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⑨お嬢様と兄の元お目付け役


 さて、翌日の慰霊祭は滞りなく終了した。各所から将来有望な若者が集められた中、エディの出番は最初の試合に優勝候補といきなりの手合わせであった。トリーがカークとアリスと共に、五万人も収容できる施設の観覧席の隅で見守る中、エディの名前で会場に姿を現したのは風にマントをたなびかせ、目元を覆う謎の仮面を身につけた剣士である。


 カークはもちろん、怪我をしないといいのですが、と朝から心配そうだったアリスですら思わず無言だった。自信満々で登場したはずの優勝候補も会場全体もそのような空気の中で試合が始まり、しかしエディは正々堂々と戦って、見た目の怪しさはともかく高い実力を見せつける形で勝利をおさめた。剣を扱う所作や立ち振る舞いも見栄えを考慮しているらしく、やたらと格好良い動作を会場にアピールした。

 その後も勝ち抜き試合は進行し、観客は三十人近くいる各出場者の奮闘ぶりや勝敗の結果より、初戦で優勝候補を破ったわかりやすく強い仮面の剣士を応援する事にしたらしい。一巡して再び出て来たエディに、先ほどとは比べ物にならない大歓声が上がった。

 エディ、エディと轟く大勢の歓声は肌に感じられる程で、可哀想な対戦相手は始まる前から顔が引きつっている。服装に規定がないとはいえ、国王陛下や最上位司祭など、高貴な人々も見守る中で思い切った事をする男である。トリーは大声を張り上げるような事はしなかったが、彼の快進撃には惜しみない拍手を送った。


 そして夕方の部は昼間の大騒ぎとは対照的な、敬虔な祈りの場となった。最上位司祭が粛々と捧げた祈りの後は、時折誰かが零す嗚咽が聞こえるだけの静謐な時間が静かに流れた。それぞれ手にした燭台に揺れる小さな灯火が、亡くなった愛しき人々と生き延びた者達への道標のように夕闇の中に輝いた。


 トリーは慰霊祭が終わった後は王都屋敷に戻り、ちゃんと自分の使っているベッドに入ってから寝た。兄は王城と教会の奥で慰霊祭の続きがあったようで、普段は入れない場所を堂々と見学できる絶好の機会に、エディの主人として参加したらしい。戻って来たのは数日後の事であった。とても満足そうな様子で屋敷中の使用人を集めてエディの功績を讃えた後、特別お祝い金を全員に支給すると宣言した。相当な浮かれぶりである。






「ところでトリー、エディを見ていないか?」

「エディ君はアリスと一緒にお食事に出掛けました。仮面の剣士の祝勝会だそうです」


 トリーは落ち着いた頃合いを見計らって、帰還した兄へ会いに行った。するとレスターは開封した手紙を手に、廊下に出ようとしていたところだ。


 今日は仕事が休みだったアリスは洗濯場で一日中助っ人として走り回った後、いつもの仕事服ではなく可愛らしいワンピースを着て出かけて行ったのだ。そわそわしていてとても可愛かった。ついにエディがアリスと二人きりでお洒落なお店に向かったのは、つまり勝負に出たわけである。完全に外野であるトリーまでそわそわしてしまった。

 そんな経緯はともかくアリスとエディが不在である事を端的に伝えると、兄は書面を折り畳んで懐にしまった。私室に呼ばれ、なるべく消費してくれと頼まれているのだとワインセラーを開ける。


「エディに領地から至急戻るように連絡が来たんだが、せっかく頑張ったご褒美の時間なのに呼び戻すのも可哀想だ。アリスが明日仕事なら、そのうち帰って来るだろう。ところでトリー、この中から一本選んでくれ」

「お酒の事はよくわかりません」

「大体、値段も質も同じくらいだ」


 それならこれを、とトリーが決めたワインボトルを兄はお目が高い、と抱えたまま階下に向かった。廊下を進み、いくつか扉を潜って使用人達の居住区域に向かいながら、兄に尋ねてみた。


「お兄様はお酒を好まれるのですね」


 侯爵邸に各所からお花にお菓子、そして多種多様のお酒がぜひぜひレスター様にと届けられた。領地で一緒にいる時は素晴らしい腕の料理人がいるせいもあってか、食べ物より好き好んでいる印象はなかった。しかしあれだけ届いたとなると、付き合いの場ではそれなりに嗜んでいるもしれない。お酒は、と兄はどこか物憂げな表情で見つめた。


「集まりでは楽しく嗜むのだが、ふと気が付いて周囲を見回すと、皆潰れてしまっていて。体調の悪そうな者までいるとなれば、そこでお開きだ、残念。……やあロバート。これは私からの差し入れだ。終業時間に悪いが頼まれてくれ」

「へ? レスター様、これを開けなさるんで?」


 使用人棟で一番最初に行き会ったのは、古株の使用人ロバートである。彼は反射的に兄からワインを恭しく受け取って何気なくラベルを見て目を丸くし、自分の主人の顔を二度、三度と見比べている。トリーの選定だと楽しそうな兄を横目に、こちらに困ったような表情を向けた。


「いけませんよ、こんな高いお酒は」


 ロバートはお酒の価値をまだ知らないトリーのために、わかりやすい例えをしばらく考えていた。やがて、王様のワインセラーに同じものがきっとある、と言われれば目を丸くするしかない。


「持って来た者とは同じくらい珍しい一本を開けたから気にするな。ロバートは長年、よく仕えてくれたから」


 兄は老御者に、エディが外から戻って来たら顔を出すように伝言を頼んだ。後で私も一緒に楽しむから、と希少なワインを半ば強引に押し付ける事にも成功した。早くいらっしゃって下さいよ、お待ちしていますからね、と心配そうなロバートを残し、兄妹は踵を返した。来た道を戻って、今度は兄の執務室へやって来た。


「トリーには桃を剥いてやる。少し待ちなさい」


 長い話になるかもしれない、と兄は手を洗ったり奥の戸棚から簡単な調理器具を用意したりとしばらく行き来した後、カゴの中に綺麗に並べられている桃を用意した。高貴な身の上なのに刃物を扱えるのだろうか、とトリーは心配してしまう。しかし予想に反して、兄は慣れた手つきでくるくると果物を回しながら皮を剥いてしまった。レスターはトリーの少し驚いた視線に気が付いたらしい。ふふん、と表情の薄いながらもどこか自慢気な様子である。


「お義姉様にはリンゴを剥いて差し上げるそうですね」

「そうとも。故郷の懐かしい味らしくて、喜んでくれる」

「故郷の味だから喜ぶわけではないと思いますよ」


 領地で留守番をしている義姉が以前に、気遣いが嬉しいのだと教えてくれた様子を思い出した。兄は不思議そうな顔をしているので、直接尋ねて下さい、とトリーは返事をしておいた。


「……それで、結論は出せたか」

「たくさん考えたんですよ、お兄様がいない間に」


 兄がくし型に切って、お互い好物なので喧嘩にならないように別々のお皿に分けた。その中の一切れを口に運ぶと毎年、春とこれから暖かく、暑くなっていく季節の移り変わりを教えてくれる味がした。


「カークは私が子供の頃から『お嬢様は高貴な御方で、自分は使用人だから区別を』と繰り返し、家庭教師の先生方が『ご結婚はお家のため、ご当主様がお決めになる事』と言うのを真に受けたせいで、私は上手に頭の切り替えができないのです」


 ははあ、とこちらの話を聞きながら兄は相槌を打った。どこか面白がっているようにも思えて、トリーは増々口を尖らせた。


「それは悪い事をしたな。しかしこのまま婚約者を立てずに大人になると、会った事もない素敵な紳士達が列を成して、トリーに求婚するだろう。選ぶのはたった一人、やむを得ない事情がない限りは教会もやり直しを認めない。おとぎ話の姫君のようにありもしない宝物や、恐ろしい化け物退治、とんちの利いた謎々を出題するわけにもいかないからな」

「そんな方法で選んだりはしません」


 兄は真顔で、昔はその手のお話をよく読んでいたではないかと言う。全くその通りだが子供の頃の話です、とトリーは負けじと言い返した。

 

「まあ、それはともかく。エディは前向きに検討してくれそうな様子だと言っていたが」

「カークにはお世話になりましたから、幸せになって欲しいのです」


 トリーは本心からそう口にした。線引きを、と遠慮するカークを尊重したい気持ちと、エディがもたらしたこれまで知らなかった彼の一面をもっと知りたいという気持ちで、天秤はぐらぐら揺れている。そうだな、と兄は思案する様子で、話の切り口をしばらく探していた。


「どれだけ立派な家柄と経歴の貴公子だとしても、我が身が可愛いばかりの男では話にならない。往々にしてその手の人間は隠すのが上手だから、どこの貴族もある程度の身辺調査は必ず行う。もしトリーがカークがいい、と言うのならその手の事はしなくて済む」


 徹底的に行うので数年かかると兄は何気なく口にした。費用も人手も馬鹿にならないので、やらなくて済むなら助かるし、カークに対してそれだけの信頼はある、と言いたいらしい。


「それから妻に意見を求めたところ、『せっかく仲良くなれた義妹が遠くへ行ってしまうのは寂しい』だそうだ。だから近場で検討するべきだろうかと思って」


 お義姉様が、とトリーは呟いた。これは全然予想していなかったので、領地に帰ったらたくさんお土産を買って、たくさんお土産話をしなければ、と思った。それから少し前にカークが言っていた話の事も思い出した。義姉との関係は、上手く行った数のうちに入れるべきであると。


「それから侯爵家当主である私に何かあった時、そのくらいで領地がいきなり沈むような事はないようにしてあるが、利益を掠め取ろうとする輩が湧く。父が亡くなった時にそうだった」


 キリルが幼いうちは誰かが支えなければならない。遺された夫人だけに領地の運営と侯爵家の全てを背負わせるのはさすがに厳しい。そこでカークが、従僕として主人と行動を共にしていたおかげで、王都にしろ領地内にしろ顔が広いので、中心となって動くようにお願いしてある。そもそもの家格としても妥当な役割だが、そのうちにカークは血筋の者ではないのに、奥様とご子息を蔑ろにして物事を進め過ぎていると吹き込む者が出て来るだろう、と兄は淡々とした口調で述べた。


「そうならないように、あるいはそうなってしまった時に、トリーには両者の仲立ちをして欲しい。ちなみに私が長生きをした場合も、歳を取ると頭が固くなる上に、長年侯爵としてやって来た自負が邪魔をして周囲の忠告に耳を貸さない可能性が高い。その時は当主の妹としてよろしく頼む」


 できるな、と兄は真剣な眼差しをこちらに向けたので了承の旨をしっかりと返事をした。よろしい、と兄が満足そうに桃を食べているので、トリーは話を切り出した。


「エディ君が先日、主人を選ぶのは使用人の権利、と言っていました。カークが昔、それを行使した事があると。それは事実ですか?」

「『お前を主人とは認めない』と去る事はできるな、確かに」

「……そこまで攻撃的な言い方かどうかはわかりませんけれど」


 何かを示し合わせたわけではないが、自然と二人は同じ方向、執務室に並ぶ歴代当主の肖像画の一番端に注がれた。小さかったせいなのか、会話した記憶すら曖昧である。トリーが知っているのは厳格で保守的な貴族で、兄とは関係が悪かった事しかない。持病の悪化で亡くなった後も、屋敷で先代の話題が上る事がほとんどなかった。つまり皆、今の当主に気を遣っているわけだ。

 

「父は私以外に当主の座につく事ができる者がいたらそうしたはずだ。確信がある。しかし、片方だけから話を聞いて事情を把握したとするのは早計だ。為政者はなるべく多くの立場の者から意見を聴収する姿を見せる事が肝要である、取り入れるかどうかはまた別の話だが」


 はい、とトリーは神妙に頷き、しかし余計な付け足しに思わず閉口した。けれど兄はその様子を意に介した様子もなく、考え込むようにしながら話の先をどう続けるべきかを思案しているらしい。

  

「父は私に、常に完璧な侯爵家の次期当主である事を求めた。褒められた記憶はないし、子供ながらに変だと感じていたが、領地内の誰一人、私を含めて意見する事は許さなかった。それは今でも間違っていたと思っている」


 兄は先ほど長々と、自分がいなくなった時と年齢を重ねて頑固になった時を想定した話をしていた。何気なく聞いていたけれど、レスターにとっては必ず打つ手を考えておくべき事態として位置付けられているらしい。


「そうは言っても領地で一番偉い人間だから、誰も止めてくれない。父がこんな息子では領地の将来が不安で仕方がないと言えば、その場の人間は同調するしかない。家令が代替わりして、ロバートを私の移動の際に必ずつけて、屋敷にも多少は外部からの刺激も必要だからと優秀な技能を持つ料理人と庭師を雇い入れた。彼らが話し相手になってくれたおかげで、少し楽になった。後は生まれて間もない妹もいて、可愛くて」


 トリーは田舎屋敷のよく知っている使用人達、いつも陽気に接してくれる彼らを思い浮かべた。そして兄にとっては腕の良い使用人以上の役割を担ってくれていたのだ。


「そんな頃に新しいお目付け役が、カークもまだ子供だったから、意のままに支配しやすいと考えたのだと思う。とにかく私について回るようになった。いつどこで誰と何を話したのかを詳細に報告するように命じられて、本人もまさか主人と息子でここまで関係が悪いのは想定していなかっただろう」


 カークはレスターと侯爵と、どちらの意向も尊重しようとして、あまり上手な立ち回りではなかったそうだ。兄は折を見て実家に戻れと忠告はしたが、父に何か吹き込まれていたのかもしれないし、生家が許さなかったかもしれない。領地内の名家の息子である自負もあっただろうから、あまり響いた様子はなかった。

 ちょうどその頃に、と兄の声は淡々として、いつも以上に感情の読めない口調である。国は荒れた。災害が各地で頻発し、トリーが病気に倒れたのもその時だった、と言った。


「高熱にうなされながら大好きな桃が食べたい、と訴えたんだ。ちょうど今と同じ頃だから、普通は手に入らなくて途方に暮れた時に、後ろで一緒に聞いていたカークが入手できるかもしれないと言った」

 

 カークは多くの商船が集まる、生家の管理する港を頼れば入手できるかもしれないと言ってくれた。兄も妹の様子に気が動転していて、申し出に一も二も無く頼み込んだ。

 カークは頷いて、父に経緯を説明して一時的に屋敷を離れる許可を取りに行った。ところがお目付け役としてあまり成果の上げられなかったカークが意見して来たのが気に食わなかったか、侯爵本家の人間が病気に罹った事が広まるのを嫌がったのか。自分より息子の頼みを優先する事が許せないのか、医者でも薬でもないただの果物にやってみる価値を見出せなかったのか、とにかく許可を出さないばかりか、言ってはいけない事を口にした。


「逆らえば領地から永久に追放して、家を継げないようにすることは容易であると。『それがないお前に何の価値があるのか』と実の息子を詰るのと同じようして」

「……それはあんまりではありませんか」


 カークが何と返事をしたのかは定かではないけれど、結局屋敷を飛び出して、ロバートとアンガスに手伝ってもらって、トリーが食べたがった好物を届ける事ができた。医者も手を尽くしてくれて、どうにか持ち直した。 


「カークは本当に姿を消すし、父は開き直るで大変だったんだその後が。行方をくらます前に、庭師が説得してくれたらしくて、知り合いの薬草園で延々と草むしりをしていてな。父の暴言を詫び、妹の命を救ってくれた事に感謝を伝えて、生家を継ぐ権利を保障して私の配下として説得してどうにか帰って来てもらった。表向きは三か月の謹慎処分」


 国王陛下相手でもあんなに真剣に頭を下げた事はない、と兄は言う。


「頼んだのは私だ。トリーも何とか持ち直して、カークが配下である以前に、私が主人である道理が通らない。父は最後までカークを許さなかったが、私も父にがっかりどころではない、幻滅した」


 兄の、当時の父に対する怒りはまだ少しも衰えていないらしい。桃を食べて下さい、とトリーが忠告すると、少しだけ笑みを浮かべて素直に口に運び、昔のことを思い出しているかのように目を閉じた。


「今まで話さなかったのは、カークの活躍と共にトリーが病気に罹った事実が広まるのを避けたからだ。貴族社会ではあまり歓迎はされない。数年にわたって衰弱するのは事実だから、離縁や婚約の解消に至った話は時折、耳にする」


 兄はいつも通り、淡々とした口調に戻った。二人とも皿の上が空になったので、使用人を呼んで片づけてもらった。すまないな、と兄の言葉に使用人は恐縮した様子で食器を下げて退室した。最後に、と兄はこちらに改めて向き直った。


「カークにも言える事だが、トリー。物事は前向きにとらえなさい。受け身でいたって、何の成果も得られはしない。エディの活躍を観ただろう、主役は自分だと周囲を蹴散らす意気込みでなければ目的は達成できない。身体も回復して、これから侯爵家の人間としてどうあるべきなのか、結論は出せるはずだ」


 トリーは兄の顔を見て、しっかりと頷いた。今日はもう休みなさい、と言われてそのまま寝室に戻った。兄は約束通りロバートのところへ向かうため、階段を下りて行った。


 祝勝会に出掛けたアリスの代わりの別の使用人が、寝る前の支度を手伝ってくれた。いつもは本を読むのだけれど、今日は窓の外を眺めた。もうすぐ満月を迎える明るい夜空は、背中を押してくれるような気がした。


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