雨宮は優しい(後編)
気付いたら雨宮の部屋が暗くなっていた。半開きの目をこすって頭をあげると、雨宮の寝顔が視界に入ってきた。
スヤスヤと寝息を立てている雨宮の表情には、いつもの冷たい物はなくて、ただただ無警戒で険しくなく、とても和らいだものが浮いていた。
私の瞼の裏には、まだあの日の少し優しげな表情をして、心配そうに私の顔を覗き込む雨宮の記憶が残っている。その表情と同じようでちょっと違う、そんな寝顔だ。
いつも、こんな表情をしてればもっとかわいいのにと思う。でも、雨宮の冷たいとも涼しげとも表現できるあの表情も、彼女の大きな魅力だと思う。
しばらく、ぼんやりと雨宮の寝顔を眺めていると、彼女の目が薄っすらと開いて私と目が合う。
目が合った瞬間、雨宮の目が見開かれて勢いよく後ずさる。寝起きなのに元気だなと思いつつ、そんなに驚かなくてもいいのにとも思う。
「おはよう雨宮。」
「三島さん、朝じゃないからそういうのいい。」
なんか、前もこんなやり取りしたな。
「じゃあ、雨宮は今みたいな場面で、なんてあいさつしたらいいと思うの?」
「べつに、お昼寝から起きたぐらいであいさつなんかしなくていいよ」
「えー、私はいつでも起きたらあいさつされたいと思うよ」
「三島さんだけだよ」
雨宮は、理解できないという風な表情をして、冷めた目を私に向けてくる。
挨拶されたらそれを返す 。常識だと思う。
「あ、そうだ、三島さん今日ご飯食べてく?」
雨宮にそんなことを聞かれて、時計を見ると7時をちょうどまわったところで、ご飯を食べるには、ちょうどいい時間だ。
「じゃあ、食べていこうかな」
なんだかんだいって、二人でコンビニに行ったあの日から、結構な頻度で雨宮の家でご飯をいただいている。そろそろ食費を雨宮家に収めべるべきなだと思って、口に出そうとするたびに、雨宮に微妙に話を逸らされて、いまだに収めることがでていない。
だから、今日こそはと一応言ってみる。
「雨宮、あの食ひ....」
「今日もパスタでいい?」
「うん。いいよ」
結局、今日も話を逸らされてしまった。しょうがないから今度、お礼に何かプレゼントしよう。 雨宮は、サプライズが大丈夫なタイプの人かな。
まあどっちみち、事前に言ったら受け取ってくれなそうだから、サプライズで渡すことになると思うけど。
「ソースはどれにする」
雨宮はそう言って、台所の方から大きめのかごを持ってくる。
その中には、ミートソース、ペペロンチーノ、カルボナーラ、トマトソース、カニクリーム、和風醤油etc...のバラエティーに富んだ、数十種類のパスタソースが大量に入っている。
雨宮は、ほんとにパスタが好きなんだと思うと同時に、特段パスタが好きじゃない私は、種類が多すぎて何を選んだらいいかわからなくてしまう。
「じゃあ、ミートソースで」
「わかった」
結局、数秒間迷ったあげく、無難にミートソースにした。
雨宮は、夜ご飯をパスタにする時は、いつもソースをどれにするか聞いてくれるけど、毎回ちょっと迷って、結局ミートソースを選んでしまっている。
この前、雨宮のことを偏食さんだなと思ったけど、これじゃあ人のことを言えない。
台所に戻った雨宮が、鍋を出してパスタを茹でる準備を始める。その手つきは慣れていて、ここだけ見たら料理が得意なのかなと思うけど、たぶんそうじゃない。
だってパスタばっか食べている偏食さんだし、包丁とか使っているところとか一切見たことない。
でも、台所にたってパスタを茹でている雨宮は、なんかかわいいなと思う。もっと料理を練習して、いろいろなものを作れるようになったら、台所が似合う女の人になると思う。
そんなことを思ってしまうほど、リビングにいる私の目には、それが特別な景色に写っている。
変な体勢で昼寝していたせいで、凝り固まった体をほぐしながら、パスタが出来上がるのをまつ。
ちょっとすると、雨宮があらかじめセットしていたのか、タイマーが大きな音をならして、パスタの茹で上がったことを私たちに伝える。
雨宮は、出来上がったパスタを二つの皿に半分づつ分けて、リビングの机に運んできてくれる。そういえば、フォークとスプーンがないなと思って、雨宮にどこにあるか聞いて、二人分を取り出して机に運ぶ。
お互いに、黄色い麺の上にソースをかける。
私はミートソースで、雨宮はトマトソースだ。雨宮は、大抵はトマトソースにしていて、たまにペペロンチーノや和風醤油などをかけている。
お互いに、なんとなく手を合わせて、小さく「いただきます」と言ってから食べ始める。
私たちの間に会話はなく、ただ、フォークやスプーンが食器に当たる音が鳴っているだけで、黙々とパスタを食べすすめている。
耳に入る音はお昼と全然変わらないのに、目の前に雨宮がいるだけで、ご飯の時間が物寂しいものから、すごく温かくて心が満たされるものに早変わりする。
相変わらず、雨宮は冷めた表情をしていて、パスタを美味しく食べているように見えないけど、絶対に美味しく食べていると、根拠もなくそう思う。
たまには、私たちが初めてあった日みたいに、優しいものを含んだ瞳を見せてほしいなと思うけど、この冷めている感じも、暑い夏にはちょうどいいなとも思う。
そんなことを考えていたら、お互いの皿にあったパスタもう空になっていて、おもむろに手を合わせて「ごちそうさま」と、小さく二人で言う。
皿をシンクに片付けるために、台所に歩いていく途中、ふといいことを思いついた。
「雨宮、パスタ作ってもらったし、皿洗いでもさせてよ」
まだリビングの方で、休憩している雨宮に唐突にいうと、ちょっと驚いた顔して、数秒くらい迷よってから口を開いた。
「皿を洗うのめんどくさいし、お願いしようかな」
「じゃあ、任せて」
雨宮に、必要なものの位置を教えてもらって、2人分の食器を洗い始める。手に当たる水が気持ちいい。
雨宮と一緒にいるときの心地よさは、こんな感覚に似ている。
手際よく、洗い物を終わらせて時計を見る。時刻は8時前で、そろそろ帰らなきゃと思って帰支度を始める。
雨宮は、その様子をぼんやりと見つめる、その瞳には名残惜しさが浮かんでいて、それのことを認識した私の心は、思わずスキップしたくなるほど舞い上がってしまう。
あまり持ってきたものはないから、帰支度はすぐ終わって廊下にでる。後ろから雨宮が追いかけてくる。
玄関で靴を履いて振り返る。
「じゃあ、私、帰るね」
「じゃあ、またね」
「うん、またね」
しっかりと再会を願う挨拶をして、雨宮の家の敷居を軽くこえる。
振り返って、雨宮に手を振る。雨宮も振り返してくれる。
そのことに、満足感を覚えて雨宮の家から出る。
帰り道からみる空はとても澄んでいて、星がよく見える。
星の名前とかは全然知らないけど、私は、一番の力強く光っている星に、雨宮との関係ができるだけ長く続くようにただ祈った。
最初に書いていた分はここまでなので、ちょっと投稿が頻度落ちると思います。