2 天使か悪魔かバンパイア
「やはり貴女の血は美味しいですね。それに、こうしてよく見ると貴女自身も美しい」
「ッ、いい加減にして!! 約束は約束よ、誤魔化さないで」
男はスッと顎を掴んでいた手を放すと、くつくつと喉を鳴らし「失礼。あまりにも貴女が感情的だったものでつい」と、馬鹿にしたようなその言い方に、私は恥ずかしさと苛立ちが込み上げる。
「まさか、約束を破るつもじゃないでしょうね」
「まさか。ですが、私は貴女の言葉に頷いた覚えはありませんよ」
先程のことを思い出すが、男の言う通り私の言葉に了承はしていない。
男が血を吸ったことで了承したのだと勝手に私が思っただけ。
すると男は「一目見たときから貴女に惹かれるものを感じていました」と真剣な表情を私に向け言う。
その眼差しに鼓動が大きく脈打ち、次第に近づく距離に鼓動は更に加速する。
気づけば、男から目が逸らせなくなっていた。
「それって……」
「ええ、どうやら私は貴女の……」
鼓動を高鳴らせ次の言葉を待っていると、男はうっとりとするように目を細め、頬を色付かせながら口を開く。
「甘く、そして上品な血の虜になってしまったようですね」
「え?」
何を期待していたんだと恥ずかしくなり、一気に頬に熱が集まる。
私は男に背を向けると頬に手を添え熱を隠す。
そんな私の様子に気づいた男が「どうかされましたか?」と尋ねてくる。
「な、何でもないわよ。それよりも、早く出ていって」
「それはできませんね。さっきも言った通り、私は貴女の血の虜なのだから」
この日から、私とバンパイアとの共存生活が始まった。
そんなの関係ないと追い出すこともできたのだが、私にはそれが出来なかった理由がある。
その理由というのが、他の犠牲者だ。
追い出すのは構わないが「貴女のせいでいろんな人が犠牲になりますよ」と、男は私を脅した。
2回吸われてわかったが、男は加減などなく血を吸う。
こんなバンパイアを野放しにして人が死んだりなんてしたら、私のせいでもある。
勿論私に対しても血を吸うのに加減などしない。
だが男が言うには、私の血液は他の人より多く、血を吸ったところで2~3日もあれば直ぐに元通りになるらしい。
人の命と自分の血液、天秤にかけるまでもなく答えは最初から一つしかなかった。
「ええ、確かに言ったわよ、あんたがそのプリンセスというのを見つけ出すまでここにいてもいいって。でもね、これはなんとかならないわけ!?」
そう言いながら指差す先には、一際目立つ棺が置かれている。
一般家庭に棺などあるはずもなく、勿論持ってきたのはこの男。
棺の中じゃないと眠れないなんてバンパイアも不便そうだ。
「毎日毎日棺が置かれた部屋で眠る私の身にもなりなさいよね。あんた、ニンニクや十字架が置かれた部屋で寝れるわけ!?」
「はい、眠れますよ」
「あー、そうだったわね」
バンパイアが十字架やニンニクが苦手というのは、そう最初に言った人物が会ったバンパイアの苦手な物であっただけ。
実際のバンパイアも人と同じで嫌いなものは各々違うということをこの男と話して知った。
他にも、バンパイアが人の血を飲むのは、人でいうところの食事といった感じに思えるが、実際は人間と同じ食事も食べるようだ。
現に一緒に暮らすようになってから、男も同じ食事を食べている。
「人って、私達のことをなんだと思ってるんでしょうね」
「え? バンパイアでしょ」
「そうなんですが、時々思うんですよ。バンパイアを本当に知ろうとした人はいたのか、と」
一瞬見せた男の表情はどこか悲しげで、実際にバンパイアと話しているからわかるが、今まで私が思ってきたバンパイアのイメージとは全く違う。
どれほど人が、自分がバンパイアという存在を知らなかったのか実感する。
誰にも本当のことは知られていないバンパイアという存在。
それは、本人からしたら悲しいものなのかもしれない。
私はまだこのバンパイアの名前すら知らないことを思い出し尋ねると、男は一瞬驚いた表情を浮かべたあと、直ぐにその表情は笑みへと変わり口を開く。
紡がれた言葉は耳に届き、私はその名を口にする。
「ラルム……」
ラルムはフランス語で、意味は涙。
「あなたのお名前も教えていただけますか」
「私は逢坂 結」
バンパイアとの生活はまだ始まったばかりだが、こうして改めてバンパイアのことを知ると、人とバンパイアとの違いは、羽があるか血を吸うのかという2つのみのようだ。
人と同じ食事もバンパイアはとるものの、何日かに一度は血を欲する吸血衝動に駆られる。
「なるほど。貴女にピッタリな素敵なお名前ですね」
名前を褒められるなんて今まで生きてきて初めてで、何だか嬉しいような気持ちを感じていると、突然ラルムは私の手首を掴みベッドへと押し倒した。
私の瞳にラルムの姿が映り、怪しげに瞳の奥が光っているように見える。
その瞳を見ればすぐにわかる。
私が首を傾げて首筋を晒すと、それを合図にライムは遠慮なく噛みつく。
一緒に暮らし始めてから2回目の吸血なのに、やはりこの痛みには慣れない。
だが、次第に気持ちいいと感じてしまうこの感覚は癖になりそうで怖くもある。
「御馳走様」
口端から垂れる血を、ペロリと舌で舐めとるラルムはどこか妖艶で私の鼓動を高鳴らせる。
「勿体無い。まだ首筋から血が垂れていますね」
再びラルムが首筋へと顔を近付けると、今度は噛みつくのではなく、牙の跡から流れ出る血をぺろりと舐めとると吸う。
ちゅっと聞こえる音に肩が跳ね上がり、甘い痺れを感じながら漏れそうになる声を耐える。
「クククッ、可愛らしいですね」
「っ、舐められるなんて思ってなかったからで……。いいから兎に角寝るわよ」
恥ずかしさを誤魔化すように電気を消すと、布団を被りラルムに背を向ける。
そんな私の姿に、ラルムはやれやれといった様子で棺の中へと入り蓋をした。
静寂に包まれる部屋の中で、私の鼓動は大きく聞こえ眠れない。
首筋に舌が這う感覚が今も鮮明に思い出され、私の頬は熱を持つ。
相手はバンパイアであり、ただ私の血を欲しがっているだけの相手だというのに、見た目は人と変わらず、カッコイイ男の人だから意識してしまう。
それから時間は過ぎ、いつの間にか眠ってしまっていた私は日の光で目を覚まし、壁側に置かれた棺へと視線を向ける。
どうやらまだラルムは眠っているらしく、棺の蓋が閉じている。
その間に着替えと朝食を済ませると、最後の登校へと向かう。
最後というのは、なんといっても明日からは待ちに待った夏休みだからだ。