は燃え盛っていた炎刀を鞘に納め、それを地面に投げ捨てた。
そして、詩郎の右腕が肘からぼとりと落ち、背中から勢いよく倒れた。
口裂け女は武装解除をしたのを見るや否や、無数のメスを空間に作り出し、一斉にそれを打ち出して無数の傷を負わせた。空間に作り出されたメスの中に、口裂け女が持っていた大きなハサミもあった。それが詩郎の右腕を断ち斬ったのだ。
詩郎の右腕から、そして全身からも血が勢いよく流れる。既に紅城の体は口裂け女からの拘束から離れていたが、彼はただその光景を見ることしかできなかった。
実際のところ、万全の詩郎ならば全て避けられた。だがその場合、人質になっている紅城の命はなかった。息子が捕まった時点で詩郎には勝つという結果はなかったのだ。
「紅城、逃げ、ろ」
まだ僅かながらに残っていた意識で詩郎は息子に逃げろと言った。
***
俺は今、人生にはご都合主義だとかの創作のテンプレは搭載されていないと痛感した。
俺が主人公ならば、この時に助っ人が来たり、眠っていた力が覚醒したりするのだろう。だが、そんなことはなかった。全く、一切なかった。強いて言うのなら、強く握っていたこの要石がいつの間にか熱くなっていたことくらいだ。
俺はどうすればいいのだろうか。倒れ込んだ親父に口裂け女が近づいているのが見える。まだ親父は生きている。とどめを刺そうとしているらしい。
止めなくてはと思う俺だったが、どうすればいいのか皆目見当がつかない。立ち上がろうにも、体に力が入らずその場から動くことができなかった。
あと三歩で口裂け女の間合いに親父が入る。だが、いくら考えてもこの状況を打破するための手段が一つも見つからない。
あと二歩。どうすれば、どうすれば親父を!!!!
あと一歩!!!!クソがッ!!!!こっちを向きやがれ!!!!
自身の父の命が目の前で奪われる寸前、紅城は唯一手元にあった【要石】を口裂け女目がけて投げようとした。
その瞬間、石から何かが流れ込んできた。力の激流が握っていた手から俺の全身に巡ったのだ。それは熱く熱く燃え上がり、内側から体を燃やす。
炎が昇ったままの油を体内に流し込んだように、徐々に体の内側が熱を帯び、激痛が駆け巡る。流れは勢いと量を増し、痛みが意識を支配していた。
現実では一瞬しか時間は過ぎていなかった。しかし、加速された紅城の知覚はその時間を永遠のように感じさせた。
俺は激流に抗っている。研ぎ澄まされた感覚が伝える力は体を酷く蝕む。熱い。苦しい。熱い。苦しい。苦しい。辛い。飲み込まれる。
もう諦めるべきなのかもしれない。そうすれば楽になる。楽になれる。
────でも、したくない。諦めて何になる。今目の前で親父が倒れているのは俺のせいだ。俺があのとき人質にならなければ、親父が傷つくことはなかったかもしれない。もしも俺が、この神社まで落とし物を届けに来なかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。もしも俺にあいつを倒せる力があれば!!!親父はこんなことにはならなかった!!
だから!!!こんな痛みで、俺は諦めねぇ!!!!
流れは勢いを増した。俺の体は傷ついていく。それでも諦めない。
どれくらい経ったか分からないが、急に流れがピタリと止んだ。握っていたはずの要石は手の中から消えていた。そして、新たに心臓から力が全身に流れ込んだ。先程までの熱さや辛さは嘘のように消え、むしろ今は全身ぽかぽかしている。体からエネルギーが溢れているのを感じる。
そのエネルギーが、怪異に対抗できる力である”妖力”と呼ばれるものであった。
そして紅城が『妖力』に目覚めたことを察知するや否や、口裂け女はすぐさま標的を変えた。
このとき口裂け女が警戒したのは、紅城が持つその莫大な妖力。手負いとは言え、歴戦の強者である父を優に凌ぐほどの妖力は”都市伝説”にとって脅威でしかなかった。
口裂け女はそんな脅威である紅城に近づくわけもなく、詩郎と同じくメスを投げて危害を加えようと、瞬時に生成した何百という刃物を紅城へと向かわせた。
決着はすぐに────つかなかった。
むしろ口裂け女は紅城に攻撃をした後に、背後から放たれていた炎をするりと回避する。
その炎は詩郎の手から放たれていた。詩郎に注意を向けておらず、勝利に油断しているふうに装っていた自分にしてきた攻撃を無事に躱したことに口裂け女は笑みを浮かべる。これでもう万策尽きた。そう思っていた。
だが、実際には違った。
「狙ったのは後ろのメスだよ」
瀕死の状態でありながらも詩郎は自分のしなければならないことを理解しており、それを実行した。右手と右足からの出血は止まっていた。斬られてから間もなく詩郎は特殊な技を用いてすべての傷を焼き、止血をしていた。だが、失った血は戻っていない。依然として危険な状況なのは変わりない。それでも詩郎は息子を守るために動いた。
詩郎は紅城がダイヤの原石であることは分かっていた。自分と母の血を引いて何も無いはずがないということも分かっていた。今度こそ、せめて、せめてその時までは、息子たちがこの世界を知らないままで生きてほしかった。いつかそれに巻き込まれると分かっている仮初の平穏を望んだ。だが、その仮初の平穏も今日で終わった。これからは鍛えなくてはいけない。生き残らせるために。
自分のせいで何も知らないままこの世界に足を踏み入れさせてしまった未熟な息子を守るために、死力を振り絞った。炎は刃物が紅城に当たるよりも早くすべてを消し炭にした。
妖力という、”都市伝説”に対抗する力を得ても、何も学んでいない紅城一人では扱いきれぬ代物。それをカバーするのはもちろん────
「紅城!これに”纏わせろ”」
倒れている詩郎はそう言って近くにあった刀をなんとか投げ渡す。
「ありがとう親父」
紅城は刀を受け取る前から走り出していた。親父と目が合い、そして信頼した。あの目は俺に任せろと言っていた。だから目の前から来ていたメスに一切臆せず走り、そして当たる寸前のところでメスが燃えた。
あと少しで間合いに口裂け女が入る。手には刀がある。やることはただ一つだった。
俺は刀身を鞘から出した。
イメージしろ。体に流れるこの力を、刀に”纏わせる”イメージを。すべて流し込め。
力が紅城の意識に応えた。俺の心臓から流れたエネルギーを纏った刀、それから凄まじい力を感じる。今目の前にいる口裂け女と同等、いやそれ以上の力だ。口裂け女はまだ何が起こったのかを理解できておらず、ただ呆然と立ち尽くしている。
「こいつは親父の分だ!!」
そう叫び口裂け女の胴体に大きく振りかぶった一太刀を刻んだ。
斬られた口裂け女がこちらに大きく目を見開いたかと思うと、大きな音ともに地面倒れた。
俺は無事に勝ったのだ。
俺は刀を投げ捨て、すぐさま親父に駆け寄った。無事生きてはいたが、呼吸が浅く意識もない。今すぐにでも病院に連れて行かなくては行かなくては。
親父を抱えてこの場を後にしようとした時、俺は背後から気配を感じ取った。そして僅かに金属の擦れる音がした。
俺は口裂け女はまだ生きていると悟る。
クソッ、生憎俺は刀を手放してしまった。武器はない。
金属同士が衝突する音が段々と大きくなった。口裂け女は巨大なハサミで音を響かせているのだ。俺は動けない。足が一切動かない。さっきまで心臓から流れていた力も今は消えてしまい、打つ手なしだ。なすすべもない紅城の首に口裂け女はハサミを突きつけた。
勝負ありかと思われたその時、ある物が社に侵入する。
────突然の轟音と共に、”一発の弾丸”が口裂け女の心臓を貫いた。
首に刃が触れるまで、あとほんの数ミリというところで、口裂け女の天恵で作り出されたハサミは煙のように姿を消した。そして口裂け女も黒い煙を出しながらその場から消失した。
戦いはいくつもの謎を残して決着を迎えたのだった。
【神社に銃をぶっ放したイカレ女の話】
こんな日に限って、狙撃場所が見つからないとは困ったものだったよ。ま、私の仕事はコレで終わり。さてと、酒酒。今日のつまみはさきいかっと。日本酒も開けて。
はぁ、仕事終わりはコレに限るねぇ。おっと詩郎に連絡しとくか……。
電話に出ない……。え、死んでないよね……救助の連絡しないと
【過去作の一部】
IF:世間知らずの田舎令嬢は今日もお気楽に生きる 〜気楽に生きるとは言ったけど、お淑やかとは言ってない〜
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[6800pv突破!!] IF:現代に生きる陰陽師は今日も都市伝説や怪異を祓うみたいです
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【お知らせ】
12月24日から12月31日にかけて下の作品を毎日投稿いたしますので、見ていただけると嬉しいです。
「IF:世間知らずの田舎令嬢は今日もお気楽に生きる 〜気楽に生きるとは言ったけど、お淑やかとは言ってない〜」