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⑥お嬢様と旅のお供


 領地は王都から近いので、港を筆頭にして往き来はかなり頻繁である。トリー達を乗せた馬車が走る道すがらにも、他の商会や行商人らしき一行や、徒歩で向かう旅人がちらほらと窓の外に見えた。大きな荷物を背負った人や、子供連れがこちらに手を振るのが見えた。侯爵領と王都を結ぶ主要な街道なので、旅人を脅かすような危険は排除されて久しい。


「けれどまだ、それほど混んでいないのね」


 向かいの席に腰を下ろしているアリスと、馬車の小窓を開けて街道の様子を見つめた。馬車酔いしてしまう体質なので、読書や裁縫などの手元に集中する趣味は控えていた。


 予定されている慰霊祭にはたくさんの人々が王都に集まると聞いていたので、てっきり街道が埋まって馬車は動けないのではないかと思っていた。しかし、今のところはのんびりと気ままに進んでいる。

 トリー達を乗せた馬車はゆっくりとした足取りなので、時折馬車ごと追い抜かされる音が聞こえる。失礼、と乗り手のきびきびした声と共に先を急ぐらしい馬の蹄の音が近づき、すぐに遠ざかって行くのも何度もあった。


「泊まる先は王都の人々にとっての行楽地のような場所ですから、今の時期はそれなりに人出が多いはずです。ようやく暖かくなってきたところですからね」


 馬車の扉側、トリーの隣に座っているのは、兄が妹の初めての王都遠征の案内役に寄越したカークである。兄は既に王都に発ち、義姉は侯爵領で行われる慰霊のための式典に参加するので今回は留守番だ。

 レスターは護衛として従僕をあと二人貸してくれて、一人はベテラン御者のロバートと一緒に御者台に、もう一人が後ろに騎乗してついて来ている。

 結婚相手としてどうか、等と持ち掛けて来なければ、またカークなのね、といつもの口にするのが、今日はそんな気分にはなれなかった。


「……緊張していらっしゃいますか?」

「ええ、もちろん」


 そんなカークは口数が少ないのを心配しているらしい。いつも通りに下らない話題を次々と、この真面目な兄の部下やアリスに振るのは何となく気が引けた。


「体調が悪いわけじゃないから、二人共そんなに深刻そうな顔をしなくていいの、大丈夫」

 

 トリーは不安そうな空気を漂わせる世話係達に釈明した。二人にどれだけ迷惑を掛けて来たのだろう、と思う。側にいるのにしっかり見ていないから、と責められる事があったかもしれない。今更ながら申し訳なくなる。


「えっと、それなら街へ下りる時間はあるのかしら」

「時間に余裕はありますよ」


 トリーは元気で旅を楽しんでいる事を印象付けようと口にしたけれど、よくよく冷静に考えてみれば、かえって仕事の手間を増やして、と思われるかもしれない。意外な事に自分と護衛が付いて回るのでよければ、とカークは街の見物に行く事を許可してくれた。


 中継地点で一泊して、翌日の夕食前には王都にある侯爵家所有の都会屋敷へ到着する予定になっている。本来なら急げば一日で済む行程を二日に引き延ばしているので、のんびり進んでもそれまでには着くだろう、というのが案内役の目算だ。


「てっきり却下されると思って」 

「想定の範囲内ではあります。楽しく過ごせるように取り計らうのは私達の仕事なので」


 カークはあっさり承諾した。ただし義姉や田舎屋敷へのお土産は帰りに買う、かさばりそうな品は料金を余分に払って取り置きしてもらう、と幾つかの条件が提示された。


「それから目立たない恰好をお願いします。領地のお姫様がいるとなると、大騒ぎになりますからね」

「それはもちろん」


 ね、とアリスに目配せすると、ちゃんと用意がしてあると言った。彼女が手元の荷物から取り出したのは、一見すると地味な色合いもあってその辺りのお店でも手に入りそうな簡素な外套である。けれどちゃんといつもの商会に用意してもらったので、質の良い生地で仕立てられていた。


「……用意の良いことで」

「アリスは気が利くの」


 ね、とアリスにお礼を言って、女の子二人は窓の外を再び眺めはじめた。カークは話に入って来るような事はしなかったが、馬車の中にはのんびりとした空気が流れた。




 


「お嬢様、街に入りましたので」


 いつの間にかすっかり眠ってしまっていたようで、アリスの声で起こされた。ほぼ同時に何かに軽く頭をぶつけたと思ってそちらを見ると、隣に座っていたカークと目が合った。いつの間にか馬車の外は、人々の賑やかな声が聞こえて来ている。窓の外には大きな建物が並んでいた。泊まるのは一般の宿ではなく街の領主館である。侯爵領内で一番王都に近い街という事で、観光で賑わうらしい。帰りは兄が一緒に帰る予定なので、その時に正式に会食する予定になっていた。


 挨拶をしてきますので、とカークは何かを気にする素振りもなく先に馬車の外へ下りた。彼自身も領地内の有力者の息子なので、領地内では兄の代理に近い。 


「アリスは起きていたの?」

「はい」

「……私って、どのくらいカークにもたれて寝てたのかしら」

「起こす必要はない、とカークさんが。最初は窓の方に寄り掛かっていらっしゃいましたが、途中から……今までも外へ出る時も時折ありましたけど」


 アリスに指摘された事でたった今、自分も思い出した事である。近くに出掛けた時も、帰りの馬車に乗った事は覚えていても、降りた記憶は曖昧だ。兄がお出かけの護衛に寄越すのも大体カークなので、そのまま荷物みたいに担がれて自室に戻されていたのだろう。

 まだ幼い頃に妖精、妖精と大騒ぎしたあの早朝も、気が付いたら自室のベッドで二度寝していたので、送ってくれたのだろう。子供の頃はそれでもあまり気にならなかったが、次は絶対に起こしてね、とお願いした。


「カークはそういう時に何も思わないのかしら?」

「何、とは?」

「……迷惑な奴、肩が痺れるじゃないか、とか」


 向こうにとってのトリーとは、主人の妹である以前にせいぜい小さな女の子扱いだ。女性として見られているわけではない。こういう時にカークにとって自分はいつまで経っても小さい子供なのだと思う。一瞬迷って、無難な例を挙げた。

 アリスはこの手の話はあまりぴんと来ないので、大丈夫ですよと優しく慰めてくれた。彼女がエディに対して妙にあたふたしているのをからかうのは控えようと思う。


「特にそういう気配はありませんでしたよ。満更でもない、と表現すると何だか変な感じですけれど」


 そんな話をしながらアリスと一緒に馬車の扉をそっと開けてみると、ちょうどカークが戻って来たところである。どうぞ、と当たり前のように差し出された手を借りて降りながら、お兄様め、とトリーはこの場にいないレスターに小言を言いたくなる。自分だけ意識しているのかばかばかしくなってきた。


 お久しぶりです、と破顔して出迎えてくれたこの街の領主夫妻に挨拶をして、客間に案内された。ゆっくりおくつろぎください、と部屋の設備や夕食の時間を確認し合う。


「お嬢様、春の旅を楽しんで下さいまし。それでは失礼します。カークは可愛いお嬢様と一緒で役得ですね!」 

 

 王都から兄が送ってくれて、護衛は一人入れ替わるのである。田舎屋敷に戻って、行程が無事に進んでいる事を報告してくれる。交代要員も王都から到着したらしい。

 トリーには恭しく挨拶を、一転してカークをからかってベテラン従僕殿は帰還して行った。客間に荷物を下ろして、アリスは早速お出かけの用意をしてくれた。


「カーク、どう? 街娘に見える?」

「……普通にお嬢様ですね」


 せっかくそれっぽい帽子まで買ったのに、と文句を言いながら、トリーはカークを伴って領主館の裏口から出してもらった。アリスは館に待機である。護衛役二人はこちらにひらひらと手を振った後は、素知らぬ顔で一定の距離を保つ。


 領主館を出て、観光の目玉である景色の素敵な湖を横目に眺めるような形で道を進む。食べ物や装飾品、怪しげな占い師から景品を掛けたお遊びまで、面白そうな出店があちこちにあって、晴れた日の午後なので人通りもそれなりである。出店が立ち並ぶ一画の入り口で、トリーはカークを見上げた。


「串に刺して焼いた鶏肉ですって、食べたくない? 美味しそう。あ、羊もあるって」 

「手が塞がるのは業務に支障が出てしまいますから」

「それだと何もできないじゃない」


 カークは上着と旅装で目立たないが、護衛として帯剣している。一応、今のところは出番の気配はなさそうだ。侯爵領では治安を守る軍人以外では、許可がないと武器の携行は許可されていない。申請すると一人につきいくら、とかなり税金もかかる。

 トリーから見て、レスターは身分の割には金遣いが質素だと思っているが、護衛の人数だけはかなりの予算を割いている。数が多い程、財政が潤沢であると周囲に誇示できるし、仕事もしてくれるから素晴らしいとの考えである。


「どうして先ほどから私に何かを食べさせようとするのですか」

「カークを枕にしてしまっていた分の埋め合わせをしようと思って」


 せっかく外へ出たのに一体何しに来たのやら、とカークは不審そうである。トリーはお菓子の出張販売らしい屋台からとりあえず購入した。今は街娘だからいいでしょう、と広場に湖を眺めながら座る椅子に腰かけて、カークにも半分無理矢理押し付けた。


「今まで疲れて寝てしまった時に、お部屋までどうやってお連れしていたのかをようやく悟ったご様子ですね」

「……この間のキリルみたいに、小麦粉の袋みたいに担がれていたというわけね」

「まさか。いつかの御所望通り、お姫様のようにお持ちしています」


 ちなみにキリルはあの持ち方が一番喜ぶらしい。トリーは蜂蜜の甘い焼き菓子と一緒に、幼少期をよく知っている相手の厄介さをしみじみと噛み締める。この口ぶりではまだまだトリーの小さい頃の面白おかしい話をたくさん覚えているのだろう。さっさと忘れてくれる事を願うばかりだ。


 それから、トリーは留守番している義姉の事を思い浮かべた。馬車に何日も揺られながら知らない土地でよく知らない相手と結婚するために向かう旅路はどんな気持ちだったのだろう、と。しかし最近は、よく知っている相手と結婚するのはどうかと勧められるのも、なかなか厄介だと思うようになった。


「私があと三つ歳を取る間、カークはそのまま足踏みしていてくれない?」

「心配しなくても、これ以上成長はないと思います」


 トリーはせっかくなので美しい湖を眺めた。カークは隣にいて、広場の柵に背を預けてこちらとは逆の方向を警戒している。素朴な味ですね、とカークも律儀に感想を述べながら、もそもそとお菓子を食べている。彼も育ちが良く、更に侯爵邸の凄腕料理長のおかげで舌は肥えているけれど、表情を見るに悪くはないようだ。


「大人になる前に、特にレスター様の庇護のあるうちに、色々と挑戦してみるべきですよ」

「今まで、何もできなかった分を取り戻すようにって事?」


 社交界に出る前に年齢の近い家同士で交流を持ったり、奉仕活動に参加したりするそうだ。トリーが外出しても体調を崩さなくなったのは、最近になってようやくである。出遅れている事は間違いない。


「奥様、つまりトリー様の義姉上様とは上手く関係を築けたではありませんか。それは成果として誇って良い経験だと」

「それは、お義姉様が侯爵領に馴染むために努力した結果でしょう」


 今回も慰霊祭で兄妹が留守の間、侯爵領の方の行事に参加してくれている。兄との関係は良好でキリルもいて、地位は盤石と言えるだろう。

 

 閣下がご結婚を発表された際には、とカークは声を潜めた。北の地は凶作が続いていて、婚姻という形で誼を結んで支援を強化するように、という王命に従った形になる。当主の結婚はその旗印であり、北の地の領民に国の姿勢を示すものだと。


「社交界において、大変な人気者である閣下のご結婚についてはかなり注目が集まっている状態でした、侯爵領は豊かですから。そして内外で、支援を受ける家の人間が正式な夫人の座におさまる事に反発がありました。その家の関係者の使用人達も少なからずいます。それでも屋敷の中で大きな衝突が起きなかったのは、真っ先に旗を振った方がいるからですよ」


 覚えていますか、と聞かれればトリーも渋い顔で頷くしかない。兄は使用人達を一堂に集めて結婚する旨を報告した後で、わざわざトリーに話を振った。遠い場所から来て下さるのだ、と。


「お嬢様は何の躊躇もなく、『ずっと姉が欲しかったんだ、嬉しい』と。トリー様にそんな風に口火を切られたら、迂闊には動けません」


 てっきり狙っておっしゃたのだとばかり、とカークは意地悪な事を言う。そうしてやって来た義姉も、当初に比べてずっと雰囲気が柔らかくなられた、と話を締めくくった。それは侯爵家がきちんと彼女に敬意を払い、一丸となって受け入れる姿勢を示す事ができたからであると。


「お嬢様は私を真面目だと揶揄されますけど、トリー様も大概ですからね。そんなに気負わなくたって、焦る必要はどこにもありはしませんよ。侯爵家の令嬢は、他所のお嬢さんと同じではないのですから」


 トリーは黙ったままでカークを見上げたが、彼も真面目な顔つきのまま、目を逸らす事はなかった。こういう顔の時は絶対に意見を撤回する事はしない。 

 

「……わかった。カークが私に伝えてくれた事は、忘れないようにする」

 

 どこかの家にお嫁に行く時に、という続きの言葉はお菓子と一緒に喉の奥にしまい込んだ。代わりにありがとう、と呟いて、トリーはもう一度、湖を眺める事にした。春の穏やかな湖面は、空を映して綺麗だった。


 兄には逆らえないであろうカークの気持ちを自分が考えなければ、という声と同じくらい、何も考えずに彼のところへ行けたらいいのに、と思ってしまった。

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