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攻勢ふたたび

 四月二十四日、アメリカ軍は、日本軍が明け渡した嘉数、西原、棚原の各高地を接収し、それ以上には進攻しませんでした。しかし、日本軍の左翼方面では安波茶や宮城などで激戦となりました。日本軍右翼方面では目立った戦闘は生起しませんでした。


 四月二十五日、アメリカ軍は、日本軍最左翼の城間高地に猛攻をしかけてきました。このため城間集落はアメリカ軍に占領されましたが、城間陣地はなお健在でした。

 日本軍の防衛線の中央にあたる仲間高地、前田高地に対してアメリカ軍は猛烈な砲撃とナパーム弾による空襲を実施しましたが、歩兵部隊の進出はありませんでした。日本軍は洞窟陣地内で敵の砲爆撃をしのぎました。


 四月二十六日、アメリカ軍は早朝から前田、仲間、幸地の日本軍陣地に猛烈な砲撃を実施し、午前十時頃から侵攻を開始しました。この猛攻のため前田高地の東方陣地が突破され、戦車をともなうアメリカ地上軍が前田高地の背側に回り込む形勢となりました。このため第三十二軍司令官は第六十二師団と第二十四師団に対し、侵入した敵を撃退するよう命じました。

 日本軍左翼の城間陣地に対してもアメリカ軍は猛攻をかけ、陣地の大部分を占領しました。

 日本軍右翼の幸地、小波津にもアメリカ軍は攻撃をかけましたが、日本軍により撃退されました。

 この日、午後九時四十五分、内閣総理大臣鈴木貫太郎はラジオ放送で沖縄の全将兵および官民を激励しました。

「沖縄全戦域に一致団結して全員特攻敢闘せらるる将兵各位ならびに官民諸君、わたしたち一億国民は諸士の勇戦敢闘に対し無限の感謝を捧げている。(中略)不肖わたし自らも一億全国民の先頭に起って戦争一本の旗印のもとに総突撃を敢行する所存である」

 鈴木貫太郎総理は、困難な終戦工作を成功させたことで知られていますが、沖縄戦の段階ではアメリカ軍に対して強い姿勢を表明していました。停戦交渉は高度な政治です。まずは強い姿勢を示し、戦えば大損害を被ると敵に思わせる必要があります。

「戦うより停戦する方が得だ」

 敵国の政治指導者にそう思わせる必要がありました。日本軍が弱体だったら、アメリカ軍は無人の曠野を行くがごとくに進撃して日本列島を占領し、無条件降伏となってしまいます。つまり、停戦を成立させるためにこそアメリカ軍に大打撃を与える必要がありました。

 鈴木貫太郎総理の発した言外の意味を、牛島満軍司令官が感得したとしても不思議ではありません。牛島中将は、攻勢作戦をとることによって日本軍の勇猛さをアメリカ政府中枢に印象づけようと考えたようです。

 以降、第三十二軍司令部内に攻勢論が再浮上してきました。例によって、長参謀長が攻勢を提案し、参謀たちがこれに賛同し、ただひとり八原大佐のみが反対しました。

「なぜですか。四月十二日の夜襲攻勢は失敗に終わったではありませんか。おなじ失敗を繰り返すのですか。陣地を出てはなりません。それは敵の思う壺です。陣地に拠って戦ってこそ敵を苦しめ、敵に打撃を与えることができるのです」

 八原大佐は、戦術的な得失論を展開して反対しました。その戦術理論は完璧で、だれも反論できません。しかし、少数意見でした。このため攻勢の是非をめぐる議論は平行線となり、決着がつきません。この日、八原大佐はメモ帳に書きました。

「司令部内にふたたび狂風吹き始めたり。警戒を要す」


 四月二十七日、アメリカ軍は全戦線にわたって攻勢に出て、日本軍を襲いました。前田高地の背側に回ったアメリカ軍は、前田集落を占領しました。日本軍は前田高地の陣地に立て籠もって抵抗を続けています。これを見た第二十四師団長の雨宮巽中将は、第三十二連隊と第二十二連隊に前田高地への進出を命じました。幸地に対してもアメリカ軍は攻勢をかけ、陣地の一角を占領しました。日本軍左翼では、城間陣地に残って抵抗していた日本軍が屋富祖(やふそ)へと後退しました。

 

 第三十二軍司令官は、軍の主力を首里周辺地区に集結させる命令を発しました。

「首里周辺地区に主戦力を集結し、戦略持久態勢の強化を図るとともに機を見て決戦の敢行を企図す。第二十四師団主力、第六十二師団全力を並列、現第一線において敵を攻撃しいっせいに破摧す」

 明らかに攻勢の意図が読み取れます。それでも八原大佐は、あくまでも攻勢作戦に反対し、洞窟陣地戦術の堅持を主張し続けました。


 四月二十八日、アメリカ軍は早朝から猛烈な砲撃を日本軍陣地に加え、その後に戦車を伴う歩兵部隊を進めてきました。日本軍右翼の幸地、小波津では日本軍が善戦して陣地を保持しました。

 防衛線中央の前田および安波茶では日米の近接戦闘が続きました。第二十四師団の増援部隊は、前田高地に到達したものの、頑強な敵に苦戦しました。前田集落に浸透したアメリカ軍を撃退することはできませんでしたが、日本軍は陣地帯を維持しました。

 日本軍左翼ではアメリカ軍の侵攻が成功しました。日本軍は屋富祖(やふそ)の一角を奪われ、さらに南飛行場の南端にまでアメリカ軍の進出を許してしまいました。

 第三十二軍司令部では、この日も攻勢をとるべきか、とらざるべきかで幕僚会議が開かれました。ただひとり攻勢に反対したのは八原大佐です。

「なぜ攻勢なのですか。四月十二日の夜襲は失敗でした。陣地に拠って戦えばこそ、圧倒的な敵に対抗できるのです。陣地を出たら、それこそ甲羅のない亀みたいなものです。わかりきったことではありませんか」

 戦術論で八原大佐に敵う参謀はいません。ただ長少将のみが八原大佐に反論します。

「現状を以て推移すれば、わが軍はロウソクのごとく消耗し、運命の尽きることは明白である。よろしく攻撃戦力を保有している今、攻勢をとり、運命の打開を図るべきである」

「お待ちください参謀長、攻撃戦力といっても、敵に比べたら十分の一にもなりません。戦うためにはどうしても洞窟陣地に拠る抵抗戦術しかありません」

「ちがう。やはらあ、貴官も先日の鈴木総理のラジオ放送を聞いただろう、全国民の期待がこの沖縄に集まっておるのだ。わが第三十二軍は、このまま坐して死を待つわけにはゆかぬ。本土決戦の先駆けとなるべく攻勢に出て、全軍に範を示すべきだ」

「ちがいます。バンザイ突撃は敗北を早め、敵を喜ばせるだけです。本土決戦においても洞窟陣地に拠る地中戦闘が効果を発揮するはずです。わが軍がその模範を示すのです」

「そうではない。陣地戦闘では士気振作にならぬ。攻勢に打って出て、わが軍の武勇を全国民に示すのだ」

「なにをおっしゃいます、参謀長。そんな子供じみた発想で作戦を考えてはいけません。味方の損害を極小化し、敵に対する打撃を極大化するのです。それには陣地戦しかありません」

「うるさいぞ、やはらあ。そんなことは言われなくても知っておる」

「ならば、なぜ」

「貴官にはわからぬ。やはらあ、貴様このオレに逆らうか」

 長少将の怒号に、八原大佐は(ひる)みませんでした。

「逆らいます。わたしは作戦に命をかけております」

「チッ」

 議論は平行線です。長少将は、内心、舌を巻きました。

(八原がこれほどの男だったとは)

 長勇少将は、八原大佐のことを作戦に精通した才子だと見くびっていましたが、そうではありませんでした。豪傑で鳴る長勇の咆吼にもひるまず、反論してきたのです。その態度はまさに命がけでした。

(あいつめ。やっかいだが、男だな)

 長少将は、この日、心の底から八原博通という男を見直しました。


 八原大佐は、この夜、眠れませんでした。

(なぜだ。なぜ、攻勢なのだ)

 いくら考えてもわかりません。合理的な作戦は陣地戦なのです。それがなぜ攻勢なのか。八原大佐は考えつづけます。

(わが軍の教育がまずかったのかもしれん。なにごとにつけても積極性を重んじすぎた。この局面では陣地戦こそがむしろ積極作戦なのに、なぜそれを消極と決めつけるか)

 教育畑の長かった八原大佐は、自身の過去をふりかえって反省すべき点を数え上げていきました。

(いや、これが戦場心理というものかも知れん)

 当たり前のことですが、戦場は人間にとって異常な環境です。そこに身を置く人間たちは極度の緊張を強いられます。心身ともに疲労困憊し、その疲労を感じる感覚さえ麻痺します。そもそも死に対する感覚が鈍磨するのです。その結果、

「むしろ突撃してバンザイをとなえん」

 という気持ちになるようです。通常ならばあり得ないことですが、戦場という異常な環境下では、こうした異常な心理状態が起こりやすいのです。

(最前線の将兵はともかく、軍司令部がそれではいかん。朴念仁と呼ぶなら呼べ。オレは意地でも正気を保ってみせる)


 四月二十九日、朝、眠れぬ夜を過ごした八原大佐は、洗面所で顔を洗っていました。すると、そこへ長参謀長が現れました。参謀長は思い詰めたような顔で八原大佐を見つめると、ガッシと八原大佐の手を握りしめ、言いました。

「八原君、君と僕とは常に難局にばかり差し向けられてきた。そして、とうとうこの沖縄で、最後の関頭に立っている。君にも幾多の考えがあるだろうが、一緒に死のう。どうか今度の攻勢には、こころよく同意してくれ」

 長少将は、両眼から涙をあふれさせていました。長少将の赤誠に触れた思いの八原大佐は、感激してしまい、覚えずに「承知しました」と答えてしまいました。こうして八原大佐は攻勢計画の立案作業に取り組むこととなりました。


 この日も、前田高地周辺においては日米の死闘が続きました。前田集落に進出したアメリカ軍を撃退することはできませんでしたが、前田高地の洞窟陣地は健在です。

 日本軍の右翼と左翼でも、アメリカ軍の攻撃を日本軍が撃退し、現陣地を維持しました。


 第三十二軍司令部の参謀室では、八原、薬丸、長野の三名が攻勢作戦の立案作業に取り組んでいました。作戦の骨格は、「五月四日黎明、軍は重点を右翼方面に保持し、当面の敵を攻撃し、普天間東西の線に到達せんとす」という意欲的なものです。しかし、八原大佐にとっては、若干の後悔を感じながらの作戦立案となりました。

(これは必敗の作戦だ。何とか損害を極小化したい)

 勝つことよりは、損害を減らすことを考えました。そんな八原大佐の心中を知らぬ薬丸少佐と長野少佐は、攻勢作戦に乗り気です。積極的に立案作業を補佐してくれます。

「高級参謀殿、独立混成第四十四旅団の首里北東地区への移動は五月三日でよろしいですね」

 長野少佐が確認します。五月四日が攻撃開始ですから、前日に移動しておく必要があると考えたのです。

「うん。いや、まて五月四日にせよ」

「四日でよろしいのですか」

「そうだ。まず第二十四師団が突進し、その後に続くのが独立混成第四十四旅団だ。攻撃前日の首里地区は移動する各部隊で大混雑する。敵の空襲や艦砲射撃を避ける意味でも一日ずらす方が得策だ」

「承知しました」

 長野少佐は納得し、そのように作戦案を書き始めました。しかし、このとき八原大佐は、内心、別のことを考えていました。

(第二十四師団の突進はおそらくあっけなく失敗する。失敗が明らかになれば、作戦中止になる。独立混成第四十四旅団は損害を免れる)

 作戦の必敗を確信している八原大佐にしてみれば、精一杯の良心です。損害を極小化するための密計でした。

 できあがった攻勢作戦案は、机上案としては立派なものです。まず、三日夜、船舶工兵連隊が小型艇に分乗し、沖縄本島の東西両岸から海上を北上し、アメリカ軍の背後に上陸します。こうして敵の背後を撹乱させておきます。そして、四日夜に本格攻勢をかけます。第六十二師団に現陣地を確保させておきます。そして、第二十四師団が四日早暁に進撃を開始します。第二十四師団は、南上原高地の敵軍を撃破して、普天間東西の線を目指します。距離にしておよそ五キロの進軍です。独立混成第四十四旅団は、第二十四師団の突進につづいて首里から北上を開始し、幸地から棚原を抜け、普天間を目指します。軍砲兵隊は、第二十四師団の突進を支援するため、攻撃準備射撃を実施し、以後、同師団の攻撃に協同すべく砲撃を継続します。

 こうして攻勢作戦案はできあがりました。しかし、制空制海権を敵が完全掌握しており、しかも敵の地上軍は圧倒的な大軍です。勝ち目はないと八原大佐は思いました。

「長野君、貴官が作戦案を参謀長に報告しておいてくれ」

「はい」

 八原大佐は、汗を流して気分を変えたいと思い、洞窟陣地内の浴場へ向かいました。負けるとわかっている作戦を立案するのは、ひどく気の重い作業です。すっかり疲れていました。


 一服して軍司令部にもどってきた八原大佐は、静まりかえる異様な雰囲気に気づきました。

(どうかしたのか)

 と思う間もなく、牛島軍司令官に呼ばれました。

「八原、ちょっと来い」

 軍司令官の前で直立不動の姿勢をとる八原大佐に対して牛島軍司令官は説諭を始めました。

「貴官は攻勢の議論が出るごとに反対し、また吾輩が攻勢に決心した後も、浮かぬ顔をして全体の雰囲気を暗くする。すでに軍は全運命を賭けて攻勢に決したのである。攻勢の気勢を殺ぐようなことのないように」

 仁将は諭すように静かな口調で言いました。しかし、八原大佐には心外な説諭です。気勢を殺いだこともなければ、雰囲気を暗くしたこともないのです。ただ、作戦家として最良の作戦を意見具申しただけです。八原大佐は思いきって反論します。すぐ横で長参謀長が聞いています。むしろ参謀長を意識して言いました。

「わたくしは失敗必定の攻勢作戦の結末を思うと、つい、どうしても憂鬱になります。今回の攻撃が成功するやに考える者が多いようですが、残念ながらそれは間違っています。おそらく数万将兵は南上原高地にさえ到達し得ず、幸地付近で撃破されるでしょう。無意味な自殺的攻勢であります。しかし、閣下がすでにご決心なさったことでありますので、わたくしとしては職責を果たすために全力を尽くしております。また、わたくしの態度については十分に反省し、今後は注意致します」

 牛島軍司令官は、怒りもせず、叱りもせず、ただ静かに決心を述べます。

「貴官の言うとおり、これは玉砕攻撃である。吾輩も、最後には軍刀をふるって突撃する考えである」

 軍司令官の決意がこれほど堅いものであれば、もはや忠言も作戦も無用です。八原大佐は最敬礼して軍司令官の前から退出しようとしました。すると、長参謀長が大声を張り上げます。

「やはらあ、攻撃計画書第六項において、混成旅団は四日夜、首里東北地区に機動するとなっておるが、これは三日夜に改めろ。いやしくも攻撃と決した以上は、総ての戦力を結集させて必勝一途に透徹すべきである。混成旅団は三日夜のうちに攻撃正面へ移動させ、少しでも長く準備時間を与えてやるべきだ」

 八原大佐は、思わず首をすくめました。

(さすがは参謀長、見抜いておられたか)

 損害を極小化するための秘かな配慮は見事に見破られていました。しかし、八原大佐は、あくまでもその正当性を主張します。

「三日夜、首里北東地区は、第二十四師団を始めとして輜重部隊や砲兵部隊など、機動を要する諸部隊で大混雑します。ここに混成旅団を投入するべきではありません。むしろ四日夜こそ適切です」

「ダメだ」

 こうして独立混成第四十四旅団の機動は三日夜に実施されることとなりました。


 こうした軍司令部内の軋轢を経て、攻勢計画は成案となりましたが、最前線の将兵たちは、攻勢どころか、怒濤のように攻め寄せるアメリカ軍に直面して防戦に必死です。

 四月三十日、小波津の一角がアメリカ軍に占領されました。幸地では、アメリカ軍に占領されていた一角を日本軍が奪回しました。前田と仲間では激戦が続いていますが、日本軍は洞窟陣地を維持しました。日本軍左翼では、アメリカ軍が南飛行場にとりつきつつありましたが、これを日本軍は撃退しました。


 五月一日、アメリカ軍は、小波津、運玉森(うんたまもり)、幸地、前田などにおいて攻勢をとってきましたが、日本軍はその進撃を阻止しました。しかし、アメリカ軍はジワジワと浸透してきます。


 五月二日、この日は雨となりました。そのためアメリカ軍機の空襲はありませんでしたが、地上では激しい戦闘となりました。小波津、幸地、前田で激戦が続きました。日本軍の左翼ではアメリカ軍の浸透が進み、宮城高地が占領されました。


 五月三日、アメリカ軍は全戦線にわたり猛攻を加えてきました。各地で激戦となりましたが、日本軍はよく耐え、戦線を維持しました。しかし、日本軍の損害は増え続けました。

 夜、首里洞窟内の第三十二軍司令部に、各兵団の将官が集められました。言うまでもなく、翌四日早暁に実施される攻勢作戦のためです。牛島軍司令官が訓示します。

「醜敵撃滅に驀進すべし」

 その後、恩賜の御酒を酌み交わしての必勝祈願の祝宴となりました。洞窟内とはいえ、煌々と電燈がついており、缶詰食とはいえ御馳走があり、正装した女性たちが酒間を斡旋しました。長参謀長は意気盛んです。

「明日は天気予報では雨だ。敵の戦車は泥に滑って動けず、飛行機は飛べない。端午の節句には戦勝祝賀会をやるぞ」

 将軍たちの意気は上がり、必勝が論じられ、談笑は尽きません。その意気軒昂な様子は参謀室にも伝わります。参謀たちは、御馳走にはありつけぬ身ながら、気持ちを沸き立たせました。しかし、ただひとり八原大佐だけは()ねています。負けるとわかっていたからです。

「将星の集うて飲めばなんとなく、勝つような気のする今宵かな」

 皮肉な狂歌を命令起案書の端に悪戯書きして黙っています。

(勝てるとでも思っているのか)

 将軍たちの意気盛んな歓談を聞くともなく聞いている八原大佐は、上官たちの不明を罵りたくなりました。しかし、この点については八原大佐こそ不明だったでしょう。この夜、軍司令部に集った将軍たちは、おそらく誰ひとりとして勝てるとは思っていませんでした。それでも戦えという命令が出た以上は、せめて末期の酒を楽しもうとしたのです。たしかに作戦の合理性からは逸脱しています。しかし、それを越えたなにごとか、たとえば楠木正成や真田幸村が負けると知りながら突撃していったような心意気を互いに確認し合いたかったようです。もし、八原大佐が楠木正成の軍師だったら、出陣を止めたでしょう。しかし、楠木正成はそれでも出陣したにちがいありません。

 万歳三唱とともに宴は果てました。上機嫌になった将軍たちは、帰り際、参謀室の八原大佐に声をかけます。

「高級参謀、ご苦労」

「高級参謀、明日は大いにやるぞ」


 この夜、すでに作戦は始まっていました。沖縄本島の東西海岸から船舶工兵隊の海上挺身隊が北上していました。しかし、連絡が入りませんでした。そのうち軍司令部の通信隊が敵の無線を傍受し、海上挺身隊が敵軍を混乱させている様子がわかりました。

 五月四日の午前三時、八原大佐は首里山上の監視哨に昇りました。

(どうなっても知らんぞ。今日は一日、山の上から見ていよう)

 八原大佐はふて腐れた気分です。アメリカ艦隊は間断なく艦砲射撃を浴びせてきます。その砲弾が首里の市街に落下しています。監視哨や交通壕にも敵弾は命中しており、コンクリートが砕け、剥き出しになった鉄筋がひん曲がっています。

 午前四時五十分、第三十二軍の砲兵隊がいっせいに砲門を開きました。準備射撃です。数百門の友軍砲兵が囂々たる砲声を轟かせる様は実に心強いものです。遠く敵陣内に落下する味方砲弾の爆煙が戦場を掩います。前田、仲間、小波津、幸地などの戦場がよく見えました。やがて第二十四師団が煙幕を張り、突撃に備えました。視界を失った八原大佐は監視哨を降りることにしました。

 参謀室に戻った八原大佐は自席に戻ると、普段は飲まない航空用葡萄酒を飲み、第一線からの報告を待ちました。

 正午前、攻撃部隊から報告が入り始めました。

「右突進隊の第八十九連隊は予定のごとく敵線に突入。小波津北方高地斜面を進撃中」

「よし、いけるぞ」

 軍司令部は喜色に満ちました。牛島軍司令官までが参謀室に顔を出しました。

「八原、そろそろ軍司令部を前田高地に進める時期ではないか」

 牛島中将は、心から作戦の成功を願っている様子です。八原大佐は直立し、返答します。

「今しばらくお待ちください。中央突進隊の歩兵第二十二連隊、左突進隊の歩兵第三十二連隊からの報告がまだ入っておりません。前田高地には第三十二連隊が向かっております」

 正午を過ぎると煙幕が薄くなり、雨が強まりました。歩兵第八十九連隊からの報告は苦戦の模様を伝えるものでした。

「第一線は上原高地にへばりついたまま、進展せず」

「敵艦砲と迫撃砲が集中し、被害甚大」

 第二十四師団と独立混成第四十四旅団の突進は失敗した模様です。しかし、第六十二師団が現陣地を懸命に保持していましたから、戦線は崩れてはいません。第三十二軍司令部は、憂色に包まれたものの、なお攻撃続行を命じました。


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