世界のビールが飲める博物館
展望回廊に上るエレベーターは本当に近未来というか、日本の技術ってすごいな。
「み、耳が。耳が。」
「どうしたの?」
「エレベーターって、耳キーンってなりません?」
耳…耳…とつぶやく南野。
「鼻つまんでフンってやれば取れるよ」
「どういうことですか…」
「鼻つまんでフンっだよ。やってみなよ」
フンとやってみて、ハッとなって
「北原さん、天才ですか?大発明ですよ」
「おばあちゃんの豆知識程度なんだが…」
「すごい!耳がもう治りました」
なんてどうでもいい会話をしているうちに、展望回廊についた。
展望回廊。ぐるーっと窓のついた通路を回る。天気が良い。東京を一望できる。南野もはしゃいで見て回っていた。そのまま最上階にある、格好のスポットになっているガラス張りの床のところまできた。
「きゃー、北原さん!乗っていいですか?」
「許可はいらないよ。乗りなよ」
乗ってまた「きゃー!」とビビりながら乗ってすぐにこちらに戻ってきた。
「お、思ってたより怖い」
「しらないよ」
「北原さんも、乗ってみてください」
俺、こういうの絶対怖くて無理だわ
「もう生身でないんですから、いけますよ」
「不謹慎だなあ」
そういいながら、恐る恐る乗る。お、おお、乗れた。こわいこわいこわい。
ひっと飛び移るように戻った。
「思ったより怖いね」
「ね、思っていたより怖いでしょう」
南野が笑っていた。
「これってもはやデートじゃない?」
「そ、そんなことはないです!デートではないです!」
なんとなく自身の浮つきに恥じらいが出たか、顔を抑えてうつむく南野。気づくのが遅いんだよなあ。
「ま、まあすごくいい気分転換になったよ。ありがとう」
そういうと、向き直った南野も
「それはどういたしまして!ほんと、やりがいがありますよ、北原さんは」
改めて、東京で一番高いところから外を見やる。本当に天気が良い。雲一つない。富士山も見えるぞ。
「綺麗ですね。景色」
南野が言う。
「そうだね。死ぬ前にもっとこういう景色に気づいていればなあ」
しみじみ思ったことを漏らす。
「気づいていれば、死ななかったかもって思ってます?」
「晴れ晴れとした気持ちで日々生活をしていれば、あんな風に毎日二日酔いで足を滑らせてしまうような状況にはならなかったもって思って。違うかな」
南野は少しうーんとうなって
「悲しい話をしますが、どんな生活をしていても、今回の事故は避けられなかったかもしれません」
と小さく告げた。
「それは何か深い意味でも?」
「いえ、別にそういう意図があっていっているわけではないです。自死以外の外的要因って、もしかしたら、もともとその人に与えられていた“寿命”なのかなって、思うんです」
報われないな。
「だから今、こうして報われてほしいんです」
晴れ渡った空と、崖下に広がる景色を眺めながら、南野は言った。
「もちろんこれは、決まり事や真実ではないです。よく言うじゃないですか。こういう話」
「まあ、よくあるな」
自分は死んでいる。それを本当に一瞬忘れてしまうくらい、今多幸感に包まれているのは、ほかならぬこの南野のおかげ…かもしれない。
でも、幸福に感じるほど脳裏をよぎるのは「限られた時間」ということだ。これを満足として黄泉というところへ発てるのか。かえって不安になってしまう。生きているときになんでもっと幸せをつかもうと思えなかったのか。ただただ後悔が押し寄せてくる。
「北原さん?」
南野が心配そうにこちらを見ている。
「大丈夫ですか?」
「…大丈夫。さて、そろそろ降りて、世界のビール博物館へいこうよ。ビール飲みたい」
「そうですか。それじゃあビール、飲みましょう」
一応書いておいたほうがいいのか。【世界のビール博物館に行く】
世界のビール博物館。有名な国々のビールを楽しめる最高のお店。と言っても、普段ビール自体そんなに飲まないので、アミューズメント感覚である。あと、何やら結構高い。もうどうでもいいが。
「南野さん、飲みます?」
「ほかのお客さんのやつ見てると、結構量が多くないです?飲めるかな…」
心配そうだ。
「確か5種類くらいの飲み比べできるメニューがあったような…あ、あった。これなら小さいから飲めると思うよ」
「それじゃあ、それを一つ頼んで二人で飲みましょう!」
「了解―。あとは、このでかいウインナーのやつと、生ハムセットと、サーモン食べれる?」
「サーモン好きです!」
「じゃあサーモンのやつ頼もう。楽しみ」
「楽しみですね!」
運ばれてきた料理は、なんとなくスケール感があってよい。居酒屋さんの写真詐欺みたいなケースが少ない印象だ。
「じゃあカンパーイ」
無作為に南野が手に取った黒ビールは、案の定彼女には合わなかったようだ。
「に、にがい…」
「こっちの色の薄い奴飲んで見なよ。多分飲みやすいよ」
「ほんとですか…あ、これは飲めそうですよ。その黒いのはいりません」
「そうですか。じゃあもらうよ」
せっかくなので外の展望席で、初夏手前の暖かな日差しの中ビールを口に含んだ。
そういえばここ、木村とも来たなあ。あ、木村。明日の夕方くらいに行ってみよう。
「そういえば」
「はい!なんですか!」
ビールをちびちび飲んで上機嫌の南野の反応は元気な女の子って感じだな。なんでファーストコンタクトの時フードかぶってたんだろう。
「それは、雰囲気作りですよ。いきなり明るい感じでいっても、その人となりがはっきりしない以上、どう転ぶかわからないので。暗めが一番」
「まあ、相手は死人だもんな」
「こんなに楽しい仕事は初めてです」
実際、お互い酒飲んで観光してるだけだし。
「年代がずっと上の方だったりすると、関わるなという感じで一人行動したいという方も多いですし、何より基本的に皆さんプライベートに入ってくるな、という感じなので…あと、私のことを最低限しか認識しない人のほうが多かったかもしれません」
「というと?」
「私の役目を理解してもらったのちは、ただのそういう存在で、あとは使いっぱしるまではないものの、事務連絡というか、用意してほしいもの、例えば故郷を見たいから切符を買ってきてほしい、とか映画を見たいからチケットを買ってきてほしい、とか。私は何かあればすぐに動けますので、何もこうやって常に行動を共にすることは実はあまり多くなかったりします」
あら、そうだったの。
「あれ、でも俺行動を常に共にしてほしいとは伝えてないような…」
「うぇ!?ま、まあそれはいいんです!実際、居酒屋さんや今だって話し相手がいたほうが良いでしょう?散歩も、同じ理由ですよ」
納得したような。腑に落ちないような。まあ、いいか。話を変えよう。
「そういえばさ、さっき南野さんがチケットを買いに行っているときに、ふと周りの会話が気になったんだけど」
「はい」
「なんか結婚式をさ、挙げるっていうやつと、その友達が二人で会話しててね」
「はい」
「なんか微妙な空気になってた」
「ほお」
南野はしばらく考えてから
「それって、なんで聞こうと思ったんですか?」
そういわれると、なんでだろう。
「いや、ふと耳に入ってきて、気になったというか…ん?なんでだろう」
「その人たちって、本当にいましたか?」
え、何その発言。
「どういうこと?」
「カクテルパーティー現象、のような、ガヤガヤしているところで自分の名前が呼ばれたような気がすると反応できることはあると思うんですけど、自分には全く関係もなくて、縁もないような話を、視界に無いところから察知してそれを気にするものでしょうか」
まあ、言われてみればそうなんだよな。
「確かに不思議だな。ちなみにそっちを振り向いたら誰もいないほうだった」
「結構混んでいましたけど、そこだけ誰もいなかったんですか」
あ、確かに。なんであの空間は誰もいなかったんだろう。
「うーん、まあ北原さん自体、今現在は不思議な存在なので、どんなことが起きてもおかしくはないと思うんですが、まあおそらく心霊的な体験でしょうね」
「まじで?幽霊ってこと?」
「それはわかりませんけど、その話をしていたという人は、お聞きになったエピソードに対してかなり精神的な負荷が起こったんでしょう。その強い念のようなものが、北原さんには聞こえたのかもしれないですね」
そんなに深刻な話でもなかったように思うんだけどな。
「誰か何にどう感じるか、なんて、その人にしかわかりませんよ」
やっぱり、みんなそれぞれに限界とかキャパシティがあるんだなあ。
「その人のキャパシティが頭の上にでも表示されていたら面白いのに」
「なんでですか?」
「今この人は限界そうだな、慰めよう。とか助けてあげようとか、触れないでおこうとかできるじゃない?」
南野はブッと吹き出した。
「あはは、北原さんって本当に根はいい人なんですねえ」
「え、なんかおかしいか?」
「そんなシステムがあったら、悪用する人が出るにきまってるじゃないですか」
「というと?」
「今この人は限界そうだな、とどめを刺してやろう。とか、手を引いてやろう、とか」
真顔で南野は言った。
「怖いことを言うね」
「怖い人もたくさん見てきましたからねえ」
遠くの空と、真横にそびえたっているスカイツリーの頂上を見て、南野はため息を吐いた。
「北原さんといたら、もうこの仕事嫌になってきちゃいましたよ」
と、つぶやいて
「あ、今のは聞かなかったことにしてください!ほんとに!すみません!」
慌てて訂正をして。一度席を立った。
この子も、いろいろな思いを抱えているのは間違いなんだろうな。
あと1日半かあ。